一茶の年譜
俳人、小林一茶の生涯に少し触れてみましょう。

西暦
和暦
数え歳
主 な 出 来 事
1763
宝暦13
1

一茶、信州長野の柏原村で百姓の長男として生まれる。 名は弥太郎。

1765
明和2
3

母くにが死ぬ。

1777
安永6
15

一茶、江戸へ出る。出郷後の消息は20歳ごろまで全く不明。

1782
天明2
19

この頃、下総馬橋の俳人大川立砂(油屋)に奉公していた という伝承がある。

1792
寛政4
30

江戸を出て、西国へ行く。

1792〜1796
寛政4
30

一茶が江戸の俳人・二六庵竹阿について俳句を学んだ時、共に弟子だった専念寺の住職性誉和尚(俳号五梅)の縁で四国の香川県、観音寺市にある専念寺に滞在。

1801
亨和1
39

一茶の父弥五兵衛(69歳)が死ぬ。遺産相続をめぐり、 継母・弟専六との対立がはげしくなる。

1803
亨和3
41

この頃は江戸に住み、房総方面への行脚が しきりとなる。流山の秋元双樹と知り合い、いくたびも双樹のもとを訪れる。「享和句帖」を記す。

1804
亨和4(文化1)
42

「文化句帖」を記す。

1808
文化5
46

弟専六と亡父の遺産を折半する約束する。

1812
文化9
50

双樹が死ぬ。その葬儀に参列。故郷柏原へ帰り、居を構える。

1814
文化11
52

常田久右衛門の娘きく(28歳)と結婚する。

1816
文化13
54

長男千太郎が誕生するが、まもなく死亡。

1818
文政1
56

長女さと生まれる。

1819
文政2
57

句日記「おらが春」成る。

1820
文政3
58

二男が生まれ、石太郎と名づける。 一茶雪道でころび、ひょうしに中風がおこる。

1821
文政4
59

石太郎が母の背中で窒息死する。

1822
文政5
60

三男金三郎生まれる。この頃から、袋屋へ訪れるようになる。

1823
文政6
61

きくが死亡(37歳)。金三郎も死亡する。

1824
文政7
62

ゆき(38歳)と結婚するが、ほどなく離縁する。 中風が再発して言語不自由になる。

1826
文政9
64

宮下やを(32歳)と結婚する。

1827
文政10
65

柏原に大火があり、一茶の家も類焼する。 一茶、土蔵の仮住まいで死ぬ。

1828
文政11

一茶未亡人やをに、やたが生まれる。