祭 辞 典
地 車
(じぐるま)
地走り
(じばしり)
標 山
(しめやま)
巡 行 神幸・神幸祭
神幸行列
神饌幣帛
供進神社

(しんせんへいはく)
潮満珠・潮盈珠
(しおみつのたま)
潮干珠・潮乾珠
(しおひのたま)
上 段 猩 々 猩々緋 三味線胴 上覧祭 石 橋
(しばらく)
所作・所作る 地 覆
(じふく)
書 体
(しゃち)
白 張 (しらはり) 白張仕丁
(しらはりじちょう)
神 紋
鯱 巻
(しゃちほこまき)
諸葛亮
(しょかつりょう)
諸葛孔明
(しょかつこうめい)
獅噛・歯噛み
獅噛み・顰

(しかみ、しがみ)
神仏習合
神仏混淆

(しんぶつこんこう)
神 祇
(じんぎ)
矢籠・矢壺
・尻籠

(しこ)
神 饌
(しんせん)
神酒・御酒
(しんしゅ)
獅子屋台
(ししやたい)
十干・十二支 地文・紋 真 読
(しんどく)
神 座
(しんざ)
自衛隊の階級
砂 切
(さんぎり・しゃぎり)
車 切
(しゃぎり)
どんでん
神人和楽
(しんじんわらく
・こんじんわらく)
 (じょう)  (しじ) 乗馬袴
(じょうばばかま
・じょうばこ)
装 束 尺貫法
(しゃかんほう)
上 書
(じょうしょ)
しるし 品川めし 浄真寺
(じょうしんじ)
しごき
(扱・扱き・
志古貴)・腰ひも
地 本 (じほん) 七福神
七福神巡り
獅子舞 正 月 七曜星 十干(じゅっかん)
十二支
祝 日
辞世の句 十軒店
(じっけんだな)
心源棒
 (しんげんぼう)
心木棒
神社神道
国家神道
国体神道
江戸の暑月 地下足袋・祭足袋
ゴム底足袋
ジョグ足袋
しごき
(扱・扱き・志古貴)
質置き主  (じょう) 上 梓
(じょうし)
品玉師
(しなだまし)
注連縄
(しめなわ)
四手・垂
(しで)
正五九月
(しょうごくがつ)
食行身禄
(じきぎょうみろく)
食行行者
四神獣
(しじんじゅう)
菖蒲革
(しょうぶかわ)
賤機帯
(しずはたおび)
渋手拭
(しぶてぬぐい)
十 徳
(じゅっとく)
神道方
(しんとうかた)
吉川神道 矢 籠
(しこ)
示 寂
(じじゃく)
陣羽織 甚兵衛羽織
陣兵羽織

袖無し羽織
十八大通
(じゅうはち
だいつう)
真 体
(しんたい)
志那都比古神
(しなつひこ)
級長戸辺神
(しなとべのかみ)
級長津彦命
(しなつひこのみこと)
神功皇后
(じんぐうこうごう)
鍾 馗 (しょうき) 聖徳太子 神武天皇 七福神 寿老人
寿老神

(じゅろうじん)
四 魂
(しこん)
四 神(しじん)
四神旗
(しじんき)
四神相応
(しじんそうおう)
神五代
(じしんごだい)
名 前 説   明
地 車
 (じぐるま)
重い物をひく車。車体が低く4輪あるもの。地車祭は京都八坂神社の祇園祭をモデルに、日本各地に広まった祭の形態のひとつ。中でも「だんじり」は、堺から泉州、南河内地域に特有のもの。 
地走り (じばしり) 底抜け屋台を伴った踊り行列をいう。踊り屋台はなく、踊り手は歩いて踊る。
標 山 (しめやま)
もともとは、大嘗祭に悠紀(ゆき)・主基(すき)の両国司の列立すべき所を標示する飾り物。山形に作り木綿(ゆう)・榊・日月などをかたどって装飾し、卯の日に斎場から供物とともに大嘗宮へ引く。祇園祭の山鉾のようなもの。
鯱 巻
 (しゃちほこまき)
人形山車の人形や枠を上下するための装置の一部。
三味線胴
 (しゃみせんどう)
三味線の胴のように、角に丸みが付いた山車の高欄の下部などの四方を囲む飾り。 三味線胴
上 段
 (じょうだん) 
重層の人形山車において、人形が載る層。「下段」は、その下の段をいう。「」と同意語。 
所 作
 (しょさ)
踊り、手踊り。
所作る
 (しょさる)
(動詞)所作をする、踊る。
巡 行
 (じゅんこう)
方々をめぐりあるくこと。  渡御 参照。
神幸・神幸祭・神幸行列
 (しんこう)
渡御祭・御旅祭
神幸:遷宮、または、祭礼に際し、神霊が神輿・鳳輦や御船代などに乗って新殿または御旅所などに渡御すること。神のいでますこと。神の臨幸。
神幸祭:神社の行事で神霊の移動そのものを神威の顕れとしてまつる神事。神霊を神輿などに載せ、氏子町内を巡行すること。
神幸行列:神幸・神幸祭の行列。
還幸祭 参照。
神田祭・神幸祭
上覧祭
 (じょうらんまつり)
江戸天下祭と同意語。
地覆・地輻・地伏
 (じふく)
門や高欄の最下部に取り付ける横材。 
書 体
篆書
(てんしょ)
