祭 辞 典
大阪天神祭 大 山 置 山 御 雇
独楽回し・廻し
おだまき 翁・千歳 表 祭
御仮屋・御旅所 織田信長
豊臣秀吉
徳川家康
小野道風 太田道灌 大江定基入道
寂昭・寂照
王 羲之
(おうぎし)
大唐破風屋根
オチャビン 御旅祭 御 幣
(おんぺい、おんべ
、ごへい)
御神酒・お神酒
(おみき)
大 麻
(おおぬさ)
老 懸
(おいかけ)
鬼板・懸魚
おにいた・げぎょ)
大江山凱陣
(おおえやまがいじん)
御神酒枠 大口袴 オハケ・おはけ 大奉書
 
(おおぼうしょ・
おほぼううしょ)
奥宮・奥之宮
 (おくみや・おくのみや)

奥社・奥之社

(おくしゃ・おくのしゃ)
大奉書
(おおぼうしょ)
大宣都比売神
大宜都比売神

(おおげつひめのかみ)
大日霊売命
(おおひるめのみこと)
大山津見神
(おおやまずみのかみ)
大屋毘古神
(おおやひこのかみ)
大屋都媛命
(おおやつひめのみこと)
翁 神
(おきながみ)
応神天皇
大麻神社 思兼命(神)
・思金神

(おもいかねのみこと)
気長足媛命
息気帯比売命

(おきながたらしひめ
のみこと)
大山咋神
(おおやまくいのかみ)
山末之大主神
(やますえの
おおぬしのかみ)

鳴鏑神
(なりかぶらのかみ)
大山祇神
大山津見神
大山積神

(おおやまづみのかみ)
大己貴神・大汝
大穴牟遅神

(おおなむちのかみ)
大国主命
大物主命
大名持神
息長足姫尊
おきながたらしひめ
のみこと)
神功皇后
弟橘媛・乙橘媛
弟橘比売命・橘媛

(おとたちばなひめ)
大土御祖神
(おおつちの
みおやがみ)

大土神
(おおつちのかみ)
大市比売命
 
(おおいちひもの
みこと)
神大市比売命
 
(かむおおいちひもの
みこと)

名 前 説   明
大阪天神祭
 (おおさかてんじんまつり)
日本三大祭の一つ。菅原道真を祀る大阪天満宮の1000年の歴史のある祭礼で7月下旬に行われる。元禄時代(17世紀後半)以降、浪速の繁栄のシンボルとして隆盛をきわめている。
大 山
 (おおやま)

中世に、京都祇園会山鉾と双璧であった愛知県・三重県に広く分布した曳山型式の尾張車楽(だんじり)は、巨大なもので、層塔型の特に大きなものが大山と呼ばれた。現在の名古屋地方には、名古屋系といわれる「小さめの屋根を4本の柱で支え、上下する山車(屋根山車)」がある。
置 山
 (おきやま)
置いておくだけの飾り物。 
御旅祭 神幸祭と同じ。
御雇独楽回し・廻し
  (おやといこままわし)
幕府に雇われている独楽回しの芸人で、江戸時代以降に遊芸(遊び事に関する芸能)となる。天下祭の神幸行列に参加したこともあった。
大唐破風屋根
屋台・山車の全長に唐破風屋根が載る屋根。
全長に渡り大唐破風屋根が載る屋根。 囃子座の上だけに載る唐破風屋根が載る山車で、大唐破風屋根とはいわない。
おだまき・苧環・小田巻
 屋台・山車の枠・人形・屋根などを、上げ下げするための装置。
 おだまきの種類はいろいろある。構造的には、昔ながらの木製の軸棒を使ったもの、手動ウインッチ、電気モータを使ったウインッチなどなどがある。また、枠だけをおだまきで上下するもの、2本のおだまきで枠と人形をそれぞれ上下するもの、1本のおだまきで枠と人形を連動して上下するものなど、同じ構造・同じ作動のものはないといっていいほどいろいろな種類がある。
 このHPでは、電動ウインチなどを含め、枠・人形・屋根などを上下する装置を“おだまき”と呼ぶ。

