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| 真相 今年のイワツバメの初見日は3月15日。実際はもっと早く来ているのだろうが、なかなか見つけるチャンスがなかった。ツバメは春の使者。とにかく春だね。庭の豊後(ウメ)も五分咲き。例年より10日ほど早い。記録的な暖冬を実感してしまう。 ここんとこ人並みに忙しい。年度末のためだ。が、1月2月はヒマだったので、ここにきて資金繰りが大変。月末は口座からあれやこれやと引き落とされるのに、残高がどうみても足りない。どうしよう。末になれば多少入金があるのだが‥。「前じゃなく その日も苦しい 給料日」という川柳ではないが、本当にどうしよう。まあ、ここでグチってもしょうがないが。 昨日のこと。 今日は朝からずっとPCに向かって仕事。雑念が次から次で、ちっとも仕事がはかどらない。
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| 湯たんぽ 水曜日は、最悪でいまいましい日。酒を飲まない日だからだ。休肝日というやつ。火曜日は、明日は飲めないからと、つい余計に飲んでしまう。木曜日は木曜日で解禁日だし、昨日の分まで飲もうと、ついつい余計に飲んでしまう。まったくにもって、酒飲みというのは困り者だ。こういう週一の休肝日にどのくらいの効果があるんだろうか。こんなんじゃ、長生きできないのでは‥。まあ、少しぐらいなら短命になってもいいんだけど。 今日はその木曜日。外が薄暗くなってきたから、そろそろビールを飲もうかな。冷蔵庫にエチゴビールという濃い地ビールがあったな。まずはそいつで景気をつけよう。 おれの場合、飲むとすぐ眠くなる。寝る時間は9時から12時までの間で、日によってまちまち。ベッドに入ると、布団の中でカタログや雑誌を見たりする。寝つきは極めていいほうで、たいていはすぐ寝てしまう。眠れず困ったという記憶はほとんどない。寝るところは寝室だったり、空いている子供室だったり。以前は、よく居間で寝ていたっけ。 ![]() 子供室が実にいい。ベッドの真上にトップライトがあるからだ。トップライトはそもそも太陽光を入れるためのものだが、夜の雰囲気がいいんだね。 新月なら、その窓から星が見えたりする。満月のときは明るい光が降り注ぎ、なんかとても神秘的。眠るのがもったいないくらいだ。寒いときは氷付いているのが見えるし、雪が降り積もる様子も見ることができる。天井がそう高くないので、まるで手に取るよう。キャンプ場の感覚かな。 でも強い雨のときは、金属(ガルバリウム鋼板)屋根なので雨音がやたらうるさい。これも、テントの中のよう。茅葺き屋根だと、雨音はあまり聞こえないんだけどね。 暖房はというと、電気毛布ではなく湯たんぽ。いまどき湯たんぽ!?と最初は思ったが、これがなかなかいい。寝相が悪く、ときどき湯たんぽを蹴っ飛ばす。ドスンッという床に落ちた音で目を覚ますが、たいていは夢の中。長野の寒い冬は、やはり女より湯たんぽだな。朝までけっこう暖かいしね。湯たんぽという言葉の響きもいい。なんかほんわかした感じ。 子供のころは豆炭あんかを使っていたが、今もあるのかな。
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| 心の歌 自分が当事者というのはほとんどなかったが、今までいろんな事故に遭遇した。やはり、最も多いのが交通事故。忘れられない交通事故はいくつもあるが、最も印象深いのが富山県小見町(現富山市)での話。 小見町立小学校1年のときだから、1960年の7月かな。授業中、ドカンッガランというものすごい音が教室に響いた。おれたちも先生も、なにごとかと窓辺に集まった。見ると、向こうの山に砂ぼこりが。そのときはなにが起こったかわからなかったが、大型トラックの転落事故だった。まあ、特別珍しい事故ではないのだが。
その数日後、親父がこう話し出した。人というのは、自分が死ぬことがわかるのかな。親父は、同僚である転落したトラックの運転手を車に乗せて、町の病院に運んだのだという。その運転手は病院に着くまでに死んだらしいが、車中とぎれとぎれに歌を歌ったとのこと。親父はその運転手の手を握りながら、涙が止まらなかったとか。 その運転手、どんな歌を歌ったんだろうね。なにを思ったんだろうね。 知る由もないが、ときどきこの事故のことを思い出す。おれがその立場だったら、おれも歌を歌うのかな。だとしたら、なにを歌うんだろうか。ちっとも浮かばない。やはり歌わないよな。 でも、なにを思うんだろうか。いろんなことを思うんだろうけど‥。自分の生涯を走馬灯のように振り返るという話もあるが、もっともらしいけど、いったいだれの話なんだろう。 事件事故をたくさん目撃した。が、どれもこれも、あまりいい話ではない。この手の話は、これを最後にしよう。 事故の写真じゃなんなんで、庭に来たメジロのヘストショットを貼っみた。かわいいでしょ。
