三つの集落が合同で行う祭りです。野崎地区から刀刀(とうとう)、城腰地区からは県文化財・花笠踊が奉納されます。早朝から門付けに回っている下久知地区の鬼太鼓も神社に立ち寄り奉納します。神輿渡御や流鏑馬、子供による下がり羽(さがりは)の行列も登場する古式ゆかしい祭りです。 花笠踊は県無形民俗文化財で、城腰花笠踊り保存会によって奉納されます。神さまを慰め、五穀豊穣を祈る少年少女たちによる踊りです。久知の殿様が、新田開発がうまくできたことを感謝して、久知八幡の神様を慰めるために行ったのが始まりといいます。花の飾りの付いたかさをかぶり、桃色の衣装を着た早乙女姿の小中学生らが舞をおどる。 ≪花笠踊≫花笠踊は1952年(昭和27)に県無形民俗文化財に指定された踊りで、城腰花笠踊り保存会によって奉納される。風流踊りである。演目は神山踊り、御田踊り、八幡踊り、千代踊り、飛騨踊りなどで農事を祝う芸能でもある。 舞台は八幡宮の社前の広場に八角形の木の柵を設け、その内にゴザを敷き、ハヤシ方が向かい合って座る。社殿に向って右側の頭取り、中音頭がならび、左側に笛・鉦・中太鼓のハヤシ方がならぶ。 踊り子は烏帽子をつけ幣束を持った御田の太夫、花の飾りの付いた花笠、桃色の振袖、脚絆、白足袋、草鞋の早乙女姿の踊り子で11歳か12歳くらいの稚児数名、露払いに黒頭巾の東西坊が立つ。 小歌が主で、踊りは簡素な輪形踊りである。またこの踊りには小獅子舞、鬼太鼓、獅子法問などがつくのも珍しく、佐渡の花笠踊りの一典型を示す。 久知郷六代目の地頭本間時泰が新田を開墾した際に、新田開発がうまくできたことを感謝して、久知八幡の神様を慰めるために行ったのが始まりという。
八幡宮応永元年(961)に京都・石清水八幡宮から分霊され、往古より久知郷の総鎮守として崇敬を受けてきた。宝徳2年(1450)に下久知荒城の地に遷座したといわれている。歴代の地頭、佐渡奉行からも崇敬を受け、明治7年、郷社に列せられた。鳥居を潜ると境内は左右にかなり広い。県指定無形民俗文化財で、農事を祝う「花笠踊り」のほか、伝統芸能「刀刀」、鬼太鼓ややぶさめなどが9月の例大祭で奉納される。中世のこの地域の祭礼を伝えるものとして貴重である。
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