花の色 「あら」 和室の扉を開いた真砂子が、思わず、といった風に声を出した。 「きれいなお軸ですわね」 「でしょー?こないだの調査で藤岡さんちから貰ってきたやつよ。表装だけしなおしたんだけど、やっぱりいいわよねー」 「え、掛け軸?」 真砂子のあとについて入った麻衣が、目を瞬く。麻衣も真砂子も、絵を見るのは初めてだった。 「そうよー。あんたたちはお人形がらみで忙しかったから知らないでしょうけど、蔵にあったお祝い事用の漆器がいいものばかりだったのよ。お着物も良かったし。ま、お着物は菩提寺のほうにお預けしたけど、漆器は安原くんが県立博物館につなぎつけて、何しろ金泥やなんかもよく残ってたし、結構良いお値段で引き取って頂けたのよ。普段使いのはいくつか残したけど、それでもかなりのお値段になったと思うわ」 「そうでしょうね。戦前の漆器、揃いではなかなか残っていませんもの。あのお人形の小物も見事でしたし」 綾子の説明に、真砂子は納得顔で頷いた。 「あたしには全然見当つかないけどね………」 麻衣が苦笑して首を傾げ、綾子は婉然と微笑んだ。 「もちろんこれだって、ただで貰ったわけじゃないわよ。要らないからいいとは言われたけど」 「なのに払ったの?」 麻衣がきょとんと首を傾げ、綾子は苦笑した。 「確かにそんなにお値段のつくものじゃないけど、そんなに悪いものじゃないから、ただで頂くっていうのはなんとなく対価があわないわよ。働いたならともかく」 「でもお人形見てもらったし………あ、あれはこっちの都合か」 「そうよ。それに、ほんとに気に入ったから、気持ちよく譲って頂いたほうがいいわ」 「一理ありますわね。ただで頂くと、なんとなく負い目が残る気がしますわ」 真砂子が苦笑する。 「そう。まあ、あちらが裕福で余ってますっていうならまだ気が咎めないんだけどね。それで、気持ちだけ渡してきたのよ。奥さまには散々遠慮されたけど」 綾子は微苦笑を浮かべる。渡したのは本当に気持ちだけだが、桂子は相当気が咎めたようで、最後まで遠慮したが、あとから押し掛けたことを理由に押し切ったのだ。 その辺の事情は見当がつかない麻衣が、軽く首を傾げる。 「…………ええと、他にもあったんでしょ?それはどうしたの?」 「漆器類といっしょに一括で博物館が引き取ったわ。………これと、八重桜のがとても気に入って、桜はまだ早いけど、こぶしならそろそろ良いかしらと思って。表装が今日に間に合ったから、あんたたちに見せられるってわけ」 「でも、これだけのお表具、かなりかかったでしょう?」 「それは自己満足だからいいのよ。………絵が素適だから映えるのよ」 「それは確かにそうですわね………色絵で、これだけのものは、なかなか見ませんわ。銘も落款も、あたくしも存じませんけれど」 「そうなのよ。だから値段はつかないでしょうって藤岡さんは言われたんだけどね。出来からみて、そう素性の怪しいものじゃないわ」 「うーん、あたしは、こういうのはわかんないなあ。きれいなのは分かるけど」 麻衣が苦笑して、熱心に見入っていた真砂子が振り返った。 「あら。きれい、で十分じゃありませんこと?ねえ、松崎さん?」 「そのとおりね。骨董商じゃないし、別に資産価値を求めてるわけでもないし、市場価格なんてどうでもいいのよ。…………ところで麻衣、あのお人形はどうなったか知ってる?」 話題を変えた綾子に、麻衣は幾分表情を硬くして答えた。 「うん。ちょうど昨日連絡が来たよ。知り合いの密教のお寺で、火葬にして貰ったって。そのあと供養塔を小さいの作って、京都の人形供養のお寺に供養塔とお道具を引き取ってもらう伝手がついたって」 「それはよかったわ」 綾子の表情がほっと弛み、逆に真砂子は難しい顔で首を傾げた。 「………………結局、あのお人形は何だったんですの?例によってナルは何もおっしゃいませんし、あたくしには何がなんだかわかりませんわ」 「それはそうねえ……………あのベースからあんたたちのところに跳んだっていうのは吃驚したけど」 二人の言葉に、麻衣は小さく首を傾げた。 「それが、今回はあたしも近付けなかったからよく分かんないんだけど…………とりあえず、桂子さんがあんなに思い詰めたのは、あの目が原因みたいだよ?」 「目?」 「そう。もちろん、箱から出てきたっていうのはちょっと怖い話なんだけど、ぱっと顔を見たら、普通に目があうじゃん。