レッテルは生がかぶっている仮面です。
私達は人生にたえまなくレッテルをはります。「正しい」、「間違っている」、「成功している」、「運がいい」、「運がわるい」など。(中略)

レッテルをはってしまうと、レッテルが予想させるものがあまりにも強い説得力をもつので、現実の姿は見えなくなります。予想というものはしばしば、実は新しいものや前例のないものを目のあたりにしているにもかかわらず、すでに熟知されたものであるかのような錯覚をおこさせます。そうなると、わたしたちは予想に対応するだけで、現実の生そのものには正対せずにいることになります。

こう考えてみると、わたしたちは病気そのものによって傷つくだけでなく、その病気をどう「見る」かによっても傷ついてしまうかもしれないのです。(中略)

私の経験から言うと、診断とは「意見」にすぎず、「予言」ではありません。未知のことがらはたしかにある、すべて予想できるとは限らないということを、もっと多くの人たちが認めて、医療専門家の言葉もそのような態度で受け止めるようにしたらどうでしょうか。診断はがんとされるかもしれない。しかしそれが何を意味するのか、先のことはわからないと考える・・・。

診断は事態を掌握し、不確かさを処理しようとする試みですが、レッテルをはる目的も同じです。レッテルはある種の最終確定で、それをはったら、もうそれ以上は考えないように仕向けます。しかし、生をきめつけることはできません。生は過程です、神秘でさえあります。変化と未知を受けいれる態度をもてるようになって初めて、生を知ることができる。生の本質からして、そこには分かりきった安定というものはなく、あるのは冒険だけかもしれません。



「失われた物語を求めて-キッチンテーブルの知恵-」 より引用

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