雑感 06

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  タンポポ広場

我が家の北側(90坪強)は、空き地になっている。今年の春までは市の土地だった。今のご時世、90坪という中途半端に広い宅地は、当分の間は売れるはずがない。そう楽観していた。ところが、道路拡幅の換地として個人の所有となったようだ。近いうちに家が建つかもしれない。

う〜ん、換地か。なるほどねえ。
とにかくがっかりした。宝くじが当たったら、我が家で購入する予定だったのだ。でもまあ、今まで売れなかったことに、感謝しなくては。

リビングの北側の窓からは、土手越しに遠くの山々が見える。こういう景色は、かけがえのないものだ。草ぼうぼうの状態を嫌う人もいるが、おれはそうではない。緑がいっぱいで、大好きだ。先
日、この土地の地主の方が、カマで草を刈っていた。あいさつすると、「草が伸びていて、びっくりした」と、申し訳なさそうだった。うちはちっとも気にしないと言ったのだが、意味が通じだろうか。その方は隣家に接する南側と東側を幅2メートル刈り、残りの部分に除草剤を撒いていた。「いつ新築するんですか」と聞きたかったが、それはやめておいた。聞いても同じだし、こちらの気持を見透かされそうだったからだ。新築となったら、お祝いを言わなくてはならない立場なのに、どうも自分勝手でいけない。

我が家が建つ前は、ここは広い空き地だった。市の所有ということもあって、子供たちのいい遊び場になっていた。タンポポ広場という名前もあったとのこと。我が家が建って、子供以外にもがっかりした人がいたに違いない。そう考えると、北側の隣地のことはなにも言えない。言えなくて当然なのだが、窓から毎日眺めていると、ついつい自分の土地のように考えてしまうのだ。「ああ、こうやって、自然が失われていくんだなあ」と、訳のわからないことを口にする始末。人間というのは、まったく身勝手なものだ。

2003.5



  そういえば、ワープロというものがあったなあ

最初に買ったプリンターは、アルプス電気(現在はプリンターから撤退)のMD-5500である。顔料系のドライインクを使っているので、普通紙に印刷しても実にきれいだ。文字はにじむことがなく、小さい文字まではっきり印刷できる。また、耐水性、耐光性優れているので、なかなかのものだった。今も現役で、文書などは今もこのプリンターを使っている。YMCとブラックの計4色が基本で、昔のワープロのリボンのようなインクカセットを使用する。まあ、ワープロの延長のような機種である。印刷時間が遅いことなどもあって、いつの間にかエプソンやキャノンに駆逐されてしまった。当然といえば、当然なのかもしれない。

ワープロという言葉も、ずいぶん懐かしい。最初に買ったワープロは、キャノンの製品だった。ドット数は、なんと16。価格は、10万円近くもしたのではなかったろうか。16ドットの機種でも、ワープロという先進の機械は驚きであった。その後、ワープロは2度買い替え、3機種を使った。最後の機種は、シャープの書院であった。今も、仕事部屋の片隅にほこりをかぶっている。大切に保管しているわけではないのだが、なんとなく捨てる機会がないのだ。友人の家に行くと、よく古いマックが片隅に置かれている。マックの起動画面に登場する、あのマックである。ワープロなんかと違い、あのマックは捨てられないんだろうなあ。「打倒ウインテル、マック万歳!」とわめいていた人間は、特にそうなのかも。あの箱形のマックが、かわいくてかわいくて仕方がなかつたに違いない。そんなマックを捨てるなんて、善良な市民のすることではない。ということだろうか。でも、そういうマック派も、iMacの登場を境にして少なくなったんだろうなあ。

おれも、マック派だ。それは、回りの友人がマックを使っていたからで、マックを購入することになんの疑問もなかった。それに、だれもが使っているウィンドウズに魅力を感じなかったのも事実だ。ちょっとへそ曲がりなのかもしれない。みんながいいというと、おれはそれを敬遠してしまう傾向がある。「ハリー・ポッター」が大ヒットしたが、おれは確信した。こいつは、絶対おもしろくない、と。その本当の答えは、わからない。「ハリー・ポッター」の本を読みたくもないし、ビデオも見たくないからだ。やはりド本命より、対抗馬だよなあ。

