<発令所>
「はい」
「サンキュ」
リツコが差し出したカップを受け取るミサト。
心地よい刺激が舌を打ち脳を活性化させる。
「相変わらずリツコの入れるコーヒーは最高ね」
「ありがとう」
二人の正面にはメインスクリーン。いまだそこには何も表示されない。
発令所の面々も徐々に緊張の度合いを深めている。だからこそ二人は表面だけでも落ち着いていなければならない。指揮官とはそういうものだ。ゲンドウと冬月が無言で司令塔にいる、ただそれだけのことがどれほど安心させてくれることだったかを改めて認識するミサト。その二人は今はいない。各方面との折衝があるのも本当だろうが、この最重要な局面を二人抜きで乗り切らせようというのが狙いだろう。その結果は今後のネルフのあり方を決めることにもなる。
(…もし、今あそこにシンジくんが座っていたら?)
そんな仮定を思い浮かべるミサト。
「…シンジくんならきっと二人とは別の安心感をもらえるわね」
同じことを考えていたのだろう、リツコが囁く。
「ふふ、そうね。でも今はまだあそこにいてくれた方がよっぽど心強いんだけど」
そういってサブスクリーン上のケイジを見る。待機中の3体のエヴァと改修途中の七号機が映っている。
「まあ無いものねだりはやめましょう。いつまでも誰かに頼ってるようじゃあたしたちも偉そうなこと言えないわ。
…ところで雨が強くなってきたけどあれは大丈夫?」
「あら技術部を甘く見ないでほしいわね。前は誰かさんに無茶を言われて半日で造ったのよ。これだけ時間があれば改良もばっちりよ」
「そ、期待してるわ。一発撃てれば十分だし…」
『どう、鈴原君?』
「はぁ、動かんでええと言われると余計動きたくなるんですけど…」
エントリープラグ内のトウジは居心地が悪そうにマヤに言った。
『拘束具があるから多少は動いても平気だけど壊さないでね』
「はぁ、気ぃつけます」
トウジは七号機のプラグ内にいた。
見渡す限り七号機には途方もない数のケーブル、コードがつながれている。
しかもご丁寧に『高圧電流注意』の立て看板があちこちにおかれている。
すさまじい高圧の電気でもって動いているエヴァのケイジにおいて今更ではあるのだがこういう遊び心があるあたりネルフが純粋な軍隊でないことを感じることができる。
『どうだい気分は?』
八号機のカヲルから通信が入る。
「渚か、なんややな感じやで。落ち着かへんわ、まったく…そういや惣流は?」
『彼女は今休憩中だよ。シャワーでも浴びて寝てるんじゃないかな』
「えーなぁ、わしも風呂入りたいわ」
『ま、気持ちは分かるが葛城一佐の御推薦だからね。諦めるんだね』
「とほほ」
アスカは更衣室の簡易ベッドに横たわっていた。可能な限り体を休めておくのもパイロットの勤めだ。わかっているからおとなしくしている。
とはいえ天井をただ眺めているのも暇だ。
髪を一房持ち上げた。
(…そろそろ切らなくちゃいけないかな?)
