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遊郭と花街 | 信州の民家 |
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No.318-08 旧鶴賀遊廓。江戸から明治にかけては、善光寺参詣の精進落としとして大いに賑わったという。しかし時代は変わり、売春防止法が1957年に施行。この建物も、その運命を大きく変えた。遊廓から旅館に看板を替えたものの、長くは続かなかったらしい。 長野市東鶴賀町 1986.5 |
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No.318-04 旧鶴賀遊廓。売春防止法が1957年に施行。この建物も、その運命を大きく変えた。遊廓から旅館に看板を替えたものの、長くは続かなかったらしい。 丸嘉旅館という文字が読み取れる。 長野市東鶴賀町 1986.5 |
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No.318-02 上のNo.318-08の斜向かいにあった3階建ての旧遊廓。手摺りに遊廓の面影を見ることができる。「浴衣姿のお女郎さんが手摺りにひじをかけ、ぼんやり外を眺めていたよ」と、近所のおばあさんが話してくれた。この建物も取り壊されて、現存していない。 長野市東鶴賀町 1986.5 |
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No.253-04 旧横田遊郭。 松本市横田 1982.10 |
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No.253-06 旧横田遊郭。ガラス越しに遊郭らしい手すりが見える。 松本市横田 1982.10 |
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No.253-13 旧横田遊郭。時代劇にでも出て来そうだ。 松本市横田 1982.10 |
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No.253-12 旧横田遊郭。 松本市横田 1982.10 |
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No.167-07 旧遊廓の久保田楼。古さといい、美しさといい、全国的にみてもトップクラスの建物だった。しかしこの貴重な建物も、2002年に取り壊された。なんとか保存できなかったのだろうか。 飯田市二本松 1981.10 |
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No.167-10 1880年代の建造だというが、外観は当時とほとんど変わっていないのでは。昭和の初期、このあたりには十数軒の遊廓があり、大いに賑わったという。1947年の大火は飯田市街の大半を焼き尽くしたが、この付近と蓑瀬町は災禍を免れた。飯田の人は、「ちょうど魚の頭としっぽが焼け残ったようだに」と言った。 飯田市二本松 1981.10 |
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No.302-06 久保田楼の勝手口。 飯田市二本松 1986.3 |
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