【新世界エヴァンゲリオン】

 

 

<数日後、2−A教室>

 

「というわけで、この解を求めるためにはこの5つの化学式が必要です……」

昼前の教室にマヤの声が響く。

講師として赴任する際、どの科目を担当するかで一悶着あったが(全員、アスカ達のクラスを担当するのだから科目が重なってはならない)、結局、常勤のミサトとマヤはそれぞれ英語と化学を担当することになった。実用性に富んだミサトの英会話とわかりやすいがシビアなマヤの講義はそれなりに好評であった。アスカがとりあえず授業を聞いていると言えばその程度がわかる(当然、つまらない授業は聞かない)。

「じゃ、次の問題を解ける人?」

だが生徒達はぴくりとも動かない。

説明を受けた直後とはいえ問題が難しすぎて見当もつかないのである。

問題に答えてマヤの心証を良くしようと考える男子もいるのだが、マヤは時々とんでもなくハイレベルな問題を出す。もっともマヤにしてみれば常識程度なのかもしれないが。

「誰もいないの? ……じゃ、シンジ君解いてくれる?」

「はい」

シンジが大学を出ているという事実が知れ渡るのは時間の問題だった。

アスカ同様になぜ今更高校に通っているのかと考える輩もいなくもなかったが二人のファンに悉く殲滅された。その話題を口にする度胸のあるものはもはやいない。

問題を誰も解けない時にはアスカを指名するというのが壱高の教師の常であったが、アスカの事が苦手な教師(大半の教師がそうだが)はシンジでも大丈夫という事を知るや否やシンジの指名へと切り換えた。ちなみにマヤは前回アスカを指名したので今回はシンジを当てただけである。

「……」

シンジはすらすらと解答を黒板に書いていく。

他の生徒と同じようにそれを見ていたアスカはふと気づいた。

「……あれ? ねぇシンジ。そこ2番目の解から求めた方がいいんじゃない?」

「え? ……ああ、これはこっちの化学式から算出したほうが早いと思うけど」

「え〜、こっちの方がいいわよ」

アスカは席を立つと黒板の前に行き、化学式の一つを指す。

マヤもうなずき、

「そうね、私もアスカの言う通りだと思うけど?」

「ですけどこちらから求めると……」

あいたスペースにすらすらといくつかの数式を書く。

「でも、ここはこうじゃない」

アスカも同じように化学式を並べる。

「あ、でもシンジ君の式だと、ここがこうなるのね」

一際早くチョークを走らせるマヤ。

「……だから」

「……でも」

「……じゃないかしら?」

そのまま議論に突入する3人。

徐々に問題は拡大し、専門用語が飛び交い始める。もはや化学の問題か数学の問題かもわからない。はっきりいって教卓の向こうの生徒達には異次元の会話である。文句を言うわけにもいかずただ聞いているだけというのも苦痛である。ヒカリはなんとか止める術を模索したが何も思いつかない。

このような事態は昨日今日に始まったことではない。討論は時を選ばず発生し、授業のカリキュラムを崩壊させる。しかも、相手がマヤだからいいようなものの一般教師では対応できない問題に発展することも多々ある。それを救えるのはただ一つ……

キーンコーンカーンコーン

「あ、お昼休みね。じゃあ、この問題は次回までの宿題とします」

『えーっ!?』

「質問は許可しますから頑張ってね」

にっこりと罪な笑顔を浮かべるマヤ。

教師としての彼女に妥協という文字は存在しない。

「起立、礼、着席」

ヒカリが仕事を終えると、マヤは教室を出ていった。

シンジとアスカは意見を交わしながら席に帰る。

「やっと終わりおった」

「あの3人が話し出すと大変だからね」

トウジとケンスケがふーっと息を吐く。さすがにヒカリも同感なので何も言わない。

「とほほ。私、ネルフなんかに就職してやっていけるのかしら」

マナも机に突っ伏している。

「ご愁傷様です」

マユミが引きつった笑いを浮かべる。

「さぁお昼ご飯にしようか♪」

例によって1人だけまったくこたえていない人物が言った。

「「渚…………」」

男二人が剣呑な視線を向けるが、カヲルは全く意に介さずケンスケを立たせて購買へパンを買いに行く。

ちなみに女性陣は弁当。シンジとトウジはそれぞれアスカとヒカリの弁当である。

 

