「だったら勝手にしなさい! もうあんたのことなんか知らないから!!」
 

今更ながらだけど…

あたしって馬鹿だなぁ。

 
 
 
 
 
 
 

 

【BAR children】

臨時休業中

 

 
 
 
 
 

 

ふとその階段が目に入った。

なんでだかわかんないけどその階段を下りてみたくなった。

気付いたらドアの前にいた。

ドアにかかった看板に店の名前が刻んであった。
 
 
 

 

BAR children

 
 

 

…えーと、どっかで聞いた名前ね。

私は記憶を探った。

そうそう確か割と有名なお店だ。予約でいつも一杯で運が良くないと座れないとかなんとか。

あたしはほとんどお酒を飲まない方なのでそんなに興味はなかったけど。

…ま、いいか

お酒を飲むのもいいだろうと思って扉を押す。

ガチャ

…あれ?

押して駄目なら引いてみな。

ガチャガチャ

扉は閉まっていて開かない。

ガチャガチャガチャ

開かないとなると余計入りたくなるけど開かないものは開かない。

…まだ営業時間じゃないのかしら?

そう思って看板を見直す。

でもそこには営業時間は書いていなかった。その代わりにちょっと色あせた貼り紙が貼ってあった。
 

『臨時休業』
 

…なによそれぇ

私はがっくりと肩を落とした。

…ま、お休みなのは仕方ないけどさ

そして諦めて帰ろうと振り返ったところで、

 

「いらっしゃいませ」

 

男の人の声がした。

 

 

 

 

銀色の髪、紅い瞳、白い肌。

ま、いまどきそんなのどうにでもなるけど作り物には見えなかった。

だって全然自然でなにより…とっても綺麗だったんだ。

 

…あ、あの

私が口を開くとその男の人はにっこり笑った。

「ひょっとして待たせてしまったかい?」

…あ、いえ今来たところです。

「そう、それはよかった」

なにあたしデートの待ち合わせみたいな会話をしているんだろう。そう思ったら顔がかーっとなった。でもすぐに昼間のことを思い出してすーっと冷めてしまったけど。

 

「お店を何時から開ければいいのか聞くのを忘れてしまってね」

男の人はそんな私の様子に気付いた風もなく話を進めている。

店の人が休みの間、お店を任されているのだろうか?

「そんなところだよ」

…え!?

どきっとした。まるで考えていることを読まれたような気がして。

「さぁどうぞ」

男の人は扉を開けると私を中へ案内してくれた。

…あれ?

確かに鍵がかかっていたのにいつ開けたんだろう?

そんなことを考えていたら男の人がさっさと中に入ってしまったので私も慌てて追いかけた。
 

お店の中に入ると変則的な店内が目に入った。

こういうお店にはほとんど入ったことがないんだけどそれでもなんだか不思議な作りの店だ。

L字型っていうのかな?

そのLの内側にカウンターがLの字状に配置されている。

きっと内側にはキッチンなどがあるんだろう。

カウンターの前にはテーブルが並んでいる。

それぞれテーブルが2席とカウンター。

たくさんのお酒の瓶がカウンターの後ろの棚に並んでいる。

右隅に置かれた樽はたぶんビール用の樽だろう。

入り口でどうしたものかと悩んでいたけど、

「いらっしゃいませ」

さっきの男の人がそう言った。

 
 
 

男の人はウェイターさんでバーテンさんでマスターさんらしい。ま、臨時だしね。

おしぼりとお水を置くと、

「ごゆっくりどうぞ」

そう言った。

水を一口飲む。

…おいしい

お店の中は寒くならない程度に冷房が利いていて気持ちいい。

ジャズかなんだかわからないBGMが流れていて雰囲気が良かった。

そこではた、と気付く。

さっき入ってきたのになんで空調がちょうどいいんだろう?

BGMくらいならスイッチ一つでどうにかなるだろうけど…

この男の人…面倒だからウェイターさんだ…ウェイターさんが何かしたかのようには見えなかったんだけど。

 

「何にしようか?」

…わっ!

