朝の光。 明るく差し込む朝陽を受けて、乱れた額の産毛が金色に輝く。やわらかい光のかげを落としていた睫毛が震え、薄く目を開けた麻衣は、布団を頭からかぶって丸まり、二度寝の至福に浸ろうとして────がばっと起き上がった。 自分の記憶が確かなら。 夢に現れた少年の軽口に腹を立て、ちょうど手近のテーブルにあった手鏡をひっつかんでナルの部屋に急襲をかけた。 が、文句を言うだけ言って、ナルのベッドにうずくまって。 そこから先を、さっぱり覚えていない。 日本ではうだるような残暑が続いているだろうが、九月も中旬ともなればここでは涼しい。そもそも冷房設備がない。 かわいた空気がここちよくて、ナルのベッドを占領したまま眠ってしまった気がする。 それがここにいるということは。 「……………」 麻衣はどうしよう、と今更だが頭を抱えた。 ナルのベッドは二人は寝れる。が、これまで幾度となくこの家に泊まって、彼のベッドで寝たことはない。………数年前の、上司の悪戯を除けば。 意図は、言われるまでもなく察していたから、麻衣も気をつけていた、が。 ゆうべは頭に血が上っていて気が回らなかった。ナルの手を煩わせてしまった。 せっかく、今日は彼の誕生日で。 こんなにいいお天気なのに。 朝から、彼の機嫌は氷点下だろう。自分の所為で。 「ご、ごめんなさいルエラ…………」 楽しみにしていたルエラに申し訳なくて呟いた麻衣は、いきなり響いた声に文字通り飛び上がった。 「なにがごめんなさいだ」 聞き慣れた、怜悧な声。 「なななななナルっ!?なんでそんなとこにいんの!」 「話があったから。起きたか?」 「一晩中待ってたとか?」 「そこまでヒマじゃない。夜が明けてからだ」 「ってまだ6時でしょーが!」 「そろそろルエラが起きる。さっさと話を片付けたいんだが?」 「…………あ、うん。はい」 麻衣は素直に頷いて、ナルにお気に入りの揺り椅子を示した。いつもならベッドに一緒に座るけれど、今はまだ着替えもしていなかったからだ、が。 ナルは無視していつものように麻衣の足元に腰掛けた。 「ナル?」 尋ねた麻衣の手に、ぽんと手鏡が置かれる。 「あ」 「馬鹿に話は聞いた」 「ごめん。…………あたしがジーンにやきもち焼いちゃって………」 「………理解に苦しむが」 「だって。ジーンが煽るんだもん。あれ、凄く悔しいんだからねっ!ナルは結局僕と同じものだって言われるの!」 「は?」 「遺伝子一緒だもん。性格は後天的なものだけど、パーツは一緒だって。それは、もう、絶対ひっくり返せないじゃん。それで、あたしは結局異分子だって言うの!」 二人の口喧嘩のばからしさに溜息をついたナルは、麻衣の左手を取って引き寄せる。 「異分子だから、いいんじゃないのか?」 「それはそうなんだけど。ナルと同じになりたいとか、ジーンのかわりになりたいとか思ったことはないけど、ああいわれると腹立つの!どっちがナルの心に近い?とか言われると!」 「で、鏡を持って飛び込んできたわけか」 「…………ごめんなさい」 仕事の邪魔をした自覚はある。 麻衣は素直に謝り、そして顔を上げた。 「でも、どうして、こんなに早く来たの?」 「ひとつ、伝えに」 声音が、変わったのに気付いて、麻衣はまっすぐにナルの瞳を見つめた。 「ジーンは、眠るそうだ。お前の言う、白い闇には、もう、いない」 「……………え?」 ひどく静かなことばに、麻衣は大きな瞳を瞬いた。え、と繰り返し、ナルの瞳を見つめる。 「どういう、こと」 「馬鹿な浮遊霊とは呼べなくなったな」 白皙は、何の表情も映していない。ただ、そこにあるのは透明な無表情。 「しばらく眠るそうだ」 「分かるように説明して」 つられるように、麻衣までひどく抑制した声になっている。 感情を抑えて、どんな細かい表情の変化も捉えられるように。 