雑感 03

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 「ロードランナーとコヨーテ」のセル画がほしかった

アニメではなく、カートーンというべきだろうか。ワーナー・ブラザーズが誇る「ロードランナーとコヨーテ」「バッグス・バーニー」や「トムとジェリー」などが大好きだった。
「トムとジェリー」の1シーンに、こんなのがあった。激しい銃撃戦のまっただ中、トムは道を渡らなければならない。トムは飛び交う弾丸を神業のようにすり抜け、無事に横断。さすがのトムも胸をなでおろし、コップの水を飲み干す。すると、体中にたくさんの穴が開いていて、そこから水がピューピュー‥。こういうバカバカしいギャグは、もう最高だった。
「ロードランナーとコヨーテ」には、こんなシーンがあった。橋の上でロードランナーが眠っている。そこにあのコヨーテがこっそり近づき、ノコギリで丸く切ってしまう。そして、ロードランナーは真っ逆さま‥。と思いきや、そこからがすごい。ロードランナーの眠る丸い部分だけを残して、なぜか橋が落ちてしまうのだ。もちろん、ノコギリを持ったままのコヨーテは、目のくらむような千尋の谷底へ‥。そんなバカな、というようなギャグが満載だった。とにかくすばらしいの一言だった。
こういう話を女房にしても、女房はあまり関心がない。こんなおもしろい話が、なんでおもしろくないんだろう。最初は不思議に思ったものだが、これもやはり実際に見なくちゃおもしろくないよな。女房は、7歳年下。見たテレビ番組が全く違う。いったいどんなアニメにワクワクしたのだろうか。
映画「グッド・ウィル・ハンティング」の中で、ウィルが沈黙を破り、突然こうしゃべりだす。飛行機の中での話だ。機内アナウンスの後、機長がマイクのスイッチを切り忘れた。副機長との会話がそのまま客席に流れた。
「ああ、女になめてもらいてえなあ。それから、コーヒーも飲みてえなあ‥」
それを聞いたスチュワーデスが、あわててコックピットに走った。そのスチュワーデスに向かって、乗客の1人がこう言った。
「おい、コーヒーも忘れるなよ!」 
う〜ん、なかなかおもしろいジョークだ。こういうジョークやすばらしいギャグを思いつく人は、なんてったって、とにかくすごいと思う。話は関係ないが、いつだったか、NHK教育で「グッド・ウィル・ハンティング」を放映したことがあった。このジョークの字幕に注目していたら、さすが天下のNHK教育である。「デートに行きたい」と誤訳していた。これじゃ、ジョークにならねえよ!でもまあ、なんだ。とにかく、マイクの切り忘れだけは、気をつけよう。

その昔、「ロードランナーとコヨーテ」のセル画がほしかった。もちろん、今もほしいけど‥。ものにもよるんだろうけど、いくらぐらいするんだろう。仕事部屋の壁に飾り、ときどきゆっくり眺めたいものだ。

