雑感 13

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 審査員

昨夜、東京から電話があった。テレビ局の下請け会社らしい。丁寧な言葉でゆっくりしゃべる担当者の言葉に耳を傾けた。

現場は、女神湖だか蓼科湖。近々そこで氷の彫刻展があるとか。
ふむふむ、その彫刻展の撮影の依頼だな。撮影代はいくらだろう。寒冷地手当をもらわないとな。なにを着て行こう。
なんか寒そうな仕事だなあと聞いていると、撮影ではなく、その審査員がどうのこうの言い出した。
う〜ん、おれが審査員か。おれも出世したもんだなあ。審査員って、いくらくらいもらえるんだろうか。やはり、それなりの服装でないとまずいよなあと聞いていると、話はどうも違った。
簡単に言うと、こうだ。その審査員に女性カメラマンがいいと思うんだけど、よさそうな人を紹介してよ。
なんだよ〜。おれとぜんぜん関係ねえだろうが。まぎらわしい電話なんかよこしやがって、まったく疲れてしまう。
でもまあ考えてみりゃあ(考えてみなくてもそうか)、このおれが審査員になるはずがねえよなあ。

おれは、同業者の知り合いがとても少ない。ましてや、女性カメラマンなんてひとりも知らない。結局友人のYカメラマンに聞いて、Mさんを紹介した。
その後、どうなったんだろうか。

2005.1



 仕事始めの予定が‥

2005年も、あれよあれよと1週間が過ぎてしまった。正月にはあれをしてこれをしてと考えていたが、なにひとつできなかった。残念。でもまあ、いつものことか。
頭を切り替えて、しっかり仕事をしなくては。

そして、今日。
重い腰を上げ、「よし!やるか!」と自分に気合いを入れた。まずは、車の暖機運転。寒冷地では、冬の暖機運転は常識。エンジンを暖めるためだが、なによりもフロントガラスの氷を融かすために必要なのだ。我が家のように車庫がなくて露天の場合は、フロントガラスがガチガチに凍りついている。ヤカンの湯で氷を融かす人もいるが、なんとなく怖いのでしたことはない。活躍するのが、三角形のプラスチック製のヘラ(名前は不明)。こいつでフロントガラスの氷をガリガリとやる。北海道では冬用のワイパーというのが常識らしいが、どういうわけか長野では人気がない。
さて、ビッグホーンの運転席にヨイショと座り、いつものようにキーを回すと、グールグルと頼りない音。セルモーターが失速しそう。ヤバー!もう一度挑戦するも、エンジンが始動しない。すぐにバッテリー充電器を用意し、充電を始めた。もうバッテリーが寿命なのだ。
30分ほど充電し、充電器のセルスターターでエンジンを始動。仕方がない。バッテリーでも買いに行くか。家を出ようとしたら、女房が追いかけてきた。
「とうとう壊れちゃった!」
「なにが?」
「洗濯機」
「ホントかよ!」
故障続きの洗濯機が、本格的に壊れたらしい。しょうがないので、ふたりでヤマダ電機へ。女房は洗濯機のコーナーへ。おれは物欲しげな顔でパソコンコーナーをウロウロ。1時間かけて、ようやく洗濯機の機種が決まった。10万5千円也。正月早々、イテエ!
新しいバッテリーは、2万2千円也。
ついでにスタッドレスタイヤも、前輪の2本を購入。その代金3万3千円也。
車が大きいと、タイヤもバッテリーもオイルも税金もなにもかも高いんだよねえ。う〜ん、イテエ!!

