雑感 01

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 「レオン完全版」はいいなあ


マチルダ「私が死んだら、悲しむの?」
レオン 「いいや」
マチルダ「それは本心ね? 私への愛がないことを願うわ。
     もし私への愛がひとかけらでもあったら、このことを後悔するから」

リュック・ベッソンは、レオンとマチルダとの非現実的なおとぎ話をあんな映画にしてしまうなんて、つい感心してしまう。


「ニュー・シネマ・パラダイス」のラストシーンは、泣けてしまった。中学と高校時代によく通った東劇という名画座を思い出したからだ。とても懐かしい。東劇で最初に見たのは、ロナルド・コールマンとグリア・ガースンの「心の旅路」というモノクロ映画。思いっきりメロドラマだが、多感な林少年は大いに感激。味をしめて、その後東劇に足しげく通うことになる。名作ばかりではない。「黄金七人」や「フランケンシュタイン」などのシリーズものや「女体の神秘」「世界残酷物語」などのB級映画も数多くを見た。「バーバレラ」や「いれずみの男」というSF映画を見たのも、たしかこの東劇だ。建物は取り壊されて残っていないが、アールデコ調の白いアールの外観は今も忘れない。
大学時代に通った池袋の文芸座も、思い出深い。毎週土曜日のオールナイトは、すごかったなあ。全席指定の5本立て。拍手や掛け声があって、最初はびっくりしてしまった。

「ショーシャンクの空に」とか「グッド・ウィル・ハンティング」もいいなあ。
「ブレードランナー」「エイリアン」「スターウォーズ」「ターミネイター1」「ターミネイター2」「レイダース/失われたアーク」「チァイニーズ・ゴースト・ストーリー」「燃えよドラゴン」「E.T.」「羊たちの沈黙」「プライベートライアン」「シックスセンス」「許されざる者」「荒野の用心棒」等々‥。好きな映画はたくさんあるが、すぐには浮かんでこない。 
日本映画も、いろいろ見た。鈴木清順の「けんかえれじい」や「刺青一代」なんかは、内容はともかくとして、印象に残っている。仁侠映画もいいなあ。健さんといえば、倉本聰の「冬の華」がいい。深作欣二監督の「仁義なき戦い」は衝撃的だった。最近もビデオを見たが、「こらえてつかぁさい」と泣きを入れる金子信男に、「お前がそんなだから、だめなんだ!」と大声でわめいてしまった。比較的新しい作品では、「ラヂオの時間」とか「しこふんじゃった」というコミカルなものが好きだ。股旅物では、長谷川伸原作の「関の弥太っぺ」が懐かしい。中村錦之助と十朱幸代の再会別れのシーンは、何回見ても泣いてしまう。
本当に映画はいいなあ。

2001.10



 こんな曲が好きだ

どちらかというと、ジャズが好きだ。
ジャズを聴くようになったきっかけの曲は、デオダートの「ラプソディ・イン・ブルー」。ジャジーなロックということで、とても新鮮だった。といっても、ガーシュインの曲である。原曲からして、ジャズっぽいのだが‥。今はフュージョンというが、当時はクロス・オーバーといった。デオダートは先に出した「ツァラトゥストラはかく語りき」の方が有名なのだが、おれは「ラプソディ・イン・ブルー」の方が好きだ。
ジム・ホールの「アランフェス協奏曲」にも感激した。この曲は、今聴いても実にいい。それに、メンバーがすごい。ピアノがローランド・ハナ、ベースがロン・カーター、ドラムがスティーブ・ガッド、トランペットがチェット・ベイカー、そしてアルトサックスがポール・デスモンドである。う〜〜ん、豪華だ。
その頃印象に残っている曲といえば、フラワー・トラヴェリン・バンドの「SATORI PART2」だ。これは、日本のロック史上に燦然と輝く名曲だ。と思っているのは、おれだけだろうか。「MAKE UP」もいいなあ。

ビートルズは、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」がいい。騒がしい部分はうっとうしいけど、ポールの陶酔したような甘い声がなんともいえない。ローリング・ストーンズもいいなあ。ボブ・ディランは、「コーヒーもう1杯」が好きだ。レオン・ラッセルの「ア・ソング・フォー・ユー」も忘れてはいけない。クィーンもしびれるなあ。もう、たくさんあって困ってしまう。
70年代のディスコミュージックやジェームス・ブラウンも、とても懐かしい。学生時代、歌舞伎町のカンタベリーハウスというディスコで何年かバイトしていたからだ。今はディスコではなく、クラブというのだろうか。

