ひらひらと舞い落ちる金色の光。 「失礼します、教授」 「…………ああ、安原君か。かけなさい」 「いつも無理お願いしてすみません」 「いやかまわないよ。今日は何が必要かい?」 「これです。どうも、ここにしかないらしくて」 「ふぅむ」 安原に手渡されたプリントアウトを一瞥した初老の教授は、眼鏡をずらしてから端末に向き直った。 「ここの図書館か」 「はい。総合図書館の書庫にもなかったんです」 「だろうな。………しかし、前から思っていたんだが、君のバイトの上司というのは、いったい何をやっている人なんだね?」 「………それは、実は僕もよく分かっていないんですが」 安原は苦笑する。 バイトの上司───ナルに頼まれた資料は、二十年前のドイツ語の分厚い本で、文化人類学と地理学をミックスしたような分野に属する、らしい。これを、SPRがらみで使うのか、ケンブリッジでの専門である宗教哲学あるいは心理学で使うのかは、聞いていないし推測することも不可能だ。 「一応、研究者です。イギリスの」 「それなら、こんな本は本国なら簡単に手に入るだろうに」 「手間が惜しいそうで………もし一日お借りできれば、うれしいと言ってました」 「一日でコピーするのは難しいぞ?」 「いえ、多分そのまま読むんだと思いますけど」 「………………この本だが、1000ページほどあるのは判ってるのかね?」 「書誌にありますから判ってると思いますけど」 安原は苦笑する。 ナルにとっては、母国語である英語と同様、ドイツ語やフランス語を読むことなど雑作もないことだ。最近では慣れたのか、日本語の専門書にまで手を出しているのだ。 「間違いなく、明日の夕方にはお返しできると思います」 「わかった。私が使うことにして、出させよう。内線で呼ぶからちょっと待っていてくれるか」 「はい。いつもご迷惑をおかけしてすみません、教授」 安原は丁寧に頭を下げて、勧められたソファ(ただし半分ほどは本と資料に占拠されているが)には座らず、窓際に寄った。古い鉄サッシの窓ガラスの外では、金色に染まった銀杏の葉が揺れている。 校章に使われているだけあって、大学の構内に銀杏の木は多い。だから、この季節はキャンパスは黄金色に染まる。けれど銀杏の色が美しいのは数日、しかも散った葉はすぐに掃除されてしまうから、金色のトンネルを楽しめる場所と時間は限られている。 法学部と文学部の研究棟の間、クラシカルな総合図書館前の噴水に続く銀杏並木は、石畳の上にも金の絨毯のように散り敷いて、今日はまさに見事な金色のトンネルになっていた。 窓の外、銀杏を見下ろしていた安原は、葉の隙間から赤いものがちらりと見えた気がして目を見張った。 一瞬、火かと思ったが、まさか石畳の、朝とはいえ決して人が通らないわけではない通路のど真ん中で、いきなり火が発生するわけがない。 けれど、ひらりと舞う花びらのような茜色は、金色の光の中でひどく鮮やかに目に映った。 「……………安原君、どうしたね?」 「あ、ええと。すみません。なんか、下に赤い色が見えた気がして」 「火事じゃないだろう。煙もない…………ああそういえば」 「教授?」 「午前中、少しだけ雑誌社が撮影に使うとか事務が言っていたな。それかもしれない。見てくるかい?可愛いモデルでも来ているかもしれないよ」 笑った教授に、いやみなところはまったくない。 「まさか、そんな軽い雑誌の撮影許可は出さないんじゃないですか?」 「まあ、そうだろうなあ。………「古都東京」とかいう特集らしい。建物だけは古いからな。見た目は格好いいんだろう。中はボロだが」 はっはっはと笑った教授は、ちょうど鳴った内線電話をとり、安原は再び窓の外に視線を移した。 茜色の、花びら。 どこか、惹き付けられる感覚。 目が離せないのはどうしてか、自分でもわからないままに。 「安原君」 「あ、はい」 「学生がとりにいくと言っておいた。私の名前をカウンターで言えば出してくれる」 「ありがとうございます」 「いやいや。また何かあればいつでも言って来たらいい」 「それじゃ、失礼します。明日また伺います」 「楽しみにしているよ」 安原は、本を返すのといっしょに、ナルのコメントもいっしょに持ってくる。それを楽しみにしているらしい教授に苦笑を返して、安原はゆっくりと部屋を出た。 古い木のドアをしめ、冷たい階段をおりる。