仕事始めと意気込んだが、完全に出鼻をくじかれてしまった。
さて、今年はどんなかな。

2005.1



 パラグライダー

快晴の日、木崎湖(大町市)の西側の山を車で上がった。北アルプスが望めるポイントを探すためだ。
林道は幅が狭く、その上ガードレールがない。雪があったら、絶対入らない道である。横を見下ろせば、急な斜面。とにかく緊張の連続。あんな山中で事故ったら、もう最悪。だれにも発見してもらえないからだ。

林を抜けると、急に視界が開けた。そこで出くわしたのが、パラグライダーを楽しむ3人グループ。
これから飛び立とうとしているらしい。こいつはいいやってんで、車から降りて見学。外に出ると、冷たい風がビュービューと吹き上げてくる。その寒いこと寒いこと。ブルブル震えてしまった。
ふたりは、自分のパラグライダーを念入りにチェック。ひとりは空を見上げ、風を読んでいた。そして、雲がどうの風がどうのブツブツ言っていた。
そのうち、ゴーのサイン。両手でラインをあおると、パラグライダーが風をはらんできれいに広がった。体がふわりと浮かんだかと思ったら、スッーと滑空して行った。そして、もうひとりも同じように空へ。
残った方が、空の黄色のパラグライダーを指さした。
「あの人、62歳だよ。もう少しゆっくり旋回すればいいのに、もったいない。いつもすぐ着地しちゃうんだ」
そして、車に乗り、ふたりを拾いに行った。

最後まで見届けたが、ふたりともほぼ同じところに上手に着地した。滞空時間は10分くらいかな。とにかく気持良さそうだった。
いちど飛んだら、きっと病みつきになるんだろうなあ。うらやましい。
でも、やはり勇気がいるよなあ。それに、装備一式で50万円はするらしいし。う〜ん、いい値段だ。おれにはちょっと無理かな。


眼下の湖は、大町市の木崎湖。すばらしい眺望だ。
この日、野生のサルに何度も会った。食べられるときに食べておこうと、盛んに口を動かしていた。

2004.12



 ヒヨドリ

アフリカのある砂漠の話。乾燥化が少しずつ進み、蝶や蜂類が死に絶えた。しかし、植物はしぶとい。姿形を変え、なんとか乾燥に適応した。ところが、受粉を助けてくれる蝶やミツバチがいない。さて、植物はどういう戦略をとったか。ここが、すごいんだね。植物というのは、本来花の蜜に甘い香りを含ませるものだが、この砂漠の植物の花は腐ったイヤな匂いを発散させた。受粉をハエに託したからだ。動物の死骸と勘違いして、ハエが集まってくるんだね。う〜ん、すげえなあ。
そういえば、世界最大の花ラフレシアも、同じように肉の腐った匂いを出してハエを引きつけるらしい。花と昆虫の駆け引きは、とにかくおもしろい。

家の玄関先(道路側)の植栽スペースには、ナツハゼとかウリハダカエデとかワビスケなんかの中くらいの木が植えられている。寒々としたこの時期、特に目を引くのがワビスケ。ツヤツヤした緑の葉と白色の花の対比が、なんとも美しい。仕事部屋のFIX窓からこのワビスケを見ると、心が和む。
このワビスケの花を狙って、毎日ヒヨドリが訪れる。ピッーヨピッーヨと、その騒々しいこと。いつも2羽でやって来て、飲めや歌えの大騒ぎ。去った後には、必ずいくつかの花が落ちている。連中の目当ては、花の蜜。細いくちばしを花の奥に突っ込んで、チューチュー。甘くておいしいのだろう。
ヒヨドリは、メジロと並んで大の甘党。鳥のくせに、ジュースなんかも大好物だ。昆虫が活動しないこの時期、ヒヨドリやメジロが、ツバキ類とかビワの受粉を助けるという。よくしたものだねえ。

2004.12



 津山市はスゲエぞ

京都と岡山への2泊3日の小遠征を無事終了した。今回は車ではなく、慣れない列車の旅。いろいろなことがあり、とにかく疲れた。
京都の夜はとてもまぶしかったけど、特に印象に残ったのは岡山県の津山市。

