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急に温かくなりました 2006年2月22日、16:05:24

ついに善福寺の紅梅が開花
2006年2月13日、12:59:28

2月の春の訪れ 2006年2月3日、14:08:30

山茶花ももう盛りを過ぎたようです
蝋梅が咲き誇っています。とても良い香りです
紅梅はいよいよです。あと3−4日でしょうか?
何という名前なんでしょう

2月の西荻の花

菜の花

菜の花(13.2.8 西荻南4−6)

「菜の花や月は東に日は西に」は有名な蕪村の句ですが、これは夕方ですね。実はこの句は柿本人麻呂の「東(ひんがし)の野にかぎろいの立つ見えてかえりみすれば月傾ぶきぬ」を意識して作ったと言われています。「かぎろい」とは陽炎と書き日の出の頃に空が赤みを帯びて見える様子の事だそうです。
朧月夜の「菜の花畑に入り日薄れ・・・夕月かかりてにおいあわし」は夕方ですが、この歌詞も上記2首の影響を受けているのでしょう。

平成8年に没した作家、司馬遼太郎は生前菜の花を愛でていて命日の2月12日は「菜の花忌」とされています。

菜の花を栽培するのは、菜種油を採取するのが目的でした(今はほとんど輸入)。食用油は用途・品質・精製度によって、天ぷら油、白絞油、サラダ油の3種類に分かれますが、菜種油は白絞油として精製される事が多いようでです。上質の天ぷら油といった使い方なんでしょう。

中国から渡来した日本古来のナタネ=アブラナは、明治に渡来した洋種ナタネ=セイヨウアブラナに駆逐されました。
原因は、セイヨウアブラナは、アブラナとキャベツの雑種で、染色体はn=19の複2倍体であり性質が丈夫で収量も多かったからでしょう(日本のアブラナは単純な染色体数n=10の2倍体です。「9月の花」の彼岸花を参照してください)。複2倍体は雑種強勢現象を現し、且つ高い稔性(結実性)をしめすので、綿、小麦、燕麦などのタネを利用する作物の品種育成に利用されます。

仏の座

仏の座(14.2.9 西荻南4−15)

牧野植物図鑑で調べたら、同じ紫蘇科に属する近縁の「姫踊り子草」と「垣通し」にも似ていて判断は付きかねました。

どうやら「垣通し」でないことだけは確かですが・・・。まだ寒いのと、駐車場の砂利の隙間という悪条件で矮性化してしまったのでしょう。

ちなみに、春の七草にも「ほとけのざ」が出てきますが、これは菊科の「田平子」の事だそうです。









清正の酒まんじゅう

秋から春にかけての西荻の風物詩です。

酒種の香りがすごいです。

やけどしないように要注意ですね。
1ヶ115円という不思議なお値段です。

清正は戦前四谷で営業していたそうですが、空襲で焼け出されて、西荻に来たそうです。それでももう56年ですね。
14.2.24




雛祭り(ひなまつり)

3月3日の雛祭りの行事の起源は
@中国から伝えられた五節供(ごせっく、1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日)の一つ
A日本古来の人形(ひとがた=人の代わりになるモノを作り、種々の呪術を行う=形代(かたしろ))によって身を払おうとする考え
B貴族の幼女の人形遊びとが結合して、室町時代に一応の形が出来、江戸時代にいたって、地方や民間に普及したそうです。

現在でも各地で「流し雛」と言って、3月3日に雛人形を川に流し送る風習がありますが、これは、「形代」の意味を伝える行事だそうです。
江戸中期からは、女子の初節句を祝う行事になって、毛氈の上に内裏雛を並べるのがほとんどであったが、江戸末期には、江戸で現在の段飾りの形ができあがったそうです。

お雛様の飾り方とそれぞれの役割は(写真は記述の並べ方と少々異なっています)
「最上段」向かって左がお殿様、右がお姫様。両脇にぼんぼり、真ん中に桃の花。
「二段目」3人官女で真ん中が三方、右が長柄の杓、左が銚子。官女所の間には、餅や和菓子を供えます。
「三段目」5人囃子で左から太鼓、笛、小鼓、太鼓、扇を持つ地謡
「四段目」真ん中にお膳や菱餅を飾り、左端に若者の右大臣、右端に老人の左大臣
「五段目」左端から右近の橘、台笠を持った仕丁(しちょう=従者)、沓台、立ち笠、右端が左近の桜。
「六段目」道具類
14.2.27