ジャズでは、「サマータイム」が好きだ。この曲の入っているCDを見ると、つい衝動買いをしてしまう。車の中には、全曲が「サマータイム」という80分テープを置いてあるくらいだ。ステファン・グラッペリとマッコイ・タイナーのデュオは、とても美しい。ジョージ・ベンソンのカーネギーホールでのライブ盤は、もうベンソンそのものだ。アート・ペッパーの哀愁を帯びたアルトは、年に一度は聴きたくなる。アルバート・アイラーは、なんとも判断に困ってしまう。キース・ジャレットの「サマータイム」を聴きたいものだが、過去に演奏されているのだろうか。

2001.10



 ヤマドリの巣

わが家の庭にやって来る鳥の種類を数えてみよう。スズメ、カワラヒワ、ヒヨドリ、ハクセキレイ、オナガ、シジュウカラ、ウグイス、メジロ、キジバト、ジョウビタキ、ツグミ、モズ、シメといったところだろうか。ささやかな庭だが、そこそこの顔触れだ。レンジャク類、エナガ、イカルなどは隣家までは来るのだが、わが家の庭には羽を休めない。昨年のこと。家の前の道路にアオゲラが死んでいた。森林性の鳥がなぜこんなところまで来たのか、とても不思議だった。ここから山までは、直線で4Kmもあるのに‥。一体どうしたんだろう。
家は、犀川の近くにある。アオサギ、ダイサギ、コサギ、ゴイサギ、カルガモ、マガモなどの水鳥がよく飛んでいる。、キジ、シギ、チドリなどの鳴き声もときどき聞こえてくる。

夏の夜は、ヨタカの声が印象的だ。キョッキョッキョッキョッという金属音のような鳴き声は、どこか物悲しい。でも、昔に比べると、ヨタカの数はずいぶん減ったような気がする。気のせいだろうか。以前、一度だけヨタカの巣を見つけたことがある。場所は、長野県北部の栄村。イワナ釣りの最中である。足場のいい渓流には釣り人の通り道が自然とできるものだが、その通り道にヨタカの巣があった。巣といっても、巣といえるものではない。なんの変哲もないところに、白い卵が転がっているのだから‥。これには、実にあきれてしまった。地面に巣を作る鳥はいろいろある。たとえば、ヒバリ、キジ、コチドリなどだが、いずれも卵は周囲の色に溶け込んで保護色となっている。コチドリの卵などはちょいと目を離してしまうと、もう見失ってしまうほどだ。まさに芸術品。自然の驚異だ。ところがだ。ヨタカの卵は、なんの保護色もない。一目瞭然。隠すということが、まったく感じられない。もう、あきれてしまう。一体どうなっているのだろう。

おれの鳥好きは、親父の影響だ。親父は、いろいな鳥を家で飼った。ヒガラ、コガラ、ヤマガラ、ゴジュウカラ、コゲラ、アカゲラ、イカル、イスカ、マヒワ、ウグイス、ヒバリ、ホオジロ、ウソ、メジロなど、数え上げたらきりがない。カケス、カラス、ヤマドリ、フクロウなども飼った。シチメンチョウ、ガチョウ、アヒル、チャボ、ニワトリなどの家禽も飼っていた。
野鳥を捕獲したり、飼育することは、もちろん昔も法律で禁じられていたが、厳しいものではなかった。野鳥を飼う人が、イコール愛鳥家という風潮さえあったくらいだ。今ではとうてい考えられないことだ。

親父から、一度だけずいぶんほめられたことがある。おれが谷あいでヤマドリの巣を見つけ、標本にするつもりで卵を一つ持ち帰ったときのことだ。親父はヤマドリの巣と聞いて、目を輝かせた。まだ巣を見たことがなかったからだ。おれは、親父を山に案内した。親父は卵を二つ持ち帰り、それをチャボに抱かせた。
親父の鳥仲間が家にやって来て、こう言った。
「う〜〜ん、いい息子を持ったなあ。うらやましい」
親父もまんざらではないようだった。おれも、なんだかうれしかった。
翌年の秋、47歳の親父はあっけなく病死。おれが高2の時のことだった。
おれは、家の鳥をすべて山に帰した。