昼飯でも食うかということで、JR津山駅を出た。姫新線から津山線への乗り換えで、50分ほどの時間が空いたからだ。駅前右手のアーケードをぐるりと歩くが、営業中の食堂がない。ラーメン屋の看板を見つけても、やはり準備中。ファミレスもあったが、「ここまで来てファミレスもねえよなあ」ということで、意地になって食堂を探す。ようやく「○○食堂 やきそば お好み焼き」という看板を見つけた。近寄って中を覗くと、明かりが見えた。よしよし、ちゃんと営業しているぞ。
恐る恐る中へ。店の中央にL字形のカウンターがあり、窓辺に畳敷きの4人席がふたつ。まあまあ小奇麗な感じ。当たりかな。カウンターの隅っこに腰を下ろした。
カウンターには先客がひとりいて、つまみの小皿を三皿ほど並べてチューハイを飲んでいた。社名の入った作業着なんで、どう見ても仕事中。昼間から酒を飲んでいいのかな。まっ、人のことはどうでもいいや。
壁のメニューを見て、ビールとオムソバを注文。すぐドライの中瓶と通し(イカと里芋の煮物)が運ばれた。列車の旅はいいねえ、飲酒運転の心配がないんだから。グラスにビールを注ぎ、ググッとイッキに飲み干す。う〜ん、ウメエ!感激していると、ケータイ片手の新しい客が店に入ってきた。年のころは20代後半。どうも仕事の遅れの言い訳をしているらしい。彼は席に座るなり、ビールとモダン焼きを注文。その彼、ビールをガブガブッと飲み、モダン焼きをそそくさと食べ、「さて、仕事仕事」と言いながら忙しそうに店を出た。その速いこと。店の前に横付けした車に乗り、走り去った。あらあら、車で行っちゃったよ。ここって食堂じゃなくて、まるっきり飲み屋じゃねえの。店の中を改めて見回してしまった。
津山というところは、仕事中でも酒を飲む土地柄らしい。う〜〜ん、スゲエなあ。他所とは、ぜんぜんちゃうぜ!閑散とした田舎町だけど、断然気に入ってしまった。

津山駅に戻り、切符の窓口へ。
おれ「京都まで」
駅員「岡山まで急行。新幹線は、自由席、指定席?」
おれ「自由席」
駅員「はい、1840円です」
おれ「‥‥」
1万円を出すと、8160円のおつりが。なんで?と思いながら、乗車券をよく見ると、行き先が岡山。どうりで安いわけだ。
おれ「あのう、京都までなんだけど‥」
駅員「あれっ、あっ!‥‥」
若い駅員、とてもはずかしそうだった。いったいなに考えているんだろう。こんなの初めてのこと。もう呆れてしまった。

ひょっとしてひょっとしたら、その若い駅員は酔っていたんじゃないかな。なんたって、津山だもん。ひょっとして、あの食堂の常連客だったりして。まさかねえ。

2004.11



 諏訪丸光(まるみつ)

新聞の見出しに諏訪丸光という文字を見つけた。会社更生法による更生手続き中のこのデパートが、地域密着で経営再建するとのこと。ああ、あのデパートか‥。知ってるぞ。

諏訪市にあるこのデパートの5階には、なんと温泉施設がある。温泉付きのデパートなんて、世界広しといえども、この諏訪丸光だけじゃないかな。タオル片手にデパートに入る姿を想像してほしい。つい笑ってしまうでしょ。知る人ぞ知る、変わった温泉なのだ。調べたら、丸光温泉というとのこと。
なかなか入浴する機会がなかったが、仕事が早く終わったある日、思い立ってこのデパートに突入した。もう15年も前の話だ。上の階にあると聞いていたので、まずはエスカレーターに。各階の案内に目をやると、5階にその「大展望風呂」があった。
中に入ると、そこそこの客がいた。やはり年配の方が多かったかな。大展望風呂ということで、窓から諏訪湖が一望できるはずなのだが‥。残念なことに、ガラスが茶色く汚れていてなにも見えなかった。でも、いいお湯でした。