2002.9



 「プリズナーNo.6」は、衝撃的だった

SF物にも、目はなかった。身を乗り出して見たのは、「ミステリーゾーン」だ。実に良かった。不協和音のテーマ音楽もよく覚えている。「ミステリーゾーン」を知らない人でも、原題の「トワイライトゾーン」といえばわかるかもしれない。いつだったか、楠田枝里子が、この「ミステリーゾーン」を話題にしていた。おれは、ふむふむと相づちを打ち、「そうなんだ!」とテーブルを叩いた。彼女が話したのは、こんなストーリーだ。核戦争が起こり、ある男がひとり核シェルターに入った。狭い空間に何年もじっとしていれば、普通の人なら発狂してしまうかもしれない。でも、彼にはなんの不安もなかった。なぜなら、大好きな本が山ほどもあったからだ。十分な食料、十分な水、十分な酸素、そして読みきれないほどの本、彼はしあわせであった。が、その彼に悲劇が訪れる。たった一つの眼鏡を誤って割ってしまうのだ。そして、本を読めなくなった彼は‥。う〜ん、いろいろな話があったなあ。
BBCが製作した「プリズナーNo.6」は、実に衝撃的だった。最初に見たのは、「ビッグ・ベンの鐘(違うかな?)」だったろうか。もうびっくりしてしまった。後年見た「マックス・ヘッドルーム」とどこか共通点があり、ともにおれ好みの作品だ。ほかにも「透明人間」「スーパーマン」「タイムトンネル」など、いろいろあったなあ。
あの「宇宙家族ロビンソン」も、忘れてはいけない。Dr.ザックレー・スミスやフライデーが登場し、毎週毎週とても楽しみだった。お金のかかったセットは、もう本物そっくりで、うっとりしてしまった。98年公開の「ロスト・イン・スペース」は、この「宇宙家族ロビンソン」のリメイク版だ。公開当時、「この調子で『タイムトンネル ザ・ムービー』や『かわいい魔女ジニー ザ・ムービー』『農園天国 ザ・ムービー』もやってくれい!」と騒いでいた奴がいたが、はっきり言って、全くその通りだ。「宇宙家族ロビンソン」と「名犬ラッシー」の母親役は、同じ俳優(ジューン・ロックハート)なんだ。彼女は、映画「ロスト・イン・スペース」の1シーンにも登場した。歳はとっていたけど、やはりモーリンだった。ところで、「宇宙家族ロビンソン」は途中で放映中止になったんだよなあ。放映中止を決定した責任者に文句を言いたいものだ。このバカヤロウ!よくも放映中止にしやがったな。ずっと後に聞いた話だけど、最終回を含めた後半のフィルムが、すでに日本に届いていたというじゃないか。それなのに打ち切りやがって!30年以上も前のことだって、時効じゃないぞ!こちとら、さらりと水に流すほどアマじゃねえんだ!
そういえば、西部劇もたくさんあったぞ。「ライフルマン」「ララミー牧場」「ブロンコ」「サーカス西部を行く」「アニーよ銃をとれ」「幌馬車隊」「ローハイド」など、など。う〜ん、いろいろあったなあ。「サーカス西部を行く」の主題歌は、ダークダックスが吹き替えていた。視聴者に歌詞カードをプレゼントするという企画があり、おれはさっそくハガキで応募した。ところがだ。待てど暮せど、ちっとも送られてこない。追加のハガキを3枚ほど東京の放送局に送った。そして1カ月後のある日、小学校から帰ると、「サーカス西部を行く」の歌詞カードのハガキが4枚届いていた。幌馬車に乗った団長たちの写真の上に譜面と歌詞が印刷されていた。
ほかにも、「コンバット」などの戦争物、「ポパイ」「トムとジェリー」などのな漫画、「テケテケおじさん」「三ばか大将」などのドタバタ、「名犬ラッシー」などのホームドラマ、「ベン・ケーシー」「ドクター・キルデア」などの病院物、「サンセット77」などの探偵物、「アンタッチャブル」などの警察物、「サンダーバード」などの人形劇、「0011ナポレオン・ソロ」などのスパイ物、各種のドキュメンタリー、料理番組や音楽番組、等、等。う〜〜ん、だんだん目頭が熱くなってきた。たとえば、「コンバット」だ。サンダース軍曹(ビッグ・モロー)、ヘンリー少尉(リック・ジェイスン)、フランス語のできるケーリー、大きなリトルジョン、特殊な銃を持っていたカービー、衛生兵の何とか(名前は失念)などのレギュラーがいたが、死んだり転属になるのはいつもゲストスターが扮する新兵だった。ランドセルのような無線通信機とチェックメイトキングというコールサインは、今もよく覚えている。
そうそう、「デズニーランド」も大好きだった。ウオルト・デズニー自身が司会したこの番組は、夢があったなあ。デズニーのアニメは好きになれないが、この「デズニーランド」は実に良かった。たとえば、こんなドラマがあった。とてつもなく巨大なスイカが畑にあり、農夫が昼も夜もそれを守っている。そのスイカを虎視眈々と狙うのが、主人公の少年たちだ。この攻防は、とてもおもしろかった。少年のひとりが、こうつぶやく。ぼくのおじいちゃんは牧師だったけど、「スイカはやっぱり盗んだのが1番おいしい」って、言ってた。見ているうちに、だんだんスイカが食べたくなったのを覚えている。
ビデオデッキがない時代である。ときとして、好きな番組を見られないことがあった。もう残念で残念で、悔しくて悔しくて‥。「デズニーランド」が見れずに泣いたときのことを、今でもときどき思い出す。トラウマになっているのだろうか。

