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2009年01月26日

沈没船 お宝出ぬと 文句言い

いや、まだ引き上げてもいないし積荷も確認してないけどさ。連中なら言いそうじゃね?

記事

霊光沖合の『日本軍の宝船探し』、成功なるか

 西海(ソヘ)・七山海(チルサンパダ)で、3年間行われて来た『日帝時代の宝船探し』は、果たして成功出来るだろうか。
 26日、木浦(モクポ)海洋港湾庁と全南(チョンナム)霊光郡(ヨングァングン)によれば、ハン某氏は去る2006年、海洋港湾庁(当時の海洋水産庁)から架光郡鞍馬島(アンマド)の東0.16kmの海上での埋蔵物発掘の承認を受け、沈沒船の引揚作業をして来た。
 ハン氏は、この船舶が太平洋戦争終盤の1945年6月10日、連合軍が発射した砲弾に当たって座礁して、40mの海底に沈んだ日本海軍の船舶だと推定している。
 漁船の船長だったハン氏は按摩島を出入りしている際、住民達からこのような話を伝えられて事業に取り掛かった。ハン氏が提出した事業計画書には、衛星航法装置を利用して把握した船舶の存在が、ぼんやりと現われている。
 ハン氏と共にこの事業を進行するイ某氏は、「887dクラスの鉄製の貨物船に数多くの木箱が積まれていて、当時の記録をよく見れば、日本軍が敗戦を控えて搬出しようとしていた貴金属や、国宝級の遺物などが運ばれていたと思われる」と語った。
 しかし、この事業は取り掛かってから3年間、これと言う進展が見られなかったまま、昨年末で海洋港湾庁が渡した埋蔵物の発掘承認と、霊光郡の共有水面占・使用許可の期間が満了していて、未だに関連機関へ承認と許可の手続きを踏んでいない。
 イ氏は、「専門ダイバーを動員して水中探査や引揚げ作業をして来たが、船が奥深い所に埋まっているのと、潮流で深海作業が容易ではない」とし、「事業計画を整備して、今年は必ず宝船を引き上げ出す」と語った。
 
 
 
 
 
>1945年6月10日
>887dクラスの鉄製の貨物船

この資料の46ページによると、1945年(昭和20年)6月10日に多度丸という887トンの船が空爆により沈没とあるな。だがこの船は民間の船なので、彼が言うような「日本軍が敗戦を控えて搬出しようとしていた貴金属や、国宝級の遺物など」は無いんじゃないかな? まぁ民間の船に偽装して云々という話もあるかもしれないが、護衛艦の一つも付けないで国宝級の遺物を運ぶかねぇ?

投稿者 ひなみ : 2009年01月26日 22:04

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