雑感 05

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 光陰矢の如し

1月がそこそこ忙しかったせいだろう。年が明けたと思ったら、もう2月も中旬である。速いものだ。「2月は逃げる。3月は去る」という。まごまごしていたら、すぐ4月になってしまう。
歳を取るにつれ、1年がだんだん短くなってきた。それも加速度的にだ。「ドッグタイム」という言葉あるが、まさにその通り。時間の進み方が、以前と違うのである。感覚としては、1年が10カ月ほどで終わってしまう。さすがのおれも、多少あせってしまう。

長野県内の古い民家を撮り始めたのが、1980年頃である。まず思ったのは、撮り始めるのが遅かったということだ。もう10年早ければ、何倍もいい写真が撮れたはずである。もう20年早ければ、何十倍もいい写真が撮れたはずである。それも、労せずしてだ。この思いは、いつもいつも頭の中にあった。苦労しても、なかなかいい写真が撮れなかったからだ。ともすれば、やる気がなくなるほどだった。
70年代80年代は、古い建物が急激に減少した。そのスピードはすさまじかった。撮るスピードよりはるかに速いのである。あれよあれよと、古い建物が目の前から消えていった。撮ろうと思っていたい建物が、シャッターを押す前にどんどんと消えていったのである。消えた建物の前でぼう然と立ちつくしたのは、1度や2度ではない。
おれが民家を撮影した時期は、主に80年代の前半である。今さら後悔しても仕方がないが、あきらめることなく、もっともっと撮影しておけばよかった。とても残念だ。

2003.2



 暖炉

我が家の居間の正面には、立派な暖炉がある。建築家の片倉さんがデザインしたオリジナルの暖炉だ。家の設計にあたり、片倉さん曰く。
「(既製品を買うより)作っちゃったほうが、安いですよ」
「はあ、そんなもんですか。よろしくお願いします」と、おれたちはうなずいた。このへんのことはなんの知識もないので、全て片倉さんにお任せした。
片倉さんの実家は、実は鉄工所をやっていたのだ。片倉鉄工所で入念に作られた暖炉と煙突は、建前の日に岡谷からトラックで運ばれてきた。「わっ、でかい!」というのが、最初に見た印象である。柱が立つと同時に煙突も立ち、暖炉が居間の正面に鎮座した。そして半年後、暖炉の回りにレンガが積まれた。暖炉の完成である。燃焼テストの時、赤い炎を見て、ついニヤニヤしてしまった。

パチパチと燃える音、白い煙とその匂い、そして赤い炎‥。火というは、実にいいものだ。暖炉の前に陣取り、火の番をする。番といっても、ただぼんやり火を眺めるだけなのだが‥。いくら見ていても、飽くことがない。酒を飲みながら、子供のころ風呂やかまどの火を焚き付けたことを思い出す。七輪も懐かしい。トースターがなかったころ、この七輪の上で食パンを焼いた。網の焦げ目がとてもおいしそうだったのを覚えている。

この暖炉、一冬に数回しか使わない。めんどうだからではない。なんとなくせわしない毎日だからだ。心に余裕がないと、火を付けることはない。また、比較的暖かい日も、火をつけない。暖炉を使う時は、まず薪を運び込む。着火用の小枝なども、用意する。小枝の下に丸めた新聞紙を置き、マッチで火を付ける。燃え出したら、細い薪をその上に置き、火をだんだん大きくする。慣れると簡単なのだが、これがなかなかむずかしい。火が安定すれば、かなり太い薪でも簡単に燃える。
暖炉は、熱効率があまりよくない。暖気が、煙突から外に逃げてしまうからだ。でも、メインの暖房施設ではないので、まあいいか。それに、火が直接見えるのは、暖炉ならではのものだ。灰は、畑のいい肥料になっている。

