| 名 前 |
説 明 |
武蔵坊弁慶
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〜1189。鎌倉初期の僧。幼名は鬼若丸、熊野の別当の子という。武蔵坊と号して比叡山延暦寺西塔にいたが、源義経に仕えて武名をあげ、義経の没落に際しても忠実に随行、安宅の関で危難を逃れさせ、後に高舘の戦で討死したとして、「義経記」や謡曲・幸若舞曲などに伝説化されている。
義経との出会いの逸話:義経が笛を吹きながら夜に京の五条の橋を渡っていたところ、長刀を持った弁慶が両手を広げて義経の前に立ちふさがった。弁慶が奪った太刀が999本になる、1000本目になる義経の太刀を渡せという。無視した義経に、長刀を振りまわして切りつけた。義経は長刀かわし、橋の欄干に飛び乗った。弁慶は、怒り狂い次々と斬りかかるが、義経は軽くかわす。終いに弁慶は1000本目の太刀を諦めて義経の家来となり、終生忠誠を尽くした。 |
| 紫式部 |
973〜1014頃。平安中期の女性作家、歌人。越前守藤原為時の娘。藤原宣孝と結婚し、夫の没後、「源氏物語」を書き始めた。娘の大弐三位も歌人。 中古三十六歌仙の一人で、「小倉百人一首」にも入選。作品には、「源氏物語(54巻)」、「紫日記」「紫式部集」がある。 |
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| 村田銃 |
明治13年に村田経芳が開発した初めての国産の小銃で、火縄銃以来、欧米と300年あった技術格差を国際レベルに引き上げた。
村田銃は、フランスのグラースM1874歩兵銃などをモデルにして、十三年式村田銃として完成したもので、黒色火薬によるボルトアクション単発式で、明治陸軍はこの国産小銃で全軍の装備を統一した。明治18年には、改良した十八年式ができ日清戦争で使われた。
兵器には菊の紋が刻印されたが、この銃が始まりという。 |
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宗像三神
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九州宗像大社に祀られる、奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)・多紀里毘売命(たぎりひめのみこと)、市寸(杵)島比売命(いちきしまひめのみこと)・狭依毘売命(さよりびめのみこと)、多岐津比売命(たぎつひめのみこと)の三柱の総称。三女神は、天照大神と弟の素戔嗚尊が天の安河原で誓約を行ったおり、天照大神は、素戔嗚尊の凧いていた十拳剣を三段に折って、天真名井の聖水をかけ、噛んで吹き棄てたその息から生まれたとされる。
三神は、宗像神社の辺津宮、その沖約400mにある大島の中津宮、沖約4kmの沖島の沖津宮の3神社に分かれて鎮座する。宮島の厳島神社も宗像三神を祀る。
名前は、記紀などにより下表のようにいろいろある。
| 三神 |
古事記 |
日本書記 |
宗像大社
の社伝 |
| 本 文 |
第一の一書 |
第一の一書 |
第一の一書 |
| 沖津宮 |
多紀理毘売
(たぎりびめ)
奥津島比売命
(おきつしまひめ) |
田心姫
(たごりひめ) |
瀛津嶋姫
(おきつしまひめ) |
市杵嶋姫
(いちきしまひめ) |
瀛津嶋姫
(おきつしまひめ)
市杵嶋姫
(いちきしまひめ) |
田心姫神
(たごりひめ) |
| 中津宮 |
市寸島比売命
(いちきしまひめ)
狭依毘売
(さよりびめ) |
湍津姫
(たぎつひめ) |
湍津姫
(たぎつひめ) |
田心姫
(たごりひめ) |
湍津姫
(たぎつひめ) |
湍津姫神
(たぎつひめ) |
| 辺津宮 |
多岐都比売命
(たぎつひめ) |
市杵嶋姫
(いちきしまひめ) |
田心姫
(たごりひめ) |
湍津姫
(たぎつひめ) |
田霧姫
(たぎりひめ) |
市杵島姫神
(いちきしまひめ) |
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