雑感 07

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 ああ、みつの歌っこが聞こえる。‥めんこい声だなあ

「壬生義士伝」を見た。これがなかなかいい映画で、何度も涙してしまった。年を取ると、どうも涙もろくっていけない。
映画としてはちょっとまとまりがなく、あちこちに無理があるが、重箱の隅をつついてはいけない。映画は、なんてったって、大衆娯楽だからだ。楽しもうと思って、見なければいけない。
配役も実にいい。斉藤一役の佐藤
浩市もよかったし、使用人の佐助も渋かった。中井貴一は貧相な感じだが、刀を持つと不思議と強く見えた。斉藤一の愛人ぬい役は、中谷美紀。おいおい、どこがシコメだよと、ひとり突っ込んでしまった。この中谷美紀が密書を受け取る路上のシーンは、なかなかよかった。

「嘉一郎は、わしには過ぎたせがれだった」と回想したように、嘉一郎はいい息子だったなあ。
「父上、父上!」
「見送ってはならねえ。帰れ!」
「父上、見送りはいたしませぬ。だっとも、今一度だけみつを抱いてやってくだんせえ。大好きな父上が別れも告げずにいなくなったのでは、みつがあまりに不憫でござんす」
「父上、泣かんでくだんせい。晴れの門出にご無理申し上げ、おもさげなござんした」
と、深々と頭を下げる嘉一郎。その精いっぱいの笑顔が、立派だったなあ。
この橋の上の別れのシーンは、思い出しただけでウルウルしてしまう。
それから、石清水の杯のシーンだ。ちょうどこの写真のようにみつの両肩に手をやり、
「みつ、兄は行かねばならぬ」と言い聞かせた。
嘉一郎が切なくて、やるせなかったなあ。残されたみつも、とても哀れだった。

テレビドラマの「壬生義士伝」をビデオでも見たが、やはり映画のほうがいい。映画の「壬生義士伝」は、まさに職人芸。これでもかこれでもかと、「泣き」に徹している。こういう映画も、アリだと思う。

この映画を見て、明治という時代の位置づけを改めて考えてしまった。いい映画を見させてもらいました。本当におもさげながんす。

2003.8



 お盆の頃の怖い話

毎年お盆になると、友人Yから聞いたこの怖い話を思い出す。
今から30年前のある夏の日のこと。日本武道館を出た友人Yは、牛ヶ淵付近を夕涼みの散策をした。あの辺りは学校が多いところだが、その日はお盆の夕方。人気はほとんどなかったという。気がつくと、大きな道に出ていた。そして、目の前にはうっそうとした森。靖国神社の森である。地下鉄の駅は、どっちだろうか?友人Yがちょっとぼんやりしていたとき、突然背中に視線を感じたという。ゆっくり振り向くと、そこには軍服姿の男が立っていて、こちらをじっと見ているではないか。そればかりではない。こちらにゆっくり近づいてくるではないか。友人Yは、心臓が止まるほど驚いた。声を出そうとしたが、声は出ない。逃げようと思っても、うまく足が動かない。それでも、必死になってその場から離れたという。ようやく地下鉄の入り口を見つけ、階段を駆け降りた。雑踏の中でほっとした友人Yは、息をはあはあ言わせながら振り返った。わ〜〜!なんということだろう。目の前に軍服の男が立っているではないか。軍服の男は友人Yの手を強く握りしめると、こう言ったそうだ。「自衛隊に入りませんか!」

※その昔は、入隊の勧誘があちこちで行われていた。おれも、2度ほど勧誘を受けたことがある。担当者は制服ではなく、普通のスーツ姿だったけど。聞くところによると、あいまいな断り方をすれば、すぐ近くの出張所のようなところに連れ込まれたという。こういう事情を知らないと、友人Yの話も面白くないかも。

2003.8



 すげえぞ、カマキリ!

