「スガヤンの日々是トロトロ」は、
   ファーム葱坊主 風の頁との
  共同コンテンツです。
  ご意見は、管理人の葱坊主まで。 

 ファーム葱坊主の野菜たちと一緒にお送りしているエッセイ「スガヤンの日々是トロトロ」を、ネット上で公開することにしました。スガヤンは2003年5月に重症筋無力症という難病になりました。それまで元気に飛び跳ねていたスガヤンですが、発病により生活のスタイルやリズムも変えざるを得なくなりました。しかし、まだあまり知られていない重症筋無力症という病気のこと、また、そのような病を持つ人が何を思い日々過ごしているか、それから房総での暮らしのことなどをエッセイに綴ってくれています。この素敵なエッセイを、ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思います。
 スガヤンはネットに参加できませんが、読んでいただいた方のご感想やご意見などは管理人の葱坊主がスガヤンにお伝えいたします。お答えできないことやお時間を頂くこともあります。皆様のご理解をお願いいたします。
 なお、管理人葱坊主が不適切と判断した書き込みは、無条件で削除させていただきます。
(イラスト・文章を無断で、使用・複製・配布することはご遠慮ください)


第15回 2005年2月号 


 遅れ馳せながら、明けましておめでとうございます。・・・って、この文章を皆さんがご覧になるのは、もうお正月ではないのかな?旧正月(今年は2月9日)の頃かもしれませんね。明けましてと言っても、昨年は大事な恩師を亡くしたし、暮れも押し迫った頃にスマトラの大地震・大津波はあったし、気分的には何だか喪中な感じです。けれども一昨年、父を亡くした私としては、「やっと喪が明けたか・・・」といった心境でもあります。
 やっぱり人間には、身に起こる出来事を納得したり、気持ちを整えたり、あるいは具体的に生活を建て直したり、体を変えたりすることに、それなりの時間というのが必要なのだなと実感しています。最近お母様を亡くした友人が、「四十九日とはさすが、心の落ち着きを取り戻すのに必要な、大きな力のようだった。」と言っていましたが、こうした日数や儀式といったものも、単に形式的なものではなく、人々の経験から来ていることなのだと思います。身内を亡くした者が、丸一年は喪に服す、というのはそれなりに意味があるのでしょう。私もこれは、経験してみてわかった気がします。

・・・のっけからこんな話題になってしまいましたが、難病を発症した自分が、そのことを納得するのにもやはり時間がかかりました。今もまだ、本当には納得できていまん。
 病気になって何が辛いかといえば、ご飯が食べられないとか、しゃべりづらいとか、腕が重いとかすぐ疲れるといった体の症状は勿論だけれども、むしろそのことによって起こってくる社会との関りのむずかしさだとか、友人とのコミュニケーションのズレだとか、二次的・三次的にあらわれる社会的障害によって精神的苦痛を感じ、心が不安や孤独に陥ることであると、この「トロトロ」にさんざん書かせてもらってきました。これは病気になって一年や二年そこらでは解決しない問題なのでした。
 そんな中で良かったのは、ほんの些細なことが大きな喜びに感じられるようになったこと。これは病を体験した私だからこそ味わえるわけで、「みんなにはわからないだろうな、ふふふ・・・」と一人ほくそ笑んでしまうことがあるのです。まわりは何でもなく通り過ぎてしまうことに、いちいち自分が喜んでいるのもしゃくだったりするのですが、自分が一筋縄ではいかない難病を持ったことを、「病を得た」というように思えるようになれたら、素敵だよな、と時々思います。 でも実際は自分の感情に振り回されてばかりいて、体力が回復し体調が安定している今でさえ、心はぐちゃぐちゃ、バラバラです。

・・・そう、このところ体調が良く、一年半飲みつづけていた薬を、この年末からやめています。この通信でも紹介したことのある、あの薬です。3錠だった薬を昨春には2錠、秋で1錠、・・・そしてようやく0!これもとびあがって喜びたいことのひとつです。
 暮れの血液検査の結果では、昨春とたいして体の中身は変っていないようだったのですが、
(病気の原因である、神経から筋肉への伝達を阻害している抗体の数値には変化なし。)
 なぜか表に出ている症状は落ち着いていて、薬の服用前と服用後で、あまり変化が見られなくなったので、毎日飲まなくても良いということになりました。朝一番でまず薬を飲まなければ、着替えもままならなかった頃のことを思うと、ウソのようです。
 何が功を奏したのか、よくわかりません。私の場合、一時的に自覚症状を抑える対症療法的な薬しか飲んでおらず、筋無力症に一般的なステロイド等の治療はやっていません。これといった民間療法も続けたものはありません。食事療法、漢方やハーブティー、鍼灸、整体、アロママッサージ、中国式体操、どれもこれもまともに続けたものはないし、ヒーリングや宗教といったものもはまりませんでした。自ら日課としていた父への供養やお祈りも、おろそかになってきているし・・・。考えられるのは、発症から診断がつくまでが比較的早く、早い段階で胸腺の摘出手術を受けたこともあると思うのですが、とにかく自分の好きな事をやめないでいたことは大きいような気がします。ある意味自分を甘やかし、楽しい、気持ちがいいと思える事に貪欲でいたことは、体や心を解きほぐし、細胞を活性化させたのかもしれません。
 しかし本当には安心できません。この病気は、良くなったと思っていた人がある日突然悪くなったり、完治と思われた人が何年か後に症状を再発したり・・・ということがあるのです。実際私も、この一年半の間にさまざまな波がありましたし、良くも悪くも体が変化する妊娠や出産は、MG患者にとってはかなり大きな賭けであり、リスクを伴うことはまちがいありません。・・・とにかく、仕事をするにしても家庭生活を送るにしても、何をするにも普通の人と同じ様には考えられない体であるということ、どんなに症状がおさまって元気になったように思えても、病気と一生つきあうくらいの自覚を持って暮らさなければならないことは確かだと思います。

 それにしても、薬を飲まなくてよくなったのは喜ばしいことであり、これからは少しずつ、仕事を増やしたり興味のあることを始めたいと思っているのですが、今まで受けていた保険の期限が切れることもあり、今一度、自分の生活を建て直す時期にきています。
・・・ということで、突然ですが、一年半続けてきた「日々是トロトロ」を、今回で一旦終了させていただくことにしました。予告もなく急で申し訳ありませんが、しばらくの間お時間を頂いて、またどこかで、私の勝手気ままなつぶやき(叫び?)を、読んでいただくことができたらなあと考えております。・・・連載当初は、もう少し田畑や房総の自然の豊かさなどに触れたいと思っていたのですが、書き始めるとどうしても自分の病気ネタばかりになってしまい、みなさんにご感想をいただいてもお返事することもできず、申し訳ありませんでした。しかし、自分の思いを書いて発表する、このような場をいただいて、私にとってはとても自分の励みになりました。葱坊主さんをはじめ、みなさまに感謝しています。どうもありがとう。

デン : 毎回読ませていただきました。中野で絵も見せていただきました。スガヤンの感想や意見は,今まで知らなかった,気づきもしなかったも多くありました。一年半で「日々是トロトロ」のコーナーを閉じてしまうのは残念に思います。今後とも別のかたちで「風の頁」とのお付き合いを続け,素晴らしい絵やご意見・日々の感想等をご披露していただけるよう期待しています。 ♪♪♪       (2005/03/29 10:36:15)
かみ : 同じMG患者です。おまけにリウマチもあります。病気になったからこそ得たもの…私もあります。同病の仲間たちかな。この病気にならなかったら、知り合えなかった人たちだもの。こういう出会いも大事にしたいです。終了されるということで残念ですが、また気が向いたら再開してくださいね。   (2005/04/15 22:41:11)


第15回 2005年2月号 2005/03/28 21:48:36


 そんなもの、すすめてどないすんねん!とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、
私のように、足は不自由じゃないけれども体全体の力が弱い方、高齢者の方、体力のない方、車は乗らないけどちょっとした遠出はしたい、という方にはぴったり!
 発病以来、車の運転ができなくなっただけでなく、自転車をこぐことさえできなくなった私は、一人で動ける行動範囲がかなり狭まり、30にしてすっかりご隠居のような生活をしていました。少しの遠出をすることもあきらめざるを得ない日々は、まるで修行・・・。
 そんな時、大型スーパーの自転車売り場で「試乗車」と書かれて店頭に出ていたアシスト自転車。ちょっとまたがらせてもらうくらいなら・・・と店員さんに声をかけると、「どうぞどうぞ、ぜひ外へ出て、試してきてください。」というではありませんか。
「ええっ!外!?・・・あの、私病気があって、2年近く自転車にも乗っていないので、ちゃんと乗れるかどうかもわからないんですけど・・・。もしも倒したりして傷つけたりしたら・・・」「いいです、試乗車ですから。スタッフがお付きできたらよいのですが、あいにく手がたりませんので、お客様に一任しております。どうか車に気をつけて、ぜひ坂道を登ってきてください。いってらっしゃーい!」・・・おいおい、いいのかよー。ここら辺がさすが房州、都会では考えられないよなー。と思いつつ、思いきって外へ出たのです。
・・・すると最初の滑り出しから全然違う!普通の自転車は、かなりの踏み込む力がないと前へすすめませんが、自転車にまたがりペダルに足を乗せただけで、ス−ッと走り出すのです!例えるならば、自動車のオートマ車の走り出しみたいな感じ?あとはスイスイ前へ進む。・・・坂道まで行って来ることはしませんでしたが、私はうれしくてうれしくて、思わず叫びたいくらい爽快でした。前から走って来る車にむかって、ピースサインでもしたい気分。「何で今ここに、友達や知り合いがいないのかしら。」・・・いたら、それこそ「ちょっとぉー!見て見て!私自転車に乗ってるのよー!!」と叫んでいたでしょう。
 自転車というのは脚の力だけでなく、結構な腹筋・背筋も使うのです。まず、腕でハンドルを握っていられるかどうかもわからないし、上体を起こしたままの姿勢を保てるかどうかさえ心配な私。それに、自転車でバランスを保つのって体力がいる・・・。でも、大丈夫でした。短い距離でしたが、スーパーの周りを一周して帰って来ることができ、無事にお返しできました。
 動かないでいると、考えもよどむ。・・・これは一年半の闘病生活(べつに闘っていないから共病かな?)でつくづく実感しました。
 ・・・今年はあの電動アシスト自転車を手に入れて、行動範囲を広げるぞ、ともくろんでいる今日この頃。あれに乗って春の風に吹かれたいわー。若くて元気な方も、地球環境を考えたら車に乗るよりいいかもしれません。・・・充電が必要だけどね。