そのときに、なんていうかな、精神的な糸が結ばれちゃった、みたいなんだよね。だから、うちに最初に来たとき、最初にナルと目があって、恐慌状態になっちゃったのは、ナルの黒い目と、心の中に焼き付いてたあの子の黒い目が結びついちゃったから、だと思う。だから、その前に見てるはずのナルの顔も、覚えてなかったんだよ」 「……………そういえば、最初にあちらでご挨拶したとき、びっくりなさってましたわね。でも、どうしてあの時は大丈夫でしたの?」 「多分ね、生活してる場所に、箱を置いて、そこに風呂敷に包んで置いてたからだと思う」 麻衣の説明は、あまり要点をついていなかった。 「風呂敷包みだったの?」 「ええ、それは確かに。旦那さまがそうされたとおっしゃってましたわ。でも、それとこれとは違いません?」 真砂子が頷き、麻衣が続ける。 「んー。つまりね、お人形だって、ずーっと遊ばれてるわけじゃないじゃん。しまわれてる時間もあるわけでしょ?」 「まあそうね」 「だから、大事にしまわれている、ってあの子は思ったんだと思う。だから、なんていうか、警戒を弱めたっていうのかな?それまでは、あの家でずーっと菊ちゃんを待ってた、多分その影響であの家に磁場みたいなのができて、ちょっと変な空間になってたんだと思う。そこに、桂子さんっていう女の人が来て、遊んでくれる、って思ったのに、逆に嫌がられていきなり箱詰めにされて玄関先に置かれたりして、吃驚して反発したんだよ。どうして、って。その目が、桂子さんを追いつめた目。なんだけど、あの子的に、菊ちゃんじゃなければ桂子さんである必要性はないわけ」 「まあ、そりゃそうだわね」 「で、風呂敷に包んで置いてたら、危機感みたいなのが薄れて、あの子の緊張状態が解けたんだよ、多分。それで、あのあと、真砂子とあたしが家の中入ったでしょ。桂子さんよりはこっちの方が良いと思ったのか、声が聞こえたのが分かったのか、単に年齢の問題なのかはさっぱりわからないけど、集中が桂子さん一点から、真砂子とあたしにも来たんだよね。で、真砂子とあたしがいたから、家から出しても反発はなかったわけ。あとはリンさんが抑えてたし」 麻衣の説明に、真砂子が額を押さえ、綾子は深いため息をつく。 「……………もしかして、あの所長サマはその説明で納得したわけ?」 「んなわけないじゃん」 いっそ気持ちがいいほどさっくり否定して、麻衣は笑い出した。 「麻衣、あんたねえ…………」 「あたくし、これでも責任感じてますのよ?煙に巻いて遊ぶのはやめてくださいまし」 「そんなこと言っても、結局のとこ、あの子についてたのは菊ちゃんでも咲ちゃんでもない、つまり、人間の霊じゃないの。幽霊ってか、ゴーストじゃないってこと」 麻衣の説明に、真砂子と綾子は顔を見合わせ、それから、綾子がああ、と頷いた。 「そういえば、専門は幽霊だったかしら」 「言われてみれば…………」 「そうなんだよ。浮遊霊でも地縛霊でもこの際残存思念の固まりでも涙を呑んで納得したかもしれないけど、どれでもないんだよねー」 「つまり?」 「うん。あの子は、確かに菊ちゃんが可愛がって、とても心を傾けた、戒名まで身に纏ったヒトガタではあったんだけど、あれが完成する前に繍花童女の咲ちゃんは成仏しちゃったし、菊ちゃんは自分の身代わりを残すような気持ちで置いていった、ということは、どっちの霊も残ってないんだよね、これが、キレイさっぱり」 「それは……………不幸な事故ね」 「そうなんだよねー。あたし、人形のデータはさっぱり見てなかったんだけど、リンさんがいくら名前で呪をかけても反応しなくて、仕方なく問答無用で縛をかけてたんだよ。着物だったらまだなんとかなったかも」 「…………………あたくし、やっぱりナルには謝った方がいいですわね……………」 暗澹とした口調で呟いた真砂子に、麻衣は笑う。 和室から出て引き戸をぴったりと閉めた綾子に続いて、ふたりはリビングに移動する。 「何で真砂子が謝るの?あれは確かにナルの知ってる心霊現象じゃなかったかもしれないけど、確かに、日本的には心霊現象だよ。これからああいうのだって増えてくると思うし、別に気にしなくていいと思うよ?」 「でも麻衣、あんたたち、なんで集まったか忘れたわけじゃないでしょうね?」 「チョコ作りだけどそれが何か?」 「低気圧の所長サマのとこにチョコなんて危険物持ち込んで大丈夫?」 