今年はどうしたことか、イラガの幼虫が大発生。実に恐ろしい。見つけ次第、葉ごと川に捨てている。やはり、消毒をしないとだめなのだろうか。
おれも女房も、今年は何度も刺された。刺されると、激痛が走り、赤く腫れる。かゆみと痛みは、なかなかおさまらない。まったくにもって、とんでもねえ毛虫だ。姿形も、えげつないと言おうか、毒々しいと言おうか、とにかくおぞましい。こういう毛虫にかぎって雑食性で、樹種を問わない。カキの葉も食べれば、プルーンの葉もサクランボの葉も食べる。節操なく、なんでも食べる。アメリカシロヒトリ同様、質が悪い。
イラガは自分が毒毛虫だということを知っているので、棒でつついてもじっとしている。逃げる必要がないからだ。実にふてぶてしい。イラガの幼虫には天敵がいないのでは。いるとしたら、寄生バチかな‥。今までは、そう思っていた。ところがだ。今日、大発見をした。なんと、カマキリがイラガの幼虫を食べているではないか!これには、ぶったまげた。オイオイ、そんなもん食べて、
大丈夫かよ。つい、カマキリの身を心配してしまった。すげえぞ、カマキリ。

調べたら、カマキリがイラガの幼虫を食べるというのは、有名な話らしい。イラガの天敵には、ほかにヤドリバエなどがいるようだ。また、イラガイツツバセイボウ(外来種)というメタリックブルーのきれいなハチがいるらしい。このハチはイラガの繭に穴をあけ、中に卵を産み付け、ふ化したイラガイツツバセイボウの幼虫はイラガを食べて育つという。やはり、上には上があるものだ。

イラガの肩を持つ人は、「あまりに見事な造形にほれぼれ」とイラガを褒めていた。虫好きの人は、冷静に見れるんだと思う。

2003.8



 夏は、涼しい高原に限る

8月3日、あんまり暑いんで、家族4人で志賀高原に行った。この日、長野市の最高気温は34度を越したが、さすが標高2300mの横手山である。山頂の気温は、なんと16度。「涼しい」を通り越して、「おお、寒〜!」と、震えるほど。半ズボンで来たことを少し後悔してしまった。渋峠の売店に「防寒具貸します」という看板があったが、ちっとも笑えなかった。

女房、曰く。横手山の山頂には、パン屋があるみたい。
う〜ん、いいじゃない。標高2300mのパン屋なんて。
リフトから降り、目ざとくレストランを見つけると、さっそく家族4人で突入。そして、パンの商品棚へ。しかし、家族4人、パンの値段を見て固まってしまった。
「おい、これが250円かよ。どう見ても、100円。高くても、120円だよなあ。4コ買ったら、1000円。税込みで1050円じゃねえか。」
まあ、ショバ代が入っているんで、これが相場なんだろうか。
250円でびびるなんて、まったくにもってしょぽくれた家族だ。きっと貧乏所帯を絵に描いたような光景だったに違いない。
息子は、牛丼の700円というのを見て、ここは高いと思ったらしい。牛丼の価格280円というのが、息子の基準になっているようだ。
持参の麦茶を飲んで、リフトで下山。

渋峠から車で10分。白根山のパーキングに車を置いた。ヨイショヨイショと重いクーラーボックスを近くの湿原に運び、待望の昼食。お腹がペコペコだったので、おにぎりにむしゃぶりついた。う〜ん、うまい。この空気、この景色、いいねえ。
近くの池でカルガモの親子を発見。カメラを持って池へに行くと、カルガモのけたたましい鳴き声。「かわいい。かわいい」と、観光客がカルガモを追い回していたのだ。実にけしからん。野鳥をいじめるなんて。一瞬腹が立ったが、かわいいオネエチャンだったので、まっいいか。こんなところに巣を作るカルガモもカルガモだし‥。

この白根山周辺には、あちこちに立ち入り禁止区域がある。恐ろしい硫化水素ガスが発生するためだ。76年のこと。本白根山を登山中の女子高の生徒6人と引率の先生1人がこの硫化水素ガスを吸って突然意識を失い、次々に倒れた。結局生徒2人と先生が死亡。71年にも、やはり硫化水素ガスでスキーヤー6人が死亡している。この硫化水素ガスというのは、卵が腐ったような匂い、いわゆる温泉場でよく感じられる匂いがする。しかし、危険な高濃度になると、逆に匂いは感じられなくなるという。こわ〜〜!