2003.1



 C56とD51

正月は、実家で過ごした。ビールを飲んでウトウト、食後にまたウトウト。まるでコアラのような毎日だった。それでも、元旦の夜、4時間ほど暗室にこもった。
なぜ正月早々暗室に入ったかというと、話はこうだ。入院中のおふくろが正月の一時帰宅をすることになり、30日に実家の掃除をした。ごくごく簡単にやったのだが、そのとき思いがけないものを見つけた。30年以上も前の古い古いネガである。明かりにかざしてみると、SLが写っていた。とても懐かしい写真だった。年が明けたら、ビールを飲みながらプリントしようと思ったのだ。
上の写真は、小海線のC56.撮影日は、69年の9月20日。おれが、高校2年のときだ。この日の朝、「佐久に行くが、お前もついて来るか」と、親父がおれを誘った。こんなことは、初めてだった。まあ学校に行ってもつまらないので、おれはうんと頷いた。ぺンタックスSPを首に下げ、親父の運転するトラックの助手席に乗り込んだ。車中では、どんな会話があったのだろうか。全く覚えていない。ほとんど黙っていたのかもしれない。そして、親父の仕事先に近い南牧村海ノ口で降ろしてもらい、おれはこのSLの写真を撮った。翌々月に親父が病死したので、この日のことはいい想い出になっている。この小海線は、72年頃までC56が走っていた。高原列車という名称で、かなり人気があったようだ。
左の写真は、飯山線のD51。71年8月、三才駅付近で撮ったもの。この年を最後に、飯山線からSLが消えた。

70年の春、写真部員数人で国鉄長野工場に行ったことがあった。広い構内には廃車になったSLがたくさんあり、おおぜいの人がそれを分解していた。珍しいものばかりだったが、特に目を引いたのが真鍮製の厚いナンバープレートだ。とにかく、そいつがほしくなった。機関車には、正面に一つ、両サイドに一つづつ、計三つのプレートがついている。同じ番号は、世界に3枚しかないのである。おれは大きな口を開け、ヨラレを流しながら、そのプレートをうっとり眺めた。
まず考えたのは、夜中に忍び込んでそいつを盗むことである。侵入経路をパチパチとカメラに収めながら、黒装束の忍者になった自分を思い浮かべた。塀を軽々と飛び越え、音も立てずに着地。辺りをうかがいながら、目当ての機関車まで静かに移動。そして、七つ道具の中からカナノコを取り出し、手際よくギーコギーコ。ずっしり重いプレートを懐に入れると、後は夜陰に紛れて姿を消す。う〜ん、完ぺきだ。成功するに違いないと、確信した。
数日後の深夜、友人とふたりでバイクで出発。自宅から30分で国鉄長野工場に到着。ちょっと離れた場所にバイクを置き、塀に沿って歩きながら様子をうかがった‥。
この「長野工場侵入作戦」は、結局のところ失敗した。なんのことはない。塀を前にして、ビビったのである。「よし、今度にしよう!」というのが、ふたりの結論であった。そして、すごすごと逃げ帰ったのである。