篆書には、大篆(だいてん)と小篆(しょうてん)がある。大篆は、周の宣王の時代に史籀(しちゅう)がつくったとされている。小篆は、大篆からできた書体で、筆写に適している。秦の時代に李斯(りし)がつくたとされている。わかりやすい書体の隷書・楷書がその後つくられてからは、篆書は碑銘・印章などに限定して使われている。
隷書
(れいしょ)
秦の始皇帝の時代につくられた卑しい身分のものにもわかる書体の意味で、小篆を簡略化して実用本位に考え出された。漢時代に広く使われた代表的な書体。
楷書
(かいしょ)
隷書から転化したもので、点画をくずさない書き方。
行書 楷書と草書との中間の書体。隷書を簡略にしたもの。
草書 行書をさらにくずし、点画を略したもの。
中国で生まれた漢字の書体は、篆書→隷書→楷書→行書→草書の順番でより使いやすい書体がつくられた。

 (しゃちほこ、
  さちほこ、しゃち)
・クジラ目ハクジラ亜目マイルカ科、歯クジラの一種。体長約9m、逆鉾状の背びれは大きく体長の1/4以上にもなり、胸びれや尾びれも大きい。背面は黒、腹面は白色で、頭は円錐形で歯が鋭い。世界中の海に分布。クジラを襲うこともあり、土佐では「くじらとおし」という。
・棟の両端の飾りの一つで、頭は龍で背に鋭いとげを持った魚の形で、波を起こして雨を降らす鴟尾(しび)の変形とされる。13世紀に禅宗と一緒に日本へ入り、寺院の厨子などの屋根に飾られた。安土桃山時代頃からは城の天守閣などに飾られるようになった。鯱を城に一番早く採用したのは信長の安土城といわれ、兵火を逃れ、権威の象徴として飾られたという。
静御前 源義経の愛妻。丹後の竹野郡網野町磯で禅師の娘として生まれた静御前は、母と京都へ上がり、白拍子になった。源義経に舞姿を見そめられ、側室となって男子を産んだが、義経は兄の頼朝に吉野に追われ、かわいい子供も殺されてしまい、磯村に帰り、二十余才という若さでこの世を去ったとされている。磯には静御前を祀った神社があり、静御前の墓とされる塚がある。
静御前の物語は、謡曲や歌舞伎、文学の格好の題材として多く扱われ、雪の吉野山での義経との別離や、鎌倉鶴岡八幡宮で義経を恋い慕う舞を舞った物語は有名である。
石 橋
 (しゃっきょう)
能の一つで、むかし寂昭法師が唐の国へ行き、清涼山の石橋で獅子の舞を見るストーリの能。また、能の「石橋」にもとずく所作事の総称で、鏡獅子・連獅子なども「石橋」ものという。
暫 (しばらく) 江戸の荒事の歌舞伎十八番の一つ。元禄10年(1697)に中村座の「参会名護屋」に初代市川団十郎が初演、2世の代になり演出も完成され十八番となった。
ストーリは、悪人に捕らえられた罪のない善男善女が皆殺しにされようした危機一髪に、「暫く」と大声で現れ、悪人をこらしめる。この場面以外は上演ごとに筋が創られる。現行の定本は、明治18年(1895)に9代目団十郎が演じた台帳で、現在も市川団十郎とその門弟によって演じられる。
猩 々 能の一つで、唐土の揚子の親孝行な高風という酒売りがいた。市がたつたびに酒を買うある客は、いくら飲んでも顔色が変わらないため聞いたら、潯陽の海中に住む猩々だという。ある夜に、高風が猩々を待っていると、海中から出現し、酒を飲んでは舞い遊び、汲めども尽きぬ酒壷を高風に与えては消えていくストーリ。
また、中国の想像上の怪獣で、体は狗や猿に似、長い朱紅色の毛で覆われている。面貌は人間に、声は子供の泣き声に似る。人間の言葉を理解でき、酒が好きだという。
この猩々の血を想像させる黒みを帯びた鮮やかな深紅色、または、その色の舶来の毛織物を猩々緋、または、緋猩々という 。
白 丁
 (はくちょう、はくてい)
白 張
 (はくちょう、しらはり)
如 木 (じょぼく)
白張仕丁
 (しらはりじちょう)
白帳:公家の傘持・履持・車副などの雑色などが着た糊をつけた白色の狩衣。糊を強くつけてあり、木のように見えることから、如木ともいい、これを着た雑色を如木ともいった。
白丁:元々は白帳を着た雑色をいったが、祭りでは白帳を着た神輿の担ぎ手などをいう。
白張仕丁:白張を着た仕丁(輿を舁いたり、雑用をする人)。
神 紋 (しんもん) 神社の紋章を「神紋」という。平安時代に公家が、衣服や道具、牛車などに描いた模様が始まりで、家紋や神紋になった。模様は、祭神や土地、神社の名前などに因んだものが多いが、代表的なものは、巴紋がある。
神 饌 (しんせん)
御 饌 (みけ)
御 贄 (みにえ)