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第14回 2004年12月号 


 人生の中で、自分に影響を与えた(あるいは今現在も与えている)人物というのは限りなくいると思いますが、この人との出会い、この人の存在がなかったら、まちがいなく今の自分はありえなかっただろう、と思う人はどれくらいいるでしょうか。
友人、恋人、先輩、恩師、・・・たくさんの人が私を育ててくれたと思いますが、私が多大な影響を受けたと思う人物は、両親のほかに、絵の師匠と音楽の師匠です。絵の師匠については前回少し紹介しましたが、5年前に他界しました。そしてこの秋、私は音楽の師匠もなくしてしまいました。・・・砂川正和さん。享年48歳。あまりにも突然の、あまりにも悲しすぎる別れに、いまだ心が落ち着きません。文章にするのは苦しいですが、私は書きながら頭を整理するタチなので、この場をお借りしたいと思います。
 師匠に出会ったのは私が高校3年、18歳でしたので、10数年前のことになります。師匠のタイコの音を初めて聴いたときは、魂が揺さぶられるような、何とも言えない感動というか衝撃があったのを憶えています。“ジンベ”というそのタイコは、西アフリカに受け継がれている伝統打楽器で、私の師匠はそれを初めて日本に紹介したといえる先駆者的存在でした。80年代後半から東京・大阪を中心にタイコとダンスのワークショップを展開し、その生徒やファンはとどまることなく全国に広がって、精力的に活動を続けていました。しかし、それだけ多くの人を惹きつけてきたのは、なんと言っても師匠の人間性によるものでしょう。
 師匠がタイコを通して伝えてくれたのは、まさに愛でした。私は、ただ単に楽器を習っているという感覚ではなく、生きること、愛することを教わっていたような気がします。
いい演奏をするには、仲間の音も聴きながら自分のパートをしっかりとキープしなければならない。あんまりまわりの音を聴きすぎて惑わされても崩れてしまうし、自分のことだけでガチガチになってしまってもよくない。できるだけ淡々と、しかし独り善がりではなく、みんなが合わせようという気持ちでいなければ、いいハーモニーは生まれてこない。・・・そんなことを、タイコを通して感じてきました。そして、もちろん惑わされて崩れてしまうこともあるし、そう簡単にはうまくいかないものだけれども、そんな自分(たち)を楽しみつつ、支えあっていこうという意識が常にベースにありました。それぞれに違う個性を持つ者同士が、いかに自分の持てる力を出し合い調和していくか・・・そんな、タイコを演奏する醍醐味をめいっぱい教えてくれた人でした。“ジンベ”は常にダンスと共に演奏されるタイコですが、ドラマーもダンサーも、恥ずかしいとか上手く出来ないなどという気持ちを投げ出して自分を手放さなければ、その間で交し合うコミュニケーションの楽しさも味わう事ができません。師匠はダンサーに対しても常に精一杯、自分のエネルギーを与え続けてくれました。
 私はそんな、タイコを通して学んだことを、日常生活においてはちっとも生かせていないような気もします。全然相手の話が聞けていなかったり、すぐに人のことに振り回されたり、威張ったりおごったり、そうかと思えば自分の殻に閉じこもったり、・・・そんなことをくりかえしています。けれども、私が病を持ってもそれ自体を不幸な事とは思わず、それなりに楽しくやってこられたのは、やはり今までタイコがあったからだという気がします。発病して半年間は、タイコに触ることもなく、みんなの音を聴くこともなく過ごし、
全くタイコとダンスが出来なくなった時期もありました。けれどもちょうど一年前ぐらいからみんなの練習を見にいくようになり、仕事も何もできなくなった自分に楽しみや役目のようなものを取り戻しはじめ、少しずつ体が動くようになったことは何よりうれしいことでした。そして、私が房総に出会ったのも、ここに住みつくようになったのも、発病してからもこうして暮らしてこられたのも、そもそもはタイコを通しての人間関係がなかったら、あり得なかったことでした。
 発病後は一度も顔を合わせることができずにいましたが、師匠の存在は、会えなくても離れていても、私にとっては精神的な支柱でした。それが突然いなくなってしまうなんて、本当に心にぽっかり穴があいたような気持ちです。けれどもやっぱり支柱は支柱であり続けると思うし、師匠が私たちに残してくれたものは確かなものだと思います。
人生はあまりにも不条理で、困難なことの連続です。私はまだ、この別れをどう受け止めてよいかわかりません。ただ言えるのは、師匠が伝えて残してくれたものを温めていくこと、それはやめたくないということ、そして、師匠には何よりありがとうと言いたいです。
 2004年ももう暮れようとしています。今年は何と言っても自然災害の多い年で、まだ被災のつめあとに苦しむ人々があり、世界では戦争が終わらずにいます。沖縄では、その戦争に加担する基地を造る計画が強行にすすめられており、心穏やかでない年の瀬です。
どうか人々の命が奪われるようなことがないよう、来年は良い年でありますように。

葱坊主 : 更新が遅くなりました。申し訳ありません。   (2005/02/14 22:55:49)


第14回 2004年12月号 


 この曲は西岡恭蔵さんのアルバム「南米旅行」(1977年)にある名曲ですが、ドラマーであり、ヴォーカリストでもある私の師匠が、ソーバットレヴュー在籍中にバックを担当しています。その後(1988)、恭蔵さんのパートナーを追悼して作られたアルバム「クロちゃんをうたう」の中で、砂川さんがこの曲をカヴァーしているのがスゴイ。本当は師匠のソロアルバムかタイコの曲を紹介しようかと思いましたが、多彩なアーティストが参加しているこのアルバムの中で、これは必聴です。魂が、震えます。



第13回 2004年10月号 


 先日ラジオを聴いていたら、アメリカでの生活を体験した障害者の人が、アメリカと日本のテレビドラマの違いを紹介していました。日本では、障害者が出てくるドラマというと、大抵はその障害者が主人公で、辛く苦しい境遇の中でけなげに前向きに困難を乗り越えようとする姿だとか、世間の偏見や不条理と闘いつつ愛を育むメロドラマだとか、そんな筋立てになっている、と。一方アメリカは、障害者も普通の登場人物として、意地悪もすれば馬鹿なことも言ってみんなを困らせたり、けして一方的な弱者や善人として描かれているのではなく、当たり前のような顔で人々の中にいる、とのことでした。・・・うーん、この違いは何なのでしょうね。
 そうかと思えば、これぞ障害者が主人公として取り上げられていいはずの“パラリンピック”なんか、先に開催されたオリンピックとは全然扱いが違いますよね。我が家にはテレビがないので、実際のところどれくらいの報道があったかわかりませんが、パラリンピックの選手に国民栄誉章が贈られることは聞いた事がありません。彼らの方がよっぽど人間の限界に挑戦してるじゃん、多くの人に勇気も希望も与えているし、と思うのですが。障害を持つ友人が、「一人で7個も金メダルとった水泳の女の子がいるんだよ。北島なんか、2個で大騒ぎじゃん。成田さんなんか、新聞でもちょっとしか載らないよ。」とぼやいていましたが、私も、健康で何億も稼げるスポーツ選手に車なんか造ってあげちゃうニュースを見て、そんなことにお金をかけるならもっと他にあるだろ、と思いました。こういうのって、ひがみ根性っていうのかしら?それでも以前に比べたら、パラリンピックもだいぶマスコミにもとりあげられるようになったのでしょうが、いまいち宣伝不足・情報操作による世間の認識不足の感が否めません。
 自分が難病患者になって感じるようになったのは、どうも人々の中に「病人とはこういうもの」「障害者はかくあるべき」というような、ひとつのイメージのようなものがあるのだな、ということです。例えば、障害者といえば、車椅子に乗っているとか杖をついているとか、目が見えないとか。病気というとベッドに横になって寝ているとか、ぐったりしているとか。たしか、駅のエスカレーターで、左に麻痺のある人が右側に寄って手すりにつかまっていたら、下から駆け上がってきた人に、「どけ」と怒鳴られたというニュースがありましたよね。私は、健康で元気な人こそそんなに急いでいるなら階段を使ってくれよ、と思うのですが、それだけ社会に、体の不自由や病のある人が存在しているのに、まわりには見えていない・感じられていないのが現実なのだと思います。妊娠初期の人なんかもわかりにくいでしょうが、私のような者も、電車で座席を譲ってもらえることはまずありません。私は上半身に力がないので、つり革や手すりにつかまっていることや、揺れている電車の中で立っていることができません。とにかく背もたれのあるところに早く寄りかかって座りたい。しかし普通に立てるし、軽いリュックくらいのものは背負って歩いているし、パッと見ではどこからどう見ても健常者なのです。今は発音もそんなに悪くなく、しゃべっても「ちょっと鼻声の子だなあ」くらいに思われる程度。帽子やサングラスをつけていれば、外出先で目のまぶたがさがることもめったになくなっています。でも実はとっても疲れやすい。明らかに目に見えて、どこが不自由だということがわからないと、気を使ってもらえないというのはなかなか面倒です。
しかし一方で、「あなたは病人なのだからおとなしくしていなさい。」と、私の行動や生きる場所を制限されるのもしゃくなのです。もちろん出来ないこともたくさんあるのだけれども、仕事や役割を与えられず、スポーツや体を動かす遊びもいっさいあきらめ、人が集まる場所に出ていけないというのは、本当に悔しいのです。また、病気になって以来、「実家に帰らないの?」と言われることがいやで、つまり病人や障害者というのは自立自活ができないもので、常に誰かに守られ、保護されて、成人していようが親は年老いて先に死んでいくものであろうが、家族が面倒を見るものであり、地域社会の一員として認められていないと感じることが、最も辛いことでした。
 そんな中で、うれしかった出来事もあります。私と初対面の人に、私とはたまに会う知人が、「すがやんはね、病気になる前まではすごく元気だったの。」と紹介すると、私としょっちゅう会っている友人が「いやこの人は今も元気だよ。」とすかさず言い直したのです。私の発病当初から、入院、手術までを見てきて、病人らしい顔で横たわっていた時も、症状が最悪になった状態も知っている友人からの「この人は元気だよ。」という発言は、なにかホッとするものがありました。つまり、私は病気になっても本質的には何も変らない、ということ。それ以来私は、「元気な病人」というキャッチフレーズをつけて自己紹介をするようになりました。 必ずしも「元気」でなくてよい、ウツウツと暗く落ち込んでいたって構わないと思うのですが、この「病気」と「元気」という対極にありそうなものをくっつけて、その両方が私の中に同居している、ということを知ってもらいたいと思ったからです。
  病気や障害は、「辛くて苦しいもの」「大変なもの」「可哀想で不幸なもの」「頑張って乗り越えるもの」「養生して静かに暮らすもの」「弱々しくて元気なんかないもの」「みんなに守ってもらって助けてもらうもの」・・・そういったイメージを、私は一掃したいのです。 「病気と闘わない病人」「療養しない、遊ぶのが大好きな病人」「楽しくてしかたがなくて、ちっとも可哀想じゃない病人」「後ろ向きでちっとも頑張ろうとしない病人」「元気があって幸せな病人」「行動的でみんなのリーダーの病人」「スポーツが得意で強くたくましい病人」・・・そんな人がいてもいいと思いませんか?

追伸・・・正岡子規は、畳と同じ目線の病床から眺める、窓の外の四季に感動し、句にしたため、自分の句が新聞に掲載されるのを大喜びで欠かさず見ていた、と聞いた事があります。そんな子規を「健全な病人」と新聞記者が評していました。ナルホド、私もそんな人になりたいものです。

: 毎号よませてもらってます。いろいろ考えさせられることばかりですが、いくら考えて結論が出せないことも多いような気がします。ホームページ用に書かれたものではないので難しいとは思いますが、自分の思うことを伝えるだけでヨシとするのか、それとも読者と交流をしたいのかで文章は変わってくると思います。来年はレスがつけやすい文章を考えてみませんか。   (2004/12/31 17:47:40)
タレちゃん : 初めて拝見させて頂きました。自分には難しい事は判りませんが身体における病気を持つ事は大変な事でしょうね。行動を抑制され、時には苦しみ、痛みを感じ健康体の人には理解出来ないのかも知れませんね。しかし、心の部分では現代人はほとんどの人が病に侵されているのではないでしょうか?勿論、自分もその中の一人で有ることは間違いありません。風の頁で遊ばせて頂くようになって「癒し」を得られている事が如実に語っています。身体の病の人も心の病の人も、ありのまま自然体でお付き合いする。心の垣根を取り外し全ての人達と一緒に生きて行きたいと思っています。日々の平穏を祈ります。   (2005/01/03 19:23:14)


第13回 2004/11/23 20:38:17


 数ある小説の方は全然読んだ事がないのですが、この方のエッセイがとても好きです。いわゆる、積極的に生きていく前向きな人生論ではなく、悲しむことや惑うこと、などマイナスと捉えがちな感情も肯定し、静かに、深い洞察力で、人生を考えるその語り口は、平淡で親しみやすいのだけれども、人間への愛に溢れている感じがします。ご存知の方も多いでしょうが、10年以上前から出ているこのシリーズ本に、今頃ハマッテいます。私にしては忙しく動いた夏が過ぎ、心身の疲れも出てきたので、静かに読書の秋、といきたいところ。ハァ、でもなかなか心穏やかにはなれません。秋風に気もそぞろ。