日本の番組もたくさん見た。お気に入りは、なぜか「自然のアルバム」や「新日本紀行」など。 富田勲のオープニング・テーマは、涙が出るぜ。

 
※なんせ昔のことなんで、固有名詞が違っているかもしれない。

2002.9



 「農園天国」も、すばらしかったなあ!

今はあまりテレビは見ないが、小さい頃はテレビが大好きだった。人はいざ知らず、おれは世の中の大半のことはテレビで覚えた。
毎日毎日、テレビの前でワクワクドキドキしたものだ。夢中になったのは、アメリカのコメディ。ルシル・ボールの「ルーシーショウ」は、特に印象深い。たとえば、こんな話があった。銀行のあのムーニーとルーシーが、エレベーターの中に閉じ込められるのである。待てども待てども、だれも助けに来ない。やがてふたりは、やたら空腹になる。ボリボリという音がエレベーター内に響き渡り、ムーニーがびっくりする。ルーシーがスーパーで買ったマカロニを食べ始めたからだ。空腹のムーニーは、それがおいしそうに聞こえるんだね。ムーニーはひとつくれと懇願するが、ルーシーはここぞとばかりにいじわるをする。値段の交渉となり、マカロニがとんでもないの高値になる。ムーニーも、1粒何十ドルかのマカロニをおいしそうに食べる。そうこうしているうちに、エレベーターが動き出し、ふたりは無事に脱出。外に出てしまえば、ムーニーはマカロニのことなど、知らん顔。大金の夢も泡と消えたルーシーは、がっかりする。と書いても、そこのどこがおもしろいんだと言われそうかな。コメディはストーリーだけを聞いても、ちっともおもしろくないものなあ。赤毛という言葉がときどき出てきたが、もちろん白黒テレビなので色はわからなかった。
「農園天国」も、すばらしかったなあ。ハーバード大卒のNYの元弁護士が、スーツ姿で畑仕事をするのである。ストーリーもギャグも、もう最高だった。「このオゾンの香り」が口癖の彼がイカレテいるように見えるけど、イカレテいるのは、実はセクシーで若い彼の妻と村人たちだった。たとえば、こんな話があった。彼の妻が、村の雑貨屋でトースターを買ってくる。このトースターが変わっていて、トースターに向かって「ファイブ」と言うと、パンがはねあがるのである。こういうトースターもあるんじゃないのと、妻は驚きもしないし、なんの疑問も持たない。しかし、彼は常識外れのトースターにとても驚く。そこに近所の人が家にやって来て、トースターをしげしげ見て、一言。これはちょっと古い型だな。今はセブンが新しいんだ。「農園天国」はちょっとシュールなところがあって、おもしろかった。
「奥様の名前はサマンサ。そして、だんな様の名前はダーリン。ごく普通のふたりは、ごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をしました。でも、ただ一つ違っていたのは、奥様は魔女だったのです」
というナレーションで始まるのは、エリザベス・モンゴメリー主演の「奥様は魔女」。ちょっと軽いが、これもおもしろかった。隣家に住む夫婦が、実にいいんだな。女房の方は窓からいつもサマンサを監視していて、目撃したことを横の夫に大騒ぎで報告した。でも、新聞のクロスワードに夢中の夫は、いつも相手にしない。この夫婦の会話は、もう最高だった。
ナレーションといえば、コメディではないが、「逃亡者」も有名だ。
「リチャード・キンブル、職業医師。正しかるべき正義も、ときには盲しいることがある‥」
う〜ん、格調の高い名文だ。どこのだれが訳したんだろう。緊張感のある現代音楽をバックに、矢島正明がいい声でしゃべるんだ。それにしても、あのジェラード警部は憎ったらしかったなあ。「しつよう(執拗)」という言葉は、この「逃亡者」で覚えた。

