雑感 10

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 阪神大震災

今から9年前の95年1月17日。朝早く家を出て、飯山市に向かった。中野を過ぎたあたりから雪が多くなり、飯山市では新雪が40cmもあった。現場は、新しくできた病院。竣工写真の撮影である。撮影は順調に進み、1時過ぎに中休みということで近くの食堂に入った。客は誰もいず、食堂のおっちゃんがテレビに見入っていた。あちこちから火の手が上がり、黒煙が立ち上った、あの空撮の映像である。なんだなんだ!なにが起きたんだ。とにかく驚いた。ラジオでも報道していたはずなのに、その日は音楽を聴いていて、地震などまったく知らなかったのだ。

地震から半月後の2月の上旬、業界紙(建設関係)の依頼で、神戸に行くことになった。壊れた住宅と壊れなかった住宅を撮ってくるのが、主な仕事。簡単な炊事道具、寝袋、フィルム、機材などをビッグホーンに積み込み、長野を夜の8時に出発。中央道から名神に入ったが、関ヶ原付近で大渋滞となった。雪のためである。仕方がないので、3時間ほどパーキングで仮眠。車が流れていることを確認し、再び出発。京都から大阪に入り、中国道の豊中インターで下りた。そのまま一般国道を西に進み、まずは宝塚市へ。そして、西宮市、芦屋市を経て、薄暗くなりかけたころ神戸市に入った。撮影しながらだったので、遅くなったのだ。全壊した住宅やピロティ部分がペチャンコになったビルを見るにつけ、地震のすさまじさを思い知らされた。あちこちに置かれた花束や線香なども、実に痛ましかった。

翌日と翌々日は、スケジュール通り某大学教授と助手とおれのの3人であちこちを取材。3日目からは単独行動となり、ひとりで神戸の街をうろうろした。適当な場所にビッグホーンを止めると、付近を歩き回りながらシャッターを押した。カメラは、ネガフィルムとポジフィルムの2台。大事なカットは、両方のカメラで撮影した。被災者の方々を写す報道写真ではないので、人物を写し込む必要はなかったが、スケールとか構図的にどうしても人物がほしいカットもあった。そういう場所では、寒さに体をふるわせながら通行人をじっと待った。シャッターを押してから、撮影場所のほか、その建物の築年数、構造などのデータをメモった。とにかく毎日毎日歩いた。4日目ぐらいには足が痛くなり、歩くのがいやになった。
地形とか地盤の関係なのだろうか。同じような構造で同じような築年数、つまり同じ強度の建物でも、ほんの数百メートル離れているだけで被害状況はまったく違っていた。また住宅の場合、鉄骨やRC構造ではほとんど被害は見られなかった。やはり壊れたのは在来工法で、しかも築20年以上の建物に被害が集中していた。当然といえば、当然なのだろう。
その日の撮影を終えると、神戸の地図を広げた。翌日のだいたいの撮影コースを決め、車を現場近くに移動させた。泊まるところは、学校や公園や港など。もちろん車中泊である。雪の舞う六甲山中で泊まったこともあった。二重にした寝袋は寒くはなかったが、日の短い冬である。夜の長いこと長いこと。夕方の5時過ぎから朝の7時過ぎまで、ずっと車の中である。することがないんで、ラジオを聞きながら毎晩毎晩ワインを飲んだ。

営業している食堂やコンビニもあったので、食事には困らなかった。避難所では、「被災者でもないのに食べていいのかなあ」と思いながらも、すすめられるままに豚汁やカレーなどを食べた。神戸パンなどもテーブルの上に置いてあり、立ち食いしたこともあった。
ここんところ、ロクなものを食ってねえなあ。暖かい布団の中で足をぐっと伸ばして、ゆっくり眠りてえなあ。そういえば、風呂にも入っていない。一晩だけでもよその町に行き、ちゃんとしたホテルに泊まろうかな。
と思ったが、結局、宿には1度も泊まらなかった。経費をケチったためなんだけど、理由はそればかりでない。車の中で寝泊まりしている家族やテントの中で生活している家族を何度も目にしたからだ。神戸から離れてホテルに泊まることが、なんとなくはばかられた。おれなんか、そんな殊勝な人間じゃないのにね。