思索にふけっていたので急に話しかけられて驚く私。うーん恥ずかしい。

でもウェイターさんは特に気にした様子もなく微笑んでいる。

うーん、こんなところで働かなくてもモデルとかで食っていけそうな感じだ。

…えーと、なにかカクテル下さい。軽いのを

あんまりお酒なんか飲まない私はそう付け加える。

「わかったよ」

頷くウェイターさん。

言葉遣いは丁寧じゃないけど全然不快じゃない。不思議な人だ。

 

「うーん、勝手に使うと怒るだろうね」

 

なにやら腕を組んで悩んでいる。

ちゃんと種類を選ばなかったのがまずかったかしら。

 

「まぁたぶんリリスよりは惣流さんの方がアバウトだろうし」

 

ちょっと悩んでいたウェイターさんは右側の酒棚からいくつかの瓶を取るとそれをシェイカーに入れてシェイクを始めた。

なんだか一枚絵にしたいくらい様になっている。

出来上がったカクテルがグラスに注がれ私の前に置かれるまであたしはほけーっと見とれていた。

「どうぞ」

…あ、ありがとう。

「ごゆっくり」

そう言うとウェイターさんは、何がそんなに楽しいの?っていうくらいそれはもう楽しそうな顔でグラスを磨き始めた。

 

コクリ

 

…あ、おいしい

 

それはとっても甘くて、おいしかった。

 

「それはどうも」

 

ウェイターさんに聞いてみると普段はやっぱり満員なのだという。カウンター席が数席あくので精一杯だとか。今日は前もって休業ということを知らせてあるのでお客がいないということらしい。

 

…でも、それじゃなんでウェイターさんがいるの?

 

素朴な疑問が口に出る.

臨時休業なのになんで店番がいるのだろう?

そう言ったらウェイターさんは手を止めて答えた。

 

「誰かが来るかも知れないからね」

 

…はぁ。それは来るかも知れないでしょうけど

だから、貼り紙とかしてるんじゃないの?

 

「ちょうど君のようにね」

 

…え?

 

 

ウェイターさんは再びグラスを磨きだすと世間話でもするように言った。

「この店にはね不思議な力があるのさ。ここに来る必要がある人を見つけると自然にここに引き寄せる力がね。ある人はこの店に魔法がかかっていると言っていたよ。…ここだけの話だけどね」

 

あたしは黙って聞いていた。

そしたらウェイターさんがあたしに聞いた。

 

「君はなぜここに来たんだい?」

 

…え?

 

急に笑みを消したウェイターさんに戸惑うあたし。ウェイターさんは、なんというか形容しがたい表情を浮かべている。

 

…なんでって、ただ歩いていたらなんとなく目についてなんとなく階段をおりて…あれ?

 

どこをどう歩いてきたのかまるで覚えていない。

あたしがいつも遊んでいる場所はどちらかというと離れている。

なのにどうしてこんな所に来たんだろう?

あたしどうして?

どうして?

ねぇどうして?

 

ウェイターさんは不思議な表情のまま続ける。

 

「君は僕に何を話したいんだい?」

 

…わ、私は別に、なにも

 

「言ってごらん」

 

 

 

その紅い瞳に見つめられているうち知らず口を開いていた。

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 

『もう、泣いてちゃだめだよ雪ちゃん』

『えぐっえぐっだって葵ちゃん』

『いつまでも泣いてたら置いてっちゃうからね』

『わぁーん!』

『わーうそうそ!』

それは会って間もない頃の記憶。

 

 

『こらーっ!!あんた達、雪をいじめるなー!!』

『わーっ葵が来た!にげろ!!』

『葵ちゃんって強いんだね』

『はぁ、もうあんたって子は』

それは幼い頃の記憶。

 

 

『う゛―っ、雪ぃここ教えて』

『はいはい』

『べんきょーなんか嫌いだ』

『でも私、葵ちゃんと一緒の大学へ行きたいんだけどな』

『うるうる、わたしゃほれなおしたっすよ』

『はいはい』

それはちょっぴり昔の記憶。

 

 

『あのね葵ちゃん』

『えー!?』

『ちょっちょっと葵ちゃん!』

『そっかぁついに雪にも春が来たかー』

『葵ちゃんにはいつ来るのかな?』

『ふっふっふ』

『ご、ごめんなさい葵ちゃん!』

『えーい生意気なぁ!!』

それはほんの少しだけの過去。

 

 

私…なんでこの人にこんなこと話しているんだろう?

そう不思議に思ったけど、止まらなかった。

 

 

昨日、あの子の好きな人を見かけた。

二人連れだった。

腕を組んでべったりして、どう見ても友達とかいうレベルじゃあなかった。

一晩うだうだと悩んでそして今日。

 

 

『葵ちゃん、どうしてそんな嘘言うの』

『え?…ちょ、ちょっと雪!私は本当に見たんだってば!』

『どうして葵ちゃん?』

『だから、嘘じゃないって!』

『どうして私をいじめるの?』

『私は雪をいじめてなんか!』

『聞きたくない!』

『雪!!』

それはほんの数時間前のこと。

 

 

そんでもってあたしは短気を起こしてしまった。

あーあ、あたしどうしたらいいの?

