それはいつもの様にレイの他愛も無い質問から始まった。
 
 

 
 
 
 

 

聖バレンタイン・デー

 

 
 
 
 
 
 
 

「アスカ、何をしてるの?」

「何って……見てわかんない?」

コクン

アスカが台所で料理道具を広げて作業していた。

現在時刻午後1時31分。

「食事は終わってるでしょう?」

「ええ、碇君の作ってくれたお昼ご飯……おいしかった」

「そうそうあのハンバーグが絶品なのよ、あんたももうちょっと肉に慣れたらねぇ……って違うでしょ!」

赤い顔で反論するアスカ。

アスカはずっと食べている分、私よりも碇君の料理をよく知っている。

……ちょっと悔しい。

でも、引っ越してからは当番制を守っているので回数は減った。

もっとも私もアスカも朝は弱いので朝ご飯だけは毎日碇君が作ってもらっている。

この部屋はアスカと私の二人暮らし。碇君は隣の部屋だ。

……ちょっと残念。

「あのね、監督役のミサトもいなくなったのに年頃の男女が一緒に暮らせるわけないでしょ」

そうアスカは言っていたけど、アスカが一番嫌だったはず。

碇君は優しいから今でもたまにアスカを起こしにやってくる。

私も特別つらいときには起こしてもらっている。

……幸せ。

 

「ちょっと何赤くなってるのよ?」

「……ごめんなさい。少し考え事をしていたの」

「ま、いいわ。どうせあんたのことだから知らないでしょうけど今度の日曜日は2月14日なの」

「2月14日?」

「そう。この日を世間では一般にバレンタインデーというのよ!」

ビシッとカレンダーを指さすアスカ。

私は記憶をたどった。

「……聖バレンタイン・デー。日本のお菓子業界が共謀して創ったお祭りの日。同時に日本男性の多くにとって悲しい日」

「……なによその……間違ってはいないけどなんだか物悲しい説明は?」

「? ……赤木博士に以前教えてもらったの。違っていた?」

「…………ま、いいわ。いいレイ? 良く聞きなさい。正しくは女の子が好きな男の子にチョコをあげる日よ。もっとも日頃世話になってる奴とか友達とかにあげたりもするけどこれは義理チョコって言って別。好きな人にあげるのは本命チョコ。わかった?」

「……要するにチョコを作っているのね?」

「ま、手作りのチョコってことね」

アスカは料理が上手。

以前は碇君に任せっきりだったが別々に住むことになり練習を始めたところすぐに上手になった。

「ま、天才のあたしにかかれば当然よね」

とアスカは言っていたけど、

「見取り稽古って言ってね。上手な人がやっているのを見てると上達するものなのよ。アスカはいっつも誰かさんが料理をしているのを見ていたからね〜」

と葛城……加持三佐が言っていた。

私も練習しようとしたのだが包丁で指を切りそうになってATフィールドを張ったら大騒ぎになり、それ以来アスカからは当分見ているだけにしなさいと言われている。

「……手作り?」

「ま、市販のチョコでもいいんだけど。やっぱりあたしとしては自分の技量を世に知らしめないとね」

「……碇君?」

「!?」

アスカが一瞬で真っ赤になる。

「な、な、な、何を言っているのよ!!」

「……バレンタインデー。好きな男性にチョコをあげる日。アスカがチョコを作っている。アスカがチョコをあげる。アスカの好きな人に。アスカの好きな人は碇君。何か違った?」

真っ赤な瞳がアスカを見つめる。

別に本人にそのつもりはないのだが迫力がある。

「こ、これは、そ、そうよ、義理よ義理、いつもあいつには世話に……」

「……碇君が好きじゃないの?」

「そ、それは……」

「……好きじゃないのね?」

「いや、あ、あのねレイ……」

「……どうなの?」

「はぁ……あんたには負けたわ……」

アスカはがっくりと肩を落とした。

……ちょっと嬉しい。

いつもアスカには負けてばかりいるから。

 

「じゃ、あんたも作る?」

「……え?」

「だーかーら、あんたもチョコを作るかって聞いてるの!?」

「……なぜ?」

「そんなもんシンジにあげるからに決まってるでしょ!」

「……私が、碇君に?」

「そ!」

「……なぜ?」

ドンガラガッシャン!

