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花が、咲く。 灼き付けられた心に引きよせられて。 叶わなかった希いを哀しむように。 応えられなかった切ない想いに、せめて今だけでも応えようとするように。 それは、残された桜の想いか、時の中に濃い影を落とした狂気に似た願いか。 応えられぬ望みだけを残して、ただ、待つことすら赦されなかった魂を慰めようとするかのように。 ――――間に合わなかった罪を贖うように。 花が、咲く。 蕾を綻ばせ、花を咲かせ………そして、遅れることを恐れるように、花を散らせる。 儚く、けれど褪せることなく花は散る。 それはまるで、悼みの涙のように、そして無垢な雪のように―――――。 花が、見たい。 ―――――散る、花が見たい。 見たい。 見たい。 ……見せて、欲しい。 未だ固いつぼみ。 その蕾がふくらみほころんで、繊細で優しい花びらを開かせて、そして散る。 色も褪せぬまま、美しいまま。 吹く風に攫われる、やさしく儚い桜花。 その、淡い花が散るさまを見たい。 褪せぬまま散るならせめて、花のもとに、花とともに散りたい。 せめて。 散りゆくなら、散りゆかなければならないなら、美しい美しい花のもとで散りたい。 けれど。 時間は望むようには流れない。 ときは、ひとである以上関与できない領域だから。 ただ、焦燥だけが、重なっていく。 身を、胸を――――そして魂に灼きつく焦燥は、とどまることなく重く胸を圧する。 願いは狂おしいほど強く、けれど時の流れを覆すことはできずに。 ただ、雪のように、花のように、ふりつもる。 † 「咲耶」 からり、と障子が開いて、ひろい十畳間にたった一枚敷かれた布団に横たわっていた少女はゆっくりと顔を向けた。 自分の名前を呼んだ五歳上の兄を見つけて、血の気のすくない顔が、綻ぶ。 「……兄さま」 「ああ、起きなくて良いよ。熱は?」 弱った彼女を驚かせないように、彼はゆっくり枕元に座ると妹の頬に触れた。 「熱いね………まだ」 「………外を、見ていたの」 「咲耶?」 「もう春だよ、って兄さま、おっしゃったでしょう?」 「新暦では、もうすぐ弥生だよ。梅がきれいに咲いてる。ひと枝、ここに持たせようか?」 「だめ………!剪ったりなさらないで」 まっすぐの、黒い瞳。 見据えられて、彼は優しく笑って妹の髪を撫でる。 「そう言うと思ったから持ってこなかったんだよ。それでもせめて、薫りだけでもと思って、お父さんの梅の盆栽を持たせようとしたら、縁起が悪いとおっしゃって、お母さんが許してくださらなかったんだよ」 「………寝付く、っていうから?」 「そうだよ」 少女は兄から目を逸らした。 弱った自分の身体。 自分のことは誰よりも分かっている。 優しい兄、優しい両親。 皆が自分を気遣って隠して――――でも分かってしまう、事実。 けれど、気付いたことは言えない。 それは、優しい偽りだから。 「母さま、心配性だから。鉢植えくらい、いいのに」 「君は可愛い一人娘だからね、咲耶。………梅は、この部屋から見えないけれど、桜が見えるだろう?」 「桜?」 「あの木だよ。ほら」 横たわったままの彼女が外を見られるようにと上げられた雪見障子を、兄の指が指す。 その先に、一本の木があった。 葉を落とし、本格的な春を待つ木は、近くで見ればその新しい芽を膨らませているのだろう。 「あの木、桜なの?」 問いかけた妹の黒い瞳に、兄はやさしく微笑む。 「そうだよ。あれが見えるから、ここを咲耶の部屋にしたんだよ」 「どうして?」 無垢な、瞳。 彼は少し驚いて目を瞠き、それから笑った。 妹の黒髪を優しく梳く。 「お前が、咲耶だからだよ」 「……なあに?」 聡い少女は少し考えてから、首を傾げる。彼は一瞬怪訝な目をして、そして、苦笑した。 「ああ、知らなかったのか。もっと早くに教えてあげればよかったね。………お前の名前は、木花咲耶姫とおっしゃる姫神さまから頂いたんだよ」 「どんな神様?」 「神武天皇さまの曾祖母さまにあたられる、富士山の神様だよ。………そして、桜の神様でもいらっしゃる」 「桜の花の?」 「木花、というのは木の花、つまり桜の花のこと。桜の花咲くお美しい姫神さま、だね。お前が生まれたころ、ちょうど花が盛りだったんだ。………よく、覚えているよ」 「咲耶は桜なの?兄さま」 「………そうだね」 彼は大切な妹にほほえみかけて、頷いた。 † 美しい、うつくしい桜花。 その花に、こころをかさねる。 花は散る。 色も褪せぬまま、ただ、鮮やかすぎる残像を心に刻んで。 |
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