■流地禁止令(りゅうちきんしれい) 江戸時代の「流地禁止令(質流地禁止令)」は、1722年(享保7年)4月に、8代将軍・徳川吉宗が享保の改革の一環として発令した法令で、農民が借金の担保に入れた田畑が、返済不能によって債権者のもの(質流れ)になることを禁じた。 当時、借金が返せず土地を失う農民(本百姓)が続出し、富農へ土地が集中していた。 この法令は、田畑永代売買禁止令(1643年)を補完し、質流れという形式で実質的に土地売買が行われていた状況を是正し、小規模農民の没落を防ぎ、年貢を安定的に徴収できる「本百姓体制」を維持するためだった。 すでに質入れされている土地でも、元金を返済すれば請け戻し(返却)を可能にし、今後は質流れを認めないという強力な内容だったため、農民が「借金を返さなくていい(徳政令)」と誤解し、質流れで土地を失った農民が、質取主の家を襲撃する「長瀞質地騒動」や「越後質地騒動」が勃発した。 また、金融の停滞や、土地が戻ることを恐れた質取主(町人や富農)との混乱が広まった。混乱を収拾できなくなった幕府は、発令からわずか1年余りの1723年(享保8年)8月にこの法令を撤回し、再び質流れを公認せざるを得なくなった。