最近、アスカのリアクションが激しくなってきた。

なんだか加持三佐に似ている。

でも、この前そう言ったらアスカに怒られた。
 

「あ、あんたって奴は……」

……ちょっと怖い。

「相変わらず頭の配線が何本か切れてるみたいだからはっきり言ったげるわ!」

「ええ、お願いアスカ」

気遣ってくれている、やっぱりアスカは……碇君の次くらいに……優しい。

「……そう言われるとちょっと困るわね」

「?」

「えーこほん。レイ、あんたはシンジのことをどう思っているんだったっけ?」

何度か聞かれたことのある質問だ。

「?

 ……碇君のそばにいると落ち着く

 ……碇君のそばにいると心が温かくなる

 ……碇君と離れるとさびしくなる

 ……碇君と離れると悲しくなる

 ……だから碇君と一つになりたい」

「……あ、あいかわらず最後が過激ね。で、そういうのをなんていうのか教えたわよね」

私はうなずいた。

「……私は碇君が好き…………なるほど、そういうことね」

私はやっと合点が言った。

「ま、あたしもシンジがす、す、好きな以上あんたは恋敵になる訳だけど、何も知らないあんたにフェアじゃないものね。チョコの作り方くらい教えたげるわ」

碇君のためにチョコを作る。

……ちょっと嬉しい

碇君が私の作ったチョコを食べてくれる。

……とても嬉しい

そこでふと気づく。

ちらり

アスカは落としたボールとかを片づけている。

アスカも碇君にチョコを作る。

…………。

碇君がアスカの作ったチョコを食べる。

…………。

アスカも碇君も幸せ。だからそれはいいこと。だけどなんだか変。心が痛い。

「どうかした?」

きょとんとした顔でアスカが聞いた。

 

「「それを嫉妬って言うのよ!!」」

加持三佐とアスカが声をそろえて叫んでいたのを思い出す。

そうこれは……嫉妬。

 

「……ごめんなさい。アスカの作ったチョコを碇君が食べると思ったら嫉妬してしまったの」

しばらくアスカは呆気に取られた顔をしていた。

「はぁ……あんたと一緒にいると飽きないわ」

「?」

「あのね、そんなことでいちいち気にしてたら身が持たないわよ。あたしだって嫉妬ぐらいするわよ。あんたとシンジがべたべたしてたり、あんたとシンジが一緒に寝てたりしたらね」

「……アスカもそうなの?」

「当たり前でしょ!」

「……ごめんなさい」

怒鳴られたので私は謝った。

だけどなぜかアスカは余計怒ったようだった。

「あ〜もーっ!! どうしてあんたはそーなのよっ!! そーいうところはほんっとシンジにそっくりね!!」
 

アスカは私のことを知っている。私が何であるかを知っている。

でも、ここで『だって私は碇君のお母さんの……』とか言ってはいけない。

碇君を叩く時の平手は適度に加減されているのだけど、怒った時の平手は本当に痛い。

 

「自分は人間じゃないとかそーいうつまんない事言ったら張っ倒すわよ!」

一緒に住むときアスカが言ってくれた言葉。

私はなぜか涙を流した。

アスカが抱き寄せてくれて碇君の笑顔を見たとき自分が嬉しいのだと、嬉しいから涙を流しているのだと知った。

ちなみに、アスカは言葉通りに実行した。

学校で1回、本部で2回、家で3回。その後何度も謝って許してもらえるまで一言も口を聞いてくれなかった。悲しかった。まるで碇君に避けられたときの様に。

 

 

「じゃ、こうしましょう」

「?」

「あんたとあたしの二人で一つのチョコを作るの。そうすればあんたはあたしにあたしはあんたに嫉妬しなくていいでしょ?」

「…………」

「どう?」

「……アスカって頭がいいのね」

本当にそう思った。

私ではきっと思い付けない。

「当然よ!」

そう言って胸を張ったアスカだったけど床の上に一つ残っていたボールで足を滑らせた。

ドンガラガッシャーン
 

……やっぱりアスカって加持三佐にそっくり。

 

