誕生の秘蹟。

 DNAの螺旋がふたつにわかれる、偶然という名の奇蹟。
 同じ遺伝子をもつ、世界でたったふたつの存在がうまれる。



「僕たちは、遺伝子というファクターが重要であるっていう傍証にはなりうると思うけど、遺伝子が能力を決定しないっていう証拠でもあるからね」

 全く同じ遺伝子を持つ一卵性双生児。
 その二人がともに「特殊能力」をもち、二人のあいだにしか通用しない「なにか」が多くある、という事実は、確かに遺伝子が重要な要素であることを示している。
 しかし、遺伝子だけが能力を完全に規定すると仮定すれば、二人が全く傾向の違う能力を持っている、あるいは発現させていることは説明できない。

 何故、ナルに見えないものがジーンには見えるのか。
 何故、ジーンにできないことがナルにはできるのか。

  
 誰一人、説明することはできなかった。
 

 鏡にうつしたような片割れと、こんなにも違うということが、当たり前ではあったけれど、どうしても不思議だったから。

「つまり、それが彼の本の虫の原因?」
「そう」
 頷いて、ジーンはくすくす笑った。綺麗な黒い瞳に楽しげな光が踊る。
 こんな表情はもう一人の顔では絶対に見れないわね、と内心だけで呟いて、まどかは瞳の表情を緩ませた。
 「上司」である女性のやわらかな褐色の瞳ににこりと笑って見せて、聡明な少年は軽く首を傾げた。

「その点だけは、孤児院はありがたかったんじゃないかな。彼にとっては」
「………」
「どうしてかは知らないけど、本だけは沢山あったから」
「でも、それは子ども向けの本じゃないの?」
「子ども向けの本も、もちろんたくさんあったんだろうけど、そうじゃない本のほうが圧倒的に多かったと思う。あんまり管理されてない、埃まみれの本がね。………うん、あれは普通の子どもには望めない環境だろうね」
 普通の家庭にいれば、本が、しかもあの頃のナルが興味を示したような本が溢れている可能性は皆無に近い。養家は例外に過ぎない。
 もちろん、「普通の家庭」に居れば、そんなことに興味を持ったかどうかは分からない。けれど、桁外れた能力を持っていた双子にはあの環境は当然で────疑問さえ、持つことを許されてはいなかったから、それはもはや意味のない仮定にしか過ぎない。
「文字を覚えると、ナルは図書室に籠もってたよ。………他の子は図書室には近付かなかったしね」

 薄い羽の妖精もおとぎ話も、やさしい子守歌もきらきらひかる夢も希望も、地球の裏側よりとおい存在でしかなく。
 ただ、存在するのはそこにある「現実」だけだった。
 そのなかで。
 ありとあらゆる意味で、自分たちは何処にいても目立った。
 ただ唯一存在する非日常として、そこに在ることすら拒まれた。
 興味本位で近付かれるにしても異質なものとしてつまはじきにされるにしても、それはどちらも忌避したいことだったから、本の壁の狭間で活字の海に溺れていった。
 もとから並はずれていた理解力は年齢相応を遙かに越えた学習効果をもたらして、短期間のうちに二人に体系だった知識を与えてくれた。

「本は、確かに知識の海で、いろんなことを知ることができたけれど」
「でも、結局欲しい知識はなかったのね」

 苦笑混じりのやわらかな笑みに、ジーンはふふ、と小さく声を立てて笑った。

「うん。そうだね。あのころは、本にある知識が全てで絶対だと思ってたし、本に書かれてないことはないと思ってたから。ここの本では足りないんだと思ってたよ。ナルも、僕もね。………どこか、もっとたくさん、いろんな本のあるところに行けば、分かるんだと思ってた。それがどこかは知らなかったけど」
 軽く首を傾げれば、漆黒の髪がまだやわらかな白い頬を滑り落ちる。
 深い色合いの闇色の瞳は穏やかで、むしろ愛らしいほどの容貌と裏腹に、その聡明な口調とともに年齢とは不相応の印象を与えた。
 
