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2009年10月04日
先見えぬ 国の未来と 一人の死
五年後十年後先のことを考えれば、日本にとって大きな痛手になるのは間違いないな。
【中川昭一氏死去】自宅のベッドで死亡、目立った外傷なし
中川昭一元財務相(56)が4日朝、東京都世田谷区下馬の自宅のベッドで死亡しているのが見つかった。警視庁世田谷署によると、目立った外傷はなく、これまでに遺書は見つかっていない。同署は死因などを調べている。
同署によると、中川氏が同日朝、起きてこなかったことから、妻が2階寝室に様子を見に行ったところ、ベッドの上でうつぶせになり、ぐったりしている中川氏を発見。同日午前8時20分ごろに119番通報した。救急隊が到着したときにはすでに死亡しており、病院には搬送されなかった。
室内に荒らされたような形跡はなく、中川氏は寝間着姿だった。妻が3日午後9時すぎにベッドで寝ている中川氏を見た際には呼吸をしていた。
中川氏は妻と息子、娘の4人暮らし。当時、息子と娘は外出していた。
【中川昭一氏死去】「保守政治家として存在感」死亡した中川昭一氏
中川昭一元財務相は、昭和28年7月19日、東京都生まれ。53年、東大法学部卒業後、日本興業銀行に入行。58年12月、急死した父・中川一郎元農水相の遺志を継ぎ、30歳で衆院議員に初当選。農林水産政務次官などを経て、平成10年に小渕恵三内閣の農水相で初入閣。その後、経済産業相、自民党政調会長を務めた。
自民党内では、亀井静香郵政改革・金融担当相や平沼赳夫元経済産業相らと行動を共にしてきたが、17年の郵政民営化法案に亀井、平沼両氏が反対票を投じ、自民党を去る中、賛成に投票。党にとどまり、その後、伊吹派会長代行に就き、総裁をねらう立場にいた。
政策面では、農政通で知られていたほか、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」や、安倍晋三元首相が掲げた戦後レジーム(体制)からの脱却路線の継承をうたう「真・保守政策研究会」などの会長を歴任するなど、保守的な政治家として存在感を出していた。
平成14年9月に小泉純一郎首相(当時)が初訪朝したときには超党派の「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」(拉致議連)会長として拉致被害者の救出活動に尽力、知名度をさらに高めた。
昨年の自民党総裁選では麻生太郎首相(当時)の誕生に中心的役割を果たし、麻生内閣で財務・金融担当相の重職に就いた。
一方で、酒をめぐるトラブルも少なくなかった。趣味のテニスをしすぎたことによる腰痛と鎮痛薬服用による副作用にも苦しめられた。今年2月には、先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)閉幕後の記者会見にもうろうとした状態で臨んだことが問題になり、辞任に追い込まれた。
9選を目指した8月の衆院選では比例代表の復活当選も果たせず、初の落選を経験。最近は、首相官邸近くの個人事務所の閉鎖と秘書の整理を決めたばかりだった。
紆余曲折を経て保守に帰るのが民主主義の意思だと思っている。
既に口を開いた鳩山不況により日本の経済は大きな打撃を受け、それによって国民は初めて騙されたことに気付き、原点回帰、または更なる混沌を経て保守政治に戻る。それには少なく見ても五年十年はかかるだろう。その時に保守政治を任せられるような実績と若さを持つ政治家を数えれば、中川昭一という人間は欠かせなかったはずだ。それだけに、この死は余りにも痛い。
投稿者 ひなみ : 2009年10月04日 17:34