4.大伴氏と中曽根親王塚
 
 「日本国現報善悪霊異記(りょういき)」は、わが国最初の説話集であり、平安初期、弘仁14年(823)前後に奈良薬師寺の僧景戒が編集した。奈良時代の全国66カ国中、28カ国の116の説話が収められており、東山道に11のうち、信濃国が2つ、しかもこの2つとも小県郡である。これは、当時小県郡に国府があり、信濃国の文化の中心であったことを物語るものであります。
 
 【大伴連忍勝(おおともむらじおしかつ)は、信濃国小県郡嬢(おうな)の里の人である。大伴連らは心を合せて、その里に堂を造って大伴氏の氏寺とした。忍勝は大般若経を写すために願を立て、物を集め、髪を剃り袈裟をつけ、戒を受けて仏道を修行し、いつもその堂に住んでいた。宝亀5年(774)の春のこと、突然人に落としいれられ、その堂の檀家の者に打たれて死んだ。檀家の者と忍勝とは同族である。親類は相はかって「檀家の者 を殺人罪として裁いてもらおう」といった。そこですぐ忍勝の体を焼かないで、場所をきめて墓を作り、仮に埋葬しておいた。

ところが5日すぎて忍勝は生き返って、親類の者に次のように言った。『5人の召使いが一緒に付いて急いで行った。行く道に非常な坂があった。坂の上に登って立ちどまってみると、3つに分れた大きな道があった。1つの道は平らで広く、1つの道は草が生えて荒れ、1つの道は藪でふさがっていた。分かれ道の中に王がいた。使いの者が「呼んでまいり ました」といった。王は平の道を指して「この道から連れて行け」といった。5人の使いがとりまいて行った。道のはずれに大きな釜があった。焔のように湯気が立ち、波のようにわき返り、雷のようにうなっていた。そこで忍勝を捕まえて、生きながらざんぶと釜に放りこんだ。釜は冷えて4つに割れた。そこに3人の僧が出てきて忍勝に向って「おまえはどんなよい事をしたのか」とたずねた。「わたしはよい事もせず、ただ大般若経600巻を写そうと思ったので、先に願を立てましたがまだ写していません」といった。そのときに3枚の鉄の札を 出して比べると、言うとおりであった。

僧は忍勝に「おまえは本当に願を立てて出家し、仏道を修行した。このようなよい事をしても、住んでいた堂の物を使ったので、おまえを呼んだのだ。いまは帰って願を果し、また堂の物をつぐなえ」といった。そしてやっと許されて帰ってきた。3つの分れ道を通りすぎ、坂を下ってみると生き返っていた。これは願を立てた力と物を使ったための災難で、自分の招いた罪で、地獄のとがではない』といった。大般若経に「一体、銭1文は毎日2倍にしていくと20日で174万3貫968文になる。だから1文の銭も盗んで使ってはならない」といっている】
 

 奈良末期の宝亀5年(774)小県郡嬢(おうな)里(現本海野周辺一帯)に大伴連忍勝なるものがおり、その居館近くに氏寺を建立していることから相当の大氏族で海野郷の中心的人物ではなかっただろうか。大伴氏は、わが国古代から大和政権期に軍事担当した氏族で、6世紀頃まで朝廷の最高権力者であった。中曽根親王塚も大伴氏の勢力を示すものではないかと言われている。

中曽根親王塚は丸山ともよばれ、円墳のように見えますが、墳丘の麓の1辺の長さは52m内外、高さ11m余の膨大な方墳であります。このような方墳は全国的に見ても数が少なく、東日本では、その規模において1〜2を争うほどの大きさであって、5世紀後半に築造してものと推定されています。
奈良朝の末に朝廷は馬の必要性から朝鮮を経て蒙古の馬を導入し全国に32の勅旨牧をつくり、その半分の16の牧場が信濃国に設けられました。

 
 大伴氏は馬を飼う牧場経営者でありました。この地方には信濃第一の望月の牧が望月氏が管理し、それに次ぐ新治の牧が祢津氏が管理し、その棟梁が海野にいた大伴氏ではなかろうかとも云われている。
「信濃奇勝録」にもありますが、北御牧村下之城の両羽神社に奉納されている2体の木像があります。1体は海野氏の祖と言われる貞保親王の像で、もう1体は目が大きくて、牙があり総髪の異様なもので、ダッタン人(満州や沿海州をダッタンと言っていた)と呼ばれている船代の像であります。
 
(左)貞保親王・(右)船代木像=ダッタン人
(両羽神社)

当時の日本は野生の馬だけでしてので、馬の飼育繁殖の技術指導のために高句麗や蒙古の人達が多く渡来しました。
騎馬遊牧民族として名高い蒙古人が、牧場の仕事の合間に馬頭琴をひいたり、祖国のメロデーを口ずさんでおり、この美しい音色がやがて土地の歌となって「小諸節」や「江差追分」となり、その本流がモンゴルであると定説になっております。

大伴氏の栄えた頃、大伴連忍勝も信濃に派遣された一族の末裔で、法華寺川(金原川の下流)に土着して居所を持ちこの嬢里に発生した土豪海野氏はこの大伴氏の血をひくものではないだろうか。

(上田小県誌より)
 
     
 
海野物語 目次 海野史について    
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  白鳥河原に挙兵した木曽義仲 臼田文書と海野庄 如仲天ァと興善寺 武田信玄と海野氏
  海野史略年表