ああ、いろいろ思い出してきて、話が止まらなくなってしまった。

2002.9



 カンタベリーハウス ギリシャ館

新宿歌舞伎町のど真ん中の東亜会館。この4階に「カンタベリーハウス ギリシャ館」というディスコがあった。同じビルの3階は、姉妹店の「ビバ館」。7階には、「インディペンデントハウス」があった。「ビッグ・トゥゲザー」が斜向かいにあり、ちょっと離れた場所に「ツバキハウス」「チェスターバリー」「ブラック・シープ」「ムゲン」などの店があった。もうかなり昔の70年代の話だ。
ギリシャ館の内装は、白亜のギリシャ風。当初、ギリシャダンスのアトラクションが毎日あった。民俗衣装を身にまとったギリシャの男女数人が、民俗音楽に合わせて踊るのである。今思うと、陳腐である。メインメニューは、もちろんギリシャ料理。おれが西洋ナスを初めて見たのは、この時であった。ギリシャ館のギリシャ館たる由縁を知る人は、少ないんじゃないかな。
「カンタベリーハウス」という言葉で検索すると、このディスコはいろいろなサイトに登場する。また、いろいろな小説にもこの店が出てくる。「伝説の」とい枕詞がつくことはないが、いろいろな意味でそこそこ有名であった。
おれは、学生時代の数年間をこのギリシャ館で働いた。初めはもちろんバイトであったが、すぐ正社員になった。かりにも正社員として働き、役職についたのは、後にも先にもこの時だけだ。
大学も4年になると、一般的には就職活動をするものだが、おれは一切しなかった。自分の将来のことなんか、爪の垢ほども心配していなかったからだ。まあ、なるようなるさ。どうこうしたって、なるようにしかならないものさ。来る日も来る日も、夕方になると、おれは歌舞伎町に向かった。77年3月の大学の卒業式の日も、おれはその店で働いていた。
新宿が好きだった。歌舞伎町が好きだった。そこには、いろいろな人間がいた。そして、いろいろなことがあった。本当にいろいろなことがあった。

たとえば、フォー・トップスの名曲「
リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」なんかを耳にすると、その頃のことを思い出すんだよね。


写真を整理してたら、当時のスナップが出てきた。
懐かしいような、はずかしいような。しばらくの間だけ、載っけておこう。

2002.9



 歌舞伎町交番

店では、よくケンカがあった。客同士もあったが、従業員対客というのも、珍しくなかった。赤坂や六本木のディスコとは、まったく違っていた。70年代の歌舞伎町のディスコである。従業員の質は、それはひどいものだった。マナーも言葉づかいも、もう最低であった。「文句があるなら、事務所に来い!」といきまく従業員もおおぜいいて、おれなんかは陰で冷や冷やしたものだ。身の回りでいろいろなことが起こったが、同僚2人が起こした「チェスターバリー事件」は、今も忘れられない。この殺人事件のことは、また機会があったらいつか書こう。
暴走族の連中もたくさん来たが、どういうわけか彼らはやけにおとなしかった。出入り禁止になるのが、こわかったのかもしれない。「こんど、組から杯をもらうんだ」とうれしそうに報告する奴もいたけど、返答に困ったことを覚えている。