2003.1



  モノクロフィルム

モノクロフィルムは、フジのNEOPAN400 PRESTOを使っている。フィルム現像もプリントも、モノクロに関しては、すべて自分でやる。これは、高校時代からだ。昔は、ほとんどがモノクロだった。写真イコールモノクロで、今もってモノクロにはなんの違和感もない。初めて使ったフィルムは、ネオパンSS。高校の写真部に入ってからは、ネオパンSSSを愛用した。面白がって、フジのミニコピーフィルムを使うこともあった。撮影したフィルムは、なんでもハイコントラストに現像した。写真部の狭い暗室にこもり、真っ黒なフィルムから4号印画紙にプリント。版画のような写真を作り、ひとり悦に入っていた。
フィルム現像は、LPLの小型タンク(4コ保有)を使う。35mmなら2本、ブローニーなら1本入る。80年代には、モノクロフィルムをかなり現像したものだ。現像液は、昔からミクロファイン。停止液は、酢酸。定着液は、フジフィックスを使っている。フィルム現像は、失敗が絶対許されない。温度管理と時間の計測には、特に気を配る。水洗は、流水で約30分。フジのドライウェルに30秒浸し、そのまま吊るし乾燥する。ドライウェルを使わずに、フィルムワイパーで水を切って干す場合もある。乾燥後、6コマごとにハサミを入れ、ネガケースに収める。データを書き込み、これで終了。ネガがたまると、六ッ切の印画紙にベタ焼きする。このベタを見て、プリントするコマを選ぶのである。
ネガプリントは失敗してもやり直しができるので、気が楽だ。現像液は、昔からコレクトール。停止液は、酢酸。定着液は、やはりフジフィックスである。印画紙は、使いやすいフジのWPを愛用している。プロが使うバライタ紙は、ほとんど使わない。
この仕事部屋には、小さな暗室が付属している。設計に当たっては、引伸機やバットの配置、多種雑多な暗室用品の収納に気を配ってもらった。立派な換気扇までつけたのだが、考えたら、この1年、フィルム現像もプリントも1回もしていない。こんなことは、初めてだ。
この「民家」のHPの写真は、すべてネガから取り込んだものだ。プリントされたものは、ほとんどない。「民家」の写真は、すべてキャビネにプリントし、キャプションをつけて整理するつもりだ。また、いい写真は半切にプリントし、「いつか写真展を」とも思っている。しかし、まったく進んでいない。別に忙しい訳ではない。単なる怠け者だからだ。来年こそは、なんとかしたいものだ。
※「民家」のネガは、フィルム1本分(36カット)を六ッ切印画紙にベタ(コンタクト)焼きしてある。

2003.1



 年賀状

今年は、年賀状を昨日(30日)に投函した。素晴らしい。近年まれに見ることだ。いつもは、どんなに早くても、大晦日の31日。まあ、たいていは、年を越してから投函していた。忙しいからではなく、単に性格の問題である。
一昨年までは、写真(モノクロ)を暗室でプリントし、それを官製年賀ハガキに貼り合わせていた。これが、なかなか大変な作業だった。昨年からは、パソコンとプリンターを使っている。仕上がりはイマイチだが、比較にならないほど楽だ。といっても、おれの出す年賀状はとても少ない。リストを見ながら、年賀状が来そうな相手だけに送る。せいぜい50枚だろうか。女房と共通の友人には、いつも女房が年賀状を出す。

写真は、03年の年賀状。飯田市一本松にあった遊廓「久保田楼」である。81年10月の撮影。久保田楼は、1880年代の建造とのこと。洗練された美しい建物だったが、惜しまれつつも今年取り壊された。取り壊すに当たって、東京の大学の先生が建物を詳しく調査した。美しさといい、希少価値といい、とにかく第1級の建造物だという調査結果が出たという。重文クラスの文化財なのに、あっけなく壊されてしまった。とても残念だ。
 
明日は、元旦。また、新しい年の始まりである。2003年は、いったいどんな年になるんだろうか。

2002.12



 1日も早くこいつがほしい!!

ニコンから、開発発表があった。AF-S DX Zoom Nikkor ED 12-24mm F4Gというデジタル一眼レフカメラ専用のレンズについてである。オオッと、もひとつオオオオッと驚いた。発売日(来春らしいが)と価格は、未定とのこと。
 