神社や神棚に供える供物をいい、御饌(みけ)・御贄(みにえ)ともいう。神饌は、火打ち石などで起こした神聖な炎(いみび、忌火)使って煮炊きして供える熟饌(じゅくせん)と、生のまま供える生饌(せいせん)とがある。
神社などでは、米・塩・水・野菜・果物・鯛・鰹節・海藻・酒などを供える。祭事の後で供えた神饌を食べる宴のことを直会(なおらい)といい、神の供物を食べることで神に近づくという意味がある。
諸葛亮
 (しょかつりょう)
諸葛孔明
 (しょかつこうめい)
181〜234、中国の後漢末期から三国時代の、蜀漢の丞相・軍略家。字は孔明、諡は忠武侯(ちゅうぶこう)。伏竜、臥竜とも呼ばれる。劉備に仕え、赤壁の戦いで魏の曹操を破った。劉備没後、その子劉禅を補佐、出兵中に五丈原で没。
成都の武侯祠に祀られている。 
地文・紋
染め抜き文・紋
地文:紋綸子、紋羽二重、紋縮緬などの紋織物で、異なる糸を使ったり、同じ糸の一部を浮かして模様を織り出す。浮かして織った模様を上文という。
染め抜き文:地色(じいろ)に紋を白く染抜いた紋で、格式が高い正式な紋。礼服や幔幕、幟などに使われる。 
獅噛・歯噛み・獅噛み・顰
  (しかみ、しがみ)
大きなものは、大獅噛(おおしがみ)ともいう。
龍とともに霊獣とされた獅子が噛んでいる飾りをいい、霊気にあやかり、力強さを表す。
古くは、懸仏、仏像、兜の目庇の上や鎧の肩、火鉢の脚、人形の帯のバックルなどに多く見られ、日光東照宮・陽明門(下絵・最下)にも金色に輝く獅噛がある。
また、平安時代に創られた神将像には誇張された憤怒の形相を表現する手法の一つとして多く見られる。
獅噛が使われているかどうかやその形式から創られた時代を推定することも行われている。
屋台では、山車人形の腰ベルトのバックル(下絵・上左)、兜(下絵・上右)、唐破風屋根の鬼板(下絵・中左)の題材とくにだんじり(地車)の鬼板はほとんど獅噛を使う。また、台輪のアクセント(下絵・中右)などにも使われている。
歯を噛みしめるとき顔がしかむことから、極端に怒った相貌の鬼神の面の表情なども獅噛という。“顰めっ面(しかめっつら)”も同類語。
模様にも使われ、古くは正倉院所蔵目録に獅噛文と書かれた獅子の文様を描いた布地があるという。
能面にも顰(しかみ、獅噛・歯噛)と呼ばれる羅生門・紅葉狩・舎利などに使われる歯を噛みしめた面がある。
山口・功山寺の韋駄天像、京都・養源院の毘沙門天像などの武将姿の仏像にも獅噛が見られる。
山車人形の獅噛 山車人形の兜の獅噛
屋台の鬼板の獅噛 台輪のアクセントとして飾られた獅噛
→ 珍しい下あごのある
成田祇園祭・成田山交道会の
山車の日本武尊のバックル。
成田祇園祭・成田山交道会の山車の日本武尊のバックル
日光陽明門の獅噛
歯噛は、下記の仏像などにも見られる。

右上絵:天界の神酒の番人ともいわれる八部衆の一人の乾闥婆立像の被りもの。(出典:新潮社「芸術新潮2009.3、阿修羅のまなざし」)
右下絵:興福寺南円堂四天王の一人の多聞天立像のバックル。(泰慶作、出典:小学館「小学館ギャラリー新編名宝日本の美術3」)
他にも、興福寺東金堂四天王の一人の持国天立像のバックル(泰慶作)、一部欠損しているが歯噛と思われる興福寺北円堂四天王のうち広目天立像のバックルなどがある。
天界の神酒の番人ともいわれる八部衆の一人の乾闥婆立像の被りもの。(新潮社「芸術新潮2009.3、阿修羅のまなざし」)
興福寺南円堂四天王の一人の多聞天立像。(泰慶作、小学館「小学館ギャラリー新編名宝日本の美術3」)
Guidance →屋台の獅噛 〕
矢籠・矢壺・尻籠
 (しこ)
矢を入れる筒の一種。葛藤(つづらふじ)のつるや竹で編んだ簡略なもの。
箙(えびら):矢を入れる武具。矢を差す方立(ほうだて)とよぶ箱と、矢をよせかける端手(はたて)とよぶ枠からなる。この左右の端手に緒をつけて腰につける。
胡ぐい(やなぐい):矢を入れ、右腰につけて携帯する道具。奈良時代から使用され、状差し状の狩胡(かりやなぐい)と幅の広い平胡ぐい(ひらやなぐい)とがある。また、古製の靫(ゆき)が発展したものを平安時代からは壺胡ぐい(つぼやなぐい)といい、公家の儀仗用となった。
神仏習合
神仏混淆
 (しんぶつこんこう)
神 祇
 (じんぎ)
天の神と地の神。
潮満珠・潮盈珠
 (しおみつのたま)
潮干珠・潮乾珠
 (しおひのたま)