2003.5



 ため息が出るほど、美しい

といっても、きれいなオネエチャンのことではない。おれの宝物のことだ。右の写真は、縄文時代の石鏃である。石鏃とは、石の矢じり。材質は、石英、黒曜石、メノウ、チャートなど。選抜されたコレクションで、ついうっとりしてしまう。とにかく、美しい。ため息が出るほど、美しい。福島県相馬郡の飯館村での発掘とのことだが、すべて同じ場所で見つかったものなのだろうか。すべて同年代のものだろうか。資料がないので、よく分からない。鏃の平均の長さは、約3cm。かなり小さいものだ。加工技術は、なかなかのものである。

実はこれ、ヤフーのオークションで入手したもの。このコレクションを見つけたとき、老眼鏡をかけ、なめるようにその写真を見てしまった。そのせいで、パソコンのモニターにヨダレをつけてしまった。なんせ石器の発掘にあこがれて、高校では地歴部に入ったくらいである。ヨダレが出るのも当然だ。オークション終了間際にライバルがいたが、結局はおれが競り勝った。落札金額は、ウン万円。それって、高いんだろうか。それとも、安いんだろうか。まあ、買ってしまったものは、仕方がない。
さて、問題は女房である。イヤミを言われるかと思ったら、そうでもなかった。「売るときは、もっと高く売れる」という言い訳が効いたのだろうか。もちろん、売る気など、まったくないのだが‥。とにもかくにも、めでたし、めでたし。でもだ。今月は、自動車税と固定資産税の心配をしなくては‥。ごの2件だけで、20万円を越すんだから、困ったものだ。

2003.5

  豪華な朝食

5/22の朝食。キビ入りのごはん。エンドウとエノキと豆腐のみそ汁。サバの塩焼き。ホウレンソウのおひたし。タケノコの煮物。エシャロットのように見えるのは、ラッキョウである。う〜ん、豪華だ。ホウレンソウ、エンドウ、ラッキョウは、菜園でとれたもの。夏になれば、新鮮なキュウリ、ミニトマト、オクラ、ナスなどが、毎日食卓をにぎわす。

我が家の3度の食事の中で、最も品数が多いのが朝食である。昼食は、朝食の残り。夕食は、そのへんにあるものを寄せ集める。インスタントラーメンが夕食という日もあるくらいだ。
ちなみに5/22の夕食は、余ったみそ汁(卵入り)と納豆とごはんである。調理時間は、ほんの5分であった。子供はいつものことなので、なんの不平不満もない。おれはおれでビールさえあればハッピーなので、やはりなんの不満もない。ビールなしの豪華な夕食とビール付きのカップラーメンのどちらがいいかと聞かれたら、おれはなんのためらいもなくビール付きカップラーメンを選ぶね。

5/23の朝食。エンドウの卵とじがメイン。好物のアサツキのしょう油漬け、フキ、カマボコとくれば、もういうことはない。みそ汁の具は、ニンジン、ダイコン、エノキ、ワカメである。そのほかに納豆が加わるので、やはりなかなか渋いメニューである。