6日目のこと。
「壊れた家を撮って、なにが面白いんだ。冗談じゃねえぞ」と、じいさんにすごい剣幕で怒鳴られた。
「どうもすみません」と、おれはただただ頭を下げた。
シュンとなり、ちょっと落ち込んでしっまった。そうだよなあ。怒るのも、無理ねえよなあ。面と向かって怒鳴らないまでも、不愉快に思った人は何人もいたはずだ‥。
その夜、人気のない港近くに車を止めた。窓の外は、真っ暗やみ。強い風が吹くと、車体が少し揺れた。酒を飲みながらこう思った。ああ、明日、長野に戻ろう。

2004.1



 下着泥棒

もちろん、自画撮りではない。念のために。

数日前、K君から電話があった。
「いいアイデアが浮かびました。撮影のほう、よろしく」

昨日、そのK君がやって来た。そして案内してもらった現場が、写真のアパート。2階のベランダで若い女性が笑いながら待っていた。友人の知り合いの女の子とのこと。
高さの関係でビッグホーンの上にのり、なんだかよくわからないまま撮影する。印刷の仕上がり寸法は、なんとA1。TIFFで撮影したが、なんとも心もとない。ポジもということで、ペンタ67でも撮影した。
黒手袋は、K君。高所恐怖症のK君が、はしごにしがみついてのモデルである。このK君、白いブラの位置にかなり気を配っていた。
近所の人や通行人にはジロジロ見られ、ちょっとはずかしかった。ひとりだけの撮影なら、警察に通報されるシチュエーションだ。

やはりK君の依頼で、日の丸弁当や国旗を撮影したこともある。やはり、なにかおもしろいコピーを入れていた。
さて、この写真にもコピーがつくんだけど、それはどういうものだろうか。
そうだなあ。
多少のリスクはあっても、ほしいものはこの手でつかもう! ○○先物商事」じゃ、あちこちから苦情が来そうだ。
こんなめんどうなことはしていませんか? ○○ブルセラショップ」じゃ、そのまんまだし‥。
回りをよく見て、手を上げよう!−道路を横断するときの心得です。 ○○交通安全協会」じゃ、苦しいなあ。

こんどK君に会ったら、正解を聞いてみよう。

2004.1



 久しぶりの35mmポジ撮影

染織家の友人Eから電話があった。雑誌掲載用の写真を撮ってくれとのこと。久しぶりだったので、女房と一緒にE宅に行った。

Eも、釣りが大好き。以前は、直江津港などによく一緒に出かけたものだ。土日は混むんで、行くのはたいてい平日。Eの子供が同行することもあった。そういうときは、「今日は一緒に釣りに行くんで、休みます」と、小学校に連絡していた。まあ、なんという親だろう。
ログハウスをつくっている友人Tも、やはりそうだ。「映画を見たいと言ってるんで、今日は休みます」と、小学校に連絡していたっけ。おいおい、映画なんか、土日に行けよ。と、あきれてしまった。
こういうおれも、キャンプに行くんで子供を休ませたことがある。5月のゴールデンウィークのときで、皆より1日早くキャンプ場に着いて、いいサイトを確保したかったからだ。でもそういうことは、たった1度だけだ。おれはというと、遊びのために子供を休ませることにあまり抵抗がないんだけど、うちの子供がどうも‥。親に似ずまじめな性格で、学校を休んで遊びに行くという感覚はない。まじめというと聞こえはいいが、単なる小心者というところか。でも、不まじめで小心者というおれよりは、はるかにいい。

友人の近況などを話しながら、マフラーと暖簾の2カットを撮影。写真は、その1枚。時間がなかったので、残りの作品は持ち帰って撮ることにした。
フィルムは、雑誌社の指定でポジ。35mmカメラに60mmのマクロをつけての撮影。いつもは中型カメラかデジカメなので、小型カメラでのポジ撮影は実に久しぶり。半年どころか、1年ぶりだろうか。手持ちフィルムの有効期限を心配してしまった。

2004.1



 明日から仕事

2日 昼過ぎに女房の実家へ。正月らしい料理を食べ、おいしいビールを飲む。帰りに電気屋とレンタルビデオ屋に寄る。
3日 子供を飯綱高原スキー場に連れていく。午後は、仕事関係の新年会。フグさしをたくさん食べ、上機嫌。夜は、マージャン。親で四暗刻をツモり、大騒ぎ。あはははははははは。朝の2時ころ帰宅。
4日 朝8時半、スキー場へ。子供たちを置いて、すぐUターン。女房の年賀状づくりをする。3時ころ、子供を迎えに再びスキー場へ。スキー場までは、道が空いていれば30分。この正月は道路に雪がないので、とても楽。夕食は、てんぷらそば。