2003.8



 ビンゴ、リンゴ、ドビン

小学生の頃、リュウという名の犬を飼っていた。ポインターという猟犬である。白と黒の短毛で、足の長いスマートな犬だった。親父はこのリュウを連れて、ときおり狩猟に出かけたものだ。ポインターというのは、獲物を見つけると、独特のポーズをとる。前脚を少しあげ、尾をピンと伸ばし、獲物の方をじっと見据える。ポインターの名の由来である。ハンターの「行け!」という合図で、獲物を追い出す。ところが、親父はまったくの下手。散弾銃を撃っても撃っても、ちっとも当たらない。さすがのリュウも、あきれてしまったのだろうか。親父を無視して、勝手気ままに獲物の後を追うようになった。リュウの気持も、わからないではないが‥。

次に飼った犬は、日本犬だった。おれが、ビンゴと名付けた。シートン動物記に出てくる犬の名前をパクったのである。このビンゴという名が、聞き取りにくかったのだろうか。近所のおばさんは、リンゴと呼んでいた。うちのおばあちゃんにいたっては、ドビン、ドビンと呼んでいた。ビンゴは、よくできた犬だった。リンゴと呼ばれようが、ドビンと呼ばれようが、いつも尻尾を振っていた。

明治時代、日本に洋犬が入ってきた。当時、洋犬にカメと名付けるのが流行ったという。カメは亀ではなく、英語のcomeから来ている。外国人が犬に向かってcome come!というのを見て、それにならったらしい。笑ってしまうが、笑いごとではない。おれも、似たようなものだ。新しい横文字は、何回聞いても、どうしても覚えられない。かりに覚えたとしても、間違って覚えてたりして‥。

話は関係ないが、モクズガニという淡水に棲むカニがいる。この名前が、ときどき迷ってしまう。さて、モズクガニだったろうか。それとも、モクズガニだったろうか。どうしても覚えられない。我ながら、不思議だ。年号もいつも忘れてしまう。2003年ということはわかっているが、平成がわからない。何回聞いても、覚えられない。銀行の記入コーナーには必ず日付がわかるようになっているが、年号の表示はない。記入例なども必ず置いてあるものだが、古かったりする場合もある。隣の人のを盗み見るのもなんだし、実に困ってしまう。
何年か前、女房の誕生日を忘れて、さんざイヤミを言われたことがある。以来、女房の誕生日だけは、忘れないようにしている。とはいっても、やはり忘れてしまう。そこで、保険証で誕生日を確認し、忘れないうちにすぐカレンダーにチェックするのである。これで、とりあえずは安心。でも、問題は、プレゼントの中身なんだよなあ。

2003.7



 アッと驚き、もう1度アッと驚いた

6月29日の宝塚記念のレースの前日、阪神競馬場ではオッズが急変した。6番人気のヒシミラクルが、なんと1番人気に躍り出たのである。「システムの故障ではないか」と、競馬場の職員は慌てたという。コンピューターを調べると、東京港区の場外馬券売り場でひとりの客がヒシミラクルの単勝を1222万円購入したことがわかった。
そして、宝塚記念は、このヒシミラクルがなんと1着。配当は、単勝で1630円だった。つまり、その客は2億円を的中させたのである。その客とは、中年のサラリーマン風だったとのこと。
このご時世、2億円とは驚いてしまう。ため息が出るような、夢のような金額である。ところがである。話は終わらない。この港区の場外馬券売り場では、6月8日に行われた安田記念の的中馬130万円が、換金された。単勝オッズは9.4倍で、つまり1222万円が払い戻されたのだ。この客こそ、ヒシミラクルの単勝を1222万円購入した中年のサラリーマンだったのだ。1222万円を持ち帰ることなく、そのまま全額を宝塚記念に注ぎ込んだのである。まるで夢のような話だ。
また報道によれば、6月8日の安田記念で得た130万円は、6月1日の日本ダービーで2.6倍の単勝を50万円購入して得たものらしい。つまり、50万円が130万円になり、130万円が1222万円になり、1222万円が2億円になったのである。考えると、不思議でならない。