 おだまき・苧環の語意は、広辞苑や新明解国語辞典などによれば
1.つむいだ麻糸を、中が空洞になるように円く巻きつけたもの。麻糸を空洞の玉のように巻いたもの。つむいだ麻糸を巻いて玉にしたもの。
2.紋所の名(わくに糸を打ち違えに巻きつけた形)。
3.枝も葉もない枯木。
3.キンポウゲ科の観賞用多年草。
4.苧環蒸し(茶碗蒸しの一種」)の略。
5.和菓子の一種(餡の入った求肥餅に、そば粉で筋を描いたもの)。
6.糸掛貝の別名。
とある。
 三輪の由来や平家物語などに、「巻いた麻糸(緒環・おだまき)の糸先に針をつけ男の着物の裾にさしておくよう姫に教えた」などとあり、本来の語意は「麻糸を空洞の玉のように巻いたもの」であったのであろう。
 これが、拡大解釈され「麻糸を巻く道具」、「木を組んで作った糸巻き」、「糸を巻き取る糸車」などと使われる例もあり、山車の枠や人形に付けた紐を巻き付けた軸棒を回して上下する装置も、“おだまき”と呼ばれるようになったと思われる。

 また、“おだまき”は、古くは次のように“巻いた麻糸、戻す”との意味で使われている例がある。
 山車人形に多い、静御前が鎌倉へ連れてこられ、鶴ヶ岡八幡宮の舞台の頼朝と北条政子の前で踊らされたときに義経を思って舞ったときのうたの「しずやしず しずのおだまきくりかえし 昔を今になすよしもがな」の「しず」は繊維の束で、静御前の「静」を掛け合わせ、「おだまきくりかえし」はおだまきを巻き戻すように時間を戻して、義経と一緒だったころの昔に戻れたらいいという気持が込められているという。
 伊勢物語
「いにしへの しずのおだまき 繰り返し むかしを今に なすよしもがな」
(男が昔付き合っていた女に「もう一度昔みたいに会いたい」との想いを込めて送った唄)
 古今集
「いにしへの しずのおだまき いやしきも よきも さかえは ありしものなり」
(昔は賤しい者であったあなたが、今は栄えているけれども、昔のように賤しい者に戻したい)
昔ながらのおだまき 枠と人形用に2本を直角に配置したおだまき
枠を上下する昔ながらの伝統的なおだまき。人形は枠の中へ入り紐を直接引いて上下する。 昔ながらのおだまきに直角に置かれたおだまきで、枠と人形をそれぞれ上下する。
ウインチで上下するおだまき 屋根を上下するおだまき
山車の中に置かれたウインチを外部の丸ハンドルで回す。ブレーキ用も含め3つものハンドルが並ぶ。 屋根を上下する屋台の中のおだまき。4人で操作する。
オチャビン
花車
水屋
小山車
放送屋台
荷茶屋(にないじゃや)と同じ。飲食物・備品などを積んだ小さな車で、屋台・山車に随行する。子供が曳く場合もあり、スポンサーの提灯などを飾ったものもある。地域により花車・水屋(八王子まつり)・小山車・放送屋台〔 屋台祭→静岡・愛知・岐阜→富士宮秋まつり→祭りのアルバム2004〕ともいう。 大名駕籠のような立派なオチャビン いろいろ趣向を凝らしたオチャビンがある
表 祭
 (おもてまつり)
本祭と同意語。
御仮屋・仮屋・仮宮・御旅所 神社の祭礼時に、御霊を乗せた神輿が氏子町内を渡御し、町中などに仮にとどまる所。常設の建物がある場合や祭礼時のみ造られる場合がある。神輿は祭礼の初日に神社を出発して、御仮屋に泊まり、最終日に神社へ帰る。
御仮屋の呼び方は、常設(定まった場所・建物)の場合は御旅所と呼び、年番制で年ごとに場所が変わる場合などには御仮屋・仮宮などと呼ぶ例が多い。
大 麻
 (おおぬさ)
下谷神社例大祭で大麻を持って歩く役員神道の祭祀において祓に使う道具の一つで、榊の枝または白木の棒の先に紙垂(しで)または麻苧をつけたものである。白木の棒で作ったものは祓串(はらえぐし)とも言う。
