祭 辞 典
落 款(らっかん) 蘭陵王
(らんりょうおう)
羅陵王
(らりょうおう)
羅龍王
(らりゅうおう)
         
名 前 説   明
落 款(らっかん) 一般に、書や画に筆者が自筆で署名したり、印を押すことをいう。屋台・山車にも車台に書いたり、木札に落款を書いて山車に掲げる場合がある。
陵 王(りょうおう) 
蘭陵王(らんりょうおう)
羅陵王(らりょうおう)
羅龍王(らりゅうおう)
没日還午楽(ぼつじつかんごらく)
羅陵王の山車人形中国の南北朝時代末期の北朝の北斉の武将の高長恭(〜573年)がいた。南北朝時代北斉の世宗文襄帝(高澄)の四男で、姓は高、名は粛、字は長恭。才智・勇武に勝れ秀麗な容貌であった。しかし、秀麗な容貌が災いし、戦いのときに部下の士気ががあがらなかったため、獰猛な面を被って戦いで指揮を取り、敵を破った故事がある。
その後、尚書令・太尉にまでのぼりつめたが、後に後主(高緯)の猜疑を受けて毒殺された。
この長恭は、実在の人物で、今でも河北省邯鄲の南の磁県劉荘村に墓があるという。

564年に北周が北斉の首都洛陽を包囲したときに長恭が500騎ので北周の包囲網を破る戦果を称えて兵士たちが「羅(蘭)陵王入陣楽(曲)」を作った。(他の説もある)
これが、日本へ伝わり舞楽の「陵王」のもとになったといわれている。

明治時代に書かれた「舞楽図説」では、陵王は、蘭陵王のことではなく、仏教の八大龍王の一つの娑加羅龍王・羅陵王である。また、東大寺に関する古い資料は一貫して羅陵王と出ているという。また、陵王は、ベトナムに伝わる「龍王の喜び」という舞と、同源のものではないかとの色々な説があるという。

この長恭が被った面を模した日本に現存する面は、奈良氷室神社・厳島神社に伝わるものが平安末期〜鎌倉初頭と推測され、もっとも古いものとされている。また、愛知県真清田神社(承元5年)、東大寺のものも古いものである。
面は、頭上の大きな龍頭が低く翼を大きく広げた氷室型と、龍身が高く翼は小さい厳島型がある。動眼と吊顎は共通している。

現在でも雅楽曲の一つの舞楽の陵王は、織田信長が好んで舞ったとされ、山車人形の羅陵王は織田信長が扮しているものがほとんどである。衣装は、赤を基調とした裲襠毛縁装束(縁に毛を付けた布にあけた穴に首を通して着る装束)。
Page Last Updated 2008.10.7
This Page Since 1'st of April 2003 go