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| ハッピー フィート 昨年の12月、映画「硫黄島からの手紙」を見た。テーマと内容がああなんで、とてもいい作品だとは思うんだけど、映画としてはまあ70点くらいかな。そのうち忘れてしまうかも。 しかし、「ハッピー フィート(HAPPY FEET)」の予告編(3月公開)にはびっくり。実写かと見まがうほどの出来で、つい身を乗り出してしまった。マイウェイのバージョン だったが、とにかくしびれた。見終わっても、数秒間口を開けたままだったほど。 なっ、なんだ、今んの!という感じかな。バックコーラス付きの力強いマイウェイ(ロビン・ウィリアムズ?)も、なかなかいいね。Gipsy Kingsのマイウェイ(スペイン語)とちょっと似ているかな。家に帰り、ネットで予告編を何度も何度も見たが、やはりいい。ディズニーでなく、なんてったってワーナー・ブラザーズだもんね。おもしろくないはずがない。それに、あのヨチヨチ歩きのペンギンだもの。かわいくないはずがない。ペンギンの子供なんか、もうメチャクチャかわいい。 それにしても、最新のCGってすごいね。とにかく感心するばかり。 この「ハッピー フィート」も、ワーナー・ブラザーズのロゴマークに雪を降らせている。そこで思い出すのが、「シザーハンズ」。やはり最初のロゴマークに雪を降らせていた。「シザーハンズ」は、いい映画だったなあ。クリスマスのころになると、いつも決まってこの映画を思い出す。セブンイレブンでもDVDが置いてあるから、いっそのこと買っちゃおうかな。
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妙薬 写真の古い建物は、長野市伊勢町の笠原十兵衛薬局。善光寺仁王門から東へ300メートルほど下ったところ。店名も立派だが、塗り籠め造りの店構えも実にいい。老舗中の老舗で、創業は天文12年(1543年)とか。この店で有名なのが、鉄砲伝来のポルトガル人から製造方法を伝授されたという家伝薬「雲切(くもきり)目薬」。雲切とは、雲が切れて視界がパッと開ける意かな。この目薬、昔は軟膏だった。目につけると、悲鳴を上げるほどしみたらしい。薬効は抜群で、白内障にも効いたとのこと。が、新薬事法(1982年)により、惜しまれつつ製造を中止した。 愛用者の要望で点眼薬として復活したのが、写真の新しい「雲切目薬」。価格は1100円。レトロなデザインで、なんとなくいいでしょ。効能書きを見ると、目の疲れ、結膜充血、眼病予防、目のかゆみ、目のかすみにいいみたい。 おれは病院と薬は大嫌いだが、目薬だけは欠かせない。歳のせいで目はショ ボショボするし、春には花粉症がひどいからだ。で、この「雲切目薬」はどうかというと、特別悪くもないといったところか。この薬局には、「雲切百草丸」という胃腸薬もある。オウバク、ゲンノショウコなどを配合した生薬で、やはり数百年の歴史を持つ。価格は500円と1000円。以前は「善光寺百草丸」だったとか。改称は、商標の関係だろうか。 善光寺土産とくれば善光寺御高札前の八幡屋磯五郎の七味唐辛子が定番だが、この笠原十兵衛薬局の薬もロングセラーに違いない。善光寺参詣の折りは、ぜひお立ち寄りを。 話はそれるが、メグスリノキ(カエデ科)という木がある。文字通り、眼病に薬効があるらしい。紅葉がきれいなため、庭木として人気だ。これもおすすめ。 話はまたまたそれるが、わが林家の生業は祖父(次作)の代までは桶屋だった。曽祖父の名は長兵衛。家長は、長兵衛の名を襲名していたらしい。その曽祖父が道楽をして、故郷の富山の氷見から夜逃げ。流れ流れて、この長野に落ち着いたとか。世が世なら、おれも桶屋長兵衛なんだよね。 小さい頃、よくこう言われた。桶屋の林さんとこの息子かい。 そういえば、桶屋という言葉も、もう何年も聞いてないなあ。
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| ランドクルーザープラド ここにきて新車購入を考え始めた。愛車ビッグホーンの車検が1年余り残っているとはいえ、少しは先のことを考えないとね。なんせ、もうすぐ38万kmの走行距離である。いつ動かなくなるかわからないからだ。 今のビッグホーンを買ったとき、こう決意した。10年もしくは30万km乗ろう。この4月で満10年になるから、目的達成である。めでたし、めでたし。 さて、問題は後継車。この手の新車でディーゼルというと、ランドクルーザープラドしかない。いすゞビッグホーンはとっくの昔に製造中止だし、三菱パジェロは今やガソリン車のみ。日産もしかり。