図書カウンターに続く廊下の前で一瞬迷って、正面玄関横の事務員に黙礼してから重いドアを押し開けた。冷たい空気の中に、飛び出す。 研究棟のすぐ横、広い通路の入り口に、学生がまばらに群がっている。 一歩を踏み出して、目に入った光景に、安原の思考が一瞬停止した。 色づいた銀杏の葉をすかして、金色に輝く光。 散り敷いた葉、金色のトンネル。 その中で、茜色の振袖を着た少女がたたずんでいる。 舞うように、ゆっくりと動く姿は気品高い花のように。 クラシカルな外見の総合図書館と噴水を背景にしているから、そこだけタイムスリップしたかのような感覚さえおぼえて、自分が踏みしめている落ち葉を確かめる。 凝視するような視線に、彼女が気付いた。 一瞬だけ視線を意図的に合わせて、表情を変えない程度、目線だけで微笑む。 さらりと滑り落ちた、結っていない黒髪が、鮮やかな茜色の振袖にこぼれて、散り降る金色の葉に彩られる。 撮影許可が出たのはごく短い時間だったのだろう、時間それ自体は長くはなかった。 けれど、惹き付けられた者の心に灼きつくには十分なほどの時間、撮影は順調に続けられ、半ば呆然とそれを見つめていた安原は、さくさくと銀杏を踏みしめてきた真砂子に腕を叩かれて、我に帰った。 「安原さん、お久しぶりです。どうかなさいましたの?」 安原がここにいることは、別に不思議でもなんでもない。真砂子はにこりと笑って、機材の撤収にかかっているスタッフを横目で一瞥した。 「あたくしは多分もう用済みですわね。…………お会いできるかもしれないとは思っていましたけれど、本当にお会いできるなんて、運がいいですわね。最近はもう大学にはいらっしゃっていないと麻衣に聞いていましたから」 「ええ、そうです。今日は所長に頼まれて資料の本を…………」 「ナルですの?」 「そうです。ここにしかなくて、ちょっと裏道を」 ようやくいつもの調子を取り戻した安原は、含みのある笑みを眼鏡の奥の瞳に閃かせた。 「おきれいでしたよ、金に赤の取り合わせ。花が舞っているようでした」 「歯が浮きますわよ」 「この程度で浮くような軟弱な歯ではありませんのでご心配なく」 「そういえばそうでしたわね。…………でも、たしかにこちらの銀杏並木はきれいですわ。本当に、金色のトンネルのよう」 「トンネルになっている時間は短いんですよ。すぐ下が掃除されちゃうので」 「もったいないような気がしますわ」 「僕もそう思いますが、銀杏が落ちていると悲惨なことになるそうで」 銀杏の実は、種は美味しく食べられるが、その周りの果肉をつぶすととんでもない悪臭を放つ。踏み荒らされたらたまったものではない。 悪戯っぽく肩を竦めた安原に、真砂子はちょっと笑う。 「安原さん、これからどうなさいますの?」 「僕ですか。僕は資料の本を受け取って、所長に届けに渋谷まで。原さんはこのままお仕事ですか」 「次の仕事は渋谷だったと思いますの。もしよろしければご一緒に行きません?………確認して参りますので」 「ありがとうございます。それじゃ、僕はとりあえず本をもらってきますよ」 身を翻しかけた真砂子を引き止めて、それだけ言うと、安原は細い手首を離した。 風に舞う、金色の銀杏の葉が、炎のような茜色の花に、散る。 一歩、二歩、躊躇うように足を止めて、引き返す安原を見送ってから、真砂子は自分を見ていたマネージャーの方へ引き返した。 風に、黒髪が攫われ、茜に染まった袖があおられて。 金色の光に包まれた天蓋の中、焔がゆらめくように。 艶やかな紅の花が舞う。 |
突貫書き下ろし。構想っていうかネタそのものは数年前からあったんですが、カップリングの都合上(笑)今まで書けずにいました。かいちゃったvえへv←えへ? ほんのり安原×真砂子です。微妙なラインです。ナル麻衣では書けない駆け引きがたのしーですねーvv(かけひきまで辿り着かなかったくせに何言ってるか。)………いやこれ以上書くと区切りが悪くて………。 いや本当に某所の銀杏並木は(通路掃除前は)まさに金色のトンネルでとっても綺麗なのですよー!初めて見たときからこれは書かねばと(笑)その他はフィクションノンフィクション入り交じっておりますのでご理解ご了承のほどを。
2005.12.4 HP初掲載
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