歌舞伎町交番は、東宝会館の裏手の方にあった。交番に勤務する警察官は、皆若く、実に体格が良かった。こういう警察官がここに回されるんだなと、ひとり納得したものである。ここの交番には、何度も足を運んだ。時間外営業の始末書を書きに行ったからだ。ディスコというのはキャバレー営業に分類され、延長の特別許可をもらっても、営業時間は12時30分までだった。警察官が来ると、照明を明るくし、DJが終了を知らせ、サクラの客がレジに並ぶのである。警察官が帰ると、営業再開。平日は2時30分くらいまでだが、土曜日などは朝の4時過ぎまで営業をした。

2002.9



 歌舞伎町の有名人

歌舞伎町には、有名人がたくさんいた。ホームレスの兵長もそのひとりだ。「兵長!」と彼を呼ぶと、兵長は直立不動で敬礼したものだ。軍隊時代をそのまま引きずっていたのだろうか。兵長の本当の名前は知らないし、年齢も知らない。どうして兵長なのかも、本当のことは知らない。どこで寝泊まりしていたかも知らない。彼は、ときどきほうきで路上をはいていたが、いったいなにを思っていたのだろうか。いつだったか、図書館でいろいろな写真集を見ていたら、渡辺克巳の「新宿(1965〜97)」が目に止まった。ページをめくると、この兵長の写真があった。とてもびっくりした。汚い服を着た兵長が、写真の中でうれしそうに笑っていた。とても懐かしく、涙が出そうになった。

新宿2丁目には、「ブラックボックス」というディスコがあるという話だった。客は、オカマとアメリカ人だけ。ちょっと油断をすると、背後から襲われるという。この噂を信じて1度も行かなかったが、「ブラックボックス」なる店は本当にあったのだろうか。
空がしらじら明るくなると、新宿はつかの間の眠りにつく。動いているものといえば、ゴミ収集車とカラス。そして、水っぽい女やオカマなど、夜の仕事の人間ばかりだ。こういう新宿の朝も好きだった。当時おれたちは、「オ!、カ!、マ!」と叫んだりして、オカマを何度もからかった。「女だと思って、バカにして‥」と、泣かれたこともある。ハイヒールを脱ぎ捨てた彼女?らに追われたこともある。今思うと、ひどいことをしたものだ。ここで謝っても仕方がないが、その節はどうもすみませんでした。オカマのみなさん、兵長さん、今はとても反省しています。
でも、おれはそういう猥雑な新宿が、とても好きだったんだ。

2002.9



 後ろめたさが、いいんだな!

中1のとき、友人のFから映画に誘われた。あんまりしつこいんで、どうしても断れなかった。見たのは、クリント・イーストウッドの「荒野の用心棒」。これが実におもしろかった。味をしめ、以後、ちょくちょく映画館に通うようになった。

お気に入りの映画館は、長野市東鶴賀にあった「東劇」という名画座。見るからに映画館という、アールデコ調の白い建物だった。ここでは、「フランケンシュタイン」や「黄金の七人」などのシリーズ物、「心の旅路」などのメロドラマ、「バーバレラ」などのSF物等、いろいろな映画を見た。ほとんどはB級映画だったけど、おもしろかった。映画代は、3本立てで150円くらいだったろうか。
たまにだが、学校をさぼって映画館に行った。おふくろのビーズのがまぐちから金を少し抜き取り、駅に走った。長野駅近くでパンを買い、わくわくしながら映画館へ。暗い館内は、まるで別世界だった。
映画を見終わって外に出ると、すでに夕方。現実の世界に引きずり戻され、ため息が出たものだ。学校をさぼったこと、金をくすねたことを急に思い出し、暗たんたる気持になった。でも、この後ろめたさが、映画をよりおもしろくしたのかもしれない。