潮満珠を投げようとする武内宿禰の山車人形山車人形に多い武内宿禰の人形は、潮満珠を海へ投げようとする場面が多い。武内宿禰は、古事記に300年以上も生き、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五代の天皇に244年間仕えたとされている。神功皇后の新羅攻略を補佐、景行天皇の時代の蝦夷地視察、応神天皇誕生後の籠坂・忍熊王子の叛乱討伐など功績が多い。
また、霊媒者として能力を持ち、日本書紀によれば、神功皇后が神田に溝を掘るときに邪魔になった大きな岩を、竹内宿禰が祈ると雷が落ち岩を打ち砕いたという。
・潮満珠は、潮干珠とともに、兄火照命を懲らしめるため、綿津見の神が弟火遠理命に授けた二つの玉。
・潮満珠・潮盈珠(しおみつのたま、しおみつたま):海水につければ水を満ちさせる呪力があるという珠。
・潮干珠・潮乾珠(しおひのたま、しおひたま):海水につければ水を引かせる呪力があるという珠。
・綿津見の神:海の守護神を祀る海神社(神戸市)や志賀海神社(福岡県)の祭神と祀られている、底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神の海神三神をいう。
真 読
 (しんどく)
法会などで、教典を省略しないで全部読むこと。vs.転読
神 座
 (しんざ)
神社や神棚の神霊や護符を奉安する場所。神霊の降ってくる場所。
神饌幣帛供進神社
(しんせんへいはく)
神前に奉献する神饌について定めた、明治39年第96号の勅令による神社で、次のように定めている。昭和21年に廃止された。
第一条 府県又ハ北海道地方費ハ府県社郷社、市又ハ町村ハ村社ノ神饌幣帛料ヲ供進スルコトヲ得
2 前項ニ依リ神饌幣帛料ヲ供進スルコトヲ得ヘキ神社ハ地方長官之ヲ指定ス
第二条 前条神饌幣帛料ノ金額ハ内務大臣之ヲ定ム
第三条 町村制ヲ施行セサル地方ニ於ケル村社ノ神饌幣帛料ニ関スル規定ハ内務大臣之ヲ定ム
砂 切
 (さんぎり、しゃぎり)
舞台囃子や屋台囃子の曲名の一つで、屋台囃子ではおもに佐原など千葉県や茨城県の水郷地方で儀式的な曲として演奏されることが多い。
車 切
 (しゃぎり)
どんでん
中部地方の祭りで、4輪固定の山車を旋回するときに、前後輪のどちらかの2輪を持ち上げて廻したり(尾張津島秋まつり)、2輪を滑らせて廻す(犬山祭)ことをいう。犬山祭では、2輪を持ち上げて廻すのは、“どんでん”という。尾張津島秋まつりでは、車切大会が行われる。
舞台囃子や屋台囃子の曲名の一つで、屋台囃子ではおもに中部地方で使われ、屋台の曳き出しや道行きの曲として演奏される。

右絵は、犬山祭の車切。
犬山祭:車切
四 神 (しじん)
四神旗 (しじんき)
四神相応 (しじんそうおう)
天の四方をつかさどる神獣で、東の青龍(せいりょう)、西の白虎(びゃっこ)、南の朱雀(すざく)、北の玄武(げんぶ)をいう。
古来から中国や日本には、天の四方を司る四神と呼ばれる神獣の考え方があり、古墳の石室内に四神を極彩色で描いたり、四本の旗に描いて四神旗として朝廷で元日の朝賀や即位礼などに大極殿や紫宸殿の庭に立て威儀をととのえた。
現在でも、神社の例祭などでは、四神旗を境内に立てたり、神幸祭で神輿などと一緒に巡行する。
屋台には、この四神を題材に描いた飾りが多い。
四神:天の四方を司る神獣で次の表のとおりである。なお。五行説には、中央に黄竜が配置されている。
神 獣 司る方角 司る季節
(中国で神に
配した四季)
備 考
青竜(せいりゅう・せいりょう) 春(句芒)
朱雀(すざく) 夏(祝融)
白虎(びゃっこ) 西 秋(蓐収)
玄武(げんぶ) 冬(玄冥)
黄竜(おうりゅう・おうりょう) 中央 五行説
四神旗:四神を描いた4本の旗。朝賀や即位の大礼のとき、大極殿や紫宸殿の庭に立てた。
四神相応(しじんそうおう):四神に相応じた最も貴い地相で、平安京はこの地相に基づいて街つくりがされた。長岡京遷都で失敗をした桓武天皇が起死回生のために、山背国に遷都し794年に平安京とした。つくるにあたっては、中国の古典に詳しい学者を集め検討した。京都盆地は、北に船岡山・鞍馬山、東に鴨川、南に干拓した巨椋池、西に山陰・山陽道などがある理想の地相とされた。
方 角 神 獣 吉相の地相
青竜 流水・清流
朱雀 湖沼・窪地
西 白虎 大通り
玄武 丘陵・山・木々
 (じょう) 律令制で、国司の第三等官。「出雲掾」国司に与えられた従七位上の官位。