たいしたことをしないまま、時間が過ぎた。明日からは、少しずつ仕事を始めよう。

2004.1



 今日は元旦

さて、年も明けたことだし、そろそろ年賀状でも書くか。
と、女房を見れば‥。さすがは、おれの女房。まだ書く気配すらない。夫婦そろって、まったく困ったものだ。
例年、年賀状は31日に投函する。今年は1日遅い。投函するのは近くのポストではなく、きまって長野中央郵便局。なぜ長野中央郵便局かというと、早く着きそうだからだ。このへんが、実にこざかしい。自分でいうのもなんだけど、いったいどういう感覚をしているのだろうか。われながら不思議。
年賀状を出し、一安心。朝食のような昼食を囲み、家族で乾杯。
いい年でありますように。

2004.1



 明日は大晦日

撮影の仕事は、今日で終わり。とにもかくにも、これで一段落。それにしても、10月くらいからやたら忙しかった。やり残した仕事がいくつもあり、心残りだ。関係者の方々、迷惑をかけました。どうもすみません。遊んでいたわけじゃあないんだけど‥。12月は、もう10日ほどほしかった。

久しぶりにのんびりした午後。ようやく年賀状を作り始めた。まずは、写真選び。ベタ焼きのファイルを取り出し、ビールを飲みながらペラペラとめくる。深く考えることなく、最初に目にとまった平和橋の写真に決める。82年に更埴市(現千曲市)で撮影した千曲川の木橋である。この橋は82年か83年の台風で流されてしまい、その後、今のコンクリート橋に掛け替えられた。木橋はいいねえ。風情があって。こういう橋は、今は見ることができない。
写真は替わっても、年賀状のデザインは毎年同じである。適当な位置に7ポ前後の文字を小さく入れる。年賀状らしいのは「迎春」の2文字だけ。なんともそっけない。

ヘンリー・フォンダ主演の「12人の怒れる男」は、57年のモノクロ映画である。今までに3度見ただろうか。
狭い部屋と暑苦しい空気。密室での息詰まるディスカッション。素晴らしい映画だったなあ。NHKが昨夜放映した「12人の怒れる男」は、ジャック・レモンが主演。やはり見入ってしまった。

ウグイス、シジュウカラ、ジョウビタキなどが、庭にときどきやって来る。明日は大晦日。ビールでも飲みながら、窓から小鳥を眺めよう。

2003.12



 くたくたの1日

「ぎょえ゛〜〜!」
朝の7時前、JHのHPを見て驚いた。上信越道の坂城〜信濃町間、長野道の更埴〜豊科間が、なんと真っ黒(通行止め)。
「なんだ。なんだ!」
あわててインターに電話すると、濃霧で通行止めとのこと。
「どうする。いますぐ19号を走って、豊科インターに入るか。それとも、霧が晴れるのを更埴インターで待つか。あるいは、仕事を延期するか」
ぷつぷつ言いながら、とりあえず出かける用意をする。車のエンジンをかけ、機材を後部座席に積み込む。じっとしているとイライラするので、やはりR19を豊科に向かうことにした。

「こら!トロトロ走ってんじゃねえよ」
「青になってからの発進じゃ、遅いんだよ。反対の信号をよく見てろ」
君子豹変す。普段は善良温厚なおれも、こういう時は人柄が変わる。聞こえないこといいことに、悪口雑言の限りを尽くして、前方の車を罵る。そして、ガンガン飛ばす。といっても、ほとんどが追い越し禁止なんで、さほど速くは走れないんだけど‥。

今日のスケジュールはこうだ。9時過ぎに駒ケ根の某会社に行き、担当者と同行して10カットほどを撮影。11時半に撮影が終わり、2時前には長野に戻る。まず現像所に寄り、昨日の撮影した分の仕上がりを確認する。そして、次の現場に向かう。3時半には撮影が終わり、4時前にフィルムを現像所に持って行く。それから家に戻り、某会社に納品。6時には仕事部屋の椅子にやれやれと座る。お疲れさまでした。