う〜ん、そうか。なるほどねえ。ニコンは、フルサイズCCDカメラを開発しないということだ。つまり、CCDではなく、デジタルカメラ用の新レンズを揃える路線なんだな。まあ、そのほうが、手っ取り早そうだもんなあ。でもだ。CCDは、とにかく大きいほうがいい。今までそう思っていたので、なんとなく心細い。技術が進歩したのだろうか。ニコンは、現行サイズのCCDで十分と判断したのだ。(判断が正しいことを願うが‥)
12〜24mmは、35mm換算で18〜36mmの超広角ズームレンズということになる。これは、いい。両極で使わなければ、ディストーションもあまり気にならないかもしれない。12〜24mmとはすごいが、つまりはイメージサークルが小さいということだ。まあ、APS規格のようなものか。アナログカメラに装着し、広角側で使うと、四隅にケラレが生じるのだろう。
Fマウントで12〜24mmというズームは、本来なら絶対あり得ないようなレンズだ。こうなってくると、画角と焦点距離の関係は、もうメチャクチャだ。実画角が焦点距離の1.2倍なのか、1.5倍なのか、それとも1倍なのか‥。なにがなんだかわからなくなった。キャノンとコンタックスがフルサイズのCCDならば、この先ペンタックスやミノルタなどの後発メーカーはどうするんだろうか。タムロン、シグマなどのレンズメーカーは、ちょっと困っているかもしれない。しばらくは、いろいろ混乱が続くだろう。
歴史あるニコンFシリーズの現在のモデルは、F5である。ボディのみで、32万円。発売日は、96年である。ここにきて、売れ行きは惨憺たるものらしい。F6は、発売されるのだろうか。デジタル化が進み、F6あたりがFシリーズの最終モデルになる可能性もあるという。う〜ん。おれの高校の頃、ニコンFは世界的な名機だった。ボディのみで、7万円以上だったことを記憶している。MFレンズがAFレンズに駆逐されたように、アナログ用レンズもまた、このDX Nikkorの陰に隠れてしまうのかもしれない。 

2002.12



 カラーリバーサルフィルム

ポスターや雑誌や広告写真などの印刷物のカラー写真は、ほとんどリバーサルフィルムで撮影されている。リバーサルフィルムはそのまま色分解され、印刷原稿になるのである。ネガフィルムは色分解出来ないこともないが、普通はプリントをして反射原稿として入稿する。プリントもほしいし、印刷にも回したいという場合とか、最終的にはプリントするんだけど、正確な色見本がほしい場合は、リバーサルフィルムとネガフィルムの両方で撮影する。リバーサルフィルムからもプリント出来るが、用途がプリントだけの場合は、やはりネガフィルムで撮影する。撮影したリバーサルフィルムをネガフィルムで複写することをインターネガといい、ポジで複写することをデュープという。この辺の話は、関係のない人には、関係ないか。
おれの仕事の6割は、リバーサルフィルムを使う。フィルムは、主にフジのRDP(プロビア)とRTP(64T)を使っている。コダクロームやエクタクロームなどのコダック製を使用した時期もあるが、20年ほど前からフィルムはすべてフジに切り替えた。ブローニーフィルムでの撮影がほとんどで、カメラはペンタックス67を主に使う。「あおり」が必要な場合は、リンホフのテクニカルダン23を使う。「あおり」というのは説明がとてもむずかしいので、ここでは省略する。4×5(しのごと読む。4インチ×5インチの大きなフィルム)や35mmフィルムでの仕事は、とても少ない。
リバーサルフィルムは、適正露出が要求される。3分の1絞りの厳密さだ。露出を半絞りづつ変えてシャッターを押しても、「このカットでは少しアンダーだし、かといってこのカットではちょいとオーバーかな」ということもある。長年写真を撮っていても、この適正露出というのがなかなかわからない。単体の高性能の露出計で明るさを計るのだが、入射光にしろ反射光にしろ、とにかく計る場所によって数値が大きく変わるのである。室内の撮影などでは、どこで計っていいのか困ってしまう。仕方がないので、露出を4段階に変えて撮影する。結局は、「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」ということか。ところがだ、ときどき数打っても、外れることがある。全くにもって、自分の下手さ加減に呆れてしまう。
また、リバーサルフィルムは、色の補正がウンザリするほど大変だ。屋外での撮影の場合、天候によってフィルターをいろいろ変える。ケンコーの製品でいえば、W2、W4、C2などである。室内はもっともっと大変だ。照明器具の光源には、蛍光灯、白熱灯、水銀灯、リチウム灯などがある。同じ蛍光灯でも、白色型、昼光色型、三波長型昼白色、三波長型昼光色、三波長型電球色などの種類があり、それぞれ色合いが違う。たとえば、白色型蛍光灯に対しては、マゼンタのフジCCフィルターを使っている。CCフィルターはアセテート製のシート状のため、傷がついたり曲がったり、とにかく取り扱いが大変だ。そこで、5Mと10Mと20MのCCフィルターを普通の円形フィルターに加工(光学ガラスにサンドイッチ)し、この3枚を組み合わせて補正している。やはり、普通の円形フィルターは扱いやすく、とても重宝だ。
室内の色というのは、なかなか複雑だ。メインの照明が白色型蛍光灯、ダウンライトが三波長型電球色の蛍光灯、そしてブラケットとスポットライトが白熱灯という、めちゃくちゃな組み合わせも珍しくない。そして室内には必ず窓があり、窓から外光が入っている。それだけでもミックス光になっているのだが、たいていは床や壁の照り返しなどがあり、内装材の色がかぶっているものだ。こうなると、厳密な色補正など、出来るはずがない。また、人間の目は色を補正して見ているので、色の偏りというのがなかなかわからないものだ。補正用の色フィルターを取り出すのだが、どれを使うかをいつも迷ってしまう。結局は、フィルターの種類を変えて2度3度と撮影することになる。またまた、「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」方式に頼るのである。