ところで、諏訪にはいろいろな温泉があるんだよね。JR上諏訪駅のホームには、世界初駅中露天風呂があり、それを宣伝した石碑まである。乗車券か駅入場券があれば、入湯できたはずだ。中央道の諏訪湖サービスエリア内には、上下線にハイウェイ温泉というのがある。また、城南小学校には城南温泉(ともそだちの湯)というのがあるらしい。授業で入浴するんだろうか。さすが温泉の町だ。

※上諏訪駅のホームの温泉は、現在は足湯だけになったようだ

2004.11



 この1カ月

まあ平穏無事の1カ月だったが、いろいろなことがあった。まず、愛用しているiBookが故障した。なんとなくおかしいぞと思っていた矢先のこと。突然画面が消え、それからというもの起動できなくなった。いろいろためしたが、結局だめ。
アップルサービスセンターに電話して修理を依頼したが、これが大変だった。
自動応答で振り分けられ、最初に出たオネエチャンに症状を話す。すると、矢継ぎ早にいろいろ質問してくる。いくつかある救済方法をためしたかということを聞いているのであるが、専門用語がたくさんで質問の意味がよくわからない。「それもだめですか。じゃあ、コントロール、オプション、シフトキーを押したまま、パワーボタンを押してください。Cのキーも押したままで‥」とかなんとか指示される。マジかよ!電話しながらじゃ、そんな芸当できるわけねえだろうが!
そして、次のオネエチャンから修理全般の説明をうけた。「修理の内容によっては、ハードディスクを初期化することがあります。ご了承ください」と念を押され、運送会社との段取りを聞いて完了。これって、疲れるんだよね。
中2日で手元に戻ってきたが、修理費用はなんと5万円。痛え〜!
でも、ハードディスクが無事でなにより。iBookの故障は2度目である。

ペンタックス67も、同じように故障。巻き上げがなんとなく変だと思っていたら、案の定だ。撮影途中で完全にフリーズ。う〜ん、困った。既に1台が壊れていたので、故障が2台になっになってしまった。
さて、2台をどうやって梱包しよう。のんびりそう考えていたら、なんとさらにもう1台が故障。これにはびっくり。4台の内の3台までが故障してしまったのだ。ワッ〜〜!非常にマズイぞ。
1台あれば、まあ問題はないんだけど、プロの写真屋としては、なんとも心もとない。残りの1台が故障したら、もうお手上げだもんね。
修理の手続きは、ごくごく簡単。カメラを箱詰めにしてサービスセンターに送るだけ。もちろん、「シャッターがおかしい」とか「カメラを落とした」という症状のメモとこちらの連絡先を添えるけど。う〜ん、昔の機械はよかったよなあ。

先日、コンクリートのふたを元に戻そうとして、左手の中指の先をはさんでしまった。あまりの痛さに声が出ず、ウ〜ン!としゃがみ込んだ。その痛いの痛くないのって‥。
爪全体が黒に近い紫色。とても痛々しい。触覚も、なんとなく変だ。いつ治るんだろうか。利き手じゃない指でも、なにかにつけ不便なんだよなあ。

撮影したデジタルデータが、PCから消えてしまった。ギョエ゛〜〜〜〜!!
もう、真っ青!頭がクラクラした。脈が速くなり、息苦しくなった。
話はこうだ。2000年問題じゃないが、カメラのカット番号が9999から0001に変わった。これはまあ無事に変わったんだけど、それをPCに取り込むときに問題が起きた。これは後になって気づいたんだけど、どういう訳か既に取り込んだ数カットが蒸発。いろいろ捜索したが、結局行方不明のまま。大事なデータはすぐバックアップする。これって、基本だよね。ああ、胃が痛かった。
消えた写真はどうしょうもないので、先方に連絡して再撮影した。ああ、冷や汗。でも、再撮影できる写真でよかった。不幸中の幸いかな。そう思わなくちゃ。