 

 

…?

 

ウェイターさんがカウンターを離れてゆっくりと歩いていく。

ふと気付くと流れていた音楽がいつの間にか止まっていた。

 

…?

 

店の中央には小さなステージの様なものがあった。

ウェイターさんはそこに立つとズボンのポケットに両手を突っ込み目を閉じた。

 

「フンフンフンフンフンフンフンフンフンフンフンフンフーフン」

 

ウェイターさんがハミングを口ずさむ。

リズムはすぐにわかった。第九だ。あの年末とかに流れる奴。

聞いている内になんとなく私も口ずさんでしまう。

メロディーをしばらく聞いていたらハミングが終わった。
 

「歌はいいねぇ。歌は心を潤してくれる。リリンの生み出した文化の極みだよ。そう感じないか?」

ウェイターさんが目を開きこちらを見た。

 

…え、えーと

 

あたしが困っていると、ウェイターさんは薄く笑みを浮かべて再び目を閉じた。両手を広げてすうっと息を吸う。
そして…
 

Freude! Freude! Freude, schoner Gotterfunken, Tochter aus Elysium, wir betreten feuertrunken, Himmlische, dein Heiligtum!」

 

 

驚いた。別にウェイターさんをよく知っているわけじゃないけど、イメージっていうか、そんな風に歌うような人だとは思わなかった。だけどそれが決して変じゃなかった。

 

『そう、好意に値するよ―――好きってことさ』

 

ドイツ語らしい歌詞の意味なんかわからないけど、
 
 

『僕は君に会うために、生まれて来たのかも知れない』

 

こんな私にも歌にこもったなにかが感じられて、
 
 

『ありがとう。君に会えて、うれしかったよ』
 

 

…そして歌は終わった。
 
 
 
 
 

 

ぱちぱちぱちぱち

いつのまにか拍手していた。静かな店内に私の拍手が響く。

ウェイターさんは右手を胸に添えると優雅に一礼した。

 

 

「…今の歌はなんていう名前か知っているかい?」

 

私は小市民らしく第九としか知らなかった。

 

「ベートベン交響曲第九番ニ短調第四楽章、歓喜の歌というんだよ。さしずめ友に会えたこと、友がいること、その喜びを表現する歌というところかな?」

 
 

…あ

大荒れの私の頭の中で何かがひょっこりと顔を出した。
 
 

 

「君ももう歌えるね?」

 

ウェイターさんはさっきと同じように不思議な表情で聞いた。

でも、その言葉の中にとってもとってもたくさんの何かがつまっていて、普通ならそんなことなんかちっともわからない私にもどうしてだかわかって、そして…

 

私は頷いた。

 

「そうかい」

 

そしてウェイターさんは微笑んだ…微笑んでくれた、とてもとても嬉しそうな顔で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たった一人のお客が店を去り扉が閉じられる。

と、店内の照明が一斉に消え、流れていたBGMも消える。程良く冷えていた室内は、瞬時に夏の夜にふさわしい温度に戻った。

暗闇の中にただ声だけが響く。

「…遅いなシンジ君」

その口調はむしろ楽しげですらあった。

 

ピチャン

 

水滴が一滴落ちた。

それを最後に全ての気配が店内から消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よっし!!」

店を出た後、私はあの子の家に押し掛けた。

うだうだ考えるのは私の性に合わない。

んで結果。

二人して謝って二人して泣いて…なんだか馬鹿みたいだ。というかたぶん馬鹿なんだろう、二人とも。

 
 
 
 
 

その後あの子を誘ってあの店にもう一度行ったんだけどもう閉まっていて、今度は何度押しても引いても声はかかってこなかった。

何日かたって近くのお店に行く機会があったんで聞いてみたら店の人たちがそろって海外旅行中とかであのお店はずっと休業中らしい。

人気がある店らしいけど他人の手は借りない主義らしいので留守番を雇ったりはしないらしい。

 

…はて?じゃあのウェイターさんは?

 

余談だけどあの女の人は私の勘違いであの子の意中の彼はフリーらしい。えーい従姉妹だからってべたべたすんな!!

『葵ちゃんて案外早とちりだから』

う゛ーっ。

それでも私はめげずに今日も引っ込み思案のあの子を焚き付ける日々を送っている。

 

 
 

BAR children
 
 
 

 

それがあのお店の名前。

いつ営業再開されるかはわかんないけど、それまでにはあの子の方にケリをつけてお祝いに飲みに行くんだ。

でも、あのウェイターさんって臨時の人だから営業中に行っても会えないんだろうか?どうなんだろ?

 
 
 
 
 
 
 

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