“大麻(おおぬさ)”は、神への供え物や、罪を祓うために使用する物をいう“ぬさ”の美称ことであり、麻や木綿・布帛・紙が使われていたことから、神事に使う布帛・紙を大麻と呼ぶようになった。
また、伊勢神宮から頒布される護符も大麻(たいま、神宮大麻)という。
大麻は、左右に振ることにより、大麻に穢れ(けがれ)が移ると考えられ、かつては、大麻を手に取り穢れを移したが、現在では大麻を振ることにより穢れを移すとされるようになった。
(出典:Wikipediaなど)
東京の町神輿の渡御などでは、先頭を大麻や御幣を持った人が歩く。
右絵は、下谷神社例大祭で紙垂や大麻などが付いた幣帛を持って先頭を歩く町会役員。
小野道風
 (おののとうふう、
  みちかぜ)
894〜966。琵琶湖の西岸、志賀町小野は、古代の氏族であった小野氏の居住区域で、近所には小野神社、小野篁神社、小野天皇社、小野道風神社がある。小野一族には、小野妹子、小野篁、小野小町、小野道風などがいる。
小野道風は、花札に「雨に蛙」と一緒に書かれている平安中期の書家で、小野篁の孫。醍醐、朱雀、村上の3朝に歴仕し、若くして書に秀で、和様の基礎を築いた。藤原佐理、藤原行成とともに三蹟とされている。
小野道風の山車人形
太田道灌 1432〜1486。河内の土豪。室町中期の武将・歌人。名は資長、俗に持資(もちすけ)。築城・兵馬の法に長じ、学問・文事を好んだ。主の扇谷上杉定正に謀殺された。
逸話:遠乗りでにわか雨にあい蓑を借りるために駆け込んだ貧しい農家の若い少女に頼んだ。少女は山吹の花一輪を差し出した。
道灌の近臣の中村重頼が醍醐天皇の皇子中務卿兼明親王が詠んだ「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞかなしき」に掛けたものとした。道灌はこれを機会に、歌道に精進したという。
翁 (おきな)
千 歳 (せんざい)
能の翁は、「能にして能にあらず」といわれ、演劇性はなく、天下泰平・国土安全・五穀豊穣を祈願する儀式としての舞のみの「式三番(しきさんば)」である。
式三番は、河東・山田流箏曲・地歌・新内・上方舞などの一つで、「三番叟」と通称されることが多く、猿楽の能に古くから伝わる祭儀的な演目であり父尉(ちちのじょう)・翁・三番猿楽(三番叟)の三老人の祝福舞の総称をいう。室町時代には父尉が省かれたが、露払い役の千歳(せんざい)を入れて、式三番と称した。現在でも祝賀などの能の最初演じられる。
王 羲之 (おうぎし) 307頃〜365頃。中国の東晋の書家で、その楷書・草書の書は古今第一とされ、その子の王献之と共に二王と呼ばれる。
東晋:中国の国名・王朝名で、春秋時代の十二列国の一つ。
老 懸
 (おいかけ)
平安時代の宮廷武官の正装の冠につけて耳の左右を覆う飾りで、馬の尾の毛で扇形に作ったものを掛緒でつける。 おいかけ
鬼 板 (おにいた) 鬼瓦が名前のとおり瓦でできたものであるのに対し、鬼板は基本的には木製の棟飾りであるが、銅板で包むものもあり、瓦以外のものをいう。
屋台の鬼板は、懸魚と同じように、一番目に付きやすいところにあり、豪華で派手なものが多い。
Guidance → 屋台各部の名称〕
懸 魚 (げぎょ) おいかけ懸魚は、屋根の妻の部分に垂れ下げた飾りで、もともとは火災除けとして飾られていた。古くは掛魚と書き、水を連想する魚を破風に掛けることに由来するという。また、棟木や桁の先端を隠す目的ともいう。
鎌倉時代より古いものは残っていないが、古い絵画には描かれたものもあり、古くからあったとされている。
懸魚は、その形や箇所により名前が付いている。

