ホーム


 遊廓と花街  長野市鶴賀遊廓、松本市横田遊廓、飯田市久保田楼



、1878年(明治11年)、長野県においてはまず長野市鶴賀と上田市常盤城と松本市横田の3ヶ所に公許地である遊廓が建設された。その後遊廓の数が増え、1880年(明治17年)には県内に11カ所の遊廓が公許された。
1880年の統計によれば、長野市の鶴賀遊廓には42の高楼があり、合計287名の娼妓がいた。この娼妓の大半は、隣の新潟の貧農の娘だったらしい。


No.340 旧鶴賀遊廓。江戸から明治にかけては、善光寺参詣の精進落としとして大いに賑わったという。しかし時代は変わり、売春防止法が1957年に施行。この建物も、その運命を大きく変えた。遊廓から旅館に看板を替えたものの、長くは続かなかったらしい。この貴重な建物は取り壊されたが、なんとか保存してほしかった。 長野市鶴賀 86.5



No.341 上のNo.340の斜向かいにあった、3階建ての旧遊廓。手摺りに遊廓の面影を見ることができる。「浴衣姿のお女郎さんが手摺りにひじをかけ、ぼんやり外を眺めていたよ」と、近所のおばあさんが話してくれた。この建物も取り壊されて、現存していない。 長野市鶴賀 86.5



No.342 北国街道沿いの旧春日医院。どう見ても医院の建物ではない。それもそのはず。医院になる前は、遊廓「春日楼」であった。でも、重々しい3階建ての入り母屋造りの主屋といい、風格ある門塀といい、どこをどう見ても、遊廓という建物でもない。それもそのはず。この建物、もとをたどれば、この坂城を縄張りとする侠客が建てたものらしい。 埴科郡坂城町 03.8



No.343 旧横田遊廓。 松本市横田 82.10



No.344 旧横田遊廓。ガラス越しに、手摺りが見える。3階はどんな部屋だったのだろうか。 松本市横田 82.10



No.345 旧横田遊廓。 松本市横田 82.10
No.346 松竹梅の彫刻。 松本市横田 82.10



No.347 旧横田遊廓。大戸とくぐり戸があり、ずいぶん古めかしい。改築されずにそのまま残っているのは、奇跡に近いことだった。以前は、板葺きの屋根だったに違いない。古い形態を色濃く残した貴重な建物だったが、いつの間にか取り壊されてしまった。 松本市横田 82.10



No.348 田植えの頃。 大町市 82.5



No.349 旧遊廓の久保田楼。ため息が出るほど美しい。県内でも屈指の数寄屋造りだ。まして遊廓である。古さといい、美しさといい、全国的にみてもトップクラスの建物に違いない。しかし、この貴重な建物も、2002年に取り壊された。なんとか保存できなかったのだろうか。 飯田市二本松 81.10


No.350 洗練された美しさを持つ久保田楼。1880年代の建造だというが、外観は当時とほとんど変わっていないのでは。昭和の初期、このあたりには十数軒の遊廓があり、大いに賑わったという。1947年の大火は飯田市街の大半を焼き尽くしたが、この付近と蓑瀬町は災禍を免れた。飯田の人は、「ちょうど魚の頭としっぽが焼け残ったようだに」と言った。 飯田市二本松 81.10



No.351 久保田楼。 飯田市二本松 81.10
No.352 久保田楼。飯田は、「信州の小京都」と呼ばれた。 飯田市二本松 81.10


遊廓と花街


プロフィール 雑 感 リンク  ホーム