ここしかないというポジションに三脚を構え、熟考に熟考を重ね、万全の体制で被写体に向かい、「エイッ!」という気合いとともに入魂のシャッターを押す写真屋もいるらしいが、とてもとても真似ができない。そんなことは、おれにしてみれば、まさに神業だ。おれは、撮っても撮っても、不安が残る。「タテ位置の方がいいかなあ」とか「晴れた日のほうがいいかな」とか「ストロボを使おうかな」とか「日を改めたほうがいかな」とか「暗くなってから、Tタイプのフィルムで撮ろうかな」とか、とにかく不安心配迷いの種は尽きない。撮影後、「よし、完ぺきだ!」と思ったことなど、今までに1度もない。
というわけで、安い撮影料にもかかわらず、フィルムをどんどん消費してしまうのである。一生懸命撮れば撮るほど、たくさんのフィルムを使ってしまうのである。そして、フジカラーからの請求書を見て、「ぎょえ〜!?」といつも驚く。「これに見合うような仕事なんか、してねえよ」と、いつもグチる。デジカメに順次移行し、1日も早くリバーサルフィルムの撮影から解放されたいものだ。

2002.12



 凛とした北アルプス

わが家の裏手には、犀川の土手(右岸)がある。その土手に上がると、西の遠方に北アルプスが見える。雪を頂いた山並は、いつ見ても美しい。中央のちょっと高い山は、鹿島槍ケ岳だろうか。土手の赤茶けた草は、チガヤ。その背後の落葉した林は、ニセアカシアである。長野のこういう風景が、おれは好きだ。
大きく見える北アルプスも、写真に撮ると、びっくりするほど小さくなる。この写真は、200mm程度の望遠レンズで撮ったもの。長野市から北アルプスまでは、直線で約70Km。かなりの距離である。わが家の辺りではこのくらいしか見えないが、長野市の東部とかビルの上からは、大きな山脈として見える。安曇野からの眺望とは比較にならないが、とにかく美しい。
北アルプスは、いつも見えるわけではない。夏なら、雨上がりの空気が澄んだとき。冬なら、特に厳しく冷え込んだときに、よく見える。今朝は、とんでもない寒さだった。昨夜の天気予報では、今朝の最低気温をマイナス8度と予想していた。澄んだ空気は、ピンと張りつめた緊張感がある。頬は冷たいというより、むしろ痛い。鼻水も、タラタラ。口もうまく動かず、ろれつが回らない。でも、清新な空気は、とても心地よい。