子供を「ポケモン」の映画に連れて行くべきか。それとも、ひとり釣りに行くべきか。それが問題だ。良き父親としては、大いに悩んでしまう。「苦渋の選択」というやつだが、結局は、しがみつく妻子を足蹴にし、冷た〜い氷の視線を背中に感じながら釣りに行くのである。つい弱気になる自分を叱咤激励し、心を鬼にして釣りに行くのである。おれは、息子にこう言いたいね。お前にはまだわからないだろうが、男にはな、どうしても行かねばならないときがあるんだ。周囲の反対を押し切ってもな。それが、男の生きる道ってえもんよ。お前にも、やがてそれがわかるときが来る。「人生って、大人になってもつらいもの?」と、マチルダはレオンに聞いた。そうなんだ。お前もつらいだろうが、大人のおれはもっとつらいんだ。
釣りも、実に後ろめたい。でも、この後ろめたさが、やはり釣りをおもしろくする。もっとも、その後ろめたさも、ほんの数分だけ。「ひひひ」と笑いながら車のハンドルを握れば、家のことなどすぐ忘れてしまう。う〜ん、どこで釣ろうかな。そうだなあ。でも、問題は、釣れ過ぎた魚をどうするかだな。まあ、それはぼちぼち考えよう‥。
R18を北上する緑のビッグホーンから「ひひひひひひひ」という薄気味悪い声が聞こえて来ても、驚いてのけぞってはいけない。それは、海釣りに行くおれの笑い声だからだ。

2002.8



 無料だった保育料

女房とは、姓が違う。当然、子供とも違う。籍が入っていないからだ。この姓の違いを、「籍が入っていないもんで」と、おれは人に説明する。女房は、この説明では不十分なのだろうか。「別姓なんです」と、付け加えるように訂正する。「籍が入っていないこと」と「別姓」なのでは、一体どこが違うんだろうか。おれには、よくわからない。

ある日、女房がこう言った。
「私、苗字を変えたくないの」
「あっ、そう。別にいいさ。おれも、変えたくないし‥」
これだけで、話は決まった。おれに関して言えば、入籍なんかどうでもよかった。もちろん、今もそうだ。そんなことより「ビールが冷えているかどうか」の方が大切だ。と書くと、不謹慎だろうか。特別なポリシーがあるわけではない。どうでもいいことをいろいろ考えることが、いやなのだ。とにかくめんどうなのだ。

夫婦で姓が違っても特別どうこうないが、やはりいい面と悪い面がある。不便なのは、電話だろうか。友人知人は事情を知っているので問題ないが、なにも知らない人から女房にかかってくる電話が要注意。ときどきこういうやり取りがある。「林です」と電話に出ると、「あっ、すみません。間違えました」と相手はあわてて電話を切ってしまう。女房にかかってきた電話だ。相手の反応も、無理もない。女房は、「林写真事務所です」と電話に出るが、時間帯によっては、「もしもし」と出る。この「もしもし」が、無難なのだ。
役所の書類では、女房は母子家庭。低所得者ということで、子供たちの保育料はロハだった。別にごまかしていたわけではない。結果的にそうなってしまうのだ。昼食やおやつまで出してもらい、なんか申し訳なかった。園児の送り迎えのときなど、母親が数人集まって立ち話をするものだ。「保育料、高いわねえ」「2人も入れたら、もう大変」などという話題では、女房はずいぶん困ったらしい。上の子は3年、下の子は4年、保育園に通った。ありがとうございました。