近世以降は主に浄瑠璃の太夫に与えられた称号。大掾・掾・少掾の3階級があり、当人1代に限る。
千社札 昔、千社詣(多くの神社へ詣でること)のときに社殿に貼りつけ、詣でた証とする紙札。屋号や字などが刷られている。近年は、千社詣に限らず貼るが、社殿が汚れるため、禁止している寺社が多い。
尺貫法
(しゃかんほう)
尺貫法 丁・町
36 2160 12960
0.0278 60 360 3600 36000
0.0167 60 600
0.1667 10 100
0.1 10
0.1
メートル
(SI単位)
3927.2m 109.1m 1.818m 30.30cm 3.030cm 3.030mm
上 書 (じょうしょ) 意見書を上司、あるいは、官庁などに差し出すこと。また、その書類。
しるし
伊賀上野天神祭において、鬼行列・だんじり行列で「しるし」と呼ばれる各町内を象徴する出し物がそれぞれの行列に参加する。
「しるし」は、神事から取り入れられたといわれており、祭礼の際に天上から地上へ降臨するものと考えられている。
祭礼に当たり、籤取り式で神前で、祭礼の巡行が無事行われるように祈願し、授与された神符をしるしに祀り込む(結う)ことにより、しるしが祭壇になる。この祭壇の後(尻)を楼車が進むことから、楼車を「だんじり」(壇の尻を行くから)と呼ぶようになったといわれる。
上野天神祭のしるしは、江戸時代〜昭和初期は、2本の担い棒を胴に通して前後を数人が担ぐしるしと、各町名を大書した幟を奉持していたが、調和中期以降人出不足からは、しるしは台車に載せて曳くようになった。
(出典:伊賀市観光協会発行パンフレット「上野天神祭 だんじり・おに」)
「菊慈童」のしるし
地 本 (じほん) 江戸で刊行した洒落本・人情本・草双紙の類をいい、上方で刊行された絵本に対するいいかた。
七福神・七福神巡り 伝統行事・民俗芸能 → 七福神
獅子舞 伝統行事・民俗芸能 → 獅子舞
正 月 伝統行事・民俗芸能 → 正月
七曜星 伝統行事・民俗芸能 → 七曜星
十 干(じゅっかん)
十二支
伝統行事・民俗芸能 → 十干・十二支
祝 日 伝統行事・民俗芸能 → 祝 日
辞世の句 伝統行事・民俗芸能 → 辞世の句
十軒店
 (じっけんだな)
十軒店は、江戸時代に商家が十軒あったのが始まりで、「寛永江戸図」には「十間たな」と記されており、石町二・三丁目と本町二・三丁目に挟まれた小さな町で、日本橋通りの両側に面していた。
江戸時代中期以降は、十軒店では、2〜3月には雛人形市、4〜5月には武者人形市、12月には羽子板市が立ち、内裏雛・禿(かむろ)人形・飾道具・甲人形・鯉のぼり・破魔弓・手毬・羽子板などの人形や玩具を売る店が軒を並べていた。また、当時、他にも、尾張丁・人形丁・浅草・神楽坂などでも市が立ったが、十軒店が一番賑わった。
また、「江戸名所図会」には「十軒店雛市」と題した頁があり、店先に小屋掛けまで設けて繁昌している挿絵が描かれている。
明治時代以降も、「本石町十軒店」と称されていたが、明治44年に十間店町となり、昭和7年に旧日本橋室町三丁目に編入され、「中央区日本橋室町三‐二‐一五」となっている。
江戸の暑月 暑月(暑い時期、夏)についての絵本の一件。
「炎官(えんかん)、政をつかさどり、火傘、空を張るこの月を、みな月といふは、雨降りがたく、水なし月といふこととかや。されば、古人も苦熱の吟、少なからず。避暑の計をもっぱらとす。しかるに、天王祭、山王祭は、かかつ炎熱をして却って恐れしめしは、江戸っ子の威勢といふべし」
上 梓 (じょうし) 梓の木を版木に用いたところから文字などを版木に刻むこと。書物を出版すること。論文をまとめて出すこと。
品玉・品玉師
 (しなだま、しなだまし)
品玉は、弄玉・支那玉・志な玉・しな玉・品玉、とも記される。当初は、綾取りの曲芸であったが、江戸中期頃から、手練技の手品の内の「お椀と玉」をいうようになり、その後、江戸時代後期には、手品の一つを「品玉」と呼ぶようになった。
この芸は、2個の伏せたお椀の間を、布製の小玉を素早く移動させる手品。
この芸の芸人を品玉師という。
注連縄・標縄・占縄
・七五三縄・〆縄
 (しめなわ・しめなは)
七五三は、縄に三・五・七筋とひねりを垂らすことからの当て字。〆縄は、同音による略字。
注連縄は、日本神話で、天照大神が天の岩屋戸から天之手力雄命に引き出された際に、再度天岩屋戸に入れないように、天太玉命が尻久米縄(注連縄)で戸を塞いだのが起源とされる。
