2006年07月20日
わたしはだれ?
「私はあれ以来参拝していない、それが私の心だ」という内容のメモ紙が、宮内庁長官だった富田朝彦(故人)の手帳の4月28日のページに糊付けされていた。
・手帳は昭和天皇との会話などのやり取りを記したもの
・該当のページを開くと、左右のメモ紙の劣化が異なる(問題のメモ紙が新しく見える)
・当時侍従長だった徳川義寛氏は同年4月末に侍従長を勇退しており、当人はA級戦犯合祀反対論者
・この記事を一面に持ってきた日経新聞は、
『同社員がインサイダー取引の疑いで取調べ』という記事が他新聞で取り上げられていた
・報道ステーション、NEWS23が取り上げるも短時間
いろいろ憶測があるが、説得力がありそうなのを。
【捏造が確定しました】
…メモの内容と驚くほど、整合する。
そして、驚くべき事に、徳川侍従長が退任したのは1988年4月末日…。
つまり「富田メモ」の日付1988年4月28日と完璧に一致する!
…退任する徳川侍従長が富田宮内庁長官に、自分の思いを語った…という推測はごく自然である。
つまり、「私」が「徳川侍従長」である可能性は充分にあるのだ。しかし…。
このメモを「天皇との会話を記した手帳」に貼り付けると…「私」は「天皇」になってしまうのである。
・ 「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。」 「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」
合祀された78年ならまだしも、合祀から10年経った崩御の前年の昭和63(1988)年に語ったとすると不自然発言内容。
・ 当時の侍従長でA級戦犯の合祀に大反対だった、徳川義寛氏の発言と考えれば、内容はすべて辻褄が合う。
・ 日記のページは黄色く変色しているにもかかわらず、メモ自体の保存状態が極めて良好(紙が真っ白)。
・ ブルーインクで書かれた文字が、経年劣化で退色したりかすれたせず、綺麗なままである点。
とりあえず、これ置いておきますね。
つ @堀江
投稿者 ひなみ : 2006年07月20日 23:23