ごはんは、キビ入りである。我が家のごはんには、紫米とかキビなどの雑穀が入る。写真ではわからないが、黄色っぽいのでとてもきれいだ。炊き方も、凝っている。陶器の釜とガスコンロを使うのだが、火加減はタイマーを利用している。女房は、タイマーが鳴るたびに台所に戻り、火力を微妙に調節する。以前は、キャンプ用品のアルミ製の釜を使っていた。こいつは沸騰するとフタがカタカタ鳴るんで、それを合図に火力を弱くしていた。今使っている陶器製の釜は、2代目である。買い替えた釜で同じように炊いたら、うまく炊けなかったようだ。ハンドメイドため、大きさや厚さが微妙に違ったためだろう。時間と火力の配分は試行錯誤の末に確立したようだが、自動ではないのでその度に炊き具合が違う。お焦げが少しできるくらいが、おいしいようだ。炊き上がったごはんは、サワラのおひつに移す。このおひつは、10年以上も前に木曾で買ったもの。今も重宝している。
それにしても、我が家の女房はとても偉い。いつも感心してしまう。まずは、女房に感謝。いつもありがとうね。口には出さないが、いつも感謝の気持でいっぱいなんだよ。こんな風に女房を感謝するなんて、おれもいい亭主なんだと思う。うん、本人が言うんだから、間違いない。

2003.5



  柴田サーカスの思い出

善光寺ご開帳に合わせて、長野にキグレサーカスがやって来た。何年ぶりのことだろうか。我が家の子供たちは、この公演を楽しみにしていた。おれの役目は、子供たちの送迎。当日、チケットを子供たちに渡すと、サーカスの大きなテント近くで、おれは公演を終わるのを待った。自宅に戻ってもいいのだが、時間が中途半端ということで、車の中で一眠りすることにしたのだ。
サーカスといえば、子供の頃に1度だけ見に行ったことがある。柴田サーカスという名前だったような‥。昭和の一時期、サーカス団の数は30を越えていたという。
娯楽の少ない時代には、サーカスといえば、それはそれは特別なものだった。「サーカスを見に行こう」という言葉に、林少年は舞い上がってしまった。もううれしくてうれしくて、前の日はよく眠れなかったことを覚えている。そして当日、初めて見るサーカスは驚きの連続であった。でも、特に印象に残っているのは、サーカスに付属するいくつかの見せ物小屋であった。

「この娘の故郷は、北海道。十勝の国は、石狩の生まれ。ある時、父さん、鍬にて蝮の胴体真っ二つ。蝮の執念、子に報いまして、できた子供がこの娘でござい。当年とって18歳。手足が長く、胴体に巻き付くという。さあ、さあ、寄ってらっしゃい。見てらっしゃい。大人は百円、子供は50円。片目は半額、孕み女は、2倍だよ〜」
というような、客寄せの口上。おどろおどろしい、独特な絵。いかがわしい絵もあった。調子のいい男が、見物客をテントに招き入れる。子供のおれは、大きな口をあけて、それらの絵に見入ったものだ。不思議な世界だった。まるで別世界だった。父親に連れられた姉とおれは、ひとつの小屋に入った。見せ物になっていたのは父親と娘で、今では人権問題で大騒ぎになるような見せ物だった。「牛男と牛女」という触れ込みだったかもしれない。「こういうところで、こういうことをしないと、生きていけないのだろうか」と、子供心に同情したことを覚えている。客を呼ぶ方も呼ぶ方だが、客も客である。今考えると、いろんな意味でなんとも悲しい世界だ。ああいう見せ物小屋は、あの時代(60年代前半)が最後だったのかもしれない。
「見せ物」という文化は、今はもう消えてしまったのだろうか。

2003.5



 急行「信州」

中央自動車道の長野道の下り。麻績ICを過ぎ、トンネルを二つ抜けたところに姨捨パーキングがある。なかなか眺めのいい場所で、更埴市から長野市にかけての善光寺平が一望できる。特に夜景はきれいだ。
県外での仕事の帰路、この姨捨パーキング近くで車窓から善光寺平を必ず見下ろす。そして、「ああ、無事に帰ってきたなあ。もうすぐだ」と、いつもほっとする。あと30分で帰宅できるからだ。遠くに行った時ほど、感慨深い。