形による呼び方
梅鉢懸魚:家紋の梅鉢紋を模した形状の懸魚。
彫懸魚:鳳凰などの瑞鳥や瑞花、鬼・兎・鶴・亀・鯉など動物の彫刻の懸魚で、江戸時代後期以降の建物に見られる。
桐懸魚:桐の花を模した形の懸魚。
猪の目懸魚:ハート・ヒョウタン形の彫刻の懸魚。
かぶら懸魚:かぶら形の懸魚で神社・寺院に多い。下・左右にかぶら形があるものは、三花かぶら懸魚という。(絵は一花)。
三ッ花懸魚:下と同じように左右にも同じ形が出ている懸魚。

使用箇所による呼び方
兎の毛通(うのけとおし)・唐破風懸魚:唐破風屋根の懸魚をいう。
拝懸魚・おも懸魚:破風の拝みの部分である頂点の懸魚。
降懸魚・桁隠・脇懸魚:破風の流れのなかほどの桁の端の懸魚。
大江山凱陣
 (おおえやまがいじん)
丹波国大江山に残る鬼退治の伝説。天保2年(1831)の江戸名所図絵に天下祭の神田祭で天皇の命で大江山の酒呑童子を退治した源頼光ら6人の武将が、その大きな鬼首を曳きながら都に凱旋する曳物が描かれている。当時は竹籠に和紙を張って作っていたが、2007年神田祭に出た大江山凱陣の曳物は、ビニールのふうせんに空気を送りながら巡行する。展示中も東京ドームのように常時空気を送り続ける。
御神酒枠
 (おみきわく)
江戸時代中期頃より、夏の間、江戸を始めとする関東地区の人たちが講を結成して、大山阿夫利神社へ参詣する行事が流行った。この大山詣りに奉納する酒を入れたり、神社で頂いた神水や護符を入れて担いだ装飾的な用具。
右表絵は、2007年6月に熊谷市で開催された「第2回 心にひびく祭り展」で展示された入母屋八棟屋根の御神酒枠。右裏絵は、歌川広重の東海道五十三次細見図会に描かれた御神酒枠。
御神酒枠
(裏絵)
大口袴
 (おおくちばかま)
公家が束帯装束のときに表袴(うえのはかま)の下に履く裾が大きく開いた肌袴・下袴。鎌倉時代以降は、武士が直垂・狩衣の下にはいた。
紅色や白色の生絹や平絹・張り絹などで仕立てた。
オハケ・おはけ 神霊が降臨するときに宿る依代の一種をオハケという。
形状は長い竿のさきを大きくひろげ、籠をつけたものや、青竹の先に弊や神符をつけたり、その基部を土壇として斎垣(いみがき)を廻らせたものなどがある。笠鉾もその一種という。
近畿から中国・北陸にかけて広く行われ、このオハケを祭りのとき、神主や頭屋(とうや)の家の前に立てるところもある。
大江定基入道寂昭・寂照 平安中期の僧で源信から天台宗を、仁海から密教を学んだ。長保4年(1002)に宋へ入り、源信から預かった天台教学の疑問27条について知礼(中国天台の山家派の代表)の答を得た。 
大宣都比売神
大宜都比売神(古事記)
 (おおげつひめのかみ)
保食神・受持神(日本書紀)
 (うけもちのかみ)
伊弉諾尊・伊弉冉尊が国・神産みで産んだ一神。大宣都比売神の“宣”は、御膳(みけ)の“け”で、“うけ”ともいい食物をいう。大は美称。
日本書紀には、保食神を「天照大神の命で訪れた月読命に保食神は口から出した山海の食物を奉るが、月読命は、口から出した食物を食わすのかと怒り、殺してしまう。これを聞いた天照大神は激しく怒り、その後月読命と会わなかった。このために日と月は会うことがない」と書かれている。古事記には、「素戔嗚尊が天界を追放されたときに、大宣都比売神に食物を求めたところ、大宣都比売神は、鼻や口、尻から食物を取り出し奉るが、素戔嗚尊は、穢れた食物を奉ると思い大宣都比売神を殺した。その後、大宣都比売神の頭から蚕が産まれ、二つの目から稲の種が産まれ、二つの耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が産まれた。それを神産巣日神が五穀の種とした。」と書かれているという
保食神の出自を書いた書物はないが、大気都比売神と同じ神であろうと推定されている。また、食物の神ということで、稲荷神社の宇迦之御魂神や伊勢神宮外宮の豊受大神などと同一視されている。
大宣都比売神を祀る主な神社。
白子神社(山形県米沢市)、金峰神社(秋田)、建穂神社(静岡)など
大山津見神
 (おおやまずみのかみ)
海を司る海洋の支配する三神の一柱。最初に生まれたのは大綿津見命、二番目には水戸の神の速秋津日子神。水戸は水が出入りする門口をあらわし港をいう。
大屋都媛命
 (おおやつひめのみこと)
素盞嗚尊の娘。
大己貴神・
大汝神(日本書紀)

