| 名 前 |
説 明 |
| 造 物 (つくりもの) |
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附祭・付祭 (つけまつり)
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文化・文政(1804〜1829)以降に始まったとされ、いろいろな説があるが、踊り屋台、地走り踊、練物をいう。地走り踊ではなく、曳物、造物のことをいうこともある。
また、その年限りの臨時的な趣向の“曳き物”をいい、簡単な移動用舞台(屋台)の上で踊りや所作をができるようになっているものや、象やくらま天狗人形などの造り物を附祭として山車のあとにつけ巡行した。
附祭の趣向は、新しい山車と同様に市民や将軍、大奥の人たちの関心の的であった。 |
| 神田祭2005に出た附祭の一つの「だるま」。 |
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| 天保2年(1831)の神田明神御祭礼番附に見る附祭の一つ「五番鍋町:壽女夫万歳の学び」のイメージ。 |
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| 詰 組 (つめぐみ) |
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| きょう |
神社・寺院などの建物の柱上ばかりでなく、柱と柱との間に組物(斗きょうなどをいい、建物の柱上の軒を支える部分。斗と肘木とから成る)で構成される組み方。 |
| 塚原卜伝 |
1489〜1571。名は高幹、土佐守。延徳元年(1489)に鹿島神宮の祠官の卜部覚賢の次男、塚原土佐守安幹の養嗣子になる。兵法家飯篠長威斎の刀槍術を継承し、また、柳生新陰流の柳生石舟斎(宗巌)も門弟であった上野国の上泉武蔵守信綱(伊勢守秀綱)にも学んだ。独自に工夫した「一之太刀」秘伝を織り込んだ鹿島新当流・卜伝流などとも呼ばれる新当流剣術を創始し、将軍足利義輝・伊勢国司北畠具教らに指南した。
琵琶湖の船中で武芸者から真剣勝負を挑まれたが、うまく相手を小島に置き去りにしたとか、生涯敗れることなしなどの逸話が多い。「ト伝百首塚」によれば、塚原ト伝は、生涯に真剣勝負が19回、参加した合戦が37回、その間一度も不覚をとらず、212人の敵を討ち取ったという。剣の強さばかっりでなく、人一倍用心深く往年82才であった。
鹿島神宮では、毎年6月第2日曜日に「鹿島神宮古武道奉納演武」が催され、鹿島新當流をはじめとして鹿島に伝わる古武道が披露される。
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月読命(古事記)
(つきよみのみこと)
月神(日本書紀)
(つきのかみ)
月弓尊・月夜見尊・月読尊(日本書紀)
(つきゆみのみこと) |
伊弉諾尊が黄泉国から帰ってきて、禊祓をした際に、筑紫の日向の橘の少門の阿波岐原で生まれた天照大神・素戔嗚尊とで三貴子(みはしらのたふときこ)といわれる神。古事記には、右目を洗ったときに生まれたとされる。
月齢(新月からの日数)を数える神ともいわれ、農業では太陽よりも月の方が関係が深く、農事を占う者を神格化しともいわれる。
古事記・日本書紀には次のようなことが書かれている。伊弉諾尊は、三貴子に天照大神に高天原、月読命に夜の国、素戔嗚尊に海原を治めさせている。(古事記)
天照大神の命で訪れた月読命に保食神は口から出した山海の食物を奉るが、月読命は、口から出した食べ物を食わすのかと怒り、殺してしまう。これを聞いた天照大神は激しく怒り、その後月読命と会わなかった。このために日と月は会うことがない書かれている。(日本書紀)
月読命を祀る主な神社。
月山神社(山形県東田川群)、伊勢皇太神宮別宮月読宮(三重県伊勢市)、伊勢皇太神宮別宮月読荒魂宮(つくよみあらたまぐう、三重県伊勢市) |
つま都媛命
(つまつひめのみこと) |
素盞嗚尊の娘。 |