その昔の学生時代、帰省する時はいつも急行を利用していた。特急は「浅間」だったが、急行は「信州」。運賃は、乗車券と急行券合わせ、片道1200円くらいだったろうか。上野で乗車し、列車は赤羽、大宮、浦和と停車した。埼玉から群馬。横川の駅を過ぎると、県境の碓氷峠である。トンネルをいくつもくぐりながら、列車は進んだ。トンネル(20以上)が終わると、軽井沢駅である。軽井沢から長野までは1時間半もかかったが、長野県に入ったことが、とてもうれしかった。横川は群馬県。軽井沢は長野県。県名だけでなく、気候もまったく違っていた。横川が梅の咲く春でも、軽井沢は積雪が30cmという冬だった。この違いがあるからこそ、軽井沢は特別なものだった。「ああ、長野に帰ってきた‥」と、窓から軽井沢の風景を眺めたものだ。
月日は流れ、今は新幹線である。長野と東京は、1時間強で行くことができる。速いものだ。急行の「信州」は、4時間もかかったのだから。

信越線には、特別な駅がもうひとつあった。それは、西上田駅である。高校時代に付き合っていた彼女との思い出の駅だからだ。この駅での思い出というのは、偶然が偶然を呼んだような、不思議な出来事だった。内容を書くと長くなるので、ここでは省こう。とにかく帰省する時など、この駅を見るたびに彼女ののことを思い出したものだ。でも、みんなみんな遠い昔のことになってしまった。

2003.4



  平和 へいわ <名詞> 戦争と戦争の間にある戦争の準備期間をいう

米ソの緊張した冷戦時代には、常に核を使った世界大戦が起こりうる可能性があった。「博士の異常な愛情 または私は如何に心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」などという核戦争物や「マッド・マックス サンダードーム」などの第3次世界大戦後物の映画がたくさん作られた。「マッドマックス サンダードーム」は、砂漠地帯のバータータウンが舞台になっている。この映画の1シーンに水を売り歩く男が登場する。男はマックス(メル・ギブソン)に近寄り、水はどうかと言う。マックスがガイガーカウンターでチェックすると、ガーガーという不気味な音。マックスはうんざりするが、水売りはニヤニヤ笑いながら、「汚染されていない水なんて、あるものか」と捨てぜりふ。とにかく「北斗の拳」や「どろろ」のような異様な世界だった。
その昔、アイザック・アシモフは、「もし第4次世界大戦があるとすれば、その武器は石と棍棒である」と言った。気の利いた言葉だったので、忘れずに今も覚えている。しかし、このアシモフの言葉も、今では影が薄い。時代が変わり、戦争も様変わりした。と同時に戦争のイメージも大きく変わった。天野祐吉は、こう言っている。今の人の抱く戦争のイメージは、崩壊している家の前で泣いている1人の少女である。親の死体の横でうつろに空を見上げている1人の少年である。

A・ビアスの「悪魔の辞典」(岩波書店)は、高校の頃の愛読書だった。今も本棚に置いてある。筒井康隆の「欠陥大百科」(河出書房)も、実家の本棚にあるはずだ。似た本で、「噴版 悪魔の辞典」(86年、平凡社)というのがある。おもしろいので、いつも手元に置いている。中身をちょいと、紹介しよう。

戦争 せんそう
やっている時は、これほどいやなものはなく、終わった直後は、もう2度と再びしまいと誓うが、日がたつにつれ、だんだんなつかしくなり、さほど悪いことばかりではなかったと思い、さらに日がたつと、もう1度始めたくなるもの。(なだ いなだ)
<戦争>というものは常に、それが如何に愚劣な行為であるかということを、世の人々に説得するために行われるのである。そしてこの種の説得は、持続的にくり返し行わなければならないものであるから、必然的に<戦争>もまた、持続的にくり返し行わなければならないのである。(別役 実)

平和 へいわ
これを唱えていれば戦争でもなんでもできるありがたい呪文のことば。(日高敏隆)
人類が滅び去って、はじめて、訪れるであろうもの。(横田 順弥)
平和が、戦争を準備する季節であることは、だれでも思いつく。もちろん戦争が、平和を準備する季節であることも、知らぬものはない。しかし、早く戦争しよう、そして早く平和をこさせよう、と言えば、平和主義者からも、戦争主義者からも、ぶん殴られてしまう。真実をのべることは、かくも難しい。ぼくも、こういう男をぶん殴るだろう。(なだ いなだ)

