戦後、隆盛をきわめた津軽民謡界の大御所的な存在だった福士豊三を父に、母は福士りつ先生、山田百合子先生と共に民謡三羽がらすといわれた、故山内たつの長男として生まれ、中学校卒業頃から、民謡が好きになり、民謡酒場ブーム当時、父母子で大阪の酒場へつとめながら三味線と唄の勉強をする。 その後東京へ移るなどして、昭和46年の年青森へ帰る。 故郷で本格的に民謡を仕事としてスタートさせながら、三味線ばかりでなく、唄の方でも昭和47年青森放送主催、第19代青森県民謡王座を獲得するなど大活躍している。そして更なる飛躍を目指して昭和54年に興業専門、「帰って来いよ」の松村和子の父松村一郎氏の「北海芸能プロダクション」へ勤める。 プロダクションでは、主に、白川軍八郎氏の相三味線として、北海道を巡業して、腕に磨きをかける。 昭和62年故郷板柳町にもどり板柳町・五戸町など各地に民謡教室を開き後任の指導をするかたわら、福士三弦会を結成する。 また弟は、津軽三味線「福士豊秋」その妻は二代目「成田雲竹女」民謡一家として活躍している。
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