おととし、おれは親父の歳を越してしまった。なんだか、不思議な感じがした。

2001.10



 伐採されたブナ林

つい最近まで、ブナ林は盛んに伐採された。日本中のいたるところでだ。樹齢200年の大木も、チェーンソーのけたたましい音とともに、ほんの数分で倒れてしまう。あわれなものだ。その樹齢200年の大木の値段は、驚くことに、たった数万円だという。建築用材として不向きなブナは、あきれるほど値段が安い。

ブナを伐採し、それを運び出すために、何億円もの費用をかけて林道をつくった。これは地元の建設会社のためでもあったが、なんとも空しい話だ。ブナの木を100万円で売っても、その経費はなんと500万円も600万円もかかったという。信じられないことだが、どこの営林署でも似たようなものだったらしい。
「なら、伐採しなければいいじゃないか!」と、つい腹立たしく思ったものだ。

ここに取材に訪れたのが、90年の夏。場所は、長野県北部の関田山麓(飯山市)。もちろん、国有林だ。
撮影に当たっては、飯山営林署にあらかじめ撮影許可の申請を出したのだが、「写真をなにに使うのか」とか「なぜ、飯山営林署なのか」と、執ように聞かれたことを覚えている。ブナ林保護の世論が高まり、ちょうど営林署がブナの伐採を自粛し始めた頃である。担当者の顔は、完全に引きつっていた。
このような大規模なブナ林伐採は、ひよっとしたら、この現場で最後だったかもしれない。

飯山市から栄村にかけての関田山麓は、ブナの巨木が多い。それも、日本のトップクラスの巨木である。中でも、「森太郎」と呼ばれるブナは特に有名だ。樹齢推定350年、直径約1.7m、周囲約5.25m、高さは約45mだという。まさに見上げるほどの大木だ。
しかし、山系全体を見れば、長年の伐採により、ブナ林の占める割合はとても少ない。残念なことだ。
伐採は皆伐(きばつ)に近いもので、伐採後、山は丸裸になる。しかし、ブナの苗木を植えることは絶対にない。ブナは、自然更新に任せるのだという。とはいっても、ブナの種子を実らせる母木が存在しなくては、ブナの自然更新はありえない。伐採後は二次林になるのだが、そこにはブナの姿はほとんどない。

この伐採されたブナは、工業製品などを入れる木箱に加工されたらしい。ブナを満載したトラックが、煙をはいて山道を下って行った。

2001.10



 こんなところに住んでいる

ここは、JR長野駅から南西に4Kmのところ。新しい住宅地の一角だが、リンゴ畑などもところどころに残っている。家のすぐ北側には、犀川の土手がある。犀川は千曲川(信濃川)の支流で、北アルプスから流れ出るその水はとても冷たく、水質も良い。ここから北アルプスまでは、直線で70Kmか80Kmだろうか。土手に立つと、真っ白な北アルプスが西に見える。また、ぐるりと見渡すと、菅平や志賀高原の山々も望める。
犀川の河川敷には、ニセアカシアやオニグルミが群生している。春、このニセアカシアが満開になると、あたり一面に甘い芳香が漂う。また、ちょっと離れた河川敷には、アンズ、リンゴ、モモ、ナシ、サクランボ、プルーンなどの畑が広がっている。河原に近いため、家の庭にはトカゲが住み着いている。シマヘビの子供も、一度見かけたことがある。

南側の隣地(100坪)の持ち主は、埼玉県の方だ。土地の管理ができないということで、10区画の菜園にして、近所の人に低料金で貸している。わが家も2区画借りて、農作業にいそしんでいる。家の前の畑なので、水やりも収穫もとても便利だ。
農薬は、一切使わない。草取りも、面倒なのであまりしない。それでも、けっこう収穫できるものだ。春なら、ホウレンソウ、エシャロット、ニラ、エンドウ、タマネギ。夏なら、トマト、キュウリ、ナス、オクラ、シソ、ニンジンなど、いろいろな野菜が食卓を飾る。おいしく、しかも安全な自家野菜は、とにかく最高だ。
もぎたてのキュウリを洗い、味噌をつけてガブリ。そして、よく冷えたビールをぐっと飲み干す。う〜〜ん、もうたまらねえなあ。