第12回 2004/09/21


 空の雲や夕暮れ時の風にようやく秋が感じられる季節になってきました。
 8月の東京での展覧会には、このエッセイを読んでらっしゃる方にも観にきていただきました。また、各方面で宣伝していただいたり、たくさんの方がご協力くださって、本当にありがとうございました。おかげさまで、無事に終了することができました。
 無事終了・・・と言っても、そもそもこの個展を開始したのも終了したのも、私ではなく10年来の友人たちです。私自身は、出展する絵やポストカードにする絵を選んだり、ブックレットにすることになった旅行記をまとめたり、といった作業はしましたが、個展の段取り的なことは一切やっていません。今では遠く離れた所に暮らしているのに、昔からの友人たちにここまでやってもらえるなんて、なんという幸せ者でしょう。・・・しかしまあ、こんなことをやってもらえたのも難病にかかっちまったからで、病気にでもならなければやってもらえなかっただろうと思います。だから、まさにケガの功名?病気になって得した、と言えなくもありません。
 しかし、今回の企画・宣伝や実際に絵を観に来てもらう上で気になったのは、個展は「やってもらっている」に違いないのですが、絵に対しては発病前・発病後に関らず、
ハンディキャップをつけずにシビアに評価してほしい、ということでした。「そんなの、当たり前じゃん。」とわかりきっていることかもしれませんが、純粋に、絵が面白いのかつまらないのか。上手いとか下手というよりも、いいのか悪いのか。どんな人の個展であれ、作家が聞きたいのは率直な感想だと思いますが、「病気の割にはよくやってるなあ」とか、「病気なんだからこの程度でも仕方がないか。」というような見方はいやなのです。また、「かわいそうな難病患者のために」何かやってあげようとか、「生活の足しになるなら」ポストカードを買おうとか、そういう視点ではうれしくないのです。「おもしろい」と思うならやってほしい、「気に入った」なら買って欲しい・・・。こんなことを書くと、またひねくれ者に思われるかもしれませんね。けれども病気になり、しょっちゅう人の世話になる立場になってから、何かをしてもらうという時に、それが相手のどんな気持ちから派生しているのかが気になったり、「病人や障害者は常に誰かに何かをやってもらう側で、自立・自活できない存在」という固定観念が社会に植え付けられていると感じたり・・・常に守られ、受け取る側で、与える側になれない、というのが堪えられないのですね。発病から一年が過ぎても未だ過剰反応してしまう私です。まあそのうち、「やってもらう」ということにももっと慣れるといいのですが。
 でも今回何より、準備をしている友人たちが楽しそうに盛り上がっていたのと、絵を観に来てくれた人やお店の人も楽しんでくれた様子はうかがえたので、よかったかなあ、と思っています。もちろん私も、楽しませてもらったしね。
 何はともあれ、感じたのは「10年くらい何かやっていると、それなりにカタチになるんだな。」ということ。私はひとつの事をコツコツと積み重ねられる人間ではないので、いろいろな事をしながら、寄り道・まわり道ばかりの20代を過ごしましたが、結果的になんとなく続いているのが「描く事(書く事)」と「音楽」なのです。ですから決して真面目にやってきたとは言えないのですが、これはそれなりに続けたから実を結んだというか、実現したことであって、二十歳そこそこの頃にやっていてもあんまり面白くなかったかもしれないし、喜びも薄かったのではないかしら。・・・“本の虫”とか“〜の虫”というように、ひとつの事に熱中できる人は、もっと若いうちに個展をやったり社会で活躍して、絵一本で生活できていたりするし、もっともっと上手で、もったいないなあという人が、今は描いていなかったりします。でも私の場合は、「この時期に個展でちょうどよかったんじゃないかな」と。
・・・高校卒業後の19・20の頃から現在に至るまでですから10年以上、約12年に渡る作品を集めてみたのは私自身初めてで、まとめて見ると、なんとなく流れを感じたりもしました。10年くらい前の自分の作品に励まされたり。額に入れて飾ると、それだけで見映えがするというのもありますが、それなりに広い空間で、白い壁面に置いて観ると、絵の印象も変ったりします。すんなり絵の世界に入っていけたりしてね。 そうした、今までを振り返る意味でも、これからを見据える上でも、何か良い機会になった気がします。これからますます絵を描きたいなあ、楽しみだなあ、という気持ちも湧いてきました。
 それから、久々の友人・知人・恩人に会えたことも収穫でした。もちろん、初めましての人に会えたり、会えなかった人ともつながりが持てたという事も収穫なのですが。
仕事も住処も転々としてきた私は、この数年、気になりながらも連絡をとっていない友人や、すっかりご無沙汰してしまっている恩人がたくさんいたのです。そうした私の不義理を解消・・・とまではいかないけれども、3年、5年、10年ぶりの再会があり、時の流れを感じつつも、変らない温かさに接することもでき・・・。会う人会う人、私が発病して以来の人ばかりなので、一度に会うのは私のエネルギーが持たず、何より東京の街自体にまいってしまったこともあり、断念したことも心残りですが、こんな機会でもなければみんなと会えなかったでしょうね。
そして、「ひとりじゃないんだな。」という気にもなりました。「一人じゃ何にもできないけれど、みんながいれば何かできるよな。」と。元気な人だって、一人で生きいてるわけじゃない、みんなに支えられているわけだけれど、病気になって孤立無援のような気がしていました。同じ様な立場の人はまわりにはいないし、働くこともできなければ生活の保証もパートナーも何もありませんから・・・。今もそんな気持ちがなくなったあけではありません。逆に、「病気があるからって、一人で何もできないわけじゃないんだぞ」・・・というような意地っ張りな気持ちも同居しています。でもやっぱり、「ひとりじゃないんだな。」という個展でした。・・・ありがとう、またやりたいです。
(2004年9月号)



長沢 節 


 “セツ先生”こと故・長沢節氏は、私の絵の師匠であり、20世紀を代表する、ファッション・イラストレーションの草分け的存在であります。好みの俳優びいきの独断と偏見(?)による映画評論は痛快で、小気味良いテンポで綴られたエッセイでは、固定観念にとらわれない愛や自由や生き方を提言しています。戦中・戦後を通して権威主義には抵抗し、生涯独身・生涯現役で、自由と孤独を受け入れたライフスタイルを貫いた人でもあり、“セツ・モードセミナー”からは、数々のファッションデザイナーやイラストレーターが輩出されてきました。・・・これだけの事をやるには、相当の信念と強さがなければできないと思うのだけれど、セツ先生本人はいたって軟派な洒落男を気取り、あくまで軽く、ユニークに、人間の弱さをいとおしむ、優しい人なのです。
 私はセツ先生の生徒になれてとても幸せでした。“セツ”ではアカデミックに迎合しない、絵を描く事の本来の楽しさを学んだだけでなく、さまざまな事を学びました。
 この夏の展覧会の前に、セツ先生の回顧展があり、私も観に行くことができました。久しぶりに先生の作品を見て、先生の生き方に触れ、セツ・モードセミナーの空気や匂いを思い出しながら、胸にこみ上げてくるものがありました。なんだか先生に、こう言われているような気がしたからです。
「オマエ、病気になったからって、自分をダメだと思ってるの?いいじゃない、弱くたって。」「結婚もせず、子どももいなければ半人前?じゃ、オレ半人前ね!」「だいたい、一人前なんて誰が決めたの?仕事ができれば一人前?健康で元気なら一人前?」「一人前なんかならなくたっていいじゃない、半人前くらいの方が、地球には優しいわよ。」・・・
そうして私の耳を引っ張って、プーっと笑われている気がしたのです。
 病気になって最も苦しいのは、自分自身がまだまだ様々な固定観念に縛られている、という事を目の前に突きつけられることであり、自分を不自由にしているのは、自分の心でもあるのです。・・・そのことが頭ではわかっていながら、まだ先生の言う本当の美しさや優しさや、愛には近づけない私。でも、なんだかとっても励まされ、明るい気分になれた「長沢節展」でした。
もしも、先生が生きていたら、私の絵に何と言ったかしら・・・?そして、今の日本の世の中にはどんなことを言うでしょう・・・?
(2004年9月号)



第11回 リハビリテーション  2004/09/21


 「自宅療養中」というとよく聞かれるのは、「じゃあ、リハビリに行っているの?」といった質問。「うーん、リハビリねえ・・・。」月に一回の通院以外、特別どこにも通っていない私は、いつも答えるのに困ります。
・・・では、皆さんの持っている“リハビリ”のイメージとはどういったものですか?
例えば、骨折して歩けなくなった人が再び歩けるように歩行練習をしたり、筋力をつけるための訓練をしたり、言語障害のある人が上手く話せるように発音の練習をしたり・・・というような、機能回復のためのトレーニングを意味するのであれば、筋無力症にはそのようなリハビリテーションは出来ない、と言ってよいかもしれません。
重症筋無力症は、神経から筋肉への指令がうまく伝わらない病気ですから、動作をくりかえすことができず、体の同じ部分を動かせば動かすほど、その部分が使えなくなる、といった症状です。特別にどこかを酷使しないにしても、すぐに疲れるのが特徴で、無理をすると体全体が重くなり動けなくなってしまうので、いわゆるリハビリらしいことは出来ないのです。・・・「スポーツが出来ない」「重力に逆らえない」と言うと、「水泳は?」ともよく聞かれますが、残念ながらこれも×。たしかに、水の中では重力は関係なく浮力が働くので、私の腕も軽く上がるし、水面に浮くことも出来ます。が、水圧というのは結構なもの。水の中で圧力に抵抗しながら体を動かすというのは、すごい筋力運動なのです。ほら、皆さんだって、海やプールからあがると、その日はもうぐったりするでしょう?(筋無力症でも症状が軽ければ、水泳をやっている人も中にはいますがね。)
 
しかし、“リハビリテーション”の意味を“機能回復”ということに限定するのであれば、それは何か違うように思います。なぜなら、病気や障害には回復できないものもあるわけで、回復できたのだとしても、それが回復するまで本人が望むような生活が出来ないというのでは、病気や障害を持った人間は人間らしい生活が送れない、ということになりませんか?もちろん病気になる以前の、全くもとのような生活に戻ることは無理だったとしても、むしろ、病気になったこれからの新しい人生目標をどう設定し、それに向かってどのように具体的に近づいていくか、ということが“リハビリ”ではないでしょうか。
それには、その人がもともとやっていた生活に、できるだけ近いような環境を整えることや、もともと好きだったことができるよう、道具を工夫するといったこともひとつですし、あるいはやってみたかったことや、発病以前はやらなかったことに挑戦するのもリハビリでしょう。眠っていた能力を開発(?)したり、今持っている機能を最大限に利用して、いきいきと生きていける体制をつくっていくこと、・・・そんなことも“リハビリテーション”と言えるのではないでしょうか。ですから、この病気にはこのリハビリ、というのではなく、“リハビリ”もひとりひとり違ったものであるはずだと思います。
 かく言う私が今やっている事と言えば、身の回りのことや、家事をゆっくりとこなし、散歩をする、といった程度なのですが。しかし、洗濯物を干す、部屋にほうきをかける(掃除機は重たくて扱えない)、食事を作り、洗い物をして片付ける、といったことも、やるとやらないでは大違い。・・・筋肉って、使わないでいるとすぐに落ちるんですね。
病院から退院してきた時や、風邪をひいて寝込んだ後に、自分の足腰がずいぶんと弱っていたときにはびっくりしたものです。筋力を鍛えることは出来ないにしても、これ以上体力が落ちないように保つくらいのことはしたいと思っています。
 あとは、とにかく自分にとって気持ちがいい事・好きな事をやる、あるいはやってもらう。例えば私は、自分で筋肉を動かすことはあまりできないので、マッサージをやってもらう。また、いい匂いをかぐ、美しいものを見る、好きな音楽を聴く、・・・そういった五感を刺激するようなことで、自分を楽にする。そんなところでしょうか。
 好きな音楽を聴く・・・と言っても、私は発声が上手く出来ないので、一緒に歌えないのが寂しくもあります。もともと、まがりなりにも楽器や歌や踊りをやっていたので、
それができない自分に直面するのはしんどくもあるのです。しかし、音楽の力というのは不思議なもので、まさに血が騒ぐというのか、音が鳴ると人間じっとしていられないものです。私はタイコの音が鳴ると、普段は出来ないからだの動きが出来てしまったり、体力を消耗するようなことをしても、エネルギーに満ちた気分になります。また、どんな呼吸法でも息を長く深くなんてやっていられないものが、歌があると結構続いたりします。これぞ、音楽療法というのでしょうか。
 そして、この「エッセイを書く」といったことも、私にとっては社会と私をつなぐ作業であり、“リハビリテーション”とも言えます。・・・そのほかにも、何かもっとこう、心やからだへの具体的なアプローチはできないかな、と思案しているところです。