「…………今までも、出て来ないと思っていたら、ずっと眠っていたそうだ。冬から」 「長いね」 「そう。そして、ゆうべ起きたら、お前の指輪を見て驚いたらしい。それでつい馬鹿な真似をしたようだ。また馬鹿な計画があったようだしな」 「計画って…………」 ジーンのトンでも計画に一度ならず巻き込まれている麻衣は思わず脱力する。 「お前をこの部屋に戻してから、その鏡で話をした。………あれの気配が、変わって行くのがわかった」 「…………」 「闇ではなくなった。光、とも言えないが、もう浮遊霊とはいえない。ここに留まるか───自分で幕を引くかは知らないが」 「……………もう、夢には」 「出て来ないだろうな。………ああ、結婚式の夜に祝福に来るとは言ってたか」 「もう、…………会えないってこと?」 「たぶん」 「あたしが余計なことを言ったから?」 「違う。ジーンが留まっている理由は知ってるか?」 「ジーンから聞いたのは、ナルを一人でほっとけないから」 「そう。ほっとけると判断したんだろう」 「…………どうして」 琥珀色の瞳に涙が溜まっている。 ナルは表情を変えず、言葉を返した。 「その指輪を見たから」 麻衣の指に誇らしげに輝く、誓いの指輪を見たから。 もう、大丈夫だと笑った。 「もう会えないかもしれない、が。ジーンは光のなかで眠ってる」 「…………なんか、言ってた?」 「…………麻衣には何も」 「違う。ナルに」 「おめでとう、良かったね、だそうだ」 聞いたまま繰り返したナルの顔を、穴のあくほど見直して。 麻衣は涙を目にためたまま、綻びるように笑って、それからナルの胸にしがみついた。 「………………良かった…………」 「なにが」 「ジーン、納得してくれたってことでしょ。何も心配しないで、眠ってるんでしょ。…………ナルも、納得してるんでしょ」 「いいと思ってはいる。ただ、お前が………どう思うかは」 「ナルが納得してるんならいい。それに、すごくすごく嬉しい。だって、ジーンに太鼓判もらったってことだもん。ナルのこと」 「……………」 二人の間で、一体自分はどんな位置にいるのか、一瞬考え込んだナルは、頬に口づけられて現実に引き戻された。 白い頬を、朝陽を弾いてこぼれ落ちる涙と、微笑み。 「ありがとう。それから、おめでとう、ナル。………肩の荷が、一つおりたね」 「そうだな」 自分が引き止めていた、霊の漂う闇の世界。 そこから、片割れが自らの意思で脱したということ。 「でも。最高の誕生日プレゼントだよね。…………やっぱり、悔しいなあ。結局負けちゃったよ」 「麻衣がいなかったら、ありえなかった」 苦笑まじりの麻衣に、ナルはそう答えて、左手の指輪に唇を落とす。 「…………ジーンに次会えたら、今度こそ勝ちたいな」 「…………勝ち負けの問題か?」 「あたしたちにはね。ナルは、ナルのままでいいから。きにしないでいて」 麻衣はゆっくりと微笑んで、目を閉じる。 「負けない」 呟くように言って、ベッドから滑り降りた。 「ナル、話してくれてありがとう。着替えるから部屋戻ってくれる?」 「わかった」 扉が閉まる。 パジャマのまま、窓を開ける。 白く輝く光が差し込み、レースのカーテンを翻して、朝の風が部屋を満たす。 麻衣はクローゼットからワンピースを取り出してロッキングチェアにかけ、真っ白なパジャマをベッドの上に滑りおとした。 |
「夜の音」の麻衣サイド。本当は書く気なかったんですが、 夜の音のほうだけだとなにがなんだか分からないので(汗)補完。 麻衣がジーンに勝てる日は来るのか。 (ていうか勝負の次元が違うことにいい加減気付いてくれ二人とも)
2006.9.19 HP初掲載
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