2002.12



 カラーネガフィルム

カラーネガプリントは、フジフィルム(NC、NL)を使っているにもかかわらず、昔からポトマック(コニカ系列)というところにお願いしている。カラーの現像やプリントは、プロのカメラマンでもラボに外注するのが一般的で、自分ではしないものだ。設備も技術も大変だし、忙しいからだ。
撮影済みフィルムは、普通は、「現のみ」(フィルム現像だけ)で出す。翌日、店頭のライトボックスの上にそのネガフィルムを置き、コマをチェックするのである。トリミングかあったら、マジックで指定する。プリントサイズと枚数は、ポトマックのおねえさんに口頭でお願いする。仕上がり日に注文がある場合は、「キャビネ各3が4カットあるんだけど、明日の5時までに、なんとかお願い!」というように、直接ラボマン(プリントする人)と交渉する。6×7でキャビネというケースが多いのだが、天地または左右のトリミングは、たいていはラボマンにお任せだ。おれの癖をよく知っているからだ。
ネガフィルムは、濃いオレンジ色にマスキングされているため、色の偏りとか露出の過不足がなかなかわかりにくい。ライトボックス上でネガフィルムをいくら眺めても、わかるのは構図だけ。結局は、プリントが仕上がってからのお楽しみだ。
ということで、仕上がりを見るときは、ネガプリントといえどもいつもいつもドキドキするものだ。これは、写真屋稼業を20年以上やっていても、全く変わらない。思ったよりいい出来の場合は、やはりうれしいものだ。その反対は、やはりがっかりする。プリント技術の出来不出来にも、一喜一憂する。「ちょっと暗いなあ」とか「赤が強過ぎるなあ」とか「もう少しコントラストがあればなあ」とか、当然のことながら、全部が全部及第点ということない。プリントが悪い場合は、再プリントをお願いする場合もある。
リバーサルフィルムと比較すると、ネガでの撮影は何倍も楽だ。フィルターでの色補正もいらないし、露出もアバウトでいいからだ。ただ、撮影してからプリントが仕上がるまでに3日とか4日、場合によっては1週間以上もかかることがある。納期に余裕があればいいのだが、急ぐ場合はとても困ってしまう。その点に関してだけは、数時間で仕上がるリバーサルフィルムはいい。
「プリントが自宅で簡単に出来たらなあ」と、ことあるごとに昔から思っていた。今や、パソコンとプリンターが急速に進歩し、それも可能になりつつある。3年後、5年後は、どうなっているんだろうか。遅ればせながらでもいいから、時代の流れに付いて行ければいいのだが。 

2002.12



 火傷の痕

撮影には、多少なりとも危険が伴う。特に危ないのは、高いところからの撮影である。建物の外観撮影では、どうしてもハイアングルのカットもほしくなる。
ビッグホーンのルーフキャリアの上に1.5mの脚立を立て、その上に立つこともある。これだと、約5mの高さのアングルが可能だ。車が入れない場合は、どこかの屋根に上がったり、電柱を登ったりする。この電柱が、とても怖い。電柱をヨイショヨイショとよじ登り、左手でなにかをつかんで体を支え、右手でカメラを構えてシャッターを押すのである。これがなかなかむずかしい。カメラは、重いペンタックス67である。125分の1以上のシャッタースピードならいいんが、片手だとどうしてもブレてしまう。電柱にカメラをつけることもあるが、この方法だと、どういうわけかカメラの水平が保てない。つい撮影に夢中になると、手を放してしまいそうになる。世の中には、安全ベルトという便利なものがある。フックをガチャリとどこかに固定し、万が一の場合、落下せずに宙ぶらりんになって助かるというものだ。車にいつも積んであるのだが、10年ほど前に買ったまま1度も使ったことはない。どうも大げさで、めんどうだからだ。

写真は、おれの右腕である。いくつかアザがあるが、みな火傷の痕だ。左腕にも、やはり同じような痕がある。毎年何ヵ所も火傷をするので、いつもこんな有り様だ。
室内の撮影では、右手にレリーズ、左手に500Wのリフレクターランプを2灯持つことが珍しくない。このランプが非常に高熱で、うっかり触ろうものなら、確実に火傷する。冬はいいんだが、夏は無防備な半袖だ。慌てて撮影するときなど、ついつい肌が触れてしまう。最初は赤くなり、やがて火ぶくれになる。まあ、そのうちに治るだろうと、病院にも行かないし、薬もつけない。包帯もしないんで、ふくらんだところがいつもやぶけてしまう。女房は、痛々しくて見てられないと言うが、おれはちっとも気にしない。
冬は火傷はしないが、ランプが服に触ると、焦げて穴が開く。困ったものだ。火傷と違って、直らないからだ。気にせず着ているが、やはりみすぼらしいだろうか。