選択の余地がないのだ。寂しいね。世の中、変ってしまったなあ。ディーゼルエンジンの燃料は、環境にはよろしくない軽油。プラドのディーゼル(3000cc)の実際走行は、リッター9〜10km。ガソリン車は、リッター6km以下だという。どちらもよくないね。 ディーゼルエンジンの耐久性は、ガソリン車の3倍とか。ビッグホーンも、故障が少なかったもんね。ディーゼルエンジンも、実はいいことがあるのだ。と、勝手に納得。もしプラドを買ったら、12年は大事に乗ろう。 なぜこの手のRV車にこだわるかというと、理由はいろいろ。まずは、とにかくRV車が大好きで、かれこれ20年近くも乗っているから。つぎに頑強な構造(ラダーフレーム)で安全だから。運転席が高く、前方の視界がとてもいいから。専用のルーフキャリア(撮影に絶対不可欠)やリアラダーが用意されてるから。車のモデルチェンジがないから。デコボコ道でもへっちゃらだから。ほかにもいろいろ。 でも、自動車税が高いんだよね。タイヤも高いんだよね。 プラドのカタログを見るたびにため息。その価格である。車体本体が340万円。そこにオーディオやナビなどをつけて諸費用を加えると、380万円以上になりそう。ルーフキャリアはビッグホーンのをそのまま使うにしても、リアラダーは買わなくては。今のビッグホーンは査定ゼロだし、問題は値引きの額かな。 でもだ。いざ買うとなると、借金の上に借金を重ねることになるし‥。やはり、X-TRAILあたりが分不相応なのかな。残念だけど。
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探鳥会中学生のころ、日本野鳥の会に入っていた。当時中学生の会員は珍しかったのでは。誘われるまま、千曲川や飯綱での探鳥会にも何度か参加した。まあ、半年ほどで脱会しちゃったけど。 それ以来、ぞろぞろ集まっての探鳥会には行っていない。おもしろくないもんね。 長野県水辺環境保全研究会というのがあって、もうだいぶ前だけど、その研究会の関係でみんなで鳥を見たことがある。その会には信州大学の鳥類学の中村助教授(現教授)を筆頭に鳥の大家が何人もいたためだ。 15年以上前かな。某新聞社のA氏から一方的な電話があった。今度、「長野県ナントカカントカ」というのが発足するんだ。アンチョク(おれのこと)の名前も入れといたからな。よろしく。そういうの好きだろ。あはは。じゃあな。ガチャン(電話を切る音)。後で会報が届いてわかったの だが、それが長野県水辺環境保全研究会という、やたら長い名前の会。会長が信州大学の桜井義雄教授(現名誉教授)、副会長が蝶研究者の浜先生、事務局が造景研究所の長田さん。そして笑ってしまうのが、催し物なんかでの会計担当者。なんと某銀行頭取(現顧問)のT氏だった。ぴったりといえばぴったりなんだけど‥。おれはというと、観察会やシンポジウムなどの下働きの下働き。そのうち幽霊会員になって、やはり数年で脱会。なんか飽きちゃうんだよね。 グループ活動が嫌いというわけではないが、今はどこにも入っていない。 上の写真は、菜園に来たツグミ。警戒心がとても強い。下は、この冬庭に居着いているジョウビタキのメス。真ん丸の黒い目がかわいい。生き物全般にいえることだが、やはり性格が顔に出るね。
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| ヤマガラ、来ないかなあ 鳥を見に行くことはないが、昔からの習慣で姿を見れば目で追い、鳴き声を聞けばいつもキョロキョロしてしまう。家にいてもそうだ。庭で聞きなれない声を聞くと、つい立ち上がって所在を確かめてしまう。
今のところに越してきて7年目。この冬、庭に初めてヤマガラがやって来た。全然珍しい種類ではないが、森林性で平地にはあまり下りて来ない鳥だ。どうしたんだろう。知り合いのAさん(同じ長野市内)からの年賀状にも、庭で初めてヤマガラを見たと書いてあった。山に異変があったのかな。ヤマガラは姿も鳴き声も地味な鳥だが、飼い鳥として人気があった。昔、わが家にはいつもヤマガラがいた。得意技はバック転。何度も連続してやる。これは習性で、ヤマガラ用の鳥カゴは縦に長い。人にも慣れやすく、とてもかわいい。いつだったか、餌付けしているヤマガラを見たことがある。毎日裏山から2羽ほどやってくるのだという。居間の窓辺で麻の実を差し出すと、ヤマガラが手に乗って食べるのである。なんともうらやましかった。手乗りヤマガラだもんね。 映像でしか見たことはないが、「ヤマガラのおみくじ引き」というものがあった。お祭りなんかでの見せ物芸で、ヤマガラが客からもらったお金をくわえ、ちょんちょん飛び跳ねながら小さな鳥居をくぐる。そして小さなお宮の前のさい銭箱にお金を落とし、鈴を鳴らしてからお宮の扉を開ける。中でおみくじをくわえると、こちらに戻って来る。ヤマガラは巻かれた紐を解き、おみくじを開いてくれる。とにかくすごい。さすがヤマガラ、芸が細かい。 ヤマガラ、来ないかなあ。