R19は生坂村までは順調だったが、高速道路から流入車と朝の渋滞が重なり、明科町あたりからノロノロになった。豊科町に入ってから、右折して光橋を渡ることにした。これが、大失敗。R19以上の混み方で、ちっとも動かない。ルート変更をなんども後悔する。豊科のインターに着いたのが、9時20分。ここで、再び迷った。今から駒ケ根に向かったのでは、2時までに長野に戻れないかもしれない。さて、どうする。とりあえず、駒ケ根の担当者に電話をすることにした。いつもならハンドルを握りながら電話をするんだけど、こういう時に限って携帯電話を忘れてきてしまった。公衆電話を探して、急いでダイヤルする。こういう時に限って、担当者は電話中。数分後、再度電話。またまた担当者は電話中。もう、いいや。とにかく、駒ケ根に行こう。
見ると、長野道は上下線ともに車がビュンビュン走っていた。何時に通行止めが解除になったんだろう。まるっきりの判断ミス。家でゆっくりコーヒーでも飲み、解除を確認してから出発したほうが早かったかも‥。
駒ケ根の某会社に着いたのが、10時半。担当者と急いで現場に向かう。現場は会社から比較的近い場所だったので、ひとまず安心。いそいで10カットを撮影する。本来なら、もっとゆっくり、もっとじっくり撮影するところなんだけど‥。仕上がりが、ちょいと心配。撮影終了は、12時20分。急いで、長野に戻る。
長野の現像所に入ったのが、2時10分。まあまあの時間だ。これなら、なんとかなる。次の現場に向かう。
「あっ、いけねえ!」
QL(4×5フィルム)を忘れてしまったのだ。慌てて現像所に戻る。時間を見ると、2時20分。間に合うだろうか。光線の関係で、遅くとも2時半には次の現場に行きたかったのだ。現場着は、ちょうど2時半。
「ああ、間に合った」
と喜んだのは、ほんの一瞬のこと。撮影場所は、なんと定休日。
「なんでだよ〜〜」
力が抜けてしまった。水曜日が定休なんて、聞いてねえぞ。やっぱ、電話をしとくんだった。それにしても、困った。これじゃあ、明日の納品が間に合わねえ。困った。ああ、胃が痛え。

朝からなにも食べずに頑張ったのに、今日のドタバタはいったいなんだったんだ。バカみてえだな。本当にくたくたの1日だった。

2003.12



 STILL LIVE

9月のこと。当HPをリニューアルすべく、民家関係の再編集を始めた。ところが、生来の怠け癖で、すぐ中断。そして今に至っているのだが、先日の夜、ふと編集再開を思い立った。
まず民家関係をすべてプリントアウトし、ページごとに糊付けをし、それを床に並べた。かなりの量にわれながら驚いてしまった。
ざっと見たところ、写真が重複していたり、絵解きがなかったり、サイズがバラバラだったり、どのページも見苦しいこと見苦しいこと。早くなんとかしなくては。こんなんじゃ恥ずかしくて、本来なら公開なんかできないんだけど‥。
年が明けたら、ゆっくり取りかかることにしよう。とはいっても、正月は朝から飲んだくれる予定だし‥。いったいいつになることやら。

今、キース・ジャレットの「STILL LIVE」を聴いている。これが、いいんだなあ。いつ聴いても、心にしみる。つい、目を閉じてしまう。
う〜ん、静かな日曜日の昼下がりだ。
というのも、女房と子供が飯綱の美容院に行っているからで、家にいるのはおれひとり。冷蔵庫から缶ビールを出し、ゴクンゴクンとやっている。これまた、いいんだなあ。家でひとり耳を傾けるとしたら、やはりこの「STILL LIVE」でしょ。どの曲もいいんだけど、アップテンポの「あなたと夜と音楽と」に続く「エクステンション」が好きだ。ときおり、キース・ジャレットのうなり声とか叫び声が入り、神がかっている。そして、「エクステンション」から「いつか王子様が」にかわると、ゲイリー・ピーコックのベースが深く響き渡る。
このアルバムは86年のミュンヘンでのライブ版なのだが、CDではなく実際にホールで聴きたかったなあ。

2003.12



 還付金

県総務部税務課から通知が来た。表には、「親展 重要な通知です」という赤い文字が‥。
「なんだ、また督促かよ」
開けて、びっくり。なんと還付通知書だった。
「ラッキー!」とニヤニヤしたのは、数秒のこと。還付金の額を見て、がっかり。たった100円なのだ。税金を100円多く払い過ぎたので、その分を返してくれるという。返してくれるのはいいんだけど、口座番号やなにやらをいろいろ書き込んで郵送しなくてはならないのだ。
「なんだよ、これ!」
めんどくさいことの大嫌いなおれは、その通知をグチャグチャまるめて、ポイとごみ箱に捨ててしまった。
100円といえば、振込手数料のほうが高いんじゃないかな。郵送料もあるし‥。税金のむだ遣いもいいとこだ。まあ、いくら小額だからといっても、返金は返金なんだろうけど‥。こういうケース、なんかいい方法はないんだろうか。

