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2009年05月23日
ノムヒョンも かの法則に 逆らえず
政治家としては致命的にダメダメだったが、コメディアンとしては最高だったなぁ・・・。
盧前大統領、少年のときに遊んだ裏山で命絶つ
「これまでとてもつらかった。あまりにも多くの人を苦しめた。本を読むこともできない」−。こう遺書を残して死亡した韓国の盧武鉉前大統領。韓国南部・慶尚南道金海市郊外の自宅近くにある烽下山の岩から飛び降りたとされる。
烽下山は前大統領が子供のときによく遊んだ山だという。貧しい農家の5人兄弟の末っ子として生まれた前大統領。最終学歴は高卒。建設現場で働きながら苦学の末に弁護士になり、ついに大統領の地位まで上り詰めた立身出世の人物だ。子供のときにのぼり、大志を抱き将来の夢も語ったであろう自宅の裏山で、前大統領は人生の幕を自ら閉じた。
烽下山は自宅から直線で200メートルほどの距離にある。以前はミミズクが多く生息し、よく鳴き声が聞こえたことから、地元住民の間では「ミミズク岩」と呼ばれる20〜30メートルの切り立った岩があり、そこから飛び降りたとされる。
韓国の聯合ニュースは、関係者の話として、登山に同行した警備要員を押しのけるようにして投身自殺を図ったと伝えた。また、自殺直前の様子も報じている。前大統領と警護要員との間にはこんなやりとりがあったという。
前大統領「たばこはあるか」
警護要員「持ってきましょうか」
前大統領「取りに行く必要はない」
この後、前大統領は岩の上から下を眺めて、「あそこに人がいるな」と淡々と語った後、飛び降りたという。
前大統領は大統領経験者としては珍しく、大統領職を退いた後は中央政界からもきっぱり身を引き、故郷のある金海市郊外の烽下村という人口約120人ほどの小さな集落に移り住んだ。
その一角に邸宅を建てて有機農法による農作業などをしながら、静かに隠遁生活を送っていた。麦わら帽子をかぶり、住民らと気軽に語らう様子などがたびたび報じられ、前大統領には清潔で気さくなイメージがあった。
しかし、不正疑惑が浮上すると、生活は一変。自宅周辺には連日報道陣が詰めかけ、騒がしくなった。村の住民は「精神的にずいぶんと追い詰められていたようだ。本当にかわいそうだ」と語っている。
遺書では「恨まないでほしい。生と死は1つではないのか」と複雑な心境も吐露。「火葬してほしい。村の周辺に小さな石碑を1つ建ててほしい」。盧前大統領が記した最後の願いだ。
自宅出る30分前に遺書
盧武鉉前大統領が23日朝、自宅を出る30分前にパソコンにA4版用紙1枚分の短い遺書を残していたことが分かった。地元警察が公表した遺書の全文は次の通り。
あまりにも多くの人たちのお世話になった。
わたしのために多くの人が受けた苦痛はとても大きい。
これから受ける苦痛も推し量ることができない。
余生も他人の荷物となるしかない。
健康が良くないので何もすることができない。
本を読むことも、文章を書くこともできない。
あまり悲しむな。
生と死はすべて自然の一部ではないか。
すまないと思うな。
誰も恨むな。
運命だ。
火葬にしてくれ。
そして家の近くに、ごく小さな石碑を1つだけ残してくれ。
長く考えた末の考えだ。
あの国で大統領をやった人の末路というのはあまり良い余生を送れないというのが、かの国の法則。ノムヒョンも政界から身を引いて距離をとっていたのに、不正資金問題やらで突付きあげられていたしなぁ。逮捕されて牢屋生活を本にして出版するとか予想されていたのに・・・最後まで斜め上を通していったな。
投稿者 ひなみ : 2009年05月23日 19:35