結構な長さになってきた髪を見る。
「………」
指輪を目の前に持ち上げる。
(…紐の代わりにあたしの髪で…)
「!!」
ネルフ本部に警報が鳴り響いた。
<発令所>
『UN空軍偵察部隊より入電! 敵輸送機の離陸を確認!!』
「監視部隊からの映像入ります」
青葉の報告にあわせてスクリーンに輸送機で輸送される白い巨人の姿が映し出される。
「波長パターン赤。目標をエヴァンゲリオン量産型と確認。以後、目標をエヴァ拾号機から拾参号機と呼称します」
ワイヤフレームの地図にbP0〜13の表示が出る。
「…ミサト」
リツコにうなずいて答えるとミサトは命令を発した。
「総員第一種戦闘配置!!」
『了解。総員第一種戦闘配置! 地対空及び地対地戦用意!』
日向の復唱で本部中にサイレンが鳴り響きMAGIの放送が流れる。
「戦略自衛隊に通達。現時刻を以て警戒態勢から臨戦態勢に移行。
UN空軍並びに国連太平洋艦隊に作戦開始を通達。予定通り北極上空にて敵を捕捉」
ミサトの指示のもと各部隊に命令が発せられていく。無論ミサトは遠慮はしない。ネルフの権限のもと使えるものは何でも使う。
<北極圏上空>
「ブラボーリーダーより各機へ」
UN空軍の隊長機から各機へ作戦内容の確認と指示が通達される。
「…白熊共をたたき落とす。終わったらさっさとトンズラするから遅れるな」
『了解!!』
「攻撃開始!」
敵エヴァンゲリオンを輸送する大型輸送機4機。
エヴァンゲリオンに対して通常兵器で攻撃を仕掛けるような馬鹿はいない。
その考えはあながち間違いとも言い切れない。だがその固定観念があったため対応が遅れることとなった。もっともそうでなくても所詮は輸送機、戦闘機の群から逃げられるはずもない。しかも、戦闘機の数は軽く100機を越え、その翼を離れた空対空ミサイルの総数は500発を越えていた。
「UN空軍の攻撃が行われました」
「戦果は?」
「輸送機全機撃墜。敵エヴァもATフィールドの展開が遅れたため、軽微ながらも損傷を与えた模様です」
オペレータの声にも若干うれしさが混じっている。だがミサトは冷静だった。
「…贅沢は言わないわ。少しの間だけじっとしててくれれば十分よ」
ミサイルの一斉発射を終えた戦闘機部隊はさっさとその場から逃げ去った。どだい起動したエヴァの敵ではないし、ミサトの狙いはあくまで足止めである。一機の損害もなく彼らはそれぞれの基地へ帰り着けた。
エントリープラグ内のカヲルの表情が険しくなる。彼の人生において数えるほどしか出したことのない表情だ。
「…違う? どういうことだ、これは」
焦りとも言える表情を浮かべるカヲル。プラグ内には刻一刻と状況の推移が伝えられる。だが、カヲルはその一切を無視した。
しばしの時間を置いて結論が導き出される。
「そうか、そういうことか…」
急ぎカヲルはリツコ宛に秘匿回線で報告を送った。
「…なるほどそういうこと」
カヲルの報告を受け取ったリツコは納得がいったという風に頷いた。
カヲルの提案にそって指示を出す一方、MAGIにカヲルの推測を分析させる。
すぐに返ってきた回答はカヲルの推論を支持していた、
「………」
無言のままミサトが視線で尋ねる。
「後で話すわ。…いろいろと謎が解けてきたみたいよ」
そう言うとリツコは微かに唇の端を持ち上げた。
「ひとまずは葛城さんの予想通りですね」
日向が状況を確認しつつ言った。
敵エヴァは旧北極の大地の上で立ち往生している。ダミープラグといえど命令がなければ動けない。ダミープラグに何度も複雑な命令を出せないのは今に始まったことではない。もともと第三新東京市近くでエントリープラグを挿入し命令を発するつもりだったのだろう。UN空軍の奇襲にエントリープラグの挿入が間に合っただけでもマシと言うものだ。無論ここでプラグごと破壊できればミサト達の苦労も減るのだがミサトはそこまで幸運を当てにしていなかった。
(…幸運は後でまだまだ必要なのよ)
「…以前と同じ状況なんて何一つないのに考え無しね」
リツコが辛辣に敵を批判する。『無様ね』と今にも口に出しそうだ。
「………」
ミサトは無言で太平洋艦隊及び旧北極海周辺の国連軍基地の報告を見ている。
「太平洋艦隊及び各基地の準備整いました!」
青葉の報告にマヤの報告がかぶる。
「敵エヴァ各機主翼を展開! 離陸する模様です!」
ミサトは静かに言った。
「発射」
かつて弐号機と第六使徒ガギエルとの戦いでぼろぼろになった空母オーバー・ザ・レインボー。
そのときも無事だった艦橋で太平洋艦隊司令官はパイプを吹かしていた。
「…ふ、やりおるわ。さすがはあの女指揮官か」