追伸・・・「眼の悪い人がメガネをかけるように、私は杖をついているのよ。」といった言葉を聞いたことがあります。まさにそう、杖をついている人や車椅子の人が特別なのではなくて、視力の低い人がメガネをかけるように、あらゆる障害のある人が、道具などの力も借りながら、ただみんなと同じ様に生きているのです。あるいは、みんなと同じ様に生きていきたいのです。私も、道具を工夫することによって、随分と生活がしやすくなりました。食器や普段使う物を軽くしたり、着やすい服を揃えたり、高い位置の物を下におろしたり、背もたれ・肘掛付きの椅子やキャスター付きのテーブルを用意する、といった具合です。そんなちょっとしたことでも、障害者が出来る仕事の幅や可能性はぐんと広がるのです。



リハビリ 


 全国からの応募によって、各地の方言に翻案された憲法9条を集めた本で、俳優などの朗読によるCD付き。友人が館山の言葉で応募したものが見事に選ばれ、私もこの本の存在を知る事ができたのだが、CDを聴くにつれ、ぐぐぐっ・・・とこみあげてくるものがあった。
やはり、房州や沖縄といった自分が暮らした事のある、馴染みのある土地の言葉はぐっとくるのだが、最もうるうるきてしまったのは、佐藤B作氏が朗読している福島県。まず、上手い。そりゃこの人、福島の人なんだから上手くて当たり前なのだが、まるで私の叔父たちがくっちゃべっている様子そのままだったから・・・。私には故郷らしい故郷がなく、子どもの頃から使ってきた方言というものがないのだが、両親の故郷であり、私も生まれた土地である福島の言葉は、やはり最も懐かしく、井戸端会議のようにのんびり、ゆっくりと語られる福島弁での憲法9条が、なおさら胸に染みてきた。怒りをあらわにするのではなく、静かに、とつとつとした語りから、この平和への願いが深く確かなものであることを感じ、手放してはならないとあらためて思った。
 ところで、7月11日は参議院選挙。今、日本はかなりの危機的な状況にあると思うのだけれど、ラジオから流れてくる情報を聴くと、がっくりきてしまう。若い世代の無関心もどうしたものかと思うけれど、世論調査の国民の関心は、年金問題と景気対策。
うーん、たしかに年金問題は大事なんだけど、イラクのことや憲法の問題は一位にあがってこないのね・・・。これはやっぱり、みんなが直接困っていないからだろうな。
けれども、「戦争ができる国」になりつつある日本の状況を、危機感を持って考えなければならないと思う。いつも、いつのまに戦争は始まるのだから・・・。(2004年7月号)



第10回 病は“悪”か“不幸”か“因果応報”か?・・・ 2004/07/11

 
 重症筋無力症を発症し、胸腺摘出手術を受けてから一年になりました。この一年は、体が自由に利かない事の辛さはもちろんですが、精神的なプレッシャーとの闘いでした。自分で自分を追い詰めてしまうことが多いのですが、社会や他者からの圧力に押しつぶされそうになることもあります。中でも「病気は悪であり、身から出たさびである。自らの生き方や心をあらためて、治すべき。」というような考え方に遭うのは苦しかったです。
 ・・・たしかにそれも一理ある。私の病は原因不明で希少性の高い難病とはいえ、病気を作ったのは他でもない私です。勝手にどこかよそから飛んできたのではなく、自分の体が育ててきたのです。「なぜ、私はこの病気にかかったのだろう?何がいけなかったのだろう?」・・・病気になれば誰もが考えることだし、まわりの人もその原因を知りたがります。「病気は偏った食生活、生活習慣、運動不足が引き起こす。」とは誰もが耳にする事ですが、私自身、自分が病気になった原因をあれこれと思い巡らせました。
 「老人ホーム勤めになってから、早番・遅番・夜勤と食事も睡眠時間も不規則になった生活リズム。運動不足というよりも、過労といえるほどの運動量。新設したばかりで充分な体制も整っていなかった職場では、イライラすることが絶えず、この一年のストレスは相当のものだった。その上、仕事の後や休みの日も趣味やストレス解消のために外出し、さらに親父がガンになってからは、連休もとれないのに無理やり実家まで往復した。やはり体を酷使しすぎたか?・・・」「でも、同僚だって同じ条件下で働いている。カップラーメンだのスナック菓子だの、よっぽど食べている人もいる。同じ労働条件でも病気になる人とならない人がいて、自分よりもひどい食生活や運動不足をしても、病気にならない人もいる・・・ということは、やはり私の考え方や心のありかた、性格や行動パターンが問題なのか?」「病は気から、とも言う。じゃあ、私の気持ちがいけなかったのか。」・・・とまあ、こんなふうにです。
 ガンになった私の父も、同じように悩んだ様子でした。数年前から闘病中の父の義兄や、同室になった同病の方を大変尊敬しており、「あんなに人間のできた方だってこんなに重い病気になるんだからなあ・・・。」と口にしていたところを見ると、「俺が悪い人間だったからガンになったのか。」と問い詰めていたのでしょう。
 
 友人・知人・顔見知りから初めて会った人まで、色々なものを勧められることもよくありました。思いやりに充ちた励ましはもちろんうれしいのですが、この一年でどれだけのものを紹介されたでしょう。宗教をすすめられ、鬱陶しくなってしまったこともあります。誤解しないでほしいのですが、私は信仰や宗教といったものを否定しているわけでもなく、関心がないわけでもありません。ただ、病気なる以前は全く何も言われなかったのに、ここぞとばかりにつけこまれるような感じがイヤなのです。そういうことが続くと、なぜだか自分が「不幸で可哀想な人」というレッテルを貼られているような気になってきます。
「病気になったのは自分がダメな人間だからか。」「今の自分では不完全なのか。」「病気でいることは不幸であり、病気を治さなくては、人間らしい人生が送れないの?」・・と。
 そりゃ私だって、治ったらうれしいにきまっています。悪くなるよりは良くなる方が良いですし。しかし、病気は悪なのでしょうか?不幸なのでしょうか?そして、治さなければならないものなのでしょうか?産まれつき病気や障害のある人もいれば、不治の病にかかる人もいます。進行性でどんどん悪化する病の人もいるでしょう。
 「健康第一」「五体満足」・・・世の中は「元気である事こそが素晴らしい」というメッセージに溢れています。また「自己責任」という言葉が表すように、「人様に迷惑をかけず、集団の輪を乱さない」ことが良いと。そして、元気な多数派を基準に様々な物がつくられ、物事は動いています。そこに参加できない者は、そうしたことで追い詰められ、自分を責めてしまう・・・病気や障害を持った事で自信をなくし、自己評価を下げてしまう、というのは病人や障害者によくあることのようです。私自身、発病以前から病気や障害をもった友人がおり、病気や障害があることをひとつも悪いと思わなかったのに、いざ自分が・・・となると、自信をなくしてしまいました。でもそれは、症状そのものの辛さというよりも、二次的、三次的に起こることによるストレスから派生しているように思います。
 「病気であることの何が悪い」「病気や障害がある人生だって、幸せにきまっている」と、堂々と言いたい。そう思えるかどうかは私次第でもあるけれど、本心からそう思えるように、みんなにも助けて欲しいのです。
(2004年6月号)

ぴろろん : 全く同感です!共感できます!私が言いたいことを代弁してくださりどうもありがとうございます。   (2008/04/24 23:42:27)


第10回 2004/07/11 22:29:19


 別にファンというわけでもなく、関心があるわけでもなかった“さだまさし”なのですが、先日この曲を初めて聴いてボロボロ泣けてしまい、なんちゅう名曲を作るんだこの人は、といっきに株上昇?・・・病室をあとにする「僕」は、退院だというのに晴れ晴れした気持ちになれない。なぜなら同室のお婆さんのことが気がかりだから。呆けているはずのお婆さんは、毎晩僕の布団をかけなおすことだけはかかさなかった。“歳をとると、人は子どもに返る”というけれど、それは違うと思う・・・と始まる詞の世界にひきこまれ、ラストまでいっきに聴かせてくれる。こんな曲を作るなんて、「さだまさし、エライ!」??? ・・・機会があったら是非皆さんもご一聴を。
(2004年6月号)

なるさち : 私もこの曲大好きです。さださんを聴いていたのは、二十歳すぎぐらいまでですが、ベスト10に入っています。夕凪とかも好きですね。療養所と書いて、サナトリウムとかなをふるところも好きでした。また引っ張り出して聴いてみようかな!   (2004/08/11 14:41:37)


第10回 2004/07/11 22:27:07

 先月、発病してから初めて、館山から千葉までを電車で往復し、丸一日に渡る外出をしてきました。そして初めて、自分と同じ病の人たちに会ってきました。“MG茶飲み会”と題した重症筋無力症患者の交流会があったためです。
 集まったのは千葉市内を中心に、船橋、習志野、四街道、佐倉・・と、やはり千葉周辺に住んでいるMG患者十数名。年齢的には30歳前後の女性が最も多く、次いで40代・50代くらいの女性。50代くらいの男性も2名ほどいましたが、これはMGを発症しやすい年齢の分布図どおりの割合でした。そしてそのほとんどが発病から3年・5年・10年と月日を経ている先輩(?)ばかりで、見た目では全く、どこが病気なのかさっぱりわからないような人ばかりでした。かくいう私もパッと見では病人であることはわからず、「ちょっと鼻声の変な発音の子だな。」くらいにしか見られないのですが、集まったメンバーは、私よりもっとスラスラと会話ができる人ばかりなのでした。・・・それは、発病から月日を経て症状が緩解したためなのか、私が服用しているよりももっと強い、ステロイド系の薬で治療しているためなのか、それともはじめから顔や口には症状がなかったのか、その理由はわかりません。(まあ、今現在状態の良くない人は、こうした集まりに出てこられないものだと思いますが・・・。)しかし自己紹介を聞いてみると、やはりそれぞれに辛く苦しい状況を経験し、“修羅場”をくぐりぬけてきた面々なのでした。発病して1年も2年も診断がつかず病院を転々とした人や、薬の副作用に苦しんだ人、今では元気に仕事をしている人や、症状が再発し、今なお辛い状況で頑張っている人・・・。自己紹介だけで泣ける・・・という集まりも初めてです。
 時間も限られており、特に私は初めての参加だったので、あまりつっこんだところまで話ができなかったのは残念でしたが、ここにこうして頑張っている人たちがいるんだ・・・ということがわかっただけでも収穫でした。本当はもっと、治療の話のみならず、精神的な面での悩みなども聞いてみたかったのですが・・・。(例えば、病気になった事で私が辛いのは、仕事ができないことや、自分で収入が得られないことで感じる生活の不安、今までやってきた自分の好きなことを我慢したり、いつも常に人に頼み事をしてばかりで、自分が頼られることがない立場で感じる、肩身の狭さや疎外感、孤独感、将来的に出産や子育てができるのか、といった不安や焦りなど、2次的・3次的に起こってくるストレスのほうが大きいのです。・・・それらを、どうやって乗り越えたのか、仕事を再開した人などは、どのように社会復帰をしていったのか・・・といったことを聞いてみたかったかな。)けれども、連絡先を交換できた人もいるし、これから実際に会えなくても、自らの経験によった実感のこもった話を聞かせてもらえることもあると思います。辛い事や悲しい事、不安や心配事があった時、一人一人の顔を思い浮かべて励まされることもあるでしょう。
同病の人に会ったことで何かが大きく変わったわけでもありませんが、今回の外出で一歩前進したことは言えると思います。
 病気や障害を持つ者にとって、同じ病や同じような境遇の人たちとつながりを持つことは、重要なことだと思います。でも、だからといって常にそうした仲間と一緒にいたいわけではありません。一年前の入院中も私は、病は違えども同室の方にずいぶんと助けられ、励ましあいました。その時は、まわりも皆病人なので自分を特別に感じる事もなく、「世の中には、人間がごまんといるだけ、病気の数もごまんとあるものだなあ。」と思い、「ひょっとして、病気にかかっていない(今現在症状が出ていない)ことの方が、奇跡に近いことかもしれない・・・。」とさえ感じたものです。しかし、いざ退院してみるとまわりは皆元気モノばかりなので、目の前に現れる現実に打ちのめされ、孤独感を感じる事もしばしば起こってきます。それでも私が望んでいるのは、自分が発病する以前からつきあいのあった仲間とのつきあいを続けることです。あるいは一般の社会において、仕事を持ったり何らかの活動に参加したり、歩きやすい町並みが整ったり、利用しやすいお店や施設ができたり・・・と、当たり前に自分を受け入れてもらえる土壌ができることです。病気になったからといって、私の生活や行動の範囲を、家庭や専門の施設などに狭める気にはなれません。当たり前に、みんなの中に私もいたいのです。