2001.9



 ビッグホーン

今乗っている車は、いすゞのビッグホーン(3200cc)。色はグリーン。5年前の購入で、走行距離は約15万Km。平均すると、年間3.8万Kmだろうか。普通の人より、走る方かな。目標は、30万Km。多分いけるんじゃないかな。 

初めて買った車は、日産のチェリークーペ(1200cc)の中古。黄緑という、とんでもない色をしていた。FF車といえば、当時(78年)はスバルレオーネとこのチェリーくらいではなかったろうか(違うかな?)。学生時代、このチェリーを見たときは、「こんなみっともない車、だれが買うんだろう」と思った。まさか自分が買うとは、夢にも思わなかった。
2台目の車は、日産のパルサー(1200cc)。色は白。個性の感じられない、ごく普通のファミリーカーだった。
3台目は、ダイハツのシャレード。なんと1000ccのディーゼルエンジン(3気筒)を搭載していた。燃費の良さは抜群で、リッター35Km以上も走ることもあった。ビッグホーンがリッター当たり7Kmだから、シャレードのこの数字は実にすばらしい。5年間で16万Kmを走った。
4台目は、いすゞのビックホーン(2800cc)。当時も貧乏していたのだが、岡山のおばさんが車の購入費の足しにしなさいと、現金100万円を送ってきてくれた。このお金がなければ、新車などもちろん買えなかった。でも、大金のプレゼントは、後にも先にもこの1回だけのこと。こういうありがたいおばさんが、50人もいてくれればいいのだが‥。このビッグホーンは、7年間で28万Kmを走った。そして、5台目が今のビッグホーンだ。

2002年、いすゞは乗用車部門から撤退し、トラックなどの本業に専念するという。あの117クーペやべレットをつくったいすゞがである。ちょっと寂しい気がする。ビッグホーンは、これから先大丈夫だろうか。いやいや、心配なのはいすゞではなく、自分のことだ。今の車が壊れても、新車を買う余裕がまったくない。困ったことだ。リンゴを積んで、久し振りに岡山に行こうかな。

2001.9

※2005年12月、走行距離は33万Kmを越してしまった。とにかく、めでたしめでたし。いすゞのショールームには、エルフが飾ってあった。



 魚釣り

子供の頃、魚を見ると前後の見境がなくなった。魚をとるのが、とにかく面白くて面白くて 浅い川なら、手づかみで魚をとった。モリや網でとることもあった。もちろん、釣ることも。小さい頃の記憶をたどると、川と魚に関するものが実に多い。4歳から5歳にかけては、和歌山県の山中に住んでいた。ウナギ、テナガエビ、モクズガニ、カメなどの記憶が多い。6歳の頃は富山県に住んでいたが、カジカ、ヤゴ、サワガニなどをたくさんとったことを覚えている。

小学生の頃の話である。ときどき農業用水への放流が止まることがあった。河川工事の関係だろうか。水位が下がり、水路のところどころに水たまりができた。そこには逃げ場を失ったフナやハヤ(ウグイ)が、バシャバシャとほどうごめいていた。「川が止まった」という噂は、すぐ学校中に広まる。そんな日は、勉強どころではない。そわそわそわそわ、頭の中は魚のことでいっぱいだ。放課後、ランドセルを川端にほうり投げ、川に入る。両手を泥水の中に入れ、夢中になって魚をさがした。高学年になると、近くの小さな池でフナを釣るようになった。ウキの動きを見るのが、とても楽しかったことを覚えている。
中学、高校になると、犀川で釣りをした。釣った魚は、フナ、コイ、ハヤ、ジンケン(オイカワ)など。釣った魚は、その場で焼いて食べたものだ。夏休みには、友人達と近くの河原でキャンプをした。
大学ではフィッシングクラブに入ったが、これはすぐ除名になってしまった。練習をさぼったからだ。練習というのは、キャスティングとか仕掛けをつくる練習ではない。階段を駆け上がったり、ランニングをしたりするもので、まるで運動部のようだった。このクラブでの唯一の思い出は、新入部員の歓迎会である。会が終わりと、上級生にこう命令された。
「このN子さん(やはり新入部員)も江古田だから、お前が責任をもってアパートまで送り届けろ」
「はい」
N子は、演劇学科のだった。ふたりで夜の江古田の町を歩いたが、どんな話をしたかまったく覚えていない。彼女のアパートの前でさよならをしたが、彼女はアパートには入らなかった。それどころか、おれにまとわりついて離れない。おれをおれのアパートまで送ってくれるという。そして、またふたりで歩いた。おれはもてるタイプではないのに、どうしたんだろうねえ。