※おれは、火傷が快感というアブナイ男ではない。念のために。

2002.12



 乙女の恥じらい

新聞やテレビを見なくなり、若い人とあまり接触しなくなると、その時代の言葉の変化についていけなくなる。新しい言葉は意味がわからないし、なにが死語なのかもわからなくなる。今ではほとんど使われない「アベック」「オートバイ」「チョッキ」「ズック」「つっかけ」などという言葉をついつい使ってしまう。「衣紋掛け」「たらい」「落下傘」「寝巻き」「汽車」「乳母車」などいう死後に近い言葉を聞いても、なんの抵抗もない。
筆箱は、やはり鉛筆箱というのだろうか。下駄箱は、今も下駄箱というのだろうか。なにがなんだか、よくわからない。大脳の奥深く慣れ親しんだ「カラーテレビ」という言葉も、今となっては変な言葉かも‥。発音もそうだ。殺虫剤のDDTをディディティと発音すると、なんとなく違和感がある。かといってデーデーテーでは、なんとなくおかしいのだが‥。「ちり紙(死語)」は「ティッシュペーパー」になったけれど、わが家ではふざけて「テッシュ」と発音する。横文字の発音は、とにかくむずかしいものだ。グラスとガラス、スティックとステッキ、ミシンとマシンなど、同じ英語でも日本語発音が違う場合もたくさんあるからだ。
「死語」に関するホームページを検索してみた。いろいろあったね。懐かしくって、つい笑ってしまった。あるアカデミックなHPでは、死語を系統的に、わかりやすく解説していた。たとえば、「イカス」という言葉。「カッコイイ、または特定した人のその様子を指す。おそらく現在は、イケてるに変化したのではないかと思われる」とコメントし、「あ!あいつ、イカしてるねぇ〜。あんなイカした格好してる奴、めったにいないよね〜」という使用例を紹介。さらに「俺さ〜。昨日の夜、5回もイカしちゃったよ〜」という誤用例まで親切丁寧に紹介してあった。なるほど。

友人のE一家が、電車で海水浴に行ったときの話。行きの車中で、反対側の座席の女子高生らしいグループが、スナック菓子を食べながらキャッーキャッーと大騒ぎ。まあそれはいいんだが、そのうちに一心不乱に化粧をし始めたという。まあそれもいいんだが、問題はその後。なんと腋毛を毛抜きで処理し始めたのだという。これには、びっくり。目が点になったという。「ホントかよ。しょうがねえなあ!」と相づちを打ったものの、件の女子高生を思い浮かべて、不覚にもニヤニヤ。もちろん、E夫人と女房の手前、顔には出さなかった(はず)。そう思っているのはおれだけで、実は思いっきりニヤニヤしていたのかもしれない。E夫人は、「私が高校の頃には、とても考えられない」とこぼし、さらに、「恥じらいの乙女という言葉は、どこに行ったのかしら」とため息。なにを今さら。そんなもなあ、とっくの昔に死語になってらあ。「恥じらいの乙女」なんてえもんは、レッドデータブックに載っている絶滅危惧種だわな。

おれの中学生の頃だったろうか。テレビでおばあさんがインタビューを受けていた。このおばあさんは、なんと慶応年間の生まれで、小さい頃に東京遷都の長い行列を見たのだという。「江戸時代の人間が、今も生きているんだ」と、感心したことを覚えている。「降る雪や 明治は遠く なりにけり」という俳句があったけど、昭和もずいぶん遠くなったものだ。

2002.12



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