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入院までのいきさつ

(この部分は日記ではなく、HP開設時に書いた文章です)

●●●1995年●●●

'95年6月の人間ドッグで乳房にしこりがあると言われ、大学病院の紹介状を渡たされた。乳房のしこり、といえば「乳がん」しか思い付かず、ショックをうけた。おまけにその日は引越しの翌々日で、荷物はまだ片付いていないし、役所や銀行などの住所変更等、やらなければならないことは山積みだった

翌月には結婚することになっていた。わたしのほうが先に新居に引っ越したので、夫はまだ実家にいた。とにかく電話して、半べそかきながら「いま入院とかするわけにいかないから、いろんなことが片付いてから病院に行く」と私がいうと。「すぐ行かなきゃだめだ」と強く言われたので翌日行く事にした。

いままで大きな病気はしたことなくて、大学病院なんてはじめて行ったので緊張した。ところが、先生は問題のしこりにちょっと触るなり「ああこれは良性だから大丈夫ですよ」と言った。エコー(超音波)でみたり、マンモグラフィーという乳房のレントゲンをとってみたが、やはり「乳腺線維線腫(にゅうせんせんいせんしゅ)」という良性のしこりであるとのこと。

とりあえずほっとしたが、そのあと乳がんに関する本を読んで、少し勉強した。乳がんとまぎらわしい病気のひとつに、乳腺線維線腫があり、これがガン化することはないが、まれにこのしこりの中に乳がんを併発していることもあるので経過観察が必要、と書いてあった。

その本(「乳がん・早期発見と最新治療」森本忠興/主婦の友社)には乳がんの最新の治療法など、とても詳しく書いてあり、検査の方法やその判定結果に関してとか、手術の方法にもいろいろあり、最近は乳房温存療法で乳房を全部とらなくても大丈夫なケースもある、とかいうことを知った。

それまで、がんに関するものなんて読んだ事がなかった。というよりわざと避けてきた。昔、千葉敦子さんの本も何冊か読んだが、乳がんに関してよりも彼女のキャリアウーマンぶりに興味があっただけだったと思う。夫の母親が4年前に乳がんの手術を受けて、大変な思いをしたということも知っていたが、実際どんな治療をうけて、今はどうなのか、詳しくは知ろうともしていなかった。

乳がんの早期発見には月に一度の自己検診が大切、と言うのも読んだ。しかし、「これは良性のしこりだから大丈夫なんだ」と安心しきって、その後1年間、触ってみる事はほどんどなかった。

そして、、、。

















【余談】(2003.8)
おかしな話ですが、偶然にも私は当時、自分が入院することになったT医大病院に関係する仕事(T医大同窓会の会員管理システムというのを作っていた)を担当していました。

「大学病院なんてはじめて行った」と書いてありますが、受診したのははじめてでも、同じ敷地内にあるT医大同窓会事務局には、たびたび足を運んでいたのでした。

ですから、最初に人間ドックの婦人科医師からT医大への紹介状を渡されたときは、これも何かの「縁」だと思いました。全く知らない病院へ行くよりは、少しは気持ちが楽だったかもしれません。今にして思えば、のことですが(笑)



●●●1996年●●●

●96/07/03(水)
健保組合の検診センターで人間ドッグを受けた。
去年と同じ乳房のしこりを、「念のため、また診てもらった方がよいでしょう」と言われた。
その他、もともと持病の貧血が、ひどくなっており「要治療」と言われる。


●96/07/16(火)
T医大病院に行った。今回はどうせまた「なんでもありません」といわれるもの、と決めていたので気楽なものだった。

ところが、先生はわたしのしこりに触れると「うーん」と言って首をかしげたのだった。そして「去年と様子がちがっているようなので精密検査をしてみましょう」と言った。しこりに針を刺し、取った細胞を調べる検査をした。結果は1週間後とのことでその日は帰った。先生の表情からみて、かなり「やばそうだ」と感じたが、今回は予備知識がすでにあったのでわりと落ち着いていた。「万一ガンでも、死ぬようなことはないんだ。お義母さんだって今はあんなに元気じゃないか」と考える余裕があった。


●96/07/23(火)
検査の結果を聞きに行った。その日はとても病院が混んでいて、待合室は座るところもなかった。午前中の診察なのに順番がきたのは1時すぎで、先生も疲れ果てたような顔をなさっていた。そして、細胞診の判定を見せながら「残念ですが、がん(の細胞)がでています。すぐ入院して手術をうけてください。幸い初期ですので乳房はのこせるでしょう。」と言われた。細胞診のクラスは、5(確実に癌)だった。

それがいわゆる「告知」の瞬間だった。わたしは入院や手術に関して質問することも何も思い付かず、ただ「はい」と言って診察室を出た。激しいショックをうけたというよりは、なんだかふわふわと夢の中にいるような気分だった。

入院予約の手続きを済ませる。ベッドが空き次第、連絡が来るとのことで、はっきり日にちはわからないが、とにかく早く会社には知らせなくてはと、その足で会社に行った。本当なら仕事などできる精神状態ではないはずなのに、入院する前にやることはやっておかなくてはと思ったのか、事情を説明したあと、普通に仕事をしてしまった。


●96/07/24(水)
いつ電話がかかってきてもいいようにと、入院の準備をする。
午後から会社に行ったら、会社に病院から電話があって金曜日に入院が決まった。


●96/07/25(木)
普通に仕事をする。わりと冷静。
仕事にそれほど熱心な私ではないが、やりかけの仕事を残していくのは、やはり気分が悪い。おまけに、うちは夫も同じ会社で一緒に仕事をしているので、残った仕事をは自分の夫にまわることになる。入院することで迷惑を充分かけているのに、仕事のうえでも迷惑をかけるのは心苦しい。

ところで、いちばん困ったのはうちの母親。すごく心配症なので、去年しこりを指摘された事はもちろん今回も最後の結果がでるまでは、何も教えていなかった。

しかし、入院するとなると、隠しておく訳にもいかないので、伝えた。案の定、うろたえまくる母をなだめすかしたり、叱咤激励したりするのに気を取られていたお陰で、自分が落ち込む暇がなかったような気もする。



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