6番人気のヒシミラクルを買うなんて、普通は、金をドブに捨てるようなものだ。ミラクルとは、奇跡。この馬名だけで、ヒシミラクルを買ったのだろうか。謎は深まるばかり。

ひょっとしてひょっとしたら、彼はレース結果を知っていたのではないだろうか。彼がタイムマシンを使ったとしたら、すべてが納得いくのだが‥。その中年のサラリーマンに会ってみたいものだ。

2003.7



 いつもドキドキする

夕方の5時から小布施町のN邸の室内を撮影した。内部は引っ越し前の昨年の10月に、外観は庭木が美しい5月に撮影したが、今日はその追加である。撮影したのは、居間と食堂。デジカメをポラ代わりにして、撮影は順調に進んだ。5カットを約1時間で撮影し、無事終了。「終わりました」と言いながら、カメラからフィルムを取り出して、驚いた。NC(ネガフィルム)のはずが、入っていたのはなんとRDP(ポジフィルム)ではないか。一瞬頭が真っ白になったが、取り直しができたのでなんの問題もなかった。その場で巻き取って、本当によかった。この何日か、ポジフィルムばかりで撮影していたので、無意識のうちにRDPを入れてしまったのだろう。こういう失敗はときどきある。
ネガとポジ、DタイプとTタイプとか、2種類のフィルムで撮影することがある。フィルムホルダーまたはカメラを2台使うのだが、全く同じ外観なので、「あれっ、どっちがどっちだっけ?」と混乱することもある。間違えたら、えらいことである。

撮影済みのフィルムを胸のポケットに入れることがある。ある時、前かがみになったら、フィルムがポトン。落ちたところは、たまたま水たまりだった。この運の悪さは、マーフィの法則であろう。
また、撮影済みのフィルムをコンビに袋に入れておいたら、袋ごとカラスに持ってかれたこともある。
また、三脚を倒して、カメラやレンズを壊したことは、今までに3度ある。
また、蛇腹の固定が不十分で、光が入ってしまったこともある。
また、4×5のクイックロードが故障していて、フィルムが未露光だったこともある。
また、ストロボのX接点とFP接点を間違えたこともある。この手のつまらない失敗は、数え始めたらキリがない。でも、失敗した瞬間、あるいは失敗に気がついた瞬間、頭が真っ白になり、血の気が引いてしまうのである。

だからである。現像所で仕上がりを見る時は、この歳になってもいつもドキドキする。とにかく、なにかが写っていることを祈る。ひょっとすると、なにも写っていない可能性もあるからだ。どのように写っているかは、二の次だ。といっても、ちゃんと写っていれば、二の次ではなく大問題になるのだが‥。

2003.6



 近所をウロウロ、公園をプラプラ 

6月に入っても、そこそこ忙しい。忙しい時というのは不思議なもので、「いやあ、どうも、お久しぶり。ところで、来週の火曜日、空いてる?」なんていう珍しい人から珍しい電話がかかってくる。それも、何本もだ。スケジュールの調整に苦労してしまう。まあ自営業なんで、人並みに忙しいと、ストレスがなくていい。でもこういうときは、電話が鳴ると、ドキリとする。納品の催促とか進行状況の確認の電話ではないかと、ビクビクしてしまうからだ。
忙しい時はやたら忙しいが、ヒマな時はやたらヒマになるものだ。困ってしまう。1日に電話が1回も鳴らないこともあるし、1週間以上も、仕事らしい仕事をしないことだって珍しくない。こうい時にのんびり釣りにでも行けばいいと思うのだが、貧乏性のためそれができない。ギリギリの収入で綱渡りのような生活をしていると、バチが当たるというわけじゃないけど、どうも落ち着いて遊べないのだ。簡単にいうと、人間の器が小さいのだろう。
ここに越す前は、長野文化会館のすぐ東側に住んでいた。隣接する若里公園には、子供を連れてよく散歩をしたものだ。公園管理のおじさんとときどき立ち話をしたが、おじさんはおれが失業中だと信じていた。昼間から公園をブラブラしていたからだ。人並みではないが、ちゃんと働いているんだと説明したが、今度はおれが飲み屋かなんかの水商売をしていると思い込んだ。今もそう思っているに違いない。