柄にもなく、風邪を引いた。めったに風邪なんか引かないのに、こんな時期にどうしたんだろう。女からうつされたのかな。う〜ん、覚えがないこともないけど‥。
症状はというと、鼻水と鼻声と微熱。鼻水はめんどうなだけ。でも、鼻声は違う。「風邪引き男に目病み女」という言葉もあるくらいで、いいこともある。美声にはならないが、「あら、風邪?お大事にね」なんて、優しい声をかけられたりする。それから、仕事の遅れの言い訳になったりもする。
さて、この風邪の微熱がたまらない。頭がポッーとして、フワフワ〜として、なんとも快感。ラリッているような、トリップしているような、ちょっと危ない雰囲気。ウ〜ン、この風邪はなかなかいいぞ。ウィルスを培養して、もっと強力に改良すれば、ひと財産できるかも。

写真は、修理から戻ったiBook。そして、修理に出すペンタックス。
カメラ2台は10日ほどで戻ってきたが、修理代はなんと65,782円。痛え〜!もう1台修理に出すのをためらってしまう。

2004.11



 1粒で2度おいしい

この「信州の民家」へのアクセス数は、日に10人から20人くらい。とてもとても人気サイトとはいえない。ましてや、この「雑感」をいったい何人が読んでいるのやら。せっせと書いているわけじゃないけど、なんとも張り合いがない。あまり更新をしないくせに偉そうなことは言えないかな。
実は、この「雑感」の読者(ってえほどでもないか)から、「楽しみにしているのに、どうして更新しないのですか?忙しいのですか?」という要望(お叱り)のメールを先月もらった。メールを読んだおれはというと、確実な読者を初めて確認し、ひとり感動。布団の中で、さめざめと泣いてしまった。もっとも、その後ちっとも更新しなかったけど。

さて、なぜこの「雑感」を設けたかというと、話は簡単。HPを立ち上げるにあたり、他のサイトをマネたからだ。よく「ダイアリー」とか「エッセー」なんかのコーナーがあるもんね。つまりは、HPの体裁の問題かな。
「う〜ん、なるほど。写真のページにプロフィールのページ、そしてリンクのページか。あとはエッセーだな」てな調子。かくしてこのコーナーが始まった。
ほかにもいろいろマネた。トップページには、「画像の無断転載、無断使用を一切禁じます」なる一文を掲げた。この「信州の民家」は、かりにも写真屋のサイト。やっぱ写真屋らしく、それなりにカッコつけないとね。
「画像の無断転載、無断使用を一切禁じます」なんて、それらしいでしょ。でも、本当のことを言うと、写真の無断使用にはあまり関心がない。田舎で仕事をしていると、画像の無断転載・無断使用は珍しくない。なもんで、もう感覚がマヒしてしまった。見つけても、驚きもしない。ほとんどの場合、「あっ、おれの写真だ」で終わってしまう。よほどのことがないかぎり、クレームはつけない。たいした写真じゃないもの。

ときどき雑誌社から、写真使用の許可依頼がある。この手の話は、とてもおいしいんだなあ。ちょっと前にも、こんな電話があった。
「Y設計事務所の紹介ページで林さんの写真を3点ほど使わせてください。写真使用料は、少ないんで恐縮ですが、社の取り決めにより後日お支払いいたします」
その写真使用料は、カラーが2万円、モノクロが1万だったかな。少なすぎると思う人もいるんだろうけど、おれは大喜び。やっぱ、東京の大きな出版社は違うなあ。その写真は、東京のY設計事務所からの依頼で去年撮影したもの。当然、その撮影代もプリント代もすべて領収済みである。1粒で2度おいしいとは、このことだ。

2004.11



 無駄な穴、松代大本営地下壕

「この辺に戦争中、無駄な穴を掘ったところがあるというのはどの辺か?」
戦後、長野市に立ち寄った昭和天皇が、当時の林虎雄県知事にそう質問したという。この無駄な穴こそが、長野市の南部にある松代(まつしろ)大本営地下壕(ごう)である。地下壕というと地下にあるようなイメージだが、実際は山の中につくられた長いトンネルという感じ。