 ホームページで、「人には、頼りにする人も必要だが、頼りにされる相手も必要・・・」というようなお返事を返していただきましたが、まさにその通りで、人には「必要とされる必要」があるのだと思います。病気になったことで、私は「私がこの場にいることは意味があるのか?求められてもいないのに。」「私が動くには、わざわざ人に頼まなくてはいけない。みんな無理しなくていいよ、というけれど、迷惑なのだろうか。」などと悩み、「自分は必要な人間なのか?」と自分の存在意義さえ疑うような心境に、しばしば陥りました。
 必要のない人間なんて誰ひとりいない・・・と思いたいのですが、私や、病気や障害をもつ仲間にとっては、なかなかそう肯定的にはなれないのが現実だと思います。
 また、「自立」というテーマに触れたとき、「精神的な自立」・・・ということを書いてらっしゃる方がありましたが、具体的にはどういったことなのだろう?・・・私が今思っているのは、自分の内面や自身の問題を自分だけで解決するのではなく、「助けて」と言い合える関係を作る事の方が大事なのではないかということです。まわりに迷惑をかけずに、「自分のことは自分で」責任がとれることを『大人』というのかもしれませんが、私には一生かかってもできそうにありません。「精神的に自立する」「大人になる」というのは、どういったことなのだろう、と考え始めると、これはかなり頭が痛いテーマです。
 
 さて長くなりましたが、先日、久しぶりに「幸せだなあ。」と感じる瞬間がありました。
 発病する以前からやっていたタイコの仲間とステージに立ったときです。私の症状や状態が良くなければ二度とできないかもしれないことですが、病気を持つ私もそうでないみんなもそれぞれに、自分の持てる力を出し合って自分の役割をまっとうし、ひとつのステージを作り上げた事は、奮えるような喜びでした。久しぶり・・・などではなくて、いつもいつも幸せを感じていられたらいいのですが、未熟者には無理かな・・・。
(2004年6月号)



第9回 比較  2004/07/05

 
 “我が道を行く”の精神で生きてきたはずの私なのに、三十路を迎えてまだ尚、自分と他人を比較して焦ったり落ち込んだりしている自分がいます。とくに病気にかかってからのこの一年は、まわりの人を羨んだりねたんだり、そんな自分にまた嫌気がさして自己嫌悪に陥るという悪循環をくり返していました。
 病気や障害など、特別な不自由がないまわりの人たちに対しては、仕事や子育てや人間関係などでどんなに大変な思いをしていても、「でもいーじゃん、みんなは。働ける体があって、自分でお金も稼げて。けんかできるダンナがいて、子どもが産めて、育てられる体力もあって。自分の好きに人と会ったり話したりできて。」と思ってしまうのです。「みんなは私の手の届かないものを手にしていて、私の人生のうんと先を歩いている。私はそんな悩みさえ持てないのだから、みんなの悩みは贅沢な悩みだよ。」と。その人にとってはそれがどんなに深刻な問題でも、そのことに思いを馳せる余裕がないというか、元気な人たちを思いやることができません。
 そうかと思えば体の不自由を持つ人にさえ、「うらやましいよなー。」と思うことがあります。・・・というのは、私はパッと見では病気であることがわかりにくいので、社会的な扱い(?)というか、対外的な面で困る事が多々あるのです。
 買い物へ行っても荷物が持てないとはだれも思わないし、電車の優先席に座らせてもらえることはないでしょう。初対面で会った人には、いちいち自己紹介で説明しなければ延々と話しかけられてくたびれてしまったり、一緒に何度も食事をしたり、喋り続けたり、それなりの時間を過ごさないと症状を理解してはもらえないので、病気であることを知っている人でさえ会う事に緊張したりしています。すぐに疲れるのが特徴で、くり返しの動作や持続した姿勢ができなくても、症状が固定されたものでなく変化もあるので「障害者」の枠にあてはまらず、認定が受けられないために生活の保証がありません。
 そんなとき、「車椅子の人っていいよなあ、見た目で障害者、ってわかるもんなあ。」とか、「足が不自由でも腕が自由に動けば結構できる仕事があるよなあ。顔が自由だったら話す仕事もできるし。」とか、「目が閉じていたり、顔に現れていても、まわりの人にわかってもらえるのはやっぱりいい。」とか、そんなことまで考えてしまうのです。その病気や障害があることで、その人がどんな苦労や悩みを抱えていようとも・・・。
さらには自分と同じ病気の人にさえ、「いいよなあ。」と思う自分がいました。私はいまだ、同じ病気の人に会った事がないのですが、最近筋無力症の人が書いたホームページや書籍を読む機会があったのです。一人は10代半ばで発病した、現在31歳の男性。手術や入退院をくり返しながら、高校や大学受験も挑戦し、大学の研究職にまでついている人です。もう一人は40代半ばで発病した女性で、すでに結婚しており、専門職も持って社会的にも認められていた人でした。二人の手記を読んで、彼らの状態も手にとるように想像でき、まるで私の気持ちを代弁してくれているようで、おおいに共感し励まされたのですが、それでも彼らをうらやむ私がいたのです。
「この人はこんな若い時に発病して、苦労したんだろうなあ。でも、親元にいて生活の心配がなかったってのはいいよなあ。若かったから、『まわりの友達に負けるもんか』で自分の進路や生き方にそれほど迷わず行けたんじゃないかな。」「この人はダンナがいたからいいよ。入院生活からずっと、ダンナと二人三脚だもんなあ。身の回りの事も、治療の上でもダンナが支えてくれて、自分の辛さをぶつけたり毎日のことを話せる相手がいて。たとえわかりあえなくてケンカしても、いつでも頼れる相手がすぐそばにいるんだもん。」
 
 ・・・要するに私は、誰のことでもうらやましがるということがわかっちゃったんですね。自分にないものを持っているのが羨ましいわけです。「なあんだ、ばっかみたい。子どものないものねだりといっしょじゃん。まだそんなことやってんのか。」・・・そう思ったらまた情けなくなっちゃったんですが、つまり、今の自分を自分で肯定できていない。「仕事ができない自分、自分の収入で生活できない自分、結婚もせず、子どももいない自分や、産めないかもしれない自分、産めてもだっこができない自分、いつもいろんな友達に頼っている自分、自由に出かけられず家で人が来るのを待っている自分、・・・。」それらに、それでもいいんだ、と思えていない。それでも自分は精一杯やっているし、病気で失ったものは沢山あるけれど、病気になって得たものもあるはずなのに。私にだって私にしかないものがあり、また私にしかない大変さがあるように、他の人も、その人しか持ち得ない苦労があるはずなのに。今の私を、それで良し、としていないわけですね。 
最近、杖をついている友人と話をしたら、「見た目でわかる、ってのも面倒なのよ。歩いているだけでしょっちゅう宗教に勧誘されたり、コンサートで立ち上がっていたら『あなたはいいです』って座らされたり。要するに、マニュアルなんでしょ。」と言っていました。   
ホームページに手記を書いた男性も、「入院中、60を過ぎて発病した人に会ったが、『なんでこの歳になって・・・』と嘆いていた。若いうちの発病でも歳をとってからの発病でも、どちらが大変ということは測れないだろう。」と書いていました。・・・たしかに。
 そしてさらにこの方、こう記しています。「もし他の人と心と体を入れ替えることができるとして、おまえのからだがどんななのか体験させてくれ、と頼まれたとしても、僕は勿体なくて貸せない。」「僕は自分の人生をなによりも自慢する。もっと病気であることを自慢していいんだ。病気とつきあって毎日を闘っている自分をもっと褒めていいんだ。他の人には絶対まねできっこないんだ。自分の人生に自信を持って、大威張りで生きていこうね。」・・・本を出版した女性も、「病気は人生の隠し味。病気になってほんとうに良かった。ありがとう、神様。」と記していました。
 ・・・スゴイ。強いなあ。私はまだ、こうは思えない。でも、彼らだって、こう思えるようになるまでにいろんな思いを味わったんだろうな。いつか、私も、この域に達したい・・・。なにものにも代れない、自分だけの人生を慈しむことができますように。
(2004年5月号)

るり : 人生って比較の連続ですね。特に自分が辛いときは他人を羨むし、自分を恨めしく思ってしまいます。多分、何歳になってもそうなのではないでしょうか。   (2004/07/06 00:15:28)
るり : 健康な人の普段の生活の中での不平不満。「そんなことで悩めるのは贅沢」そのとおりかもしれません。当たり前すぎて忘れがちな「健康で丈夫な身体を持って暮らせる」ことのありがたさを改めて気づかされました。   (2004/07/06 00:21:07)
メロン : からだに何個かの時限爆弾みたいなものを持ち続けながら今生活しています。人は誰でもいつかは死にます。それが早いか遅いかの違いでしかないと私は考えています。明日のことは誰にもわからないです。その日を精一杯生きられれば十分・・・こんな気持ちで農作業や旅をしています。   (2004/07/06 23:00:43)


  2004/07/05


 友人が、「今年最大の衝撃作。私は、少年に自分を重ね合わせてしまったのだけれど、スガヤンはおぢさんの気持ちがよくわかるんじゃないかなー。」とプレゼントしてくれた絵本。『スノーマン』や『さむがりやのサンタ』の作者だが、こうした、社会的なテーマを、こんなふうに表現できるのってスゴイ。 ―― ある朝、少年の部屋に、手の平に乗るほど小さな体の“おぢさん”が現れる。イギリスの中流階級か?それなりに裕福な家庭で育った少年と、その少年の目の前に、着るものも食べるものもないまま突然現れたおぢさん。 ・・・広く社会に横行している“常識”とやらに、風穴をあけてくれる、鋭い作品。“弱者”“強者”というのは、社会が、そしてそれぞれの心が作っているのだ。



第8回 “頑張らない”という選択 2004/07/01

 
 サクラ咲く・・・春がようやくやってきました。みなさん体調を崩したりはしていませんか?先月はエッセイをお休みしてすみません。私は2月から3月にかけて、しつこくタチの悪い風邪に見舞われ、丸2週間何も手につかない状態でいました。
 正確にいうと2月の中旬から喉が痛かったので、丸一ヶ月は風邪だったのですが、熱が出たのは2月の末。37度ちょっとの微熱が出て、いったん下がったと思ったら38度5分が二晩続き、3月に入ってからも、37度前後をウロウロして下がらないのです。
日中はいったん平熱まで下がるのに、夕方になるにつれ上昇し、少しでも何かやろうとするだけで頭痛がする。・・・今回は咳と鼻水・鼻づまりにも悩まされ、夜になるにつれてひどくなるので、苦しくて眠れない。なにより筋無力症の体では、咳や鼻を出す体力もないのです。動作を繰り返すほど筋力が弱まるので、咳を出すほど、鼻をかむほど、ヨレヨレになる。でも体は出したがっているし、ふだん使えていない腹筋をむりやり使って筋肉痛になるし・・・で、もう悲惨。なにより体に負担をかけることで、筋無力症の症状が増幅されるので、普段よりも食べ物を噛む力や茶碗を持つ力が弱まり、気力もなえてきます。
何もかもどうでもよくなり、「ああどうせ自分には無理、みんなと出かけるのも無理、食事するのも無理、しゃべるのも無理、原稿書くのも無理、何か頼まれるのも無理、家事をやるのも無理、今までやってきた事はみーんな無理!」と、生きていることさえ面倒くさいという投げやりな思考に陥りました。
 「喘息の人ってたいへんだなあ。呼吸が苦しくて眠れないって、こんなにつらいのか・・・。夜眠れないのは不安だよなあ。」とか、「花粉症もきっついなあ。鼻が詰まっていると、頭がボーッとしてくるよなあ。集中力が続かないし、何食べても味がわかんないし、これに目がかゆいとかが加わるのかよ・・・。」と、他の病気やアレルギーを想像したりもしましたが、「やっぱりMGなのが最悪!MGでなければ、風邪引いたってこんなにしんどくないはず!もう風邪はこりごり、MGもこりごり!」と思ってしまった私です。
・・・MG(重症筋無力症)の最も重症たる症状には、“呼吸困難”があり、風邪をひくことでそれが誘発されるおそれがあるというので、風邪は警戒していたのですが、油断していたようです。まあ、呼吸困難までにはならずにすんだし、たまたま実家から母が出てきていたので、身の回りのこともやってもらえたのですが、MGになったことで、自分の基礎体力が相当落ちている事を痛感しました。 この冬から春は、そのようなしつこい風邪が流行っていたようですし、夜が眠れなかったことも治りが悪い原因だったのでしょうが、やはり私の体では、風邪をひくとリスクが高いことがわかりました。