古神道では、神霊が神留(かむづまる、鎮座)するとした神奈備(かみなび、かむなび)と呼ぶ山や森を信仰した。後に、神事で神霊を招き降ろすために、清浄な場所に榊などを立て、周りを囲って神座とした神籬(ひもろぎ)や山や岩の磐座(いわくら)を御霊代(みたましろ)・依り代として神がここに宿る証として注連縄を張った。
現在の神道においては、神事の場・神前・神棚などに張り巡らしたり掛けて、神聖な場所と他の場所を仕切ったり、新年の祝いなどで、門・玄関などに掛けて、邪気が家内に入らないようにした、四手(しで)をつけた縄をいう。
 現在でも、水田などに雷が落ちると、その場所を女竹(笹)で囲い、注連縄をはって、五穀豊穣を願う慣習もある。
 二見興玉神社の祭神・猿田彦大神縁りの興玉神石(夫婦岩の沖合約700mにある霊石)と日の大神を遙拝する鳥居の役目をする夫婦岩の注連縄や日本一大きな出雲大社の大注連縄が知られている。
注連縄には、その形状により細注連縄・大根注連縄・鼓胴注連縄・牛蒡注連縄・横綱注連縄・輪飾りなどのいろいろな呼び方があり、同じ形状でも地方により色々な呼び方がある。
 他に未確認であるが、海老注連縄・海老締め、玉締めなどがある。
村の境界近くに張った注連縄 材質は、稲藁・青刈り藁が基本であるが、近頃は、本麻・化繊もある。
注連飾り:正月に迎える年神を祀る依り代として飾る。
 玄関に飾るものを玉飾りと呼び、台所やトイレなどに飾る略したものを輪じめと呼ぶ。
 玉飾りには、地域によって異なるが、縁起物である紙垂、だいだい、裏白などを飾る。
山車・屋台にも注連縄を飾るものが多い。注連縄の縄の部分は雲、四手・紙垂は雷、稲穂は雨をそれぞれあらわし、自然現象を象徴しているとし、この注連縄を山車・屋台に飾り付けることにより五穀豊穣に感謝することとする祭りもある。
右絵は、村の境界近くに張った注連縄。(辻切り)
前垂れ注連縄前垂れ注連縄
前垂れ付き注連縄

 縄に稲藁の四手や白御幣(たれ、紙垂)を付けた注連縄。
 一般的にこのタイプが多い。
細〆細注連縄・細締め・細〆
 細い縄に稲藁の前垂れや紙四手を付けた注連縄で、笹で形取った結界・車祓所・手水舎・山車(右絵)など周りを囲う注連縄として多く見られる。
鼓胴〆鼓胴注連縄・鼓胴締め・鼓胴〆
 真ん中が太く、両端を絞り込んだもの。
 このような形状のものを、大根〆とする例が多いが、この形状は野菜の大根とは違う。
 このような形状のものは、一部に鼓胴〆とする例があり、当祭りだ!屋台だ!でも、鼓胴〆とした。
 ほとんどの神社の拝殿などに見られる。
大根注連縄・大根締め・大根〆
 野菜の大根のように、全体に太めで、片側を絞ったもの。
 江戸〜明治時代には、正徳より始まった小舟町八雲神社の大根〆が有名であった。明治に入り中断していたが、明治25年に復活した。しかし、明治30年代になると、その大きさから(下の新聞記事参照)往来の妨げや電線が邪魔になることから飾られなくなった。
 明治時代の新聞に次の記事がある。
 「日本橋区小舟町の八雲神社の大祭に、飾り付ける巨大な注連縄は、徳川6代将軍家宣の正徳元年6月に初めて飾り、その後、なにぶんにも巨大で費用も掛かるため、中断していたが、明治中期になり再興した。その大きさは、径が九尺(約2.7m)、長さは四間(7.2m)。
 これを飾る丸太は、檜で長さが四丈(12.1m、かね尺)、太さ一尺五寸(45.4cm)。」
 右絵は、小舟町のそれにに比べると細いが、神棚に飾る大根〆。
牛蒡〆牛蒡注連縄(ごぼうしめなわ)・牛蒡締め・牛蒡〆
 野菜の牛蒡のように、全体に細長く、一般に片側へ緩やかに絞ったもの。
 家庭の神棚などに多く飾られる。

 絵の注連縄は、全体の太さが細く、片側のみ絞った形状からいえば牛蒡〆であるが、絞り方は大根〆ともいえる。
尻久米縄 端を編んだまま、切らないでおく縄の意味で、上代には神聖な場所を区切るしるしとして引き渡す縄をいった。後に、神前に引き、また、新年の飾りとした。
四手・紙垂・垂
 (しで)
玉串や注連縄などにつけて垂らす紙。古くは木綿(ゆう、楮・こうぞの皮の繊維を蒸して水にさらし、細かく裂いて糸にしたもの)を用いた。
正五九月
 (しょうごくがつ)
陰暦の正月・5月・9月をいい、忌むべき月として、結婚式などを避けたり、厄払いに神社・仏閣に参詣した。
食行身禄
 (じきぎょうみろく)