社会人になり、実家の長野に帰ってからは、釣りを再開した。最初はコイ釣りに、つぎに渓流釣りに、そして海釣りに夢中になった。
海は、直江津港に行く。埠頭に着くと、まず缶ビールで乾杯。車を横付けにし、カレイやキスを狙う。少し酔いが回ると車の座席を倒して昼寝をするのだが、これが無上の幸せなんだなあ。でもこの何年かは、あまり釣りには行かない。仕事が忙しいからではない。ただなんとなくだ。釣りには行かないが、「ああ、釣りに行きたいなあ」といつもいつも思っている。行こうと思えば、いつでも行けるのに‥。
※文中の「おれはもてるタイプではない」というのは、おれの美徳であるところの、いわゆる謙遜というもの。

2001.9



 わが家の庭

90坪という敷地は、まあそこそこの広さだ。ところがだ。建物が平家で、しかも2台分の駐車スペースを確保すれば、庭はかなり狭いものになる。
 
事務所蒹住宅を計画したのは、98年のこと。設計事務所の基本設計の図面を見たときから、おれは、この狭い庭の植栽のことで頭がいっぱいになった。配置図を縮小コピーして、そこに色鉛筆を使って植物の名を書き連ねた。玄関回りには、ウリハダカエデ、ナツハゼ、マンサク、ハシバミなどの中木を植えよう。その根元には、トサミズキ、オタフクナンテン、ヤクシマハギ、アキシラリスなどの低木やフウチソウ、トキワマンサク、オキナグサ、カタクリ、チカラシバなどの山草を植えよう。エビネ、シュンラン、ネジバナなんかのラン科もいいなあ。まてよ、シダ類も忘れちゃいけないな。ベニシダ、ゼンマイ、カタヒバ、クジャクシダ、フユノハナワラビなんかも植えよう。ツバキもほしいな。ワビスケでいいだろうか。白花がいいな。
さて、中庭はどうしよう。あそこは日陰だから、それなりのものを植えなくては‥。ムシカリ、ヤブコウジ、イワタバコ、カンアオイ、ミズヒキ、イカリソウ、ヤブレガサ、それからシダ類だろうか。

問題は、南側の庭だ。ここをどうするかだ。小さい頃、カキが大好きであった。庭にカキの木がある友達が、とてもうらやましかった。自分の家はというと、敷地が狭く、木を植えるスペースなどまったくなかった。
「いつの日か広い土地を買って、カキを何本も植えよう。カキだけじゃない。ナシやスモモも植えよう」というのが、おれの子供の頃からの夢であった。
植栽計画図を前に、改めてこう思った。
「やはり果樹を植えたい!」
それも、何本も植えたい。しかし、大きく生長する果樹を植えるには、なんとも狭い。ところがだ。ある日、大発見をした。「タキイ種苗」の通販カタログを見ていたら、狭い庭でもOKという「矮性果樹」なるものがあるではないか。
「ひひひひひひひひひっ、はははははははははははははっ!」

とまあ、こんな調子で植栽計画は進んだ。
庭には、甘ガキとプルーンと洋ナシをそれぞれ2品種ずつ、さらに、スモモ、ソルダム、サクランボ、ウメ、ブルーベリー、ジューンベリー、ラズベリー、ハスカップ、ヒメザクロ、スグリなどを所狭しと植えた。

かくして、わが家の庭は果樹園になり、夢は実現した。

2001.8



 フィッシュ・アイ

「フィッシュ・アイ」とは、魚眼レンズのこと。これはだれもが知っていることだが、業界にはもうひとつ別の意味がある。
たとえば、建物の外観写真では、普通は三脚の構えられるところが撮影ポジションとなる。道路や庭や空き地といったところだろうか。でも、そんなところから撮っても、ありきたりの写真しか撮れない。そこで、池があったら、魚の目(フィッシュ・アイ)になったつもりで池にジャブジャブと入り、シャッターを押す。普段見ることのない池からの視点は、見慣れた建物も新鮮に見えるものだ。これがフィッシュ・アイ。意表をつくカメラアングルやポジションのことをいう。もちろん、冗談半分だけど‥。
「フィッシュ・アイ」といっても、池の中ばかりではない。屋根の上や電柱の上から撮ったり、あるいは地面すれすれから見上げたりもする。