「ところでどんなチョコにする?」

「……?」

「……普通に聞いた私が馬鹿だったわ。えーと……」

新聞の広告を持ってくるアスカ。

チョコがたくさん載っている。

「この中だったらどれがいい?」

「…………」

自然に指が一つのチョコを差した。

「ふーん。じゃ、こいつでいきましょ」

アスカは特に異論も無いのか賛成してくれた。

 

 

というわけでアスカの指示に従って私が作業するという形で作業が始まった。

「そうそう、まずはチョコを溶かして……」

型を作ってアルミホイルをうめる。

「……あんたって普段不器用なくせに妙なところで器用ねぇ」

何も道具も使わずに型の曲線を綺麗に仕上げたらアスカが誉めてくれた。

……嬉しい。

「で、流し込んで冷やすと……ま、溶かして型に入れて冷やす。シンプルな形ならたいして難しいこと無いでしょ?」

そう言いながらアスカは小さな鍋を取り出して白いチョコを溶かしだした。

私は冷蔵庫にチョコをしまった後で尋ねた。

「……何をしてるのアスカ?」

「ホワイトチョコを溶かしてるの」

「……でもチョコは……」

「甘い甘い。あのまんま渡したんじゃバカシンジには手作りかどうかわからないでしょ? だから一目で手作りとわかるようにするのよ」

よくわからない。けど、アスカはわかっているらしいからいい。

『いいレイ? 人間は助け合って生きていくのよ。だからあたしとあんたは同じ事ができなくてもいいの。あんたにできないことはあたしがするし、まぁまずないとは思うけどあたしができないことがあればあんたがやってくれればいいの』

引っ越す前に加持三佐も碇君も言葉はちがうけど同じ様なことを言ってくれた。

家族だからな、お互いに考えていることが似てくるのさ、と加持一尉が言っていた。

家族……私とアスカは一緒に暮らしている。けど、ちゃんと家族になれている?

「あんたまた暗いこと考えてるでしょ?」

気づくとアスカの顔が目の前にあった。片手に湯気を上げる鍋をもっている。

「……どうしてわかったの?」

「シンジがつまんない事で悩んでるときと同じ顔してたからよ」

「……アスカって碇君のことをよくわかっているのね」

「……その後、でも私はなんとかかんとかって続けたらご飯抜きね」

「…………」

「確かにあたしはシンジのことであんたにはわかんないことがわかる。でも、あんたの方があたしにわかんないことを気づく方が多かったわよ。ま、あんたの場合、単にシンジしか目に映ってなかったからだろうけど」

「……何を言うのよ」

「お、赤くなっちゃって。やーねレイったらこの位で照れちゃって」

アスカがにやにやと笑う。

「……やっぱりアスカって加持三佐にそっくり」

「ぬぁんですってぇ〜!?」

アスカが腕を振り上げた。

溶けたチョコとお湯の入った鍋をもったまま。

「あ……」

そこでアスカも気づいた様だ。

 

ATフィールド展開

 

この後、本部からの緊急連絡、使用にいたる経過の報告書、無断使用に対する始末書、赤木博士か加持三佐からの訓告処分が待っている。
 

でも、アスカがやけどをすることに比べたら平気。

だって私たちは家族だから。

 
 
 

 

事細かに書いた報告書を読んだ加持三佐は、何故か大声でお腹を抱えて笑い出し、私はすぐに帰してもらえた。
 
 

 

家に帰ると日が暮れていた。

隣の部屋には明かりがついていない。

碇司令の家に行く日?

ガチャン

家に入った。

「……ただいま」

たとえ深夜であってもちゃんと言わないとアスカに放り出される。

そうなったら何とか碇君にアスカの機嫌を直してもらわないと一晩中家に入れてもらえない。

「おかえり」

顔を上げると玄関にアスカが立っていた。
 

「……アス」

言いかけた私をアスカが遮る。

「ストップ!! ……ついてきなさい」

 

アスカは台所に私を連れていった。

テーブルの上に小さな箱があった。そばにきれいな包装紙とリボンが置いてあるからこれから包装するのだろう。アスカは箱の蓋に手をかけると言った。

「さ、あんたとあたしの合作よ。よっく目を見開いてごらんなさい」

そう言って蓋を開けた。

 

中にはハート型のチョコレート。

その上にホワイトチョコでこう書いてあった。
 

WE LOVE YOU!