 食行行者ともいう。寛文11年(1671)〜享保18年(1733)富士山において没。江戸中期の宗教家・富士講の指導者。油商。俗名は伊藤伊兵衛。伊勢国一志郡(いちし、現三重県津市)の農民の子。
 13才で江戸に出て呉服屋で働く。同郷者の勧めで富士講に入り、元禄元年(1688)に江戸の富士行者月行に弟子入り。油売りを営みながら修行を積んだ。享保2年(1717)富士講六世の行者となり、享保7年(1722)にら食行の下に身禄を加えて名乗る。
 享保18年(1733)7月13日(17日・18日の説も)、富士山七合五勺目(現在の8合目)にある烏帽子岩で断食行を行い、そのまま入定。その後、開祖角行とともに、富士講の信者の崇敬を集めた。
 富士講の呪術・加持祈祷中心の行法を否定し、正直と慈悲をもって勤労に励むなどの処世訓と生業の勧めを含む体系的な教義に整えた。
 男女同格、身分制度の否定、庶民の苦しみを救うなど、封建社会に対峙する倫理観を持っていたこともあり、江戸幕府からたびたび禁止を受けた。
 各地にある富士塚・小富士の中には、食行身禄の骨を分骨埋葬したとするところ(東京都文京区海蔵寺など)がある。また、碑には「参食行身禄狗(文京区海蔵寺)」、「元祖 食行身禄価(江戸川区浅間神社)」(「価」は、富士講独特の使用法で、先師を敬って付ける)などと刻んである。
賤機帯
 (しずはたおび)
一中節(いっちゅうぶし、都太夫一中:1650〜1724を始祖とする浄瑠璃の流派名)、および、長唄の曲名。

一中節の本名題は、「尾上の雲賤機帯・峰雲賤機帯(おのえのくもしずのはたおび)」といい、壕越二三治作詩、宮崎忠五郎作曲の謡曲の「隅田川」「班女」「桜川」に取材したもの。宝暦元年(1751)に江戸森田座で初演。

長唄の本名題は、「八重霞賤機帯(やえがすみしずはたおび)」といい、文政11年(1828)、10世杵屋六左衛門(4世三郎助)が作曲。内容は、同じく謡曲「隅田川」「班女」「桜川」に取材したものでわが子の行方を捜す狂女と船頭のやりとりで、初演は山王祭の踊り屋台で演じた。
初め一中節の賤機帯を予定したが雰囲気があわず、長唄で新たに作った。一中節の受けている。
神道方 徳川幕府は、寺社奉行に神道方と仏教方と霊山方を設けた。
吉川神道  江戸時代、官学とされた朱子学である儒学思想と結びついた神道で、幕府の寺社奉行、神道方として発展した。
 江戸時代初期、幕府公認の神道として、全国の神職の免許権を吉田神道が持っていた。これに対し、朝廷ゆかりの神社は、白川家の伯家神道が管轄していた。一方、比叡山系の山王一実神道や高野山系の両部神道、伊勢神道なども併存していた。
 そのような状況の中、徳川幕府が朱子学を官学としたことに従い、吉田神道の道統を継いだ吉川惟足は、吉田神道をベースに儒教思想を取り入れた神道を提唱したのが吉川神道。
 吉川神道は、神道を行法神道と理学神道とに分け、神主が祭りや日常の奉仕活動を行うことを行法神道とし、天下を治め政治を行うことを理学神道とし、これに重点をおいた。
 また、天地万物を主宰する神の神性がすべての人間の心に内在するという神人合一説を唱え、天地の運行は万物の母である土と万物の父である金との調和により、人間は敬うことと義であると強調した。
 さらに敷衍する形で、人倫の中核としての君臣の道を第一義の問題であるし、国体の護持と君臣の道の遵守が神道の本質であるとした。
矢 籠 (しこ) 矢を入れるための葛藤(つづらふじ)のつるや細く削いだ竹で編んだ籠。
示 寂
 (じじゃく)
高僧などが死ぬこと。
十八大通
 (じゅうはちだいつう)
安永〜天明時代(1772〜1789)に、江戸の新吉原などで、粋人を自任して、派手な遊びをした一八人の町人。一八は多いとの意味。義侠心に富んで、しゃれっ気があり、吉原遊びで金の使いっぶりがよい江戸ッ子気質の蔵前の札差や豪商が大多数をしめた。大口屋暁雨・大和屋文魚・桂川周甫などがいた。
真 体
 (しんたい)
そのものの真実のすがた。
楷書の字体。楷書体。
聖徳太子 574〜622。用明天皇と穴穂部間人皇后との子。本名は厩戸皇子(うまやど)。内外の学問に通じ、深く仏教に帰依。推古天皇(女帝)のもとで皇太子として摂政を勤め、改革に乗り出した。当時、内には天皇の後継者がおらず朝廷に争いが絶えず、外には中国随が勢力を朝鮮半島へ伸ばしてきていた。そんな中、天皇中心の強力な国家を作るために冠位十二階(役人の官位の冠の色をきめた)・憲法十七条(役人の規律をきめた)を制定、遣隋使を派遣して、進んだ文化や政治を学ぼうとした。また、仏教興隆に力を尽し、政治を仏教の教えを基本にしようとした。そのために仏教を奨励し、法隆寺をはじめとする多くの寺院を建立した。「三経義疏(さんぎょうぎょしょ、法華・維摩・勝鬘の三経の注釈書の総称)」を書いた。