おれのいとこに同業者がいる。彼がなぜカメラマンになったかというと、話はこうだ。彼が生まれ育ったのは、足立区の都営団地。3階か4階建ての白い小さな棟が、ぽつんぽつんと建っているようなぜいたくな団地だった。彼の住む棟に、たまたまカメラマンいた。そのカメラマンは、やはりいつもヒマらしく、仕事もせずにその辺をウロウロしていたという。「カメラマンって、らくちんだなあ。ときどき働けばいいんだから、ぼくにぴったり」と、いとこは子供心に思ったそうだ。そのいとこも、今はもう40代の前半である。数年前、彼のおやじさんに会った時、「タイだかカンボジアに行ったまま、2カ月も3カ月も音沙汰なしだ」と、こぼしていた。元気にやっているのだろうか。

「ときどき働けばいいんだから、まったく天職だなあ」と思っていないだろうが、いとこもやはり昼間から近所を散歩しているのだろうか。

2003.6



 肥後守(ひごのかみ)でどのくらい指を切ったことか

小さいころから、刃物が大好きだった。ポケットには、いつも肥後守を入れていた。近所の店には大小2種類の肥後守が売られていて、10円と20円だった。当時の小学生の鉛筆箱には、鉛筆と消しゴムとナイフが入れられていた。安全カミソリを刃にした折畳み式のナイフが主流であったが、そんなヤワなものは使わなかった。ナイフは、やはり肥後守である。鉄の刃物という感じがして、とてもよかった。
大きなカナノコの刃をグラインダーで研ぎ、ナイフにしてもらつたこともある。五寸釘をハンマーで打ち、ナイフの形にしてからヤスリで削り、さらに真っ赤に焼いてから水の中にジュッーと入れ、焼き込みのまね事をしたこともある。また、ナイフのスケッチを近所の鍛冶屋に持って行ったこともある。この鍛冶屋のおじさんとは予算が折り合わず、オリジナルの鋼ナイフは実現しなかったが、カマや包丁を作るのを見せてもらった。そういえば、昔はあちこちに鍛冶屋があったものだ。鍛冶屋は、農具や包丁を作ったり、またそれらを修繕したりした。子供の目には、とても素晴らしい仕事に見えたものだった。でも今は、鍛冶屋という言葉は死語に近い。なんか、寂しいね。

学生時代は、アメリカのハンドメイドのカスタムナイフにあこがれた。おれは、いつかナイフメーカーになるんだ。そう思い込んだ時期さえあった。新宿歌舞伎町に東京銃砲店という店があって、ときどきその店に立ち寄り、ショーケースの前でヨダレを流した。ショーケースの中には、1本10万円を越すようなランドールのナイフが、燦然と輝いていたからだ。また、その東京銃砲店で、関連する書物(すべて洋書)を何冊も買った。写真だけ見ても訳すことはなかったが、「ナイフの作り方」という本だけは真剣に読んだものだ。
何年かすると、店頭に両刃のファイティングナイフが並ぶようになった。規制が緩和されたのだろうか。あこがれのガーバーのマーク1とマーク2を買い、さらにアル・マーのFANG2まで衝動買いしてしまった。美しい。とにかく美しい。鏃のセリフと同じだが、 ため息が出るほど美しい。

人類が最初に作った道具は、動物を殺すための石器に違いない。それは左右対称の石器で、今のファイティングナイフに連続している。切るということに関しては片刃の方が適しているが、刺すにはやは両刃が機能的だ。ファイティングナイフは大きなヒルトを持ち、両刃に近いシルエットとなる。半数以上は、まったくの左右対称のデザインである。ランドールのモデル1もファイティングナイフだし、ラブレスの最も有名なナイフもフルスタッグのファイターである。
岐阜県関市には、ナイフ博物館がある。販売所が付属していて、いろいろなナイフが売られている。やはりヨダレものである。まあ200万円もあれば、とりあえずは、ほしいものが買えるのだが‥。

2003.5



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