平和とは、なんだろう。戦争とは、いったいなんだろう。なにがなんだか、わからなくなってしまう。


Homicide 殺人 <名詞> 1人の人間が他の1人の人間のために殺されること。殺人には4種類ある。すなわち、凶悪な殺人、恕すべき殺人、正当と認め得る殺人、賞賛に値する殺人、この4種類である。だが、どの種類に属しようと、殺される当人にとっては大きな問題ではない。かような分類は、もっぱら法律家のために設けられているのである。A・ビアス「悪魔の辞典」

2003.4



  仕事 2

「貧乏ってなあ、するもんじゃないね。貧乏ってなあ、しみじみ味わうもんだ」と言ったのは、古今亭志ん生だ。志ん生は下町の古い長屋に住み、家財道具といえば箪笥とちゃぶ台だけ。それでもそこそこ生活ができたんだから、ある意味で昔はよかった。ところがだ。今は、お金がどんどん出ていく。税金に光熱費にガソリン代に食費に子供の学費と、数え上げたらきりがない。先日、新聞代を集金に来たおじさんに、「ねえ、月に2度来ていない?つい先日、払ったばかりのような気がするんだけど」と冗談を言った。おじさんは、「みなさん、そうおっしゃいます」と申し訳なさそうだった。新聞代は月々3007円なのだが、この7円というのはいったいなんだ。どうして、3000円にならないんだろう。百円ショップを見ろ。あれだけ品数があっても、みんな100円なんだぞ。関係ないか。

ときどき、職業を聞かれることがある。返答に、いつも困ってしまう。「写真の仕事」とか「フリーのカメラマン」とか「写真屋」とか「自営業」とか「自由業」とか、その場に応じて答えるのだが、たいていは説明が必要だ。
まあ、聞くほうも真剣に聞いているわけではないので、
「写真屋さんですか。お店はどこに?」
「長野です」
というように、相手に合わせて適当に答えている。
また、
「ヌード写真なんか、撮るんですか?」と、冗談とも本気ともとれる顔で聞く人がいる。
そういうおいしい仕事は、不本意ながら、いまだかって1度もない。

カメラマンという職業は、これは自分だけかも知れないが、貧乏人というイメージがいつもつきまとう。その昔、「貧乏小説家」とか「水飲み百姓」というような言葉があったが、今は「貧乏カメラマン」だろうか。
差別用語は、たとえば「目の見えない人」というように「○○のない人」という言葉に置き換える。カメラマンという言葉はやがてタブーになり、「カメラを首に下げた貧乏人」と言い換えるのかもしれない。でも、「カメラを首に下げた貧乏人」では、差別される内容をそのまま強調しているだけかも。

2003.4



 仕事 1

学校に通っていたときも会社勤めをしていたときも、休み明けの月曜日はとにかく最悪の気分であった。今日からなんと6日間も、勉強(仕事)をしなくてはいけないのだから‥。ああっ〜と、朝からため息が出たものだ。

水曜日のアフターファイブ、遊び好きのニュージーランド人は、気の合った仲間とわいわいがやがや祝杯をあげるという。くそいまいましい月曜と火曜を乗り切ったことを祝うのだ。早くも水曜の夕方から、気分は週末なのだろうか。感動的な話につい笑ってしまう。ニュージーランドって、本当にいいところだなあ。

