| プログラマー(システムエンジニア)を10年以上やっていました。はっきり言って仕事も会社も大嫌いでした。根っからの文科系人間で、自分にコンピュータの適性がないということは、最初から解っていました。適性がないと解っていてなぜそんな職業についたか、という話は長くなるのでここでは省略します。
とにかく毎日、「いやだいやだ」と思いつつ仕事をしていました。ソフトウエア開発の仕事というのは10時、11時までの残業なんてあたりまえ、泊まりこみ、徹夜なんて日常茶飯事の世界で、まあそれも「好きでやりがいがある」と思ってやっているのなら、耐えられるだろうけど、私の場合とにかく仕事がいやだったので、ひたすら消耗する毎日でした。「これは本当の自分じゃない、ここは自分の居場所じゃない」という思いが常にありました。
そんなにイヤなのになぜ続けていたのか? 私がこの仕事をはじめた当初はバブルの頃で、コンピュータ技術者不足といわれてた時代です。だからたいして仕事なんかできなくたって、割とちやほやされてました。給料だって結構良かった。不況の波が押し寄せても、他業種よりはだいぶマシだったのだと思います。嫌いな仕事であっても、この世界にいる限りは「経験10数年」てことだけで、ノウノウとしていられるのに、あえて別の職種に転向して1から別のことをやる勇気はなかったのです。コンピュータの仕事から足を洗おうと思い、会社を辞めたこともありましたが、結局はまたこの世界に舞い戻ってしまいました。
そして「乳がん」という病気になったのは、そんなストレスが自分の体を痛めつけていたせいじゃないかなあ、と思いつつも、8月に退院し、9月の1ヶ月だけ休養し、10月からは在宅勤務という形で仕事に戻ったのです。病気後ということで、最初は会社のほうも気を使って大事にしてくれていたけれど、別に体調が悪いというわけでもないので、徐々に出社してする作業が増え、翌年1月には完全に元に戻されそうになったので、思いきって辞めることにしました。このぶんではあっという間に、また元通りのハードな毎日に戻ってしまいそうで恐くなったのです。後で思えば、入院した時にきっぱり辞めてしまえばよかったと思います。でも病気してすぐ会社を辞めたら、病気に負けたみたいで、いやだったんでしょうね。今でも、病気をしたせいで会社を辞めたとは思っていないのです。
ちょうどインターネットが爆発的に普及しはじめた頃で、これならパソコンが使えれば、家にいてできる仕事も結構みつけられるのではないかという期待もありました。でも、とにかくしばらくはのんびりして、充電ししようと思いました。1997年2月の日記には
『 会社を辞め、一年くらい休養する予定。でもこの間に次の仕事への足がかりを作らなければ、と思っている。とにかく在宅でできる仕事、できれば文章や絵を書く仕事がしたい。SOHOが理想。
』 と書いてあります。退職後も引き続き傷病手当金の需給を受けられたので、お金の心配もない、悠悠自適な1年でした。手術後1年に満たない1997年5月には、四国遍路の旅にでかけているし、11月には南仏へ行きました。「次の仕事への足がかり」を作る努力は、ほとんどしないまま、あっというまに1年が過ぎてしまいました。
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