「でも、結局は分からなかったのね」
「うん。本に書かれてないことも、まだ誰も分からないことも、世界には沢山あるんだって知ったのはこっちに引き取られてからだから」

 分からないことは世界にはたくさんあって、本に全てが書かれているわけはないと教えてくれたのは、養父になったマーティンだった。
 そして。
 分からないなら、誰も知らないなら、自分で調べて自分で明らかにしていけばいいし、その作業がどれほど興味深く面白いものかということを教えてくれたのも彼だった。

「だから、ナルはすごくマーティンには感謝してると思うよ」
 絶対に言わないけどね、と付け加えて、話題に上っている少年とそっくりな彼の片割れは、ひどくやわらかく微笑む。
「これはナルには内緒だけど」
 絶対に聞かれるはずなどないのに声をひそめて、組んだ手に綺麗なおとがいをのせてまどかを見上げる。
「ね?」
「もちろん」
「ナルが、僕なんかよりずっと熱心に研究に向かっていくのはどうしてか、まどかは知ってる?」
「………知らないわ」
 考えたこともなかった、と焦茶色の瞳が瞬いた。軽いウェーブのかかった髪が揺れて、驚いたような表情にぱらりとかかる。
 ジーンは上司の反応に満足して、にこりと笑った。

「僕に見えるものが自分に見えないのが、どうしても納得いかなかったから」
 
 ジーンの、きわめて優れた霊視能力。
 それを、まったくおなじDNAを持つナルはまったくもたない。

「遺伝子は全く同じだし、育ってきた環境も同じなんだから、僕たちの体の構造は変わらないはずでしょ?なのに、僕に見えてる霊を、ナルは見ることができないんだ。小さい頃は二人でずいぶん悩んだよ。なんでだろうって」
 ジーンはくすくすと笑ったが、その状況が甘いものでなかったのは想像に難くはない。
 ちくりと胸を刺す痛みに気付かないふりをして、まどかは澄んだ少年の声にただ耳を傾けた。
「僕はそのうちまあいいやってなっちゃったんだけど、ナルは余計につっこんで考えるようになって。こっちに来てからは資料がいっぱいあるし、どうしても解明したいと思っているみたいだけどね。───僕がいったいどこで霊を見ているのか」
「そして、DNAじゃなければ何が、あなたたちの能力を決めているか?」
「そういうこと。僕たちの能力は、ほんとに不自然なくらい違うよ。僕は霊媒、霊視能力者。ナルはサイコメトリとPK。探せばもっと出てくるかもしれないってドクターたちは言うけど、そんなことはどうでもいいし、わざわざ探す必要もないと思うし」
「…………そうね」
 微妙な沈黙と苦笑をおいて、まどかは応えた。
 ふたりに、どんな期待が寄せられているか、彼女は他の誰よりも具体的に把握している。彼らともっとも近い立場にいる彼女自身に圧力をかけてくる研究者も、皆無ではない。
 聡明な少年は何も知らされなくても彼女の立場を当然のように察していたから、申し訳なさそうに謝った。
「まどかには本当にいろいろと迷惑かけてるよね。ごめんね」
「いいのよそんなこと、気にしなくて」
「もうすこし大きくなったら、自分たちで何とかできると思うんだけど」
 まっすぐにむけられる、どこまでも綺麗な闇色の瞳。
 繊細な造作の少年の顔を眺めて、まどかは黒い髪をそっと撫でた。
 あかるい笑顔は忘れず、軽くウィンクしてみせた。
「もちろん、自分で何とかできるようになったらなんとかしてもらうわよ。でも、あなたたちはまだ子どもなんだから、ちょっとは甘えてもいいの。あなたたちを守るってことも私の役目だと思ってるわ」
「うん。…………ナルは論文書いてるし、それが認められれば、近いことかもしれないしね」

 白皙に、漆黒の髪と瞳。
 希有な美貌の少年は、にこりと笑ってうなずいた。





 ひどく突然に、螺旋のかけらの片方は永遠に失われた。
 ただ、もう答えのない、その行き先のないテーマだけを残して。

 本当はふたりで。
 ゆっくりとでも着実に解明していくはずだった霊視のシステムを、自分の能力の能う限り解き明かすのが、片割れを喪ったナルに残されたすべてとなった。
 その結果を提じるべきは学会でも大学でもなく、喪われた兄と自分へ。
 そのために、疑問の一片も挟むことなく自分のすべてを捧げる。