大穴牟遅神
 (おおなむちのかみ)
大穴持命
 (おおなもちのみこと)
大国主命(神)(古事記)
 (おおくにぬしのみこと)
大物主命(神)
 (おおものぬしのみこと)
大名持神
 (おおなもちかみ)
葦原色許男(醜男)神
 (あしわらしこをのかみ)
千矛神(やちほこのかみ)
宇都志国玉神
 (うつしくにたまのかみ)
所造天下大神命
 (あめのしたつくらししおほかみのみこと)
日本書紀に、「 大国主神、またの名を大物主神、また国作大己貴命と号す。また葦原醜男といい、また八千戈神という。また大国玉神といい、また顕国玉神という 」 とあるという。大物主も別名であるといい、一番多くの名前を持った神である。
また、大物主神は大国主神の和魂、奇魂の名であるともいう。
出生は、素戔嗚尊の子とか六世の孫、七世の孫などいろいろである。出雲の主神。
少彦名命と共に国土を開拓し、国造り、農耕漁業の振興、医薬の開発を行った。家庭円満、縁結び、商売繁昌、事業繁栄の守護神とされる。
古事記、日本書紀には、国譲り神話、国作り神話、因幡の白兎神話、根の国神話、八千矛神の神話など多くが書かれている。
大麻神社
 (おおあさじんじゃ)
大麻神社は、全国に数十社以上ある。麻は、大麻・苧麻・黄麻・亜麻・マニラ麻などの総称で、大麻は日本に自生していた植物で、マリファナは大麻の穂と葉の部分である。
大麻と日本人の関係は深く、まず、縄文時代の遺跡からは、大麻の種が発見されており、食料などにしていたされている。また、縄文土器の模様は麻縄を押しつけたものであり、衣類などとしても使われたことがうかがえる。
奈良時代には税金を、絹と同じように麻布で支払うこともできた。万葉集には、大麻を折り込んだ歌が20首以上もあり、麻の付く町名や名前も多い。
精神的には、「大麻には悪を祓う力がある」とされ、神職が振る大幣は、大麻の繊維が使われている。神幸祭や町神輿の渡御などでは、大麻の弊や大麻の繊維を榊に付けて巡行する。また、山伏が小屋に籠もって修行するときに焚く護摩は、大麻だったとされる説もある。
応神天皇・誉田別尊・
品陀和気命・胎中天皇
 (ほんだわけのみこと)
仲哀天皇と神功皇后の第4皇子。神功皇后と応神天皇の関係は、父親不在の、マリアとキリスト、摩耶(釈迦の母)と釈迦の関係と同じ処女懐胎の母子信仰とされている。
神々の中で最初に仏名を持った神で八幡大菩薩といわれる。
神功皇后が新羅へ出征し、凱旋の日に筑紫の宇美で生れた。幼少時代は神功皇后が摂政として天皇を助けた。
勢力が発展し、大陸文化が盛んに輸入された。また、この時代に儒教が始まった。日本文化の興隆に貢献した大和朝廷の傑出した文化人指導者であった。
神功皇后とともに、八幡神にこじつけて、皇祖神や武神として各地の八幡宮に祭られている。
思兼命(神)・思金神
 (おもいかねのみこと)
八意思金命(神)
 (やごころおもいかねのみこと)
八意思兼神
 (やごころのかみ)
常世思金命
 (とこよのおもいかねのみこと)
記紀に高御産巣日神の子とされる。思兼は、多くの人々の知恵と思慮を兼ねもつほど知謀にたけたとの意味で、天照大神が天岩屋戸に隠れたときに、その対策を考え、また、国譲りの提案をした神である。
