« アルかニダ46 | メイン | アルかニダ47 »

2006年10月20日

朝日新聞11

同じ議題に関して、左と右で正反対の社説が出た。片方は非核三原則に基づいて言論の自由を封殺している。もう片方は言論の自由に基づいてるが、現段階では非核三原則に抵触していない。

左代表 朝日新聞
右代表 産経新聞

朝日の言い分

 なんとも危うく、不見識な発言だ。核兵器の保有に関する麻生外相の国会答弁は聞き捨てならない。
 「隣の国が(核兵器を)持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくのは大事だ」
 「無知なままいくより、きちんと勉強した上で持たないというのも一つの選択だ」
 日本も核兵器を持つべきかどうか。そんな議論を始めようということなのか。
(中略)
 批判に対し、麻生氏は「言論を封殺するという考え方にはくみしない」などと答えた。話をすり替えてはいけない。外相や自民党政調会長といった、政府与党の重い立場にある人の発言として不適切だと、その内容を問うているのだ。「言論の自由」を振りかざす問題ではない。
 
 
 
産経の言い分
 
【主張】「核」論議 もう思考停止はやめよう
 昭和34年3月の参院予算委員会で岸信介首相は「政策として核兵器は保有しないが、憲法としては自衛のための最小限の核兵器を持つことは差し支えない」と答弁した。この「自衛上の小型の核兵器」保有は違憲ではないとの政府の立場は今も変わっていない。
 のちに核を製造せず、核を持たない、持ち込みを許さないとする非核三原則を宣言したことなどで、核保有政策は現実には取りえない。だが、それで日本は大丈夫なのかという疑問が提起されるのは自然だろう。
(中略)
 その意味で自民党の中川昭一政調会長が「日本が核をもたずに北朝鮮にどういう対抗措置ができるのか真剣に議論しなければならない」と訴えたことも、その文脈の一つだろう。
 この発言に対し、与野党から「議論をすることも世界が疑念を抱くからだめだ」などの意見が相次いでいる。自由な言論を封殺することはあってはならない。核に関する論議をあまりにタブー視しすぎているためではないか。思考停止を続けていては、いつまでも普通の国にはなれない。
 
 
 
 
 
念のために、非核三原則とは「作らず、持たず、持ち込ませず」という3つの宣言から成り立っているが、この中には「議論せず」という言葉は含まれていない。また、憲法で言論の自由が定められているため、核に関して議論することは憲法でも保障されている。

そのことをふまえると、どっちの新聞の言い分がおかしいかは明らかである。
 
 
 
前回も述べたが、ウチは「現状では核兵器を持つべきではない」と考えているが、核に関しての議論を行うことは、もちろん存分に行うべきだと思っている。
 
 
 
 
 
核兵器を持たずに議論するだけで世界を賑やかす国は、世界広しといえども日本ぐらいのものか。そういう意味では、外交カードとしての「核議論」は、労力も時間も金もかからずに使える分、有効と言える。

投稿者 ひなみ : 2006年10月20日 23:01

コメント

コメントしてください




保存しますか?