20周年に寄せた指導員の思い出から

20周年記念誌を発刊したとき、指導員の北島さんが書かれた文章をここに転載します。
これを読むと、なかよしクラブ創成期の苦労がよくわかります。
学童保育クラブは、ここにあるのが当たり前の私たちですが、先達の父母の皆さんや、指導員の方がいかに苦労して、この学童保育を作ってきたのか、委託学童である、「なかよし」の原点に触れることができるような気がします。

20年間の思い出のなかから

北島 弘昭

 買い物に行ったときでした。お店の隅の花売りのコーナーに2人の女性が捜し物でもするかのように見ておりました。2人は知り合いではないようで会話をすることはありませんでした。片方が「なかよし」が出来た頃のお母さん、もう片方は、つい最近卒所した子のお母さん。2人の共通点を知っているのは私であって、そんな事実を2人は知りません・・・
 乳母車を押してやってきたOG、声を聞くまではなんだか信じられない変わり様。「久しぶりに実家に帰ってきたから先生にみせたくって!」と我子を紹介された・・・鼻水をいつも流していた1年生の時の顔、うっすらと化粧している今の顔、大きくなったとのひと言では語れそうもない時の流れを感じた。子が親となる・・・私は若くしておじいちゃん?不思議だった・・・

 結婚式の招待状、なんとしても参加してほしい・・・との知らせ。
 今まで3組出席させていただいた。日頃ジーパン姿しか見せていなかった新郎や新婦へ、初めてスーツ姿を見せる気持ち。その高鳴りよりも、彼や彼女たちの美しい晴れ姿は言葉に出せないほどすばらしかった。子ども時代、互いにぶつかりあいながらも話したそのひと言ひと言、私のヒザの上の思い出がいつまでも思い出に残っていてくれたことの喜び、20年の時の流れ、出会い、成長・・・その重々しさ 今思う。

 学童保育とは何なのかすらほとんど理解せぬままこの仕事に就き、1日1日が、どうしよう・・・と悩み続けた出発。ただ放課後を安全にすれば・・・という思いはすぐに挫折しました。子供たちは楽しさを求め、集団を求め、親の代わりである指導者に愛情を求め、求めたものが満たされだすと私の目の届かない所でのささやかな冒険を求めていました。杓子定規に1つの型にはめようとでもすれば、すさまじいパワーではねのけ、学校や家庭で何か 苛立つことでもあろうものなら、そのうっぷんは如実に子供集団に表れました。ガキ大将的存在が出来上がらなければこの集団はもたない・・・それまでは・・・大きなガキ大将の私でした。
 そして指導員はそんな私1人の出発でもありました。

 ある日 熱を出して学童でダウンしてしまった私。子供たちはそんな私にタオルをしぼって額にあててくれました。小さな手でしぼられたタオルは、まだいっぱいの水を含み、私の顔からひと筋ふた筋を流れていきました。私がこの仕事を続けていきたいと思ったひとつの出来事でした。 暗中模索の私の中で、子供たちとの結びつきを学んだ気がします。

 父母のパワーもすごかった。連日連夜、日曜日も含め「なかよし」のために走り回りました。土地探しから始まり、トイレ作り、日さし作り、庭作りと集まりました。かたや、市役所通いもしょっちゅうで、恥ずかしさも戸惑いも感じている間がなかったと思います。1人の親として子ども達のために語る声は、震えを感じさえすれ重々しい言葉でした。
「これだけ頑張っているんです。こんなに子ども達の楽しい声があるんです。町田市が責任持ってやってください!」

 雨の降った日でした。所々雨漏りがしてバケツが置かれている「なかよし」に市長がやってきました。「2つの条件を飲んでもらえるなら公立にしましょう」との事でした。男性指導員は認められない事、公立と同じ基準にするので、高学年や障害児の受け入れは認められない、とのことでした。市長が帰ったあとの父母会の事を私は今でも覚えています。みなで涙したあの時を、
 仕事をやめなければならない悔しさを初めて感じました。
 しかし、その後町田市は公立クラブは作らない、委託化すると方針を変えました。「なかよし」の公立化は約束しなかったとの事でした。あの時のやめると決断した涙の重さはなんだったんだろうと私は今でも思っています。このくやしさが私が仕事を続けてきた出来事のひとつです。
 大人の社会の おかしさを 学んだ気がします。

 「先生あのねえ うちの子ねえ・・・」いっぱいの子育ての話しを聞きました。話し出すと夜中まで続く熱弁でした。日頃の思いは学校のこと、家庭のこと、物事の見方、考え方へと進むこともしばしばでした。親としての思い、妻としての思い、夫としての思い、大人としての思い・・・良い意味での掃きだまりが「なかよし」にはありました。今の私を育ててくれたのはそうした多くの父母だったと思っています。そうした人々との結びつきが私の宝物であり今まで仕事を続けてこられた最高の支えだったと思っています。
 時としてきびしく、時としてやさしく、私は人生を今でも学んでいると思います。

 子ども達の生活がよりすばらしい物になってほしいと願うのはみなの願いだと思います。生活に追われ、育児に追われ、なかなか自分の時間すら取れません。そんな忙しさの中で「なかよし」に関わることは大変なことだと思います。ある子がいいました。「学童にはお母さんの匂いがする」、そんな時 子どもはホッとしながら生活できるのだと思います。子どもの生活を豊かにするためには親の生活も豊かにならなければ・・・と思います。

 子どもたちに友だちがいっぱい出来てほしいと願うのと同じように私は親にいっぱい友だちを作ってほしいと願います。それがきっと私達大人の生活を豊かにすることであり、そのことが子ども達の豊かな心を作っていく事になると思います。子どもも親も共に成長しあえる場が「なかよし」にあると思っています。

 この20年間で400名程の子ども達がなかよしに入ってきました。色々な思いを持って、何かをつかんでくれた事と思います。途中で退所してしまった子もいっぱいいます。全ての子にとって楽しい場をと願いつつもなかなかむずかしいのも事実です。心いたむとすればこのことが気がかりでいます。でもきっとどこかで「なかよし」での集団生活の経験をいかしてくれているのでは・・・と願っています。

 今も子ども達のにぎやかな声を聞くと何故だかホッとするのです。年がいもなく、まだ ガキ大将でいたい私は、何かにつけ子どもには負けたくないとムキになっています。おかげで遊びに関してはかなり特技が増えました。子ども達のおかげで気持ちだけは若く保てていられそうです。毎日あっち、こっち、そっちと何かが始まり何かが起こる。全くもってドラマチックな生活のように思います。
 学童保育という仕事の奥の深さを感じます。

 これからも、多くの子ども達が入ってきて多くの父母との出会いがあるでしょう。「なかよし」がそんな人々にとって「来て良かった!」と思ってもらえる所にしていきたいと思っています。

 (原文のまま)

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