祀る神社は少なく、秩父神社と長野県下伊那郡阿智村・阿智神社、茨城県大子町・静神社が主神としている。
気長足媛命
息気帯比売命
(おきながたらしひめのみこと)
神功皇后
170〜269。14代仲哀天皇の配偶神。古事記の仲哀紀、日本書紀の神功皇后紀に英雄的支配者、神秘的霊威力を示す巫女として記述されており、「記紀」によれば、熊襲を平定するために仲哀天皇に同行して筑紫へいった。天皇が香椎宮で急死すると、皇后は妊娠していたが武内宿弥とともに朝鮮半島の新羅を攻略制圧、百済・高句麗も帰服した。帰国後応仁天皇を産んだ。
その後、大和へ帰り、応神天皇が即位するまで摂政を行い、100才まで生きた。
山車の人形の題材になっている。
大山咋神
 (おおやまくいのかみ)
山末之大主神
 (やますえの
  おおぬしのかみ)
鳴鏑神
 (なりかぶらのかみ)
近江国の日枝山(比叡山)に鎮まったのが最初で加茂氏神系の一柱で大歳神の子。
日枝神社・松尾神社の祭神。
「咋」は「主」という意味で、「偉大な山の主」の意味で、地主神として崇められ、山・水を司り、大地を支配し万物の成長発展・産業万般の生成化育を守護するという。
大山祇神・大山津見神・大山積神
 (おおやまづみのかみ)
伊邪那岐神・伊邪那美神の子。日本の山を統括する神で、瀬戸内海の大三島の大山祇神社(大三島神社)が総本社で、全国に1万社もの山祇神社がある。大三島の大山祇神社は、仁徳天皇(五世紀前半)の時代に創建されたという古い神社で、中世には瀬戸内海の水軍に篤く信仰され、武神とされることもある。神社には多数の鎧・兜が納められており、国宝・重文級のもの多数あり、全国の国宝・重文クラスの鎧兜のほとんどがあるという。
弟橘媛・乙橘媛
 (おとたちばなひめ)
弟橘比売命
 (おとたちばなひめ
   のみこと)
橘媛 (たちばなひめ)
大橘比売命
 (おおたちばなひめ
   のみこと)
日本武尊の妃。景行天皇の御代に、日本武尊の東征の際、相武(さがむ)の小野で、酋長の相武国造を滅ぼした後、弟橘媛と古代東海道を辿り走水から房総へ船で向かった。しかし、途中、暴風雨に遭い難破しそうになったとき、弟橘媛が「日本武尊に替わって入水するので、日本武尊の東征を護りたまえ」と海神念じ、入水した。その願いが通じ、暴風雨はおさまり房総へ着くことができた。
古事記には、弟橘媛が入水してから7日目に、御櫛が海岸に流れ着いたので陵を造り櫛を納めたとされている。東京湾岸に多いこゆるぎ・袖ヶ浦・袖ヶ浜などの地名は、弟橘媛の帯や袖が流れ着いたとされることから名付けされたとされている。
また、弟橘媛を祀る神社も房総半島や三浦半島に多い。
大土御祖神
 (おおつちのみおやがみ)
大土神
 (おおつちのかみ)
記紀神話の土の神で田畑を守る。大年神と天知迦流美豆比売(あめしるかるみづひめ)との子で、古事記では10人の内の1柱とある。
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