身近な逸話として、同時に10人のいうことにそれぞれ答えたなどがある。
墓は、大阪府南河内郡太子町の叡福寺境内にある。
鍾 馗(しょうき) 疫鬼を退け魔を除くという神。巨眼・多髯で、黒冠をつけ、長靴を穿き、右手に剣を執り、小鬼をつかむ。日本でも謡曲に作られ、その像を五月幟に描き、五月人形に作り、また朱で描いたものは疱瘡(ほうそう)除けになるとされる。
志那都比古
 (しなつひこ)
級長戸辺神
 (しなとべのかみ)
級長津彦命
 (しなつひこのみこと)
風の神。風は風の神の息から出ると考えられ、志那は息が長いの意味。日本書紀では、伊奘諾尊の息から、風の神の級長戸辺神が生まれたという。
神功皇后
 (じんぐうこうごう)
気長足媛命(日本書紀)・息気帯比売命
 (おきながたらしひめのみこと)
大帯姫命(おおたらしひめのみこと、神名式)
170〜269。記紀神話の女神。14代仲哀天皇(帯中津日子命)の配偶神。父は開化天皇の玄孫・息長宿禰王、母は天日矛の裔・葛城高額媛の一男二女の長女。二女は、虚空津比売命(そらつひめのみこと)。第三子の長男は、息長日子王(おきながひこのみこ)。応神天皇の母。古事記の仲哀紀、日本書紀の神功皇后紀に英雄的支配者、神秘的霊威力を示す巫女として記述されており、「記紀」によれば、熊襲を平定するために仲哀天皇に同行して筑紫へいった。天皇が香椎宮で急死すると、皇后は妊娠していたが武内宿弥とともに朝鮮半島の新羅を攻略制圧、百済・高句麗も帰服した。帰国後応仁天皇を産んだ。
その後、大和へ帰り、応神天皇が即位するまで摂政を行い、100才まで生きた。
山車の人形の題材になっている。
ガイダンス→天皇の人形〕
神武天皇 神話上の初代の天皇で、高天原から降臨した瓊々杵尊は曾祖父。うが草葺不合尊と玉依姫との間の第4子。
ガイダンス→天皇の人形〕
七福神 伝統行事・民俗芸能→七福神
寿老人・寿老神
 (じゅろうじん)
伝統行事・民俗芸能→七福神
四 魂
 荒魂・荒御魂
  (あらたま、あらみたま)
 奇魂・奇御魂
  (くしたま、くしみたま)
 幸魂・幸御魂
  (さきたま、さきみたま)
 和魂・和御魂
  (にきたま、にきみたま)
神道において、神の霊魂の働きを固有の性質と機能を持った存在として四つの御魂に分け四魂(しこん)という。
すなわち、霊魂は、荒御魂と和御魂の二つの作用があり、和御魂はさらに幸御魂と奇御魂の作用を持つとされ、これらは互いに補完しあい、またそれぞれが並列な存在であるとされる。
荒魂・荒御魂(あらたま、あらみたま)
 荒く猛き神霊で、和御魂と対で扱われる。荒御魂と和御魂は、普段は一つの神格のなかで統合されているが、ときには両者が分離し、単独に一神格として行動するときもある。
 例えば、神功皇后の三韓の役では、住吉三神の荒御魂は日本軍の先鋒となって先行したが、和御魂は皇后に従って軍船を守護したと伝えられ、山口県下関市の住吉神社は荒御魂を、大阪市の住吉神社は和御魂をそれぞれ祀っている。また奈良県桜井市の大神神社は大己貴神の和御魂を祀り、摂社狭井神社には荒御魂が祀られている。
奇魂・奇御魂(くしたま、くしみたま)
 和魂の一つで、不可思議な力を持つ神霊で、幸御魂と対で扱われ、超自然的な力をもって人間に対し奇端をもたらす奇跡を行い、智・巧・察の作用を持つとされる。
幸魂・幸御魂(さきたま、さきみたま)
 和魂の一つで、人に幸福を与える神の霊魂で、奇魂と対で扱われ、人に幸福を与えるとされ、愛・益・育の作用を持つとされ、運を左右する。
和魂・和御魂(にきたま、にきみたま)
 柔和・精熟などの徳を備えた霊魂。
(出典:神道HP)
地神五代
 (じしんごだい)
地神五代とは神武天皇以前、皇統の祖神とされる五柱の神の時代。 天照大神
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
瓊々杵尊(ににぎのみこと)
彦火火出見尊(ひこほほでのみこと)
鷆蔦草葦木合掌尊(うづやふきあえずのみこと)
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