大本営とは、天皇直属の最高軍事司令機関のこと。敗戦間近な1944年、東京にあったこの大本営を長野県松代に移転する工事が極秘裏に始まった。急を要する工事であり、しかも岩盤を掘削するという難工事。その危険な工事には多くの朝鮮人労働者が動員され、過酷な労働を強いられたという。工事は終戦まで続けられ、8割近くが完成したらしい。
工区は用途により、イ地区、ロ地区、ハ地区に分けられた。特にイ地区は大きく、縦横にはりめぐらせた壕の総延長は6kmにも及ぶ。現在残っている壕や建物は、宇宙線観測所(信州大学)や地震観測所(気象庁)として利用されている。また、この地下壕の一部(540m)は一般に公開されていて、自由に見ることができる。

先日、久しぶりにこの地下壕を訪ねた。まず入口付近に住宅が何軒もできていて、びっくり。入口にはプレハブ小屋があり、係の人が2人もいた。そこで記帳し、備品の白いヘルメットをかぶり、暗い壕の中へ。ヘルメットは、岩などに頭をぶつけないために必要だ。岩盤むき出しだが、小石や砂がパラパラ落ちてくるということはない。外は暑かったが、進むほどに涼しくなり、しまいには寒くなったほど。まあ寒いのはいいんだけど、じめじめの湿気にはまいった。三脚は結露して、びちょびちょ。カメラが傷むんじゃないかと、心配してしまった。どう考えても、人の住めるような環境ではない。当時、高性能な空調機があったんだろうか。

規模が大きいことは確かなんだけど‥。でもだ。
ここに大本営だけでなく、政府、NHK、中央電話局、皇居、宮内庁 など、国のほとんどの中枢機関を移そうとしたらしい。「ホントかよ。信じらんねえ!」というのが、正直な感想。首都移転クラスの国家プロジェクトの割には、60年前の古い施設ということを差し引いても、なんともご粗末で、なんともお寒い施設だ。やっぱ戦争に負けるわな。
この地下壕って、あんまり有名じゃないんだよね。実際に見ると、どってことないもんなあ。見学が無料なわけだ。

スタンリー・キューブリック監督の「博士の異常な愛情。又は私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」(1964)という映画がある。このやたら長い題名の映画の中に、ドイツから帰化したストレンジラブ博士(ピーター・セラーズ)が登場する。この博士、実はヒトラーを敬愛し、偉大なるドイツ第三帝国に心酔している。国防省の会議の席上、興奮して右手が勝手に「ハイル・ヒトラー」するしまつ。そして、「地下の巨大炭坑跡(核シェルター)に頭脳明晰で健康体な民間人と国家官僚を居住させる」と進言する。その巨大炭坑跡に入るのは男1人に対し美女7人という説明に、国防省のお偉方が「おっ〜!」という歓声を上げる。おれも、「おっ〜!」と叫んでしまったけど。ストレンジラブ博士は、興奮のあまり車イスから立ち上がり、なんとよろよろと歩いてしまう。そして、「総統!私は歩けます!」と絶叫。まあハチャメチャなんだけど、名作だな。

大本営移転の秘密会議でも、やはり「おっ〜!」という歓声が上がったのだろうか。まさかねえ。

写真は、地下壕の中。人物の配置とブレにちょっと苦労した。ISOは1250、シャッタースピードは2秒、絞りはf5。人物が中心にきてしまったが、まあまあの出来かな。
長野市松代は、松代十万石の城下町。由緒ある寺院や武家屋敷などの文化財も多く、散策するにはいいところだ。まあ話の種に、長野にお越しの節はぜひお立ち寄りを。

2004.10



 中央フリーウェイ

♪調布基地を追い越し 山に向かって行けば
 黄昏が フロントグラスを染めて広がる
 中央フリーウェイ 片手で持つハンドル 片手で肩を抱いて
 「愛してる」って言っても 聞こえない 風が強くて
 町の灯が やがてまたたき出す 二人して流星になったみたい
 中央フリーウェイ 右に見える競馬場 左はビール工場
 この道はまるで滑走路 夜空に続く