 たとえ何があったとしても、それだけは動かせない至上の命題となった。



「ジーンはいったいどこで霊を見ていた?」
 珍しく、苛立たしげな感情を露わにした呟きに、そばにいた少女がかすかな溜息をついた。
 持っていたトレイから上質の磁器のカップをテーブルにおいて、一歩下がる。
「ナル、根の詰めすぎはよくないとおもう」
「別に」
「詰めてるよ。…………思い詰めるとジーンのこと口に出すの、癖だよ。気付いてなかった?」
「………………」
「ナルが研究馬鹿なのはそれこそジーンのお墨付きだけど」
「霊体が解剖できれば楽なんだがな」
 ひやりとした声が書斎に響いて、麻衣は軽く肩をすくめた。
 この美貌の青年のマッドサイエンティストぶりは今に始まったことではなく、今更驚くようなことでもない。
「…………それはまー、残念だったね」
 相槌のように受け流して、とりあえず強引にお茶を勧める。
「今淹れたお茶!これ飲んで。とりあえず休憩して」
「麻衣の指図を受ける義務はない」
「そのまんま煮詰まってるままよりはずっとマシでしょ」
 冷ややかな声には、いっそ冷淡なほどかるく応えが返る。
 ナルは軽く溜息をついて、繊細なカップをとりあげた。たしかに精神は疲弊していたのだろう。馥郁たる香気に、ほっと気がゆるむ。

「見る、ってどういうことなんだろうね」
 トレイを両手で持って立ったまま、澄んだ声が呟いた。
 抑制された声は、それでも十分にまっすぐに心に透る。
 琥珀色の瞳はナルを通り越して、ブラインドをおろした窓に向けられている。
「視神経で捉えた光の情報を、脳内で組み立てるんだよね、確か」
「………いい加減だな」
「大筋であってりゃそれでいーの!」
「それで?」
「聞いてくれるんだ?」
 軽く瞳を瞬いた麻衣を軽く見上げて、さらりと返す。
「気分転換」
「あ、そ。……とにかく。霊の場合って、それと同じなのかなあ、って思って」
「つまり?」
「普通、見えるって感じるものは目で見るでしょ。だから、霊も目で見てるって思うけど、実際はどうなのかなって思っただけ。もしかしたら、別のところで視てるのかも」
「……………単なる馬鹿でもないわけだ」
「……………お褒めにあずかりどーもありがとうございますっ!」
 どうせあたしは馬鹿だもん、と憤然と言った麻衣に、ナルは漆黒の瞳を向けた。
 
 比べれば遙かに不安定ながら、兄に似た能力をもつ、華奢な少女。
 それでも、彼女の能力を解明したいと思っても、その根元を、解剖してまで知りたいとは思わない。
 自分の研究に利用しても、能力それ自体を研究対象としても。

 渇望するように、その能力の、自分との差を知りたいとは思わない。
 彼の心に占める彼女の位置が変わっても、その領域を広げても、その思いだけは生まれない。
 知りたいと希うのは、ただ、螺旋をわけた片割れに対してだけで、それだけは何年経っても変わらない。

 闇色の深い瞳を、閉じる。


 至上命題は変わらない。
 偶然が作り出した奇蹟に、解答を献じる。
 どれほど多くの時間と労力を割いても。
 それがたとえ他の誰にとっても意味のないことであったとしても。
 同じ螺旋を抱いたふたりの証として。

 
 オマージュ。
 自分たちの誕生の奇蹟と、ジーンの「死」へ。





 書き始めたのは結構古い話です。ジーンへの、ナルのオマージュ。……夢見すぎ、というつっこみは甘んじて(爆)
 うまく表現できたかは別として(………)、かきたいことを書けたかなと思います。ナルの研究への思いの源泉みたいな感じで(笑)相変わらず思いこみ一直線ですが。ナルにとっての、霊視能力者としてのジーンと麻衣の立場の違いみたいなものも書き出せたらいいなあとは思いつつ。力不足に終わってしまいました(滅)精進します……。
2003.9.19 HP初掲載
2005.6.11 再掲載