Say you love me. 願いはどこまでも真実で、それだからこそどんな形にもならずに胸の奥に沈めたままに。 † 静かな、部屋。 本のページをめくる、紙の擦れあうかすかな音だけが、規則正しく空間に響く。 デスクに向かった漆黒の青年と、ベッドに腰掛けた華奢な少女と。 視線すらも合わせないままに、ときを過ごす。ただ、気配だけがつよく、たがいを惹きあっていく。 からみつく。 あざやかな気配と、おだやかな息づかいと、背後に感じるまっすぐな瞳。 ひと月前までの日常に、心を搦めとられる。 意識を、奪われる。精神の領域が、ゆっくりと、けれど確実に侵食されていく。 「ナル」 唐突に、静寂が破られた。 1時間ほど前ベッドに下ろされてからひとことすら言わなかった麻衣が、はじめて口を開いた。 抑えた声で、それでもはっきりと名前を呼ぶ。 胸に透った痛みに似た感情に、ナルは秀麗な眉をわずかに眇めた。 ほんのわずかな表情の変化はただ本のおもてに向けられただけで、背後の麻衣の瞳にはうつらない。 「もうすぐ、日付変わっちゃうね」 返事を待たずに言葉を継いだ彼女の声が微妙な苦笑を帯びて、沈黙に波紋を広げた。 「せっかく、誕生日に会えたのに。………プレゼント、あげたかったな」 「…………べつにいい」 栞代わりにメモをはさんで本を閉じる。 ぱたんと空気を震わす音を背後に、回転いすがゆっくりと半周回った。 漆黒の瞳が麻衣をとらえる。 まっすぐに、色合いの違う視線が、絡まる。 「別に、必要ない」 「ナルがよくてもあたしがよくないの。あたしがあげたいんだから。……送ることだってできたけど直接渡したかったから、クリスマスにこっちに来るときに持ってこようと思ってたんだよね。まさか会えるなんて思ってなかったから」 「僕も思ってなかったな」 「そうなの!だから、持ってきてないし、送ってもいないの」 「……麻衣自身がプレゼントらしいから、いいんじゃないのか」 返された答えに、彼女は一瞬言葉に詰まった。 「それは問題が違うでしょーっ!!」 思わず声を上げて、それから言葉を継ぐ。 「だいたいそれは、まどかさんからの、でしょ!どっちにしたって!」 日本のものに比べれば、はるかに淡い照明。 そのなかで、こづくりの顔があわく染まったのが判った。 露わに揺れた動揺は、容易には鎮まらない。 あざやかな感情の色に染まった、綺麗に澄んだ高い声が、透る。 ナルはかるく溜息をつく。 「どうしてもというなら、明日にでも買い物に行けばいい。ルエラあたりが喜んで案内するだろう。一日遅れくらい気にしない」 「だってお金持ってないもん」 「…………財布も持ってこなかったのか?」 「…………………だって、パスポートは持ってる?って聞かれて、出したら、そのままつれてかれたんだもん」 最初から拉致同然だとは思っていたが、そこまで唐突に彼女を連れ出したとは思っていなかった。 それでは本当に、まるきり拉致だ。 あきれたように溜息をつく。 一呼吸おいて、ナルは優雅な動作で立ち上がった。 漆黒の影が、音も立てずに動いて、ベッドに座った麻衣の前で止まる。 ほそい首を仰向ければさらさらと淡い髪が揺れる。妍麗な美貌を、闇色の瞳を、まっすぐに見上げて、彼女はかすかに笑う。 琥珀色の瞳が、冴えた月の光を受けて一瞬だけ蜜色にひらめく。 やわらかな気配だけが変わらずに、ただ、引力が増していく。 惹かれて、いく。 手を伸ばしても届かない程度の距離をおいて、ただ、やわらかなぬくもりの記憶の檻に囚われる。 「自分しか持ってないのに、あたし自身がまどかさんのプレゼントなんだもん。どうしようもないじゃん」 「そんなことをずっと考えてたのか?」 「じゃあ、ナルは何考えてたの?」 一転して真摯な瞳で問い返されて、言葉を飲み込んだ。 麻衣の言葉は、時折はっとするほどにするどく、真髄をつく。 「あたしはまどかさんの誕生日プレゼントだからって、今日はずっとこうやってそばにいさせて………その間、何、考えてたの?」 「……………………」 落ちた、沈黙。 白皙は動かなくても、応えは返らない。 朝食のあとも、ティーパーティーのあとも、ディナーのあとも。 必ず麻衣をつれて、時には有無を言わさず腕に抱き上げて、部屋に戻った。 それは、拉致同様に彼女を連れてきたまどかに対する意趣返しなどではすでになくて。 ただ────。 ひと月前まで、当たり前にそばに在った慣れた気配。 ひと月のあいだ、気配に触れることも声を聞くこともなく離れていた、存在。 求めていたことを、意識しないままに身の裡を灼いていた渇望を、思い知らされた。 今まで意識していなかったそのことを、今朝目が覚めて腕の中の存在に気付いたときはじめて、突き付けられた。 渦巻く感情は、凪いだ表層を乱すことはなく、漆黒の瞳にはうつさない。 