おれの車は四駆の大型車で、頑丈なルーフキャリアを載せている。1.8mの脚立も積んでいるので、それをルーフキャリアの上に立て、さらにその上に立ち上がれば、5m以上ののハイアングルが可能だ。
「フィッシュ・アイ」は、あくまでも例外的なもの。普通は、ベストアングルにはなりにくい。多用も禁物だ。奇をてらったアングルで終わることが多いからだ。
とはいっても、「フィッシュ・アイ」はやめられない。
「これ、どこから撮ったの?」などと言われると、ついニヤリとしてしまう。

2001.8



 写真屋は、これで困ってしまう

依頼された仕事は、たいていは撮影料が決まっている。当然、時間と経費も自ずから限られてしまうのだが‥。

よく撮ろうと思えば、いくらでもよく撮れるのが写真。写真屋は、これで困ってしまう。
クライアントは、いったい何点の写真を必要としているのか。50点なのか。90点なのか。その写真をなにに使うのか。印刷に使うのか。プリントするのか。web上で使うのか。納期までの日数、こちらのスケジュール、天候、撮影料は‥。
とはいっても、こちらは写真屋。クライアントが30点の写真を要求しているにしても、「こんなんでいいよね」と30点の写真を納品するわけにはいかない。同様に、いくら撮影代が少ないからといって、30点の写真を納品するわけにはいけない。どんな業種にもいえることだろうけど、仕事ってそういう問題じゃないよね。簡単にいうと、プライドの問題だ。相手の問題ではなく、自分の問題だ。

「よく撮ろうと思えば、いくらでもよく撮れるのが写真だ」が、逆もまた真なり。よく撮ろうと思っても、ちっともよく撮れないのも写真。写真屋は、これで困ってしまう。何回足を運んでも、何枚シャッターを押しても、どうしてもうまく撮れないときがある。「被写体が悪い」といえばそれまでの話だが、プロの写真屋としてはあの手この手を使って、とにかくそこそこいい写真を撮らなくてはいけないのだ。

青空をバックに撮りたいのに、今日は朝から曇り空。日数に余裕があれば撮影を延期するのだが、今日しか撮影でいない場合は選択の余地はない。まずはシャッターを押してから、現場で天候の回復を待つ。こういうときは、祈るような気持だ。
いろいろな関係で、満足のいかない写真を納品するときは、足取りも重い。そして、とてもつらい。かりにクライアントが喜んでくれたとしても、とても残念だ。

仕事というのは、契約や義務といったものではなく、その人のプライドで成り立っているのではないだろうか。これはどんな職種でもいえることで、ものをつくる人も、ものを育てる人も、ものを売る人も、みな同じだと思う。どんな小さな仕事でも、いい仕事をしたいものだ。

2001.8



 毛布の下

愛用機といえば、ペンタックス67だろうか。よく使うので、4台持っている。ペンタックス67は、交換式のフィルムホルダーがない。2種類のフィルムを同時に使う場合は、どうしても2台のカメラが必要となる。2種類のフィルムというのは、ネガとポジであったり、DライトタイプとTタイプであったり、モノクロとカラーであったり、高感度フィルムと低感度フィルムだったりする。
また、失敗を避けるために、別のカメラで2度撮影する場合もある。いわば保険である。カメラが故障していた場合、何十枚も余計にシャッターを押しても、やはり失敗するからだ。

ペンタックス67は、比較的故障が少ない。とはいえ、10年以上も使えば、フィルムの巻き上げやシャッターがいかれてくる。ていねいに使えばいいのだが、落としたり、ぶつけたり、雨に濡れたりと、カメラは傷だらけ。今も、1台を修理(シャッターの不調)に出している。修理に出すと、ペンタックスのSSから必ずこういう電話が入る。
「ファインダーのミラーにひびが入っているのと、もうひとつFP接点が故障していますが、修理はどうしますか?」
「そちらはいいです。シャッターの修理だけお願いします。なるべく早くお願いします!」

