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 土蔵と物置 3   商家の土蔵、カレー屋デリー、造り酒屋の土蔵



No.384 中町通り「ちきりや」の裏庭。全国的に有名なこの民芸店は、テレビドラマの舞台にもなった。竹やぶと古い甕、この庭のたたずまいは実にいい。庭を囲む土蔵が、一層心落ち着いた趣を加えてくれる。正面に見える柱が、支受柱(しうけばしら)。長野県の土蔵は、「四半張り」といって、瓦をひし形に張ることが多い。これも代表的ななまこ帯だ。中町通りに面した土蔵もいいが、神明宮(しんめいぐう)のある細い小路も地域の人に愛されている。ちなみに、明治の松本火災の時、神明宮のお陰で、ここより東側は災禍を免れたという話が言い伝えられている。 松本市 81.10



No.385 市街の再開発がどんどん進み、この風情ある小路は広い車道と歩道に拡幅された。左手の土蔵は、持ち主の深い思いにより、南西に8m移動して保存されたという。その変わりようを見たいような、見たくないような、複雑な気持がする。 松本市 81.10



No.386 土蔵はすべて重厚なのだが、この土蔵は特に重厚だ。鬼瓦には、左官さんが鬼瓦の周りに漆喰を盛ってある。これを陰盛りという。鬼瓦が一回りも二回りも大きく見え、全体としてこの土蔵が重々しく感じられるのは、そのためだ。土蔵の土台も、壁の厚みも、窓の観音開きの土戸も、庇の総上げ裏の漆喰塗りも重厚さを出している。しかし、極めは、やはり陰盛りにある。 更埴市稲荷山 79.5



No.387 商家の土蔵。  更埴市稲荷山 79.5



No.388 明治のころは銀行だったという建物。重厚な黒漆喰の窓がすばらしい。 松本市大手 81.10



No.389 なまこ壁の瓦の色に注目してほしい。瓦が土に戻る姿を出している。土を焼いた瓦は、元の土の色を浮き出してくる。不思議な自然現象だ。人間がどのように手を加えても、自然には逆らうことができない。この土蔵のなまこの瓦は、人間が自然と共存している証拠を訴えている。
品質の均一な工業製品一辺倒の時代にあって、焼成むらレンガや窯変タイルが珍重されるのは、そこに暖かみや深みを見るからだろう。 飯田市 81.10




No.390 細いなまこの帯が、左官の心や性格を表現している。繊細緻密な左官だろう。妻の破風にある鉢巻?にもそれが表れている。縦の柱が内側に絞ってあるように見え、矢絞りの土蔵(将棋の駒)かも。
時間があったら、この場所に行ってみるつもりだが、今も残っているだろうか。 飯田市 81.10




No.391 造り酒屋(市野屋商店)の土蔵。 大町市 94.5



No.392 伊那谷に多く見られる土蔵。平入りの土蔵で、大きさは、間口6間、奥行き3間だろうか。大きい土蔵の部類に入る。入り口の戸も大きい。2カ所の入り口があり、「ふたとまえ」の土蔵と呼ばれる。引き手が中央にあり、引く時にはかなりの力が必要とのこと。 伊那市 86.4





No.393 中町通りのカレー屋「デリー」。漆喰に山形産の松煙の煤を混ぜ、それを濾した物を塗ったのが、黒漆喰。この極上の黒漆喰を白漆喰の上に塗るのだが。その後さらにノロ掛け・キラコとくれば最高級の壁となる。もちろん黒漆喰塗りだけでも、かなりの費用が掛かったと想像できる。土蔵の壁を仕上げるには、十数回の手が入る。左官さんが心を込めて仕上げた技が見て取れる。なおこの店の、向かって右奥の半分は数年前取り壊された。 松本市 81.10
No.394 珍しいデザインの窓枠。昔、中町にあった銀行?の土蔵の窓だったとか。この写真の土蔵は、蔵の町・中町に移築した元酒屋の蔵。移築にあたり、かつての銀行の窓枠を再現したもの。和風の蔵に洋風の窓枠をミックスしたもので、当時としてはハイカラに見えたに違いない。西洋の文化を取り入れた松本の文化の一端を知ることができる。 松本市 81.10



No.395 壁のなまこだけ見れば、松崎(伊豆)の土蔵に見える。が、窓(明り取り)の位置や高さや窓の周囲の役物の雰囲気がかなり違う。妻にある窓が二つあるのも、善光寺街道の経済力を示す象徴のように感じる。また、隅瓦(角)、長方形の瓦も、アクセントになっている。 更埴市稲荷山 79.5



No.396 緻密な石垣の上に建つ土蔵。越部のなまこ壁は、瓦ではなく鉄平石。小県郡東部町 82.5


土蔵と物置 3


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