「別にナルに渡さなきゃいいんじゃない?作るの、ルエラのレシピのチョコケーキと、それから?」 「レシピ、持ってきてくれた?ありがと、食べてみたかったのよ。あとは重めのガトーショコラと、真砂子はブラウニーにしたんでしょ?」 「かなり強力に甘ったるくなりそうねえ」 綾子は苦笑して、二人に座るように促す。 「ちょっと順序だてないとね。……………あら、ココアパウダーだけで良いの?」 「うん。お砂糖入っていないやつって言ってた」 「それはもちろんね。それじゃ、真砂子、チョコだけはかって刻みなさいな。ブラウニーは混ぜて焼くだけだから。他のをやってる間に、冷まして、ラッピング考えたらいいでしょ」 「……………綾子はなんか作らないの?本命」 「本命ね?お父様がバレンタインまでに持ってきたら作るわ。あんたこそ、それこそ本命はどうするのよ」 「悩み中。……………チョコレートは嫌がらせにしかならないし。………友達の案はお笑いだし」 「友達?」 「うん。甘いもの嫌いな彼氏って珍しくはないから。セクシー系下着だって」 麻衣がそう言った瞬間、真砂子が崩れ落ち、綾子は吹き出した。 「下着?男性用の?」 「どうもそれもあるみたいなんだけど、同系色でふりふりレースのランジェリー?ワタシをプレゼントってやってみたらって大笑い」 「大笑いだわねえ…………………反応聞きたいけど怖くて聞けないわ……………」 「もー、カタログ見せてもらったんだけどすごいんだよ。からだの線完全に見えるピンクのレースのガウンに、ひらひらのレースが一杯てんこもりについてて、下着は同じレースで、リボンで結ぶようになってるの。呆れちゃった」 途中から笑い出した綾子はお腹を抱え、真砂子は真っ赤になっている。 「そんなわけで決まらないんだよね。なんか適当なのないかなー」 麻衣はさらりと首を傾げ、真砂子ににこりと笑ってみせた。 「とりあえず、はかるの手伝おうか?作るのは自分でやりたいよね」 「あ、ありがとう、麻衣。………あの、ナルには万年筆か、万年筆のインクなんかどうかしら?」 淡く頬を染めたが、真砂子は小首を傾げて話を逸らした。後ろ手にエプロンを結ぶ手が泳いで、麻衣は紐を取り上げてきれいに結び、それから眉を寄せる。 「はい、できた。………万年筆?」 「ありがとうございます。………そうですわ、万年筆。あたくしもつい先日知ったのですけれど、日本ならではの技法が有名で、とても書き味のいい万年筆があるそうですわ。ちょっとお値段は張りますけれど………。インクは、その方のイメージに合わせて、何十色もの色をブレンドして世界に一つしかない色を作る、インクブレンダーの方がいらっしゃるそうですの」 「へー。それ、いいかも」 麻衣は笑顔で綾子に同意を求める。 「ねえ、綾子?」 「ま、あんたにリボンかけるよりは、どう考えても現実的だわね」 あはは、と麻衣は笑う。 「ナルだとね、意味分からない可能性が高いと思うんだよねー」 「それはいくらなんでも酷すぎない?」 真砂子の後ろのカウンターで計量を始めた綾子が呆れたようにため息をつく。 「ひどくないよー。あたしだって最初どういう意味かわかんなかったもん。ねえ、真砂子」 「あたくしに振らないでくださいませ!」 「真砂子、耳真っ赤。…………その粉はあとでまとめて振るうんだよ」 「わかってますわっ」 計量を手伝う麻衣の冷静な指摘に、真砂子は答えて、抗議した。 「その手の話題はあたくしは存じませんのっ!作業中は避けてくださいませ!」 「はーい」 「分かったわよ。………作業に集中しましょ、麻衣」 「了解」 麻衣は小さく笑って、真砂子の手元から刻むチョコレートを取り上げた。 |
2012年冬コミ刊行「硝子の瞳に遺る記憶」の補完話です。 ちょうどバレンタインにかぶったのでバレンタイン話も引っ掛けましたが、あくまで「麻衣から見た」視点なのでどうかなー?ですね。真砂子視点だとナルが何考えてるのかさっぱり分からないという恐ろしい弊害が(遠い目)麻衣くらい強引に入って行ってくれるとそれなりに分かるんですが。 そんなわけで、ちょっとだけ訳の分からなくなった部分を補完してみました。あとは博士が納得してないので(笑)日本て変、と諦めがつくまでお預けかな、と思います。
2013.2.13 HP初掲載
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