そういえば、先日長野地裁から通知が来ていた。未収金(10万円程度)のある会社が倒産したのだ。いろいろな書類に必要事項を記入し、請求書の控えをコピーして地裁に送るのだ。この手続きをすると、いくらかは回収できるできると思うんだけど、やはりめんどうなので、ごみ箱にポイしてしまった。

2003.12



 あさ倉

新潟市内のビジネスホテルがどこも満室だった。なんでこんな日に混んでいるんだろう!少し腹が立った。そこで、新潟市ではなく近隣の町に泊まることにした。目星をつけたのは、行ったことのない白根市。調べると、ビジネスホテルが1軒と旅館が数軒。さて、どこにしたものか。リストだけで、写真などの詳しい情報はない。結局、字面から「旅館あさ倉」に決めた。

「目的地付近に到着しました。運転、お疲れさまでした」というカーナビの声を聞きながら、あたりをキョロキョロ。夕やみに浮かび上がったのは、なんともいい雰囲気の古い旅館。
「う〜ん、いいねえ」
でも、すぐ車を止めず、あさ倉を横目で見ながらそのまま先に進んだ。100メートルほど向こうにも、同じような旅館があった。それにしても、まるっきりの場末。ど田舎である。かりにも市である。もう少しにぎやかだと思っていたので、びっくりした。

「こんちは〜」と、あさ倉に入った。やや広い土間に立つと、正面に階段と廊下が見えた。右手は和室8畳の帳場。太ったおばさんが、ちゃぶ台で新聞を広げていた。
「おお、すげえ。まるっきり遊廓みてえだ」
このあさ倉、もとは遊廓だったのかもしれない。場所柄といい、建物の造りといい、そんな気がした。遊廓ならば、そのおばさんの席に「やりてばばあ」が座っているところだが‥。
通された部屋は、2階のまつ。そういえば、飯田で泊まった宿の部屋もそんなような名前だったかも。障子を開けると、すぐ目の前が大きな川だった。なかなかの眺めに心が和んだ。
夕食は宿で作ったものではなく、仕出しだった。でも、これが実に豪華。イカと甘エビの刺身、レンコンやゴボウなどの天ぷら、ダイコンの煮物など、とにかく盛りだくさん。朝食も、実に良心的だった。1泊2食付きで税込み7000円也。太ったおばさんも親切だったし、まあまあの宿でした。

新潟から帰ったのは、11月29日。12月2日は神奈川の小田原、翌3日は福島の郡山で仕事だ。福井、山梨にも行かなくてはならない。もうメチャクチャ忙しい。机の上は、ファックスの山。スケジュール表を見ては、ため息をついている。こういう忙しい時に限って、次々と仕事が入ってくる。仕事を断るというのは、実にもったいないんだよねえ。自営業の人にはわかると思うけど‥。

2003.12



 ラストサムライ

数年前の映画に「ダンサー・イン・ザ・ダーク」というのがあった。2000年カンヌ国際映画祭のパルムドール(最高賞)と主演女優賞(ビョーク)までもらった映画だが、評価がはっきり二分した。「素晴らしい作品だ」という人がいれば、「最低で大嫌い」という人もいた。おれは期待して見たんだけど、まるっきりつまらなかった。
今上映されている「キルビル」も、100% CINEMATIC JUICEを見ると、評価が両極端だ。こういう映画もちょいと気になり、むずむずと食指が動く。さて、自分はどっちだろう?もう最高!と思うだろうか。それとも、もう最低!と思うのだろうか。

でも「キルビル」を見る前に、やはり本命の「ラストサムライ」を見なくては‥。侍を扱ったハリウッド映画というだけでゲンナリしてしまうが、なんのなんの、これがなかなかいい映画らしい。「アカデミー賞は決まった!」などと、絶賛する人もいるくらいだ。
仕事が一段落したら、女房を誘って見に行こうかな。映画館で飲む缶ビールは、また特別うまいんだよなあ。

「ラスト○○」というタイトルの映画が少なくない。
「ラストエンペラー」はつまらないが、「ラスト・オブ・モヒカン」は味わい深い名作だ。西部劇は嫌いという女性の方も、ぜひこの「ラスト・オブ・モヒカン」だけは見てもらいたい。アメリカ創世記の一大叙事詩というべき作品だ。それから、西部開拓時代の終焉を扱ったのが、「ラスト・シューティスト」。ジョン・ウェインの遺作になった映画だけに、印象に残っている。

2003.11



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