お盆や年末年始など、「休みは何日間ですか」と聞かれることがある。仕事がないから、あるいは仕事にならないから休むんであって、休みたくて休むのではない。こちとら元旦だって喜んでシャッターを押すぜ。また、撮影日を土日祝祭日に指定される場合など、「休みの日なのにすみませんね」と言われる。フリーの人間には、月曜も土曜も日曜もない。仕事のない日が、つまりは休日なのだ。また、たまにだが、「定休日は何曜日ですか」と、聞かれることがある。「そんなもの、ないよ」と答えると、「無休ですか!忙しいんですね」と返ってくる。ちょいと違うんだよなあ。
とにかく明日をも知れぬ貧乏カメラマンである。「仕事仕事の毎日で、ストレスの連続」ということなど、今までに1度もない。フリーの人間は、仕事がないことがいちばんのストレスだ。なんとも情けない話だが、収入という目先の大問題が1年中頭から離れない。これは、死ぬまで続くんだろうなあ。お金持ちなんて、そんな大それたことは言わないから、せめて人並みの安定した生活をしたいものだ。

2003.3



 庭のヒヨドリ

先日、近くの土手の道を車で走っていたときのこと。飛んでいる1羽のタカが、目に入った。車窓からちらちら眺めていると、そのタカは突然垂直に急降下し、犀川に飛び込むではないか。タカは、ミサゴだった。魚を捕っていたのである。ミサゴは、トビと同じくらいの大きさで、明るい色をしたきれいなタカだ。珍しい鳥ではないが、家の近くで見たのは初めてだった。
昨年の夏は、市内の千曲川でカワウの群れを発見した。長野県で見たのは、そのときが初めてだった。生息域が、少しずつ変わっているのだろうか。そういえば、サギ類もそうだ。昔は、サギ類は非常に珍しかった。それが、70年代に入ると、コサギ、ダイサギ、アオサギ、ゴイサギなどが、千曲川や犀川で見られるようになった。最初に見たときは、とにかくびっくりしたものである。今では、スズメやカラス並にどこでも見られるようになった。

庭に毎日やって来るのが、ヒヨドリだ。このヒヨドリ、同じ奴だと思うのだが、菜園の大切なホウレンソウをひとしきりついばむと、必ず庭のスモモの木に止まるのである。ホウレンソウには甘味があって、おいしいのだろうか。
いつだったか、こんなことがあった。朝食の最中、突然ドンという大きな音がした。すぐ目の前の窓である。ガラスが割れるかと思うほどの音だった。窓に駆け寄ると、地面にヒヨドリが落ちていた。ものすごいスピードでぶつかったのだから、てっきり即死したものと思った。が、よく見ると、目を開けているではないか。外に出て、そのヒヨドリを手の平に乗せ、さてどうしたものかと考えていると、手の上のヒヨドリが突然パッと飛んでで行った。これには、とても驚いた。
ヒヨドリは、大の甘党である。庭のジューンベリーやブルーベリーの実をみんな食べてしまう。昨年は、先手を打った。ジューンベリーの木にネットをかぶせたのである。うまくいくかに思えたが、ネットのすき間からやはり食べられてしまった。ある朝、窓の外を見ると、ヒヨドリがジューンベリーをついばんでいた。追い払おうと、おれはバタンと窓を開けた。びっくりしたヒヨドリは、ネットに足をからませてしまった。バタバタするだけで、どうしてもネットから逃れられない。ヒヨドリも驚いたろうが、おれも驚いた。庭に出てネットをはずし、「もう来るんじゃないよ」と、そのヒヨドリを逃がしてやった。
その夜、仕事部屋をコンコンと叩く音が‥。今ごろ、だれだろうか。ドアを開けると、そこにはひとりのきれいな女が立っていた。「なにか‥」と、おれは声をかけた。女は、恥ずかしそうにこう話し始めた。実は、私は、今朝ほどあなたさまに命を助けていただいたヒヨドリでございます‥。おれは、女の話をふむふむと聞いた。「うんうん、そうかそうか、けなげな娘じゃのう。さあさ、もそっと、近う寄れ」と、その女を部屋に招き入れた、というようなことは、まったくなかった。ヒヨドリは、どうも恩知らずらしい。

※写真は、ジューンベリーの花。白い花はとても美しい。6月に実が熟すので、この名がある。実はそのままでも食べられるが、ジャムなどに加工する。秋の紅葉も、とても見事だ。

2003.3



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