ただ、琥珀色の瞳と、漆黒の瞳が、揺らぎもなく互いを映す。 「ただ、プレゼントでいるのは不満だったか?」 「不満といえば不満。あたしは物じゃないもん。……でも、ナルのそばにいれたのは嬉しかったから、それはいいの。まどかさんに純粋には感謝しないけど、文句も言わない」 くすりとわらって、麻衣はもう一度漆黒の瞳を見つめ直した。 じっと、深く、探るように侵すように、息をつめて。 視る。 「ほんとに……会いたかったのは本当だから。………まだひと月だけなのに」 ほんのわずかに苦笑して、麻衣はナルに両手を伸ばした。 細い手首を長い指に絡めるように握りとって、彼は促されるように膝をつく。 そうすれば、目線の位置が変わらなくなる。 「麻衣?」 「ナルが何かんがえてたかはおいといて。……ずっと考えてたら、もうひとつあたしが持ってるもの気がついたの。ナルにあげられるもの。これしか思いつかなかった」 ふわりと笑って。 麻衣は手首をナルに捕まれたまま、彼の首に抱きついた。 バランスを崩してそのまま後ろに倒れ込みそうになって、ナルは手を離して麻衣の体を抱き留める。 記憶に鮮明なぬくもりとやさしく甘い香りが、意識に触れて、侵蝕を深めていく。 「麻衣?」 「ナル」 耳元にくちびるをよせて。 他の誰にも、神様にも聞こえないほど声を抑えて。 ささやく。 ただ、その言葉を紡ぐことだけに、すべての精神を集中する。 「ナル」 繰り返して名前を呼んで、白くつめたい耳たぶにあたたかな唇で触れた。 「好き」 ことばを、つむぐ。 「大好き、なの。ナルが、好き」 ひそやかなささやきに涙が混じった。 「ナル」 涙を抑えるように繰り返し名前を呼ぶ。 「ナル………」 闇色の瞳を瞠って、ただ呆然と麻衣のささやきを受けていた青年は、ゆっくりとおおきく息を吐いた。 こころが、 波立つ。 抑えきれなくなることなど絶対に望まないのに、思わずコントロールを手放したくなる。 感情の枷が、どうすることもできないままに、ゆっくりとはずれていく。 「麻衣」 名前を呼ぶ。 怜悧な声がわずかに深みを増して、韻く。 「それがお前が考えた、プレゼントか?」 「………うん。言霊っていって……」 「言葉に魂が宿る?」 「そう。知ってた?」 「当然。……………言葉にこめた魂を?」 「うん。………ナルが好き。ぜったい、大好き」 「日本語が変だな」 「そんなことはどうでもいいの!」 「………確かにそうだな」 さらりとかえして。 彼は膝をついて少女の体を受け止めた無理な体勢から、ゆっくりとたちあがって彼女の隣に座った。 華奢な身体を軽く抱いたまま、やわらかなベッドにふわりと沈みこむ。 ごく自然に彼の身体を受け止めた麻衣は、囁くように問いかけた。 「ナル?………やっぱり無理がある?」 「………………いや」 低く否定して、ナルはシーツに沈んだ麻衣の耳元に口づけた。 「受け取る」 限界まで抑制した、どこまでも怜悧な声。 麻衣は琥珀色の瞳を限界まで瞠って、それから、きれいに綺麗に微笑った。 瞳を濡らした涙が頬を伝ってこぼれて、シーツに染みる。 「ナル」 「麻衣?」 「大好きだからね」 ささやくような声は、それでもつよい。 心に響く澄んだ声は、魂に刻まれる。 もう一度開いた唇を、言葉を奪うようにそっとふさいだ。 ゆっくりと、キスを、深める。 共鳴するように、澄んだ囁きが脳裏に反響する。 このまま日本に帰らずに。 そばにいて、声をきかせてくれればいい。 二度とそばからはなれないで、毎日おなじことばを囁けばいい。 表層にはのぼらずに、希いは自覚されることすらなく。 揺れて乱れる感情の波は自覚しても、凪いだ表層を乱すこともない。 それでも。 濡れた唇が離れて、潤んだ琥珀の瞳が闇色の瞳をとらえた。 白いシーツにふわりと散った淡い髪が、月の光に時折きらめく。 「受け取ってくれてありがと、ナル」 「プレゼントを?」 返したナルに、麻衣はふわりと微笑む。 「うん。………ナルが、好き。お誕生日、おめでとう」 くりかえしたささやきは。 もう一度重なったキスに溶けた。 いまは、自分自身にさえも秘めた、こころのままに。 |
2002年のツインズお誕生日合同企画に掲載した"Birthday Present"(12000キリ番SSとして現在も掲載してます)の続きっていうかその夜、です。←ネタ切れか。(爆破)…………とくに後半は、もーちょっと、大人っぽい甘さって言うか、艶って言うか。雰囲気出したかったんですが。思いっきり挫折してますね(涙)少しずつ増していく引力が書きたかったんですが。………ていうか、そもそもまともなナル×麻衣を久々に書いたので(………)リハビリが必要なようです………(涙)精進します。すみません。あう。
2003.9.19 HP初掲載
2005.6.11 再掲載 |