| 年号 |
西暦 |
天皇 |
概 要 |
| 承和12年 |
845 |
仁明 |
6月25日誕生 |
| 嘉祥3 |
850 |
文徳 |
5才:和歌を詠む。 |
| 斉衡2 |
855 |
文徳 |
10才:漢詩を創作。 |
| 貞観4 |
862 |
清和 |
18才:式部省(注1)の試験に合格し文章生(注2)になった。
注1)式部省:律令制の八省の一つで、国の礼儀・儀式・選叙・考課・禄賜などを司る。
注2)文章生(もんじょうしょう):平安時代に擬文章生などから詩賦の試験に合格した者。
注3)擬文章生:律令制の大学で学び、試験に合格した文章生の下位の者。 |
| 9 |
867 |
清和 |
23才:文章得業生(注1)となる。正六位下となり、権少掾(注2)になった。
注1)文章得業生(もんじょうとくごうしょう):文章生の中から2名が、学費を支給され7年間勉強したあと、秀才の官吏採用試験(方略試)を受ける資格を持つ者。
注2)権少掾:太師・太傅・太保の補佐役の、少師・少傅・少保の一つ。 |
| 11 |
869 |
25才:「貞観格」(注1)を選進した。
注1)貞観格:三代格式(注2)の一つで、弘仁11年(820)より貞観10年(868)までの詔勅官符を編纂したもの。
注2)三代格式:嵯峨・清和・醍醐の3代の天皇の時代に定められた弘仁格式・貞観格式・延喜格式の3格式。神社・仏事などの三代の格式全部を集めた「類聚三代格(平安時代の法令集)」が使われた。 |
| 12 |
870 |
26才:対策(注1)に合格し、正六位になる。
注1)対策(たいしゃく、たいさく):官吏採用の論文の試験で、漢文の作文を提出する試験。 |
| 13 |
871 |
27才:玄蕃助に任ぜらる。少内記に任ぜられた。
注1)玄蕃助:玄蕃寮の長官の補佐役。
注2)玄蕃寮:律令制で、治部省に属し、仏寺や僧尼の名籍、外国使節の接待・送迎をつかさどった役所。
注3)小内記:令制の中務省の職員で大内記・中内記の補佐役。 |
| 16 |
874 |
30才:従五位下、兵部少輔に任ぜられた。
この頃、島田宣来子を妻に迎えた。
注1)兵部省:律令制の八省の一つで、軍政や武官の考課・選叙・訓練、兵馬・兵器などを司る。 |
| 元慶元 |
877 |
陽成 |
33才:式部少輔に任ぜらる。文章博士となり、最高の栄進を遂げた。
注1)博士:官名で、大学寮に紀伝(文章)・明経・明法・算・音・書、陰陽寮に陰陽・暦・天文・漏刻、典薬寮に医・針・按摩などの博士があって、それぞれ学業を教え、登用試験などを司る。 |
| 3 |
879 |
39才:従五位上に叙さる、藤原基経らが「文徳実録」を作り天皇の奉すにあたり、道真がその序を書いた。 |
| 仁和2 |
886 |
光孝 |
42才:讃岐守に任ぜられ、讃岐国へ赴任し、善政を行い住民に慕われた。 |
| 寛平2 |
890 |
宇多 |
46才:帰京。 |
| 3 |
891 |
47才:蔵人頭の役につく。式部少輔に任ぜらる。 |
| 4 |
892 |
48才:従四位下に叙さる。「三代実録」の撰修を任される。 |
| 5 |
893 |
49才:参議に任じ式部大輔を兼ねる。左大弁に転じ、勘解由長官・春宮亮を兼ねる。 |
| 6 |
894 |
50才:遣唐大使に任ぜらるが、唐の国情不安と文化の衰退を理由に遣唐使停止を建議し、中国へは行かなかった。侍従を兼ねる。 |
| 7 |
895 |
51才:近江守を兼ねる。従三位に叙し、中納言に任ず、春宮権大夫を兼ねる。 |
| 8 |
896 |
52才:民部卿を兼ねる。 |
| 9 |
897 |
醍醐 |
53才:権大納言に任ぜられ、右近衛大将を兼ねる。正三位に叙され、中宮大夫を兼ねる。 |
| 昌泰2 |
899 |
55才:右大臣に任ぜらる。従五位下を授かる。 |
| 3 |
900 |
56才:「菅家文草」「菅相公集」「菅家集」を献上。 |
| 延喜元 |
901 |
57才:従二位に叙さる。大宰権帥に左遷される。配流に近い生活で、窮迫の日々を送る。 |
| 3 |
903 |
59才:2月25日大宰府で没。享年58才。 |