ずっと前のこと。あるテレビ番組で、荒井由実の「中央フリーウェイ」の歌詞を検証していた。
中央道を東京方面から下って調布〜国立府中あたりを走るが、実見するとフェンスが邪魔でビール工場や競馬場がよく見えないらしい。そこで、スタッフは推理し、こう結論づけた。中央道を疾走するこの車は、車高のかなり高い車、つまりはダンプカーに違いない。色は、燃えるようなレッド。(どこからレッドが出てくるんだよ!)
「中央フリーウェイ」の再現シーンはというと、タオルの鉢巻きに腹巻きというあんちゃん(やたらヒゲが濃い)が、片手でダンプカーのハンドルを持っている。左手は、助手席のオネエチャンの肩に‥。そして、「愛してる」というセリフ。風はもちろん強いんだけど、とにかくダンプのディーゼルエンジンである。なに言っているのか、ちっとも聞こえない。赤いダンプカーは、曲をバックに黄昏の中央道をひた走るんだね。ピカピカのボディに夕陽が反射していたっけ。感動ものだったなあ。

今乗っている車は、いすゞのビッグホーン。走行距離は、なんと28万km。あちこちガタがきていて、いつ動かなくなるかと心配している。先日もオイル交換の際に、「ミッションあたりから少しオイル漏れが」と指摘された。早く新車にすればいいんだけど、なんせ先立つものが‥。
前の車もビッグホーンで、今のは2代目。車のカラーはグリーン。本当はレッドがほしかったんだけど、いろいろ事情があり、不本意ながらグリーンにしてしまった。
いすゞというメーカーがなんとなく好きで、ビッグホーンに乗っているが、いすゞは乗用車部門から撤退してしまった。なもんで、当然ビッグホーンも製造中止。残念。いすゞが最後に発売したビークロスなんか、いい車だったよなあ。いつだったか、学生時代の茨木の友人が遊びに来たが、彼の車がこのビークロスだった。「なんでお前が乗ってんだよ!」というのが、最初のあいさつ。うらやましかった。このビークロスは珍しい車で、ほとんどお目にかかれない。いったい何台生産したんだろうか。

さて、今度はどの車を買おうかな。中古のビッグホーンという手もあるけど、いすゞの新車を買おうと思ったら、もうトラック(ひょっとしてレッド)しかないんだよね。さみしい。

2004.9



 「前で」という言葉

外は秋晴れ。窓からさわやかな風が入ってくる。ジョン・コルトレーンの「マイ・フェイバリット・シングス」(1960年録音)を聴いている。ソプラノサックスの音色が心地いいんだなあ。マッコイ・タイナーのピアノも実にいい。う〜ん名曲だ。

さきほど宅急便のトラックが家の前に止まった。おにいさんが荷台のドアをあけ、大きな荷物を運んできた。仕事部屋が道路に面しているんで、外の様子がよくわかるのだ。ピンポンというチャイムの音。ドアを開けると、宅急便のおにいさんが立っていた。要冷蔵の荷物らしい。なんだろう。とにかくおいしいものに違いない。「ここにサイン、お願いします」と、おにいさん。伝票を見て、腹が立った。「これ、うちじゃない。前での家だぜ」と、隣家を指さした。
期待させやがって。ヨラレまで出ちゃったじゃねえか。

「前で」というのは長野の方言。単に前といえばいいのに、わざわざ「で」をつける。方言をまったく使わない人でも、この「前で」だけはよく使う。そのくらい有名な方言なのだが、ある意味ちっとも有名ではない。なぜなら、長野県人のほとんどは、「前で」を方言として認識していないからだ。長野のアナウンサーも時折使うとか。
「前で」はあっても、「後ろで」という言葉は聞かない。また、「前で」は位置を表す言葉なので、前の日のことを前での日とはいわない。
ところで、前での「で」って、いったいなんだろう?横手(よこて)という言葉あるから、前手が前でに変わったのかな。

2004.9



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