 風邪が治ってからの私は、むしろ風邪をひく前よりも調子が良く、しゃべることも噛む事も、物を持つことも、以前よりつらくないのです。しかしこの病気は、そう思って調子に乗るとたちまち体調が崩れるので、ぬか喜びはできません。いつも手綱をにぎりしめながら、自分の状態に一喜一憂せず、行動をコントロールしなければならないのがなにより難しい。
 このエッセイがホームページで紹介されるようになってから、「頑張ってください。」という励ましの言葉もいただいたのですが、今の私は“いかに頑張らないか”がテーマです。
日本人は“頑張る”という言葉が好きなのか、事あるごとに「頑張って」を使います。
しかし、今現在病気で苦しんでいたり、困難な状況に置かれている本人にとっては、それがさらにプレッシャーになることもあります。・・・阪神大震災が起きたとき、日本中の人が励ましのメッセージを送りました。私も神戸に友人がいたので、何度か足を運んだのですが、「俺たちはもうがんばっとるんや。これ以上どう頑張れというんや、もう頑張っては聞き飽きたわ。」とつぶやいていたのが印象的でした。・・・せっかく元気づけようとの思いから言ってくださっているのにごめんなさい。今の私にも、「頑張って」はしんどいです。
 なあんて、そういう私自身がつい無理をしがちな性格で、自分の許容範囲を超えてあれこれと手を出したり、抱え込んだり、やりすぎたりしてしまう、欲張り野郎なのです。
しかし、病気になった今、“あきらめること”“やめること”“適当にすること”“いい加減にしておくこと”を余儀なくされ、それを自分で受け入れる事がまだできないでいます。
勇気を持って、「頑張らない」という選択も、世の中にはあるんじゃないかな・・・と思う今日この頃です。
(2004年4月号)

530 : 組織(社会)は常にガンバル事を当たり前の様に要求して来ます。サラリーマン時代に、愛社精神?を高める「頑張り」をより満たす?為、社員研修に行かされましたが他人事?の様に参加してました。社に戻り上司から、研修から学んだ?レポートの提出を要求され、私は『規則正しい早寝早起きの生活はストレスから解放され有意義でした』と、1行に書いてだしました。「それだけか!」と言われ、上司としては不満足解答?だったようです。組織の中での自分は、感性や行動が相手にとって不可解でわかりにくい社員である事が判った研修でした♪。未だに「頑張らない」を勝手に解釈しています。私の故郷の言葉にテーゲー(大概?)という方言があるのですが、かなり都合のいい言葉で「適当(度)、いい加減、おおまか、根を詰めない、、、等々」テーゲーに考え、テーゲーに行動する「テーゲー精神」なるものがあります。、、、、多分私の遺伝子の中に現在も「テーゲー精神」が潜んでいるものと思う、、、、、コレ「頑張らない」事なのだろうか?   (2004/07/08 17:11:34)


第8回 “頑張らない”という選択 2004/07/01


 日本中にバスケブームを巻き起こした漫画「SLAM DUNK」の作者が、今回は車椅子バスケットをテーマに描いていて、これがまたおもしろい。この作者は人の体の動きや心理描写みたいなものが上手で、ずいぶんよく取材しているのでは、と感心します。  ホントにこんなかなあ?と納得いかない面もあるけれども、体の自由を失った者の気持ちのあり様だとかが伝わってきて、共感しながら読んでいます。バスケットに興味のない人でもおもしろいんじゃないかな?
 三枚目役な主人公にも笑えるし、プライドが高くて気が強い登場人物たちも好き。
友人が貸してくれた漫画ですが、すぐに紹介したくなっちゃいました。
「誇りを持て!」・・・そんなメッセージをもらうような。ウチにはテレビが
ないのですが、今年はパラリンピックがとっても観たくなりました。

 何をかくそう、私は中学1年の時背が高かったのでバスケ部員でした。(運動神経ゼロなのに!) 私のポジションは・・・「声だし」かな!? ハハハ・・・^^;
(2004年4月号)



臨時号 スガヤンより皆様へ  2004/04/15


 「日々是トロトロ」にたくさんの声をお寄せくださり、みなさんありがとうございます。
 先月は風邪で寝こんでいた為、まだあまり掲示板を見ていないのですが、はじめの頃にお声をくださった方へ、少し書かせてください。
 お友達が重症筋無力症で、どう付き合ってよいのか悩んでいる、というかたがいらっしゃいましたよね。私の立場から言える事は、「どうかその人を、孤独にしないでくれ。」ということです。その人が寝たきりで、口もきけなくなっても、とにかく会いに行く、顔を見に行くのをやめないでくれ、と思っています。相手が何を考えているのかわからなくても、いやがられても、反応がとぼしくても、見守ってください。お願いします。
 もうひとつ。この病気は一万人に一人いるかいないか、という奇病です。十万人に一人、百万人に一人という、もっと少ない発症率の病を持った方からすると「それだけいればいいじゃない。」と思われるかもしれません。しかし、今の私の悩みは、「自分と同じような立場の人が身近にいないため、社会的にも身近な友人にも、充分な理解・共感が得られず、時に孤独感にさいなまれ、情報が不充分なために、治療や生活上での問題をどうすればよいのかわからない。」ということです。なんらかの病気やアレルギーなどを体験している友達には、やはり話が通じやすく親身になってもらえる、ということもあるのですが、「コーヒーカップが重たい」「ろれつがまわらないのが苦しい」なんてことが実感として通じる人はまずいません。「そうそう、私もそれで苦労したわ。」「こうしたら良くなったわよ。」なんて話ができる相手がおらず、まわりはみんな、元気に働いていて・・・。
 アトピー、喘息、花粉症も、いまや珍しい病気ではなくなりましたし、高血圧、糖尿病、ガン、脳梗塞、心臓病、うつ病、その他・・・本屋にいけば必ず情報がある病名に比べ、この病気は新聞・雑誌・・・どこをさがしても何の情報もありません。「筋無力症友の会」の東京支部に入会してみたものの、(千葉県には友の会がない)会報が届くのは年一回か二回程度で、会合などは東京なので出かけられず、安房地域の「難病患者の集い」にも出かけましたが、私と同じ"重症筋無力症"の人には会えませんでした。一万人に一人というと、友達の友達の知り合いだとか、知り合いのめったに会わない親戚だとか、それくらいの割合でいることがわかっているのですが、じゃあ連絡をとって会おうというふうにはなかなかなれません。発病からもうすぐ一年になりますが、まだ一度も同じ病の人に、会った事も話したこともない私です。
 そんな中で、パソコンだとかインターネットというのは、情報を得る手段としても、会う事のできない相手との交流を持つためにも、頼もしい道具なのだと思います。ですからこのたび葱坊主さんや風さんのホームページに載せていただく運びとなったのですが、私自身はもともと機械オンチで、スピードの速いものにもついていけない性格です。筋無力症の症状から考えても、目の使いすぎや手の使いすぎ、夜更かしと頭の使いすぎ(?)も禁物なので、自分自身がインターネットを接続することには躊躇しております。
 わがままな筆者ですが、気長にお付き合いいただけたら嬉しく思います。時々お返事がお返しできたら・・・と思っております。

: そうでしたか。そうですよね。同病の人やその家族と話したいですよね。そう思ってホームページを検索してみました。なるほど少ない。もともと難病患者やその家族は、患者の会を作って運営するだけでも大変な負担のはずです。さらにインターネットで遊んでる余裕はないのでしょうね。   (2004/04/16 00:13:57)
: しかし「全国筋無力症友の会西日本」というサイトがありました。友の会の大阪支部が運営しているようです。ざっと見ただけですが、医療情報や友の会の情報とは別に「コミュニケーション」サイトがあって、掲示板などで患者や家族が話し合っているようです。URLはこちら→[Click]   (2004/04/16 00:19:33)
: まずそのコピーを読んでみたらどうでしょうか。参考になればと思い書きました。   (2004/04/16 00:21:55)
デン : 私は常連一歳半,夜に「風の頁」を一回りして楽しんでます。雪山や海外など,行ったことのない場所に連れて行ってもらえますし,身近なありふれた場所でも人によって見ているものが,見方がこんなにも違うのか,いろいろと気付かされます。普段の自分自身から抜け出て別人となってぶらついているしだいです。    (2004/04/17 02:08:54)


第7回 ワタシの役目 2004/03/26

 
 老人ホームに勤めていた時、私の立場は高齢者のお世話をする事でしたが、けして自分が一方的に「面倒をみている側」だとは思っていませんでした。保育所やベビーシッター、精神障害者の作業所などで働いたこともありますが、お金といった報酬をぬきにしても、私は充分に、彼らから大切なものをもらっていました。具体的に何かをされているわけではなくても、多くのものを得ていたし、毎日が勉強であり、充実した時を過ごしていたように思います。何より私は彼らのことが好きだったので、会いに行くのが楽しみというのが一番でした。
 しかし、いざ自分が逆の立場になり、人様に面倒を見てもらう側になると、何か肩身が狭いような、居心地の悪さを感じてしまうようになりました。元気でいた時は、お年寄りからあんまり「すまないねえ。」などと言われると、「そんなあ、あやまらなくっていいのに。」と悲しくなったりもしましたが、今は、あのおばあちゃんの気持ちがわかるのです。いつも常に誰かに何かをしてもらっていて、自分が具体的にはなにも返せないというのは、やはり悲しいことなのです。バリバリ体を動かさないまでも、自分も何か人の役に立ったり、地域社会の中で役割や出番がないということは、とても寂しいことなのです。
 まして、私はまだ30歳。ちいさな子どもたちなら、大人の手を借りて育つのが当たり前ですし、何より見ているだけでかわいい。一緒にいるだけで楽しい気分になる、未来の希望ですし。お年寄りの体が弱るのは当たり前。もうすでに沢山の経験を積んできて、世の中を支えてきた人たちなわけですから、いるだけで尊敬に値する存在と言えましょう。もちろん意地悪じいさんやうそつきばあさんもいるでしょうが、後世に伝えるべき様々な知恵や人生経験をもったお年寄りのお世話をするのは、若いモンの役目でしょう。・・・でも、私は・・・と考えると、「こんなに若くして人がかからない病気になって、何しているんだろう。まわりはみんな、仕事を頑張ったり、子育てしていたりするのに・・・。」だとか、「私の世話をする友達は、私から何か得るものがあるわけじゃなし、やっぱり自分は人の世話になっているだけなんじゃないか。」などと卑屈になってしまうのです。