「でも、さっきのはやっぱりマヤの言うとおりじゃない?」

アスカは卵焼きを箸でつまんだまま先刻の問題について言った。

「ちょっとアスカ。ご飯の時ぐらいそう言う話は勘弁してよ」

マナが箸をとめて訴えた。シンジとカヲルを除く全員がうんうんとうなずく。

口を開き駆けたシンジもマナ、トウジ、ケンスケの殺気のこもった視線に口をつぐむ。

「それで、今日もなのか、4人は?」

ケンスケが話題を変えた。シンジ達パイロットはテストがあるのかということだ。

「うん、そうなんだ」

「昨日、シンクロテストをしたばっかりなのにね」

「委員長、堪忍な。今日は付き合う言うとったのに」

「ううん。いいのよ、気にしないで」

「すまん。この埋め合わせはきっとするよって」

ヒカリに向かって手を合わせるトウジ。このカップルもそれなりに大変らしい。

「私はいいのかしら?」

マナが尋ねる。

昨日のシンクロテストはいつも通り手伝い……といっても見学だが……に行っていた。

「今日はシミュレーションって言ってたからね」

「ま、いくらマナでも見習いの内はそうそう機密事項を見せてもらえないわよ。何たって重要機密の固まりだもんね。ネルフって」

「それはいいんだけど……たぶん見てもわかんないし」

実際、そういう所もある。昨日マナが見学を許可してもらった内容も相当な機密情報であるのだが、許可が出ているのにはそういう理由もある。

「いいなぁ俺も見たいよ」

ケンスケが羨望の眼差しを向ける。

「だったら猛勉強してネルフに採用してもらうのね。ま、絶対! 無理だと思うけど」

「ぐ、否定できない」

「……ネルフなんか入らない方がいいよ。危険だし……」

ぼそりと言ったシンジの呟きにみんなの手が止まる。

気づいたシンジは慌てて取り繕う。

「あ、ごめん。そんな深い意味はないんだ。その、ネルフも一種の軍隊みたいなもんだし」

トウジもあわせる。

「それなら余計や。ケンスケの将来はどうあがいたって軍人やさかいな」

「それもそうだね」

「やろ?」

トウジとシンジが笑うと一同もぎこちなく笑い、場に明るい雰囲気が戻ってくる。

(……妙なところで気が回るのよね。普段はシンジと似たり寄ったりの鈍感馬鹿のくせに)

そんなことに気づけるようになったアスカ。

自分の親友がなんでこんな熱血バカを好きなのか最近はわかってきていた。例えば、エヴァのパイロットを引き受けたのだって自分やシンジをこれ以上戦わせないためだ。それがどれだけつらいことか少しだが知っているから。

「……でも、さっきの問題解けるでしょうか?」

ぼそりとマユミが言った。

「「え、簡単だろ(でしょ)?」」

シンジとアスカが同時に言った。

「お前らと一緒にすんな!」

トウジが机を叩いて言った。

「まだ、霧島はいいよ。見当ぐらいはつくだろ?」

「う……ま、まあね」

困り切った一同の視線はいつものごとく二人に向かう。

視線の内容に気付き後ずさる二人。

「「だ、だからいつも言ってるけど、まず、どこがわからないのかわからないし……」」

いつものように完璧なユニゾンで答える二人。

実のところ二人はマヤを含む教師陣からあまり教えすぎないようにと釘を刺されている。

単純に答えだけを教えれば、それは瞬く間に全クラスにコピーされることは目に見えている。となると二人は答えを簡単に教えず解法を理解させながら教えるという教師まがいの事をしなければならない。無論、二人とも教師をするぐらいの学力はあるのだがそんな事をするために学校に来ているわけではない。

「シンジ、わいらは親友、いや、共に戦う戦友やろ?」

「ト、トウジ……」

「アスカ、あたしたちだって親友よね?」

たとえヒカリであってもなりふり構っていられないときはある。

「あ、あはは」

このあと、めいめい泣き落とし、脅迫、買収等々の攻勢が行われるのだ。

それをクラスの全員が期待を込めて見守っている。

もっとも何にでも例外はいるもので、

「曇ってきたね。雨が降るのかな?」

コーヒー牛乳のパックをおくとカヲルは空を見上げた。

 

 

<ミサトの部屋>

 

日向達作戦部員が打ち合わせを終えて出ていくとミサトは机に突っ伏した。

「ふあわわわ〜」

豪快に口を開けて欠伸をする。

その後、アスカの作った弁当とお茶の入った水筒、そしてノートパソコンを抱えて部屋を出ていった。

 

 

<展望ラウンジ>

 

大きな窓から光が注いでいた。たとえ、人工のものであっても窓の外に広がる景色は心を和ませてくれる。弁当を食べてお茶を飲み終えたミサトはその一番窓際の列のテーブルに座ってキーを叩いていた。その目は作戦中の様に真剣であり近寄りがたいオーラを出していた。もっとも何に対しても遠慮しない人物もいる。

「よっ、邪魔していいか?」

顔を上げると加持がコーヒーを入れたカップを手に立っていた。

そのまま返事も待たずに向かいに座る。

「何さぼってんのよ、仕事は?」

「昼飯の後の休憩、葛城と同じさ」

「あ、そ」

顔をゆるめるミサト。

「で、真剣な顔して何を書いてるんだ?」

「ん〜。ちょっち、ね」

ごまかすミサト。

「サードインパクトの記録でしょ」

リツコが口を挟み、両手に持ったカップの一つをミサトの前に置く。

「あれ、レイちゃんは?」

「お昼寝の時間よ」

「寝る子は育つって言うものね」

そういってコーヒーを飲む3人。

カップを置くと加持が尋ねた。

「……サードインパクトの記録をつけてるのか?」

「ん? うん。まぁ正確にはセカンドインパクトから一連の内容だけど……」

「当然、公開情報とは違うわね」

ネルフがサードインパクト後に発表した内容は多分に嘘が混じっている。

「ま、公表するつもりもないし、手記みたいなものね。

 ……正直言えば父のかわりに書いているってとこかな」

素直に本心を言うミサト。

「葛城博士か、確かに生きていたらセカンドインパクトを克明に記したでしょうね。

 ……あの人が昔言ってたわ。葛城博士が生きていたら彼がネルフの総司令になったかも知れないって」

「ほぅ」

「へぇ。ま、でも碇司令で良かったんじゃない? あんなひどい親父他にはなかなか……あ、ごめん」

「あらいいのよ。事実ひどい人だもの」

夫の悪口を言われても平然としているリツコ。

「構わないから好きなだけ悪口を書いておいて、MAGIにもインプットしておくから」

 

 

 

 

 

 

【第九話 カタチある記憶】