オンガク

僕が初めて彼の絵を見たのは小学校のときだった。
2つ下の学年にすごい絵を描く子がいるってみんながウワサしてて、どんな絵なんだろうってイロイロ想像した。
図工室の後ろの壁に彼の絵が飾ってあると聞いて僕は真っ先に見に行った。
そこに飾ってあった絵は僕の想像を超えるくらいに凄くてそして怖かった。
鉛筆で丹念に書かれた草原。
おびただしい数の草。そして、そびえ立つ大きな木。そして、草の一本一本、葉っぱの一枚一枚、葉脈の一本一本が鉛筆一本で丁寧に描かれていた。
恐ろしく正確に、そして、怖いくらいに神経質に。

これを小学校3年生の子が描いたのかと思うと怖かった。
どんな子がコレを描いたんだろう。
そう思ってウワサを頼りに3年生がいる2階をウロウロした。
すぐにわかった。
あの絵を描いた男の子はちょっとだけ背が高くてぼけっと窓の外を眺めてた。騒がしい教室、笑ってるみんな。そんな中、ぼけっと外を眺めてた。
「妙に目立つ顔してっからすぐわかるよ」
と、友達は言った。確かに特徴ある顔だった。
しばらくすると、彼はなにかノートを取りだして、一生懸命に何かを描き始めた。何を描いてるんだろう。彼はどんな絵を描いているんだろう。
僕はとてもそれが知りたくて、じっと教室をのぞき込んだ。

上級生がなんかのぞいてる。

小学校ではそれはとても不自然なことで、僕は同級生からからかわれた。
だけど、僕は知りたかった。初めて見た、あの草原。
どこかで見た風景。
僕は彼のことが知りたかった。

ヒトツキおきに図工室の絵は貼り替えられた。
どの絵も鉛筆一本で丹念描かれてる。そして、どれもこれもやっぱり正確で神経質だった。
目に見えるものすべてが描かれた絵。
線の一本、点の一つも逃さないように描かれた絵。
僕は毎月替わっていく絵が楽しみだった。
僕が知ってる彼はたった15枚の絵だけだった。

小学校を卒業して中学へとあがった。
剣道部に入った僕は毎日毎日部活をやってて忙しい日々を送っていた。
ずっと彼のことを忘れてた。
だけど、美術室でまた彼に出逢ったのだ。

そこに飾ってあった絵は相変わらず鉛筆だけの風景。
ビルの窓の一個一個、車や街灯や街路樹の葉っぱや、相変わらず、目に見えるすべてものが描いてあった。
彼は新入生としてこの中学校にやってきた。
小学校の頃より背が高くなり、さらにフワフワした印象だった。やっぱり教室の窓から外を眺めていた。
彼はそこに居るのに存在してなかった。
騒がしい教室でそこに誰も居ないかのように彼は座っていた。
不思議な彼に声をかける人も居なくて、ただそこに座っていた。

美術の先生は彼の絵に惚れ込んでいた。
小学校と同じように彼の絵は月替わりで飾られていた。
高層ビル。たくさんの車。校庭の満開の桜の木。
校舎の屋上から描かれた街の風景は家の一戸一戸がきちんと描かれてあった。
瓦の一個一個までビッシリと、相変わらずの精密さだった。

 

病的なまでに正確な絵。
なのにそこに人の姿はなかった。

 

ある日、いつもモノクロの絵が飾ってあるその場所に鮮やかな絵が飾ってあった。
黒いサインペンで描かれたその絵はなんともいえない絵だった。
木のようなもの、空のようなもの、車のようなもの、そして、踊っている人。
サインペンで縁取られた空間は毒々しいほどの極彩色で埋められていた。決して混じることのない鮮やかな色。
いつもの緻密な絵とは違う不思議な空間。

人が踊ってる。

僕は驚いた。
この風景。
僕が見たかった風景。

僕は飾ってあった絵をはがして、そのまま彼のもとへと走っていった。
伝えたかった。
突然、上級生が飛び込んできた教室は騒然としていた。
その中で彼だけが何事もなかったように僕を見た。
「これ…」
僕は絵を見せた。
「それ?」
「僕が見たかった音だ」
僕は初めて彼が笑うのを見た。デッカイ口をさらに大きく横に広げて、本当にうれしそうに笑った。
「僕の絵を聞いてくれた人はキミが初めてだよ」

僕がずっと知りたかった音。
僕の中に流れてた音楽。
それは彼の中にもあった。
モノクロームの絵は彼が見ている風景。
極彩色の絵は彼に聞こえてる音楽。

僕達はすぐに仲良くなった。
僕達の間に言葉はいらなかった。
同じ音楽。
同じリズム。

僕は彼に彼には見えないモノを伝える。
彼は僕に僕には見えない僕等の音楽を僕に見せてくれる。
僕はたくさんのモノを見て聞いて、
彼はたくさんの音を描き続ける。
それだけで僕等の世界は完璧。
余分なモノは何もない。
余分なモノは何もいらない。

僕は彼に傾倒し、彼は僕に寄りかかる。
誰にも聞こえない音楽は僕等の言葉。
大切な僕達だけの世界。
大きな世界の真ん中にポッカリとあいた穴の中の僕達の世界。
見上げれば丸く切り取られた空。
空には雲一つなくて、僕達は迷うことなんか一つもなかった。

音楽があれば、一緒に踊ってれば、それで完璧。

 

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