 そんな時友人が、“安積遊歩さん”という方がテレビのなかで語っていたことをおしえてくれました。(彼女の著書などは、私も10年くらい前に読んでおり、ご本人を目にしたこともあるのですが、本の内容はすっかり忘れていました。)車椅子の障害者である彼女も、かつては障害者であることを悲観し、悩み、苦しんだ時期があったといいます。それが、アメリカでの生活体験を経てふっきれてしまい、帰国してからの意識も一変してしまったというのです。アメリカでは、障害者が地域の中で、当たり前に、自然に、堂々と暮らしていることにカルチャーショックを受け、それまでは自分が多くの人に「ボランティアをしてもらっている」と思っていたのが、「私が社会にボランティアをしているのだ」と考えるようになった、と。それは、世の中の人々が困っている人のことを想像したり、思いやる気持ちを植え付けることだったり、互いに助け合い、暮らしを豊かにするためのパイプ役だったり・・・。それからは、駅の階段でもどこでも、「ちょっとー、力のある男の人たち、手を貸してちょうだーい!」などと大声で助けを求めるようになったとか。
 またある人はラジオの中で、やはりアメリカでの生活を経て、こんなことも語っていました。「日本にいる間は、“自立”とは、身体的自立と経済的自立をいうのだと思っていた。着替えや、排泄や、食事を作って食べることや、身の回りのことができること、自分で働いて、収入を得ること、生活が自力でできること、・・・それが自立には不可欠だと思っていたし、施設でも、障害者教育の現場でも、そのように教えられる。でも、アメリカで言う自立とは、自分の意志で決定が出来ること、自分の思いを人に伝えられることだった。」
・・・こんな両者のお話を聞くと、そうだそうだ、などと元気づけられるのですが、やはりそう単純には、まだ納得できない面もあります。「いくら私がそうだと思ったって、まわりもそのような意識がなければ、やっぱり生きにくいんじゃないの、この世の中。」と思うからです。身近な友人たちが、どんなに優しくサポートしてくれていても、この社会で感じる“生き苦しさ”は、やはり消えない、というのが正直な気持ちです。それでもめげずに、病気になった今の、ありのままの自分に、存在価値があると思わなければやっていけないので、必死で自分の役目をさがしています。動けない私、役に立たない私の役目って何?・・・毎日毎日、そんなことを考えています。
(2004年2月号)

るり : 私が自立について不可欠だと思ってたのは、精神的自立です。気がつけばいつも何かを待って、受け身で生きてきたように思います(ようするに自立してない?)。現在、専業主婦の私には身体的自立しかありません。スガヤンさんが真剣に考えられてるのを読んで、ちょっと自分が恥ずかしくなりました。   (2004/03/26 22:41:24)
デン : 以前にブラジルの地方都市に行ったときに強く感じたのが「精神的自立」ということでした。町には多くの浮浪者がそこ此処にたむろしていますし,紛れている不心得者が人の隙をうかがっています。しかし,休日の公園などでは,これらの日々辛い生活をしている人でさえも歌い踊り,自身の人生を楽しんでいるようでした。日本では衣食住に恵まれ不自由なく暮らしていますが,本当に個々それぞれの自身の人生を楽しんでいるのだろうか,と。自身が本当に楽しくなることをする,進めることが自立に繋がっていくと思うのです。    (2004/03/27 23:46:18)
: 中高校生のころには、身の回りのことが自分でできること、自分の思うとおりに生きることが自立だと思っていました。大人になってからは、人に頼らず生きていけること、経済的に自立することが自立だと思ってきました。   (2004/03/28 03:28:59)
: そういうつもりで生きてきたのですが、最近はちょっと違うんじゃないかと感じはじめています。身の回りのことが自分でできる、自分の思うとおりに生きることができる、人に頼らず生きることができる、経済的に自立する。そういう努力は必要なんだけれど、結局頼ったり頼られたりしないと生きていけないのが人間のようです。特に‘頼ってくれる’ものの存在が必須のような気がします。   (2004/03/28 03:39:35)
: 子供とペットは無条件で頼ってくれるけれど、それ以外になるがあるかと言われれば誰だって心許ないんじゃないですか。   (2004/03/28 03:43:09)


わたしの役目 2004/03/26 09:00:25


 多様性を受け入れ、個人の自由を尊重する、というようなアメリカの話しを聞くと「いい国だなあ、行ってみたいなあ。」などと思うのですが、どうしてすぐに戦争をしたがるのか、それだけは理解できません。また、それに追従するだけの日本という国も解せないのですが・・・。 「世界全体が幸福にならなければ、個人の幸福はありえない。」といった宮沢賢治の言葉は、全くそのとおりだと思いますが、なぜ軍隊を派遣するのか、なぜ武器が必要なのか、わからないまま物事が進んでいます。
 この絵本は、こんな世界情勢の中で、フッーと深呼吸したいときに、手にするといいかもしれません。互いを知らない者同士が、出会い、近づき、寄り添うことは、大変なことかもしれないけれど、不可能ではないはず、と希望を持ちつづけていたいなあ・・・。
(2004年2月号)



第6回 オイラはサイボーグ!?・・・見た目は人間だけど 2004/03/11

 
 前回、私の病気のメカニズムに触れたので(・・・昨年に引き続いた話題で新鮮味がなくて申し訳ないですが)、今回は「薬」について書こうと思います。

 私は今、一日三回の飲み薬を服用して、日常生活をナントカ送っています。“筋肉の収縮を助ける”ためのお薬で、それを飲むことで、食べ物を噛んだり飲んだり話しをしたりというのが、少ししやすくなったり、腕の上がり具合や力の入り具合が良くなったり・・・という効果があらわれます。しかし、あくまで一時的に自覚症状を抑えるためのものであって、病気を根本から治す薬ではありません。時間がたてば効き目もなくなり、体内に蓄積されるものでもないので、飲みつづけたことによる副作用というものもないようですが、飲み始めたころは、腹痛や下痢に悩まされました。今では耐性ができたのか、体のほうが薬になれて、めったに腹痛も起こらなくなりましたが、薬なしではいられない体になってしまいました。
 でも、基本的に一日三回、食後に飲むので、どうしても空白の時間ができてしまいます。夕食後七時くらいに飲むと、夜中の十二時、一時くらいまでは効いているようですが、あとは朝九時ごろまで飲まないので、起きてすぐが最もヨレヨレしています。筋無力症の症状は、くり返し動作をすると動けなくなり、休むと回復するのが特徴なので、よく休んだ後の朝が最も調子が良く、一日の疲れもたまってくる夕方や夜に症状が強いといわれていますが、自分の認識では「薬を飲んでいない朝が最も動けない。」のです。・・・たとえば、昼間はできるボタンが下から上まではめられなかったり、トイレでおしりを拭くのに手がとどかなかったり、ヨーグルトのようなものでなければ飲み込めなかったり・・・。



おいらは 2004/03/11 20:19:44

 でもその朝が、実は一番素の状態で、調子がいいわけなのだから、いやー、薬を飲んでいなかったら、昼や夜はどーなってるんだろうと恐ろしくなります。
 しかし時々会う人からは、「調子良さそうだね。」「元気そうだ。」とよく言われるので、「いやー、そんなことはないんだ、調子いいように見えても・・・」などとゴチャゴチャ言いたくなってしまうのです。・・・まあ、パッと見だけでも元気そうに映るのはいいことなのかもしれないし、自分の調子が悪いところはそうそう人に見られていないし、わかりにくい症状だから仕方ないのですが、複雑な心境になったりもします。そんな時、けして良くない考え方ですが、「車椅子の人とか、パッと見て、どこが悪いとまわりにわかる人がうらやましいなー。」などと思ったりします。車椅子の人の苦労を知らないから、そんなばかなことを考えるのでしょうが・・・。
 けれどもそれくらい、人というのは見ただけでは、その中身までは伝わりにくいということかと思います。体のことも、内面も。電車の座席であなたのとなりに座った人が、ひょっとして難病患者、ということもあるかもしれません。

 ところで、野菜や米も、見ただけではわからない世の中になりました。(ちょっと、話しの流れがゴーイン?)スーパーに並んだきれいな野菜もなんだかよくわからないし、有機野菜がどのように作られているのかということも、あまり知られていません。私は初めて米作りや野菜作りに関わった時、ひとつの食べ物ができるまでに、こんなにも手間や時間がかかっているのかー、とびっくりしました。(それにしちゃあ、食べ物ってずいぶん安いよなー)お百姓さんの汗も、心も、天地の力も、ギュッと詰まっている食べ物さん、心して頂かなくっちゃな、と思います。・・・ありがとう。
(2004年1月号)

: いよいよ今年の号になりましたね♪   (2004/03/13 19:20:27)
葱坊主 : 風さん、ありがとうございます。やっと追いつきそうです。   (2004/03/13 22:52:54)


おすすめ 2004/03/11 20:20:17


 ウチにはテレビがないので、今はもう観ることもないのですが、かつて、夜更かしをした時や、眠れない夜、また、昨春まで勤めていた老人ホームでの夜勤の際に、時々観ていました。・・・ナレーションは一切なし、静かに流れる音楽と、テロップでの少しの説明だけで、日本の美しい情景や、世界各地の映像がただ流れていくだけ、という番組で、本当に散歩している気分になれるのです。
 この時間になるときまって起きてきて、あちこちを徘徊する痴呆のおばあちゃんも、この番組をみせると落ち着いてテレビの前に座ってくれるので、何かと利用していたのですが、「キレイだねー。」と互いに顔を見合わせながらうなずきあったことも、今では良い思いでです。
(2004年1月号)

MIEKO : 美しい映像や音楽は、目から直接心に流れ込むのでしょうね。きれいなものを沢山見ている人の眼は澄んでますよね。   (2004/03/13 20:06:53)


第5回 青ものが食べたい 2004/03/02

 
 ほうれん草、小松菜、チンゲン菜、白菜、京菜に山東菜・・・etc。冬は青い葉野菜が本当においしいですよね。でも、・・・筋無力症のオイラは、葉物が一番食べられないのです!!
 葉野菜は薄っぺらいので、日頃、皆さん意識していないと思いますが、結構繊維があるので、噛みきるのはまずできません。また、大根や人参、芋などの根菜類などよりも、意外と切るのも大変なのですよ。細かく刻もうとしても刻めない、かなり火を通しても、やはり繊維は残る。友人に借りたフードプロセッサーを使おうと思ったら、フードプロセッサー自体が重たくて扱えない・・・。そんなワケで、発病以来、つい葉物は敬遠しがちです・・・。
 でも、嫌いで食べないワケではなく、ただ「ありつけない」だけなので、欲求不満はつのる一方。何より体が欲しがっている気がします。まして私の病気は血液中に出来てしまった、いらん抗体のせいで、筋肉が使えなくなっているので、血液サラサラにする青野菜は絶対必要なんじゃないかナ〜〜。今のオイラは、「病気を治すためにも必要な野菜を“噛めない&調理できない”のが理由で、摂取できない。」というのが、食べることでの悩みです。
 ところで、今回はちょっと、私の病気のメカニズムについて、皆さんにご説明しておきたいと思います。



青ものが食べたい 2004/03/02 21:49:33


 “重症筋無力症”は、要するに、神経と筋肉の結合部分に異常が生じることによって、筋肉の力が弱くなる病気です。人間は神経からの刺激を筋肉に伝達することによって、体を動かしているわけですが、筋肉の側にはそれをキャッチする膜のようなもの――受容体(アセチルコリンリセプター)というのがあるらしく、その受容体を壊す抗体(抗アセチルコリンリセプター抗体)ができてしまったのが直接的な原因といえます。
 しかし、そのような抗体がなぜできるのか、どうしたらなくなるのか、というような原因は解明されていません。重症筋無力症の人の多くは、胸腺に何らかの異常があり、抗体を産出する大もととされているので、私も胸腺を摘出する手術をしたのですが、手術をしたからといって、すぐに治るというものでもありません。手術をしても、それまでに作られた血液中の抗体が無くなるワケではありませんし、手術によって、それだけ侵襲が加わるワケですから、手術直後は症状の悪化も見られます。また、抗体を産生しているのは、リンパ腺、脾臓と胸腺に限らないので、症状が良くなったように見えても、また悪化したり、再発したり、と完治がどこにあるのかわからないとされています。
 私の場合は一日三回、筋肉の収縮を助ける飲み薬を飲みながら、なんとか日常生活を送っています。が、あくまで、“自覚症状を抑える薬”であって、病気を治す薬ではありません。体内に蓄積されるようなことはないので、飲みつづけていることによる副作用、というのはありませんが、排出されてしまえばそれでおわり、・・・言ってみればドーピング、ポパイのほうれん草のようなものなのです。

 ・・・でも、しょせん、薬は薬。体の動きは助けてくれても、栄養にはなりません、“医食同源”というけれど、いかにして栄養をとっていくか、が私のテーマであります。ハァ〜、こんな時に、料理好きの彼氏でもいたらいいんだろうナ〜。・・・いやいや、そんなことは考えないぞ、と。トホホ・・・。ほうれん草が、本当に私の筋力増強剤となるように、この冬の青物対策を練っている私です。
(2003年12月号)