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| ガーバー マーク2 とにかくナイフが好きだった。異常なほど好きだった。小学生のころは、なんてったって肥後守(ひごのかみ)。肥後守って、今の人は知らないかな。当時、小振りなのは10円、中型は20円で買えた。毎日持ち歩いたので、ポケットに穴があき何本も落とした。買った本数は20本や30本ではないはずだ。 それから、どのくらい指を切ったことか。自慢にもならないが、病院で縫ってもらったことも二度三度。 そのうち肥後守では飽き足らず、ナイフ作りを始めた。といっても、かなり幼稚。五寸釘をハンマーでガンガン叩いて、ヤスリで刃を付けるというもの。片刃だと三日月状に曲がってしまうので両刃にするのだが、いくらやってもうまくいかなかった。真っ赤に焼いて、水の中にジュッと入れたりもした。焼き入れの真似事である。 親父にせがんで、何度かナイフを作ってもらった。大型のカナノコの刃をグラインダーで仕上げたもので、全長20cmほど。これは実に優れ物だった。でも、あまりに硬度が高すぎた。研ぎにくい上、折れることがたびたび。 ある日、親父が軍刀をもらってきた。家を壊すのを手伝いに行ったら、屋根裏から出てきたものだという。これには狂喜。もちろんおれのものになった。ちょっと錆びてあちこち刃こぼれしていたが、正真正銘の日本刀である。最初は眺めるだけだったが、そのうちチャンバラの真似をしたくなった。そうだよね。無理ないよね。夜、軍刀片手に近くのリンゴ畑へ。スルスルと刀を抜き、リンゴの枝を切りまくった。いやあ、気分は最高。そんなことばかりしていたら、1ヵ月もしないうちに刀が折れてしまった。もうがっかり。折れた刀の先の方をナイフとして使っていたが、それもどこかになくしてしまった。親父はというと、もう呆れるばかり。ほんとにまあ、われながらショウモナイ中学生だった。
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虫送り 数千年という連綿と続いた自然や文化が、この数十年間で一部は途切れ、一部は失ってしまった。時代の変化とともに変るのが当たり前なんだろうけど、あまりにもあまりにも急過ぎた。この大きな変化の中で、おれたちはとても大切ななにかを次の世代に伝え損なったんじゃないかな。50代の半ばにして、そんなことを何度も何度も考えている。寂しい。そう思うのは、歳をとった証拠だろうか。もはや戦後ではない。この有名な言葉は、1956年版の「経済白書」で使われた。おれはその3年前の53年の生まれ。今年、54歳になる。けっこう長く生きた。このあたりは団塊の世代の後の世代だが、個人的にはとてもいい時代に生きたと心底思っている。物心ついた60年ころは、それはそれはきれいだった。車もあまり走っていなかったし、工場も大型店もなかった。家の前の田んぼにはタニシやドジョウやフナがそれはそれはたくさんいて、夏にはホタルが家の中もに入って来た。家の北側には幅50cmの川が流れていて、カワニナやシジミやカラスガイなんかがいた。居間から釣り糸を垂れたその細い川も、60年代の後半には腐ったドブに変った。生き物といったら、蛭と赤虫と蛆虫だけ。あの澄んだ流れはどこに行ったんだろうか。もう戻らないんだろうか。 小学校の3年か4年のころだ。7月の夕方、麦わらの束を縄で縛り、そいつに火をつけ、あちこちを引きずり回した。年中行事の「虫送り」である。大人は参加せず、子供だけの仕事である。なんのためのなんなのかもわからなかったが、毎年それが楽しみだった。ただその年はいつもと違った。新しく赴任してきた駐在所のお巡りさんに怒鳴られたからだ。形相を変えたお巡りさんの前で、おれたちは言い訳ができず、ただ泣いた。近所ではこれが最後の虫送りになった。おれたちが最後だったんだね。確かに危ないといえば危ないんだけど、なにか寂しかったことを覚えている。 おれは、近所の年上の子供から「えのみ(榎の実)鉄砲」の作り方を教えてもらった。ウツギの木で作る笛の作り方も教えてもらった。でも、おれはそういうことを下の子供に教える機会がなかった。それがどうしたんだ。そう言われるかもしれないが、おれはそんなささいなことがとても大切でかけがいのないものに思える。 同じように、日本中のあちこちでいろんなものが消えたり、途絶えたりしたんだろうなあ。
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お正月
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