薺(なずな)=ペンペン草

通称「ペンペン草」です。一月七日の春の七草粥に用いられます。
家の荒れ果てた様を「ぺんぺん草が生える」と言いますが、この「ぺんぺん草」の由来は、タネが三角形で三味線のバチに似ているから、三味線の擬音「ペンペン」を採ったと言うのが通説です。それで「三味線草」とも言うそうですが、確かに、与謝野蕪村は「妹が垣根 三味線草の 花咲きぬ」と詠んでいます。
でも子供の頃、茎を両手のひらに挟んで、竹とんぼのように回転させると、三角形のタネがぶつかって「ペンペン」と音を立てたのは皆さん覚えていらっしゃるでしょう。
この花はやはり、芭蕉の「よく見れば なずな花咲く垣根かな」が決定版です。14.2.14 西荻南2−12

白梅(13.2.8.西荻南4−6)

「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春な忘れそ」(大意=菅原道真が九州の太宰府に流されるとき、去りゆく京都の自宅の紅梅を眺めながら、春風が吹いたら香りを太宰府まで送っておいでよ、主人である私がいないからといって、春を忘れない又来年も咲いておくれよ梅の花)

菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)は菅原道真の太宰府流罪という史実を近松門左衛門が脚色して作った浄瑠璃・歌舞伎脚本「天神記」を下敷きにして、さらに竹田出雲(初代)等が内容をふくらませて作った脚本です。
「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」と共に人形浄瑠璃・歌舞伎の三大名作といわれています。

梅王丸、松王丸、桜丸という三ッ子が活躍し大変長い歌舞伎なので、現在では全部通して上演するということはありません。
作者である竹田出雲(たけだいづも、?〜1747)は政争・個人の名誉のために、殺し殺され、ついには上司のために我が子の首まで切らせてしまうという封建制の不条理・残酷さ・悲劇をあますとこなくリアルに描き切っています。
せまじきものは宮仕えじゃなあ」という名せりふが生きるのですが「仮名手本忠臣蔵」同様に、竹田出雲にその意識があったかどうかは別として、結果的に徹底した体制批判をやってのけた戯曲の傑作といえるでしょう。
クライマックスは松王丸が、我が子「小太郎」の首を切らせて、菅原道真の子供「菅秀才」の身代わりにする「寺子屋」の場面です。
「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん。・・・・女房喜べ、せがれは御役に立ったぞ」という松王丸の屈折した、なんともやりきれないせりふです。勿論、「親の子殺し」一つをとっても、当時の民衆にも理解できないにしても、体制・義理・人情に縛られる登場人物たちに、現実的に不合理な封建制の中に生きる自分たちの姿を重ね合わせ、涙していたのでしょう。

菅原道真は配所の太宰府で無念の内に病死。怨霊・荒ぶる神となって京都の北野天満宮に祭られ、全国に天神様として広がって行きました。このプロセスは三国志の蜀の武将「関羽雲長」が呉の偽計に憤死し、その怨念が中国全土に関帝廟として祭られたのと似ています。
江戸時代以降は学問・詩文・書道の神様に変貌し、怨霊としての性格が薄れていくのも、関帝廟が武廟(八幡神社も鎌倉時代は源氏に崇敬され、軍神・武神としての性格が強かった)から、道教の祠に移行していくのと軌を一にしています。

しかし菅原道真作とされている、「とおりゃんせ」の童歌にも、怨霊神としての記憶が刻まれています・・・・「とおりゃん とおりゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ どうぞ通してくだしゃんせ ご用のないもの通しゃせぬ この子の七つのお祝いに お札を納めに参ります 行きはよいよい 帰りははこわい 怖いながらも とおりゃんせ とおりゃんせ
天神様=梅干しの種の中身
(現在作成中)14.2.14

枇杷の実14.2.21西荻南4-15 アロエ14.2.22 西荻南2−17 ぼけ14.2.23西荻北2−31
沈丁花14.2.25南荻窪2−22 房アカシア14.,2.24南荻窪2−16

2月の花(04年)

五日市街道を吉祥寺方面に行き「紳士服のコナカ」を左に入ると広い梅畑があります。数年前までもっと密で、もっと広かったんですが・・・遅咲きの白梅ですので3月中半ば迄見られます。6月には梅の実が現地で直売されるそうです。松庵2−23。2004.3.4

西荻の2月の花

蝋梅(ろうばい)

とても良い香りの花で、庭園やお寺等で見かけます。

花びらが蝋細工のような不思議な花です。

「唐蝋梅」とか「素芯蝋梅」等の区別があるようですが、私には判りません。

2005.2.6

善福寺上池









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