つぶやきは副長の報告にかき消された。
「発射命令を確認!!」
「目標に向け全弾発射!!」
艦長はパイプを置くと叫んだ。
彼の乗る空母から、巡洋艦から、太平洋艦隊にあるありとあらゆるミサイル搭載艦から煙を噴きつつ弾道弾が空に上っていった。
(…ここまでが命令。そしてここからはこちらの独断だ。)
「進路変更!! 全艦最大戦速!! 新横須賀に進路をとれ!!」
太平洋艦隊は黒雲立ちこめる日本へと舳先を向けた。
スクリーン上で旧東京の太平洋艦隊及び北極海周辺の国連軍基地からいくつもの軌跡が北極に向かって飛んでいく。その軌跡の集束点に向かって敵エヴァンゲリオンを表すマーカが接近していく。
「着弾まで残り2分15秒」
「MAGIによる軌道修正問題なし」
ミサトはただ報告を聞くだけだ。リツコは飲みかけのコーヒーの入ったマグカップを置くとつぶやいた。
「久しぶりに地図を書き換えないといけないわね」
N2弾頭を搭載した86発の弾道弾はほぼ同時に北極に到達した。
着弾点は敵エヴァンゲリオン4機の現在位置。
すさまじい閃光と衝撃波が北極の大地を震撼させた。
「目標は?」
ミサトは冷静に確認した。
「…駄目です。まだ確認できません」
「急いで」
「はっ!」
「葛城一佐!」
日向が手元のモニターを示す。
そこには太平洋艦隊の現在位置と予想進路が表示されていた。
「………しょうのない人達ね〜」
戦闘開始以来初めてミサトの顔に笑みが浮かぶ。それを見てほっとする日向。
「帰れって言ったって聞かないでしょうからMAGIに誘導させて。支援砲台代わりにこきつかってあげるわ」
「わかりました」
「目標を再度確認!!」
「映像を主モニターに回します!」
「分析急いで!」
「はい!」
ミサトは再び冷静な軍人の顔に戻った。
リツコが簡潔に報告を入れる。
「伍号機、七号機、八号機エントリー完了。いつでもいけるわ」
「………わかったわ」
<二子山仮設砲台>
大粒の雨が降り続く山の頂上。
すでに雨が川となって流れ出している。
かつて第5使徒ラミエルを撃破すべく初号機と零号機がここに立った。
今、ここに再びエヴァが立つ。
戦自研試作型陽電子砲野戦式改…実際は改がもう一つつくが紛らわしいので使われない。手っ取り早くポジトロンスナイパーライフル改とも呼ばれる。
元の部分はともかく今回の設計は全てネルフなので改を取ることもある。
何はともあれかつての電源設備が今度はネルフ本部に向かって設置されている。
電源は七号機。そう、改修中のエヴァ七号機である。起動した七号機のS2機関から絞り出せるだけのエネルギーを取り出して陽電子砲に充填、発射する。
射手はカヲルの乗るエヴァ八号機。アスカの伍号機は第三新東京市で待機している。
<発令所>
「ま、ミサトらしいといえばミサトらしいわね」
リツコが準備を監督しながら言った。
いつもなら『何が〜?』と答えが返ってくるのだがミサトは無言だ。
仕方がないのでリツコも黙り込む。
(…使えない七号機を発電所代わりにして陽電子砲を使うなんてね。)
ミサトならではの発想の転換だ。
「分析でました!」
「………」
「拾号機並びに拾弐号機の損害は軽微。活動に支障はありません。この二機が先行して接近中。次に拾壱号機、構成部位の5〜10%の消去に成功。自己修復がある程度終了したためたった今移動を開始しました。本所到着時には修復を終えていると思われます」
「拾参号機は?」
「構成物質の20%前後の消去に成功、現在自己修復中。移動開始には最低でも数時間は要するかと」
「…ミサト」
無言のミサトを見やるリツコ。
「…とりあえず敵の分断には成功したわね。
超長距離射撃用意、目標エヴァ拾号機!」
<八号機プラグ内>
「いや、リリンの発想には兜を脱がざるを得ないね」
つぶやくカヲル。
エヴァを打ち続ける雨の感触が肌を打つ小雨程度に感じられる。
どうやらどしゃぶりになったようだ。
『射撃用意!』
八号機の周辺で作業していた雨合羽姿の作業員達が散っていく。
『撃鉄起こせ!』
ガコン
『照準合わせ!』
カヲルの顔に狙撃用のサイトが降りてくる。
「目標の移動速度そのまま」
「高度5千メートルを維持」
「周辺海域に問題なし」
サイト内で三つのサークルが一つになる。
「照準よし」
『撃てぇ!!』
ミサトの号令でカヲルは引き金を引いた。
ドキューン!!
轟音と共に放たれた光線が黒雲を貫き標的に向かう。
パリィィィィーン!!
ガラスが割れるような音と共にATフィールドを撃ち抜いた陽電子はそのままエヴァ拾号機を貫き空を駆け抜ける。
一瞬の後、エヴァ拾号機は爆発、四散して消えた。