2002.8



 どのスリも 狙わぬ何かが おれにある

毎日新聞を購読していた頃、「仲畑流万能川柳」という投稿コーナーのファンであった。「次女帰り 風呂に金髪 浮いている」という句に笑ったのだから、もうかなり前の話だ。このコーナーは、今も続いているのだろうか。
川柳には、大言壮語はない。登場人物は、「下見れば きりがあるけど 上はない」というような中流以下の小市民だ。そして、「敵を知り 己を知って 戦わず」「大海を知って 蛙 井に戻り」的な気の弱いサラリーマンが多い。「頭脳線 短いうえに 切れている」手相をしていて、「チャンスにも弱いが ピンチにも弱い」タイプ。「ドラマでは 失敗しても 出世する」とテレビの前でグチるが、テレビのチャンネル権はない。
「そばにいる 夫が邪魔な メロドラマ」を見ているのは、長年連れ添った女房だ。「アルバムの 美人の横が 俺の妻」という風ぼうで、もちろん太り気味。「三年目 妻のスカート ゴムになり」「体形は 変わってからは変わらない」「なあお前 夏バテくらい してみろよ」というところか。女房は女房で、夫には不満だらけ。「宝くじ 当たって早く別れたい」と、密かに思っていたりする。そして、「ねえあなた 私の夢になぜ出るの」と、夫を責めたりする。人前では、多少は夫を立てる。でも、「客帰り 関白の座を亭主下り」で、それもつかの間のこと。
夫婦は、向かい合わせには座らない。必ず並んで座る。「顔見ずに済むから隣に座ってくれ」ということだ。お父さんは、つらいなあ。「耐えてきたという妻に 耐えてきた」という句なんか、つい涙ぐんでしまう。

   「わが家より きれいな家を 壊してる」

住んでいるところといえば、「スリッパをはけど 三歩で脱ぐ間取り」の借家。「借家でも 自宅待機と言うのかな」と、ひとりつぶやく。「うさぎ小屋 内緒話は外でする」ほどの狭さで、「騒音に プライバシー守られる」とくれば、環境は劣悪だ。でも、「慣れたもの 家具に当てずに 体操す」というから、あきらめ加減でも、ちゃんと順応している。
「前じゃなく その日も苦しい 給料日」というサラリーでは、マイホームは夢のまた夢。「貧乏と知らず 赤ん坊 あくびする」のどかな光景だが、汝の性の拙きを泣けというところか。「ビンボーと 聞こえるチャイム 変えてみる」けど、お金だけは、なんだかんだと出ていく。「値札つけ 贈ってあげたい ベビー服」「気持だけ と言われて 悩む金の額」なんだよなあ。やはり、「お金では 買えないものが 少な過ぎ」なのだろうか。しまいには、「パパ 大工だったら お家ができたのに」と、子供に言われたりする。

   「金利また下がって 困ったふりをする」「株下がり 何故かうれしい わたしたち」

デパートの地下やスーパーでは、試食コーナーでつい足を止める。「何でもがおいしく 試食に向かぬ口」じゃあ、痩せるはずがない。「あれこれと 試食したあと お茶ほしい」とは、困った客だ。たまには、ちゃんとした食事をしたいとレストランに入れば、店内はガラガラ。「客が来て 客ほっとする 暇な店」に入ってしまったのだ。でも店を出る勇気がなく、そのまま席に座る。そして、出された料理を見て、またがっかり。「見本との 違いを感じながら食べ」るハメになる。請求書を見れば、「勘定に 身に覚えない サービス料」となる。

   「ご多幸を 祈ると書いて 祈らない」

とはいっても、世の中は広い。「幸せで やりたくなった 同窓会」というバラ色の人もいる。「損をした話は 人に喜ばれ」だが、バラ色の人の話なんか聞きたくもない。たとえ悩み事を聞いたとしても、「聞いてみりゃ それが悩みか 幸せだ」ということになる。
のこのこと同窓会に顔を出すのも、ちょっと考えものかも。でもいつの日か、おれも同窓会の通知を出したいものだ。

   「粗茶が出て 愚妻のあとへ 豚児出る」

ああ、やんぬるかな。

2002.8

※上記のすべての川柳は、毎日新聞朝刊の投稿コーナー「仲畑流万能川柳」に掲載されたものです。



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