撮影中にカメラが故障すると、とても惨め。予備のカメラは絶対必要なのだ。レンズも同様。よく使うレンズは、必ず予備のものを持って行く。カメラやレンズだけではない。三脚、ライトスタンド、ストロボ、露出計、電球などもも、すべて予備を持って行く。
昨年の12月、同じ日にカメラが2台故障するということがあった。これには、驚いた。やはり、予備の予備のカメラが必要だ。45mmのレンズは2本あるのだが、55mmは1本しかない。やはり昨年の夏のこと。この55mmのレンズをコンクリートの上に落としてしまい、先がちょっと変形してしまった。撮影には問題がないのだが、フィルターとフードが装着できなくなった。フィルターをつける場合は、仕方ないので一回り大きなフィルターを紙テープで固定して使っている。なんとも情けない。早く修理に出したいのだが、仕事がそこそこ忙しく、修理に出せないでいる。

撮影には、カメラやレンズや三脚だけではなく、いろいろな機材が必要となる。脚立、踏み台、背景紙、レフ、光を和らげるカーテン、バケツ、ほうき、懐中電灯、防寒具、寝袋、毛布、長靴、傘など、とにかくあれば便利なものを車の荷台に常時積んでいる。簡単な炊事道具や釣り道具なども入れてあるので、愛車ビッグホーンの荷台はもうてんこ盛りだ。おれは整理整頓が下手なので、荷台のボロ隠しのために機材の上に毛布をすっぽりかけている。
何年も前の話だが、車の夜間検問で、警察官にこう不審尋問された。
「その毛布の下には、なにがあるんですか?」
おれの人相は善良そのものなのに、あの警察官はなにを思ったのだろうか‥。

2001.8



 スタジオ

事務所は一部RCになっており、その外壁は「HAYASHI PHOTO STUDIO」と刻まれている。これは、設計士の発案によるものだ。デザイン的にもなかなかいいのだが、「スタジオ」というのは看板だけで、実際にはスタジオは存在しない。出張撮影がほとんどだからだ。もちろんスタジオをつくるスペースも、経済的な余裕もなかったが‥。いつだったか、子供の写真を撮ってくれという依頼があった。コンクリートに刻まれた「 STUDIO」という文字を見た近所の人からのものだ。もちろん丁重にお断りしたのだが、仕事を断るというのは、どんな理由があるにせよ、とても残念なものだ。この気持は、サラリーマンの人にはわからないかも。

ときどき物撮り(ぶつどり)もあるのだが、たいていは1.6m巾の背景紙におさまる小物がばかりだ。いざ撮影となると、ライトスタンド、ストロボ、デフューザー、レフなどをその都度ガチャガチャとセッティングする。美術工芸品などは、ライティングが特にむずしい。こういうときは、やはり立派なスタジオがほしくなる。

大きな美術館や博物館には、撮影室というのが設けられている。撮影台、大型ストロボ、レフ、デフューザーなどの機材も整っているので、とてもいい。そういう撮影室で、大型のカメラスタンドにカメラをセットするだけで、ついうれしくなってしまう。
絵画や書などの撮影依頼も、ときどきある。作家宅での撮影が多いのだが、この場合、外光の処理が大きな問題になる。カラーバランスの関係で、撮影にはタングステン電球を照明する。真っ暗な部屋がベストだが、普通の家にはそんな部屋はない。そこで窓に暗幕を張り、部屋を暗くする。部屋がどうしても暗くならない場合は、夜に撮影する。それもだめなら、仕方なくデイライトフィルムで撮影する。
書や日本画は楽だが、油絵はむずかしい。反射があるからだ。電球を4灯使い、それぞれにトレペなどのデフューザーをつけて光を拡散させる。照射角度も、反射を見ながら微妙に調節する。絵画などの撮影では、カメラを作品と平行にセットするのが原則。これがなかなかむずかしい。平行にしないと、長方形の作品が台形に写ってしまうからだ。また、カラースケールはもちろんのこと、タイトルや作家名などを記入した紙を必ず一緒に写し込むことも忘れてはいけない。

公共施設のパンフレットやポスターの仕事もする。保健所、図書館、競技施設、福祉施設などだが、役所のものはあまりおもしろくない。デザインも写真も、奇抜で新しいものは嫌われるからだ。これは、役所の担当者の立場上仕方のないことか‥。古いパンフレットを改訂するようなものが多く、「う〜〜ん、これはいい写真だ!」という写真はいらない。たとえば、建物の外観写真は、パースとまったく同じものが求められる。いつだったか、人物入りの外観写真を撮ったら、ボツになってしまった。なんとかならないものだろうか。田中知事さん、よろしくお願いしますよ。