REI&ASUKA

 

「ま、シンジなんかにあげるのはもったいないわね……って、ちょっと!」

「……ごめんなさ……アスカ……なんだ……急に……」

私は静かに涙を流した。

でも心は不思議と暖かかった。

「ふぅ……ま、いいわ。晩御飯にするから気が済んだら着替えてきなさい」

コクリ

 

TVを見ながら、あまったチョコを食べた。

苦いの、甘いの、味がしないの。

でも、それぞれちょっとずつ使っている。

私はアスカの指示に従っただけ。やっぱりアスカってすごい。
 

「……ねぇレイ」

「なに?」

「……あんた今日ATフィールドで助けてくれたでしょ」

「ええ」

「……あの時さ、私を突き飛ばそうとか近くにあったお盆……いいわ、何でもない忘れて」

アスカはTVに視線を戻した。

「……私はアスカの身に危険が迫ったら全力でそれを排除する」

「……どうして?」

「アスカだったら?」

「……そうねぇ、あんたは恋敵だけどたぶん同じように助けるかな」

「……どうして?」

「あんたバカ? あんたがあたしの家族だからに決まってんでしょ!」

「……ありがとうアスカ」

「……ううん。あたしこそありがとうレイ」

 

私たちはそのまま二人でリビングで寝てしまった。

でも、翌朝起こしに来てくれた碇君はなんだかうれしそうな顔をしていた。
 
 

 

「そうそうシンジ」

朝食が終わった後で今思い出したと言わんばかりにアスカが言った。

……アスカ、わざとらしい

でも、碇君も気づかない。いえ、たぶん気づかない振りをしているのね。

「何?」

「ふふーん。今日って何の日か知ってる?」

「今日? えーと2月14日……あっ」

撤回……本当に忘れていたらしい。

「ま、どうせ誰にもチョコなんてもらえないだろうから恵んであげるわ。そのかわり今日は一日中あたしたちと家に居るのよ!」

……今日はシンジを外に出しちゃ駄目よ。シンジが危険だから!

そうアスカが言っていた。特に学校、ネルフ本部付近が危険だそうだ。

碇君は私が守る……訂正……碇君は私たちが守る。

「じゃ、手を出しなさい」

碇君が素直に手を出すとアスカがチョコの入った箱を出し……かけてやめた。

アスカが私を見る。

「……何、アスカ?」

「あんたバカ? 決まってるでしょ!」

そう言ってアスカは私の手を引っ張ってチョコの箱を持たせた。

そのまま二人でチョコの入った箱を碇君に手渡す。

「あ、ありがとう。アスカ、綾波。義理でもうれしいよ……」

「……義理じゃない。本命、碇君」

「え!?」

「ちょ、ちょっとレイ何言ってんのよ!?」

「? でもアスカ、好きな男性にあげるのが本命……」

「だからそれは!」

「でも、チョコに……」

碇君がするするとリボンをほどいて箱をあける。

中を見て数秒。

「ありがとうアスカ、綾波。本当に嬉しいよ」

ちょっと赤くなって碇君が言った。

「そ、そうでしょう。ま、まぁ当然よね」

アスカは真っ赤。私ほどじゃないけどもともと肌が白いからよくわかる。

「? アスカ真っ赤、どうしたの?」

「あんたって奴はぁーっ!!」

「わぁストップアスカ!!」

碇君がアスカを懸命に取り押さえているのをきょとんと見ている私。

なにげない光景。

一緒に暮らすようになってからはありふれた光景。

でも、心が温かくなる。

私は自然に笑っていた。

するとアスカも碇君も騒ぐのをやめて微笑んでくれた。

 

いつまでこうしていられるかはわからない。

いつまでこの微笑みを見ていられるかわからない。

でも、これが私の守りたいもの。

私のかけがえのない家族。

 

 

 

おしまい

 
 
 

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