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 街道と宿場 3  北国西街道の稲荷山宿、桑原宿、甲州街道の金沢宿



No.388 塗り篭め造りの商家。北国西街道(善光寺街道)の稲荷山宿は、善光寺詣での善男善女で賑わったが、ここはまた北信濃随一の商業地でもあった。江戸時代は、呉服問屋を中心に商取引の場として栄え、明治以後は生糸と絹織物で栄えた。今も、豪壮な土蔵が数多く残っている。 更埴市稲荷山 79.5



No.389 堂々とした土蔵。 更埴市稲荷山 79.5



No.390 稲荷山の裏通り。 更埴市稲荷山 82.5



No.391 稲荷山の家並。 更埴市稲荷山 92.4



No.392 稲荷山の家並。 更埴市稲荷山 92.4



No.393 八幡神社近くの松屋旅館。更埴市八幡 79.5



No.394 八幡郵便局。 更埴市八幡 79.5



No.395 北国西街道桑原宿。街道最大の難所である猿ヶ馬場峠の東側麓に位置し、宿場として栄えた。換気用の越し屋根は明治以後のもので、養蚕に不可欠だった。更埴市桑原 79.5



No.396 保福寺街道保福寺宿には番所が置かれていた。番所を預かったのが、この小沢家。格式ある式台が設けられている。 東筑摩郡四賀村 85.10


No.397 保福寺宿の番所小沢家の穀蔵。江戸時代の建築とのこと。 東筑摩郡四賀村 85.10



No.398 松本と新潟の糸魚川を結ぶ千国街道(糸魚川街道)は、「塩の道」として知られている。大町は街道の中間にあって、宿場として、塩や麻などの中継地として賑わった。写真は、九日町の金原家。大町市街では最後の板葺き屋根であったが、その後カラー鉄板に葺き替えられた。 大町市 83.5




No.399 茅野市金沢 81.10
No.400 甲州街道の金沢宿は、高遠へ行く塩荷などの分岐点として賑わった。「持ち送り」にはいろいろな装飾を施すものだが、この金沢宿の持ち送りは特に凝っている。 茅野市金沢 81.10




No.401 飯田は1万7千石の小藩の城下町であったが、三州街道における商都でもあった。東海の産物(塩、茶、魚、綿、陶器など)の中継地として大いに栄え、1日に「出馬千疋、入馬千疋」と言われた。しかし、戦後間もない47年4月の大火で、飯田の古い佇まいは、ほとんど焼失してしまった。 飯田市 81.10
No.402 このような繊細な格子造りの建物は、県内では飯田だけのものだ。実に美しい。「信州の小京都」という名にふさわしい。 飯田市 81.10




No.403 清内路道は、伊那街道と中仙道をつなぐ重要な道であった。今も、古い面影を残している。話は関係ないが、この清内路村には原と桜井という姓が多い。村の人口の9割はこのどちらかの姓だ。今の村長は、原さん。村議会議員も、1人をのぞいて全員が原さんもしくは桜井さんだ。 下伊那郡清内路村 81.10
 
No.404 その昔、上村の上町は、遠州の秋葉神社へ参詣する人々の宿場として栄えた。秋葉街道は、三州街道飯田八幡宿から火の神様秋葉神社への「信仰の道」であり、同時に海から信州への「塩の道」という生活の道でもあった. 下伊那郡上村 81.10


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