2001.7



 おいしいビール

仕事を通じての人との出会い。自分の知らない新しい世界への一歩。
写真屋は、一喜一憂の毎日だ。    

露出計を見ながら、少し首をかしげる。
ちょっとコントラストが強いかな。ああ、太陽が雲に隠れてくれたらなあ。
空を見上げ、太陽と雲をチェックする。
なんでこういうときに限って、ドピーカンなんだろう!
1分間でも陰ってくれたら、シャッターが押せるんだが‥。」
深くため息。
まあ、今日はあきらめるか。でもなあ。納品の期日もあるし、スケジュールもある‥。

結局、撮影道具をビッグホーンにしまい、がっかりしながら現場を後に。
ハンドルを握りながらも、空を何度も何度も執拗にチェック。
ん?、雲だ。いけるかも!
急いで車をUターン。そして、再び現場に。
もどかしく三脚を立て、リンホフをセットし、65mmのレンズを選び、フィルターを装着。
露出計を手に、空を見る。
あれ!? 雲がない。さっきの雲は、いったいどこに行ったんだよ!
ちきしょう!もうちょっとだったのに。
輝く太陽を恨めしく見上げ、再び気の重い撤収。
こういう日のビールは、なんともまずい。 

被写体を前にして、雨が降ってほしいと思う時がある。雪が降ってほしい時もある。魚が飛び跳ねてほしい時もある。風が吹いてほしい時もあれば、やんでほしい時もある。強烈な陽射しがほしい時もあれば、曇りのフラットな光がほしい時もある。抜けるような青空がほしい時もあれば、黒い雲がほしい時もある。

せめて、太陽と雲だけでも自由にコントロールできたら、写真屋はいい仕事なんだけどなあ。
いい仕事をして、おいしいビールをたくさん飲みたいものだ。

2001.7



 そこの猟師よ!

カメラを三脚にセットし、地面に腰をおろし、ひとりシャッターチャンスを待つことがある。ウキを見つめる釣り師か、あるいは獲物を待つ猟師のように‥。

こんな古い話がある。
ある猟師が新しいヌタ場(イノシシが泥浴びするところ)を見つけた。猟師は風下の薮に身を隠し、イノシシを待つことに。ぼんやりしていると、太いミミズがヌタ場にはっているが見えた。「大きなミミズだな」と思って見ていると、カエルがやって来てそのミミズをパクリ。すると、今度はヘビがやって来て、そのカエルをひと飲みに。「上には上があるもんだなあ」と感心していると、ガサガサという音とともにイノシシが姿を見せた。イノシシはヘビを見つけるなり、それをガツガツとおいしそうに食べてしまった。
猟師は引き金に指をやり、イノシシの急所に狙いを定めた。が、頭の中にふとよぎるものがあった。ミミズはカエルに、カエルはヘビに、ヘビはイノシシに、イノシシはおれに、そしてこのおれは‥。ひょっとしたら、おれは、おれよりさらに強い何者かに‥。
恐怖にかられた猟師は、引き金からゆっくり指を離した。すると、空から不気味な声が聞こえて来た。
「そこの猟師よ、よい思案をしたな」

ひとりで山の中にいる時など、この猟師の話を思い出す。
山の中は、神秘に満ちている。葉のそよぐ音も鳥の声も、みな神秘だ。夜は、なおさらだ。いちど怖いと思い始めると、際限なく怖くなる。たとえば、だれかに後をつけられているような気がすることもある。何者かの足音が、ほんの少し重複して聞こえるからだ。もちろん、気のせいなのだろうが‥。自分が立ち止まると、その何者かが何分の一秒か遅れて立ち止まるような予感がする。立ち止まって耳を澄ませばいいのが、怖くてそれができない。振り返って見ればいいのだが、怖くてそれもできない。自然の中では、人間は限りなく弱く、そしてちっぽけな存在だ。

この猟師の話を信じる者はいないだろう。もちろんおれも信じはしないが、この話を言い伝えてきた人たちの気持は、わかるような気がする。

2001.7



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