るり : 自己免疫疾患の一つなんですね。なんとか新鮮な葉野菜を簡単に調理して食べれる方法...難しい課題ですね。考えさせられます   (2004/03/03 14:58:18)
: 贅沢な話だけど歯槽膿漏で奥歯がほとんど無くなりました。残ってる歯もぐらぐらで痛くて噛み締めることができません。そうしたら、とたんにどの葉っぱも食べられなくなりました。ホウレンソウのおひたしなんかクタクタになるほど煮ても、まだうまく噛み潰せないんだね。   (2004/03/04 06:31:50)
YUKKE : 春菊や水菜の柔らかい葉のとこだけなら、パリパリに冷凍すると手で粉々にできるかも。パセリはこれでみじん切りくらいになりますよ。   (2004/03/05 01:32:20)
DORA : YUKKEさんの裏技いただき!いつもパセリのみじん切りで無駄をだしていたんだ♪   (2004/03/05 21:04:45)


オススメ 2004/03/02 20:43:56


 洋楽、邦楽、民族音楽・・・とジャンルは何でもアリ、の音楽番組なのだけれども、何より、DJ役のピーター・バラカンがオイラは好きなのだ♪♪♪
 もうこの人、かなり日本に長いと思うんだけど、日本人よりも美しい日本語を話してくれる。気品と、落ちつきのある話し方が、ものすごい知識量を嫌味に感じさせず、「イギリス男って、皆こんなに紳士なのかしら?」と勘違いしてしまう。リスナーのリクエストと、ピーターの選曲による構成なのだけれども、流れてくるどの曲も、いい。私はとくべつ録音したりもせず、ただボケーーっと聴いているので、ミュージシャンも曲名も何もおぼえていないのだが・・・。
 しかし、この番組、朝が早い・・・。もうこの頃のオイラは、8時頃に布団から這い出すため、さいしょの一時間位、簡単に聴きのがしてしまう。くぅ〜〜〜!
 そんな日は、欲求不満なので、夜のゴンチチがやっている番組を聴いたり(これもけっこういい。でも、ピーターには負けるな・・・。)そのあと、元ピンクレディーのミーちゃんがやっている番組を聴いて、満たされます。ミーちゃんのナビゲートはあんまり好きじゃないけど(話っぷりが、オイラの肌に合わない・・・。)なつかしい洋楽をいろいろ楽しめます。今これを書きながら、ミーちゃんの声を聴いている私。今晩は、『キャロル・キング』の特集だって。オッ、いいねぇ。
 今朝はピーターに会えなかった(9時に起きてしまった)けど、キャロル・キングで良しとしよう・・・。

(家に一人でいる時間が増えて、ついラジオをつけることが多くなりました。でも、惰性で聴いていることも多いのよね・・・。)
(2003年12月号)



第4回 みんな一緒に考えて・・・。 2004/02/27

 
 寒くなってきました。鍋の恋しい季節がやってまいります。
 しかし、・・・今年の私は、土鍋が扱えない! ナゼなら、“筋無力症”の体では、あんな重たいものをガス台に乗せて調理するだけでも一苦労。洗ったり乾かしたりすることを考えただけでも、「疲れるから、しまっておこう・・・」となるワケです。
 発病してから“家の中で使えなくなった物”というのが、随分と増えました。本当は土鍋でお米を炊いたりしてもおいしいのだけれど、土鍋はおろか、文化鍋もしまいっぱなし、ご飯を炊くのはもっぱら炊飯器頼みです(でも、この内釜を洗うのも重たい・・・)。中華鍋は伏せたまま、フライパンも片手鍋もヤカンも、重い物はやめ、軽くて小さめの物で少量を料理する日々。・・・まな板は薄〜いカッティングボードと、軽〜い桐の物を手に入れました。使う食器類も、大物や重たい物は奥へ、軽くて扱いやすい物が手前、一人の食事の時は、軽い物しか使いません。
 “頂き物”も随分しましたが、やはり、退院してからの2〜3ヶ月は、買い揃える必要もあり、出費が重み、物が増えたことがストレスになったりもしました。(普段、一人で出歩けない分、買い物でストレス発散していた面もあるが・・・。)そして、筋力が使えなくなっただけで、衣・食・住をこんなに入れ替えなきゃならんのか〜〜〜〜〜と思ったものです。
 例えば、“衣”に関しても、腕を高く上げたり、せまい袖・えりぐりを引っ張ったりする力がないので、もっぱら前開きの服で、袖ぐりの広い、ゆったりした物が欲しくなりました。
 “住”について言えば、高いところからしゃがみこむ事や、低いところからの立ちあがりがツライので、テーブルとイスの生活になり、ベットも入れました。浴室にも背もたれ付きのイスを入れ、シャワーを設置。高い位置にあったものは下へおろし、足元に踏み台を置いて、あえて段差を作った所もあります。
 そのような“道具”の工夫によって、家の中で動きがとりやすくなり、自分で家事ができるようになったのは喜ばしいことです。これはきっと多くの障害者や私のような病気の方が、すでに経験していることで、皆さん様々な工夫や苦労をしているのだろうナ〜と思います。でも、こうしたことは、自分が病気になってみなければ、実際にはわからなかったことだらけでした。



みんな 2004/03/02 20:44:29

 一歩外へ出ると、非常に歩きづらいので、出かけるのがついおっくうになります。私のような者は、とにかくすぐ疲れるのが特徴なので、あちこちにイスが欲しい。聴覚障害の方なんかは、車が後ろから近づいてくる音や、クラクションが聞こえないので、狭い道路を歩くのは、かなり危険だと聞いたことがあります。車イスや杖歩行の方も、もっと広くて段差のない歩道が欲しいだろうナ〜と思います。・・・一方、視覚障害の方なんかは、段差が全くないと、かえって困るそうです、ナルホド〜〜〜、ただ平らにすればいいってもんじゃないよね。
 バリアフリーというよりも、誰もが使いやすい、ユニバーサルなデザイン、ってどんなものでしょうね。小さなお子さんがいる方なんかも、困ったことって沢山ないですか?それに、やがてはみんな歳をとります。明日にも、何が起こるかだって、わかりません。
 ・・・なぁんて、自分が病気になったからって、驚かすわけじゃないけど、みんなが一緒に考えてくれるとウレシイ・・・。でも、考えてみる価値アリ、だよナ、と鍋を前にして思う私でした。
(2003年11月号)

YUKKE : 私も昔足を折ったとき、半年くらい松葉杖で過ごしました。階段は上りより下りの方が怖いし、危ないですよね。   (2004/02/27 21:04:30)
るり : 雨の日、ブーツの時や荷物の多い日、子供を抱いてる人に妊婦さん、下りが必要な人は絶対多いと思います   (2004/02/27 22:29:25)
shiro530 : 毎日大変ですね、私の母親と比較するのも変ですが、高齢からくる筋力低下と同状況じなので、大変さを感じる事ができます。私の方では痛みも辛さも分からないので、どうやって励まそうか戸惑う事もありますが、甘やかさず大事にするぐらいしかできません。。   (2004/02/28 02:02:21)
夏子 : 最近はあちこちの駅でエレベーターを付ける工事をしてますねー。でも道路はヒドイ状態のままで危険が一杯!!エスカレーターの片側追い越しも止めて欲しいですね、左手が不自由な友人が嘆いてました。土鍋は重くて洗うのも大変なので私も使ってないのよ!   (2004/02/28 12:25:31)
DORA : 大変さは人それぞれ、思いやる、助け合うための想像力を養うのが大切なのかもしれませんね。   (2004/02/29 22:20:36)


第3回 父の思い出 2004/02/26

 
 田畑や野山の暮らしに興味を持ち始めたのは、いつからだろう?とフト思うことがあります。
 私は千葉県の北西部−いわゆる東京のベットタウンで、団地のサラリーマン家庭に育ちました。しかし両親は、積雪3mにもなる東北の山奥の出身で、両家共農家だったので、やはりDNAが関係しているのでしょうか。まあ、10代〜20代の様々な人との出会いや旅を通して、今、ここ、房総での暮らしに行きついたのは、自然の流れと言えますが、「何でかなぁ?」と、フト思うのです。
 ・・・そういえば、私が保育園くらいの頃、父が町内に畑を借りており、休日にもなると足を運んでいたことを思い出しました。バイク(今思えばあれは原チャリ?)の後ろに乗せてもらい、自分だけ連れて行ってもらえた時など、得意になって喜んでいたのを憶えています。何をどう作っていたかは、さっぱり憶えていませんが、印象に残っているのは、姉や近所の幼なじみ達みんなでやった“芋ほり”です。尻もちをついたり、土をかぶって目が痛くなったりしながら、大騒ぎでした。
 思えば、幼少期のそうした体験が“今”につながっているのかもしれません。父は畑のプロでは全くありませんでしたが、サラリーマンだろうが何だろうが、田畑や食べ物というのは、けして遠いところにあるのではない、身近で、自分たちでも作れるのだ、ということを教えてくれたようです。

 その父を、9月に亡くしました。61歳、肺がんでした。煙草は一切やらない、酒もほんの少したしなむ程度の人でしたが、日本の高度成長期と共に働き詰めてきた、頑固でクソ真面目な仕事人間でした。
 若い頃から出張が多く、家族で過ごすことも少なかった父ですが、病気がわかってからの8ヶ月間は、初めて母と毎日一緒にいられることができました。まだ体力のあったうちはよく散歩をし、道端の草花の名前をおぼえたり、絵に描いたりしていました。
 私はそんな時期に自分まで大病にかかり、最大の親不孝をしましたが、最後に会話をした時の父の言葉で、少し救われました。「ガンになって、良かったなどと言うものではないが、なってみなければわからなかったこと、なったことで感じたことが沢山あった。おまえも今、人の情けが身に染みているから、顔が穏やかになった。前よりいいよ。良かった。」
 仕事も、闘病生活も、めいっぱいやった父に、後悔はなかったかもしれませんが、亡くなる頃は、故郷の山や田畑を思い出していたような気がします。
 今、房総では、真っ赤な彼岸花があちこちで咲いています。



おいも 2004/02/26 18:02:49


 私が子どもの頃に読んだ、大好きな絵本(初版は1972年)。大人になってから、また見つけて、すぐに買ってしまったが、現代でも売れつづけているロングセラーなのだろう。
 特に好きなのは、子どもたちがたらふくイモを食べたあと、「いもらす1号、いもらす2号、・・・」などと言って、ぶーぶゎーんと空へ舞い上がるページ。(もー最高!!)市村久子さんという幼稚園教諭だった方の教育実践から生まれた本とあるけれど、大人の心もつかんで離さない(!?)ユカイな絵本。2色だけの色もキレイ!
(2003年10月号)

: お父さんが肺ガンになったときに、スガヤンが発病したんですね。その大変さって想像がつきません。私は子どもたちにどんなことを残すのかしら・・。   (2004/02/27 17:44:25)


第2回 お米も人間も一緒? 2004/02/25

 
 稲刈りの季節がやってきました。
 今年は冷夏で、お米にちゃんと実が入るのか懸念されましたが、このあたりの田んぼも無事に、黄金色に染まり、頭を垂れています。

 私も房総に来た最初の二年は、“農業体験型施設”の管理人をしていたので、まがりなりにも米作りを一から体験しました。まわりの人に教わりながら、わけもわからず必死でしたが、その二年を通して思ったのは「お米も人間と一緒」ということでした。
 ・・・小さいうちには、たっぷり目をかけ、水をやったり温めたり、めいっぱい愛情を注ぐ。成長を妨げるようなものは取り除いてやる必要もある。が、過保護にしすぎて裏目に出ることもあるし、放任しすぎて手のつけようがなくなることもある。
 無事に穂が顔を出した思春期・青年期は、手をかけることも減るけれども、子の力を信じて見守るしかなかったり、環境や出会いによって、どうにもならない(どうにでも変化する)ことにもなる。・・・しかし、どんな野生児でも箱入り娘でも、それなりに子は育ち、いかようにもなるのである。
 “人間”も“米”も、自然・大宇宙の産物ですが、それらが育つには、それ自身がもともと持っている生命力と、それを取り巻く大自然・環境といったものと、人間の持っている手や知恵や愛情といったものが三本柱になっている訳です。そして、米作りも、衣作りや家作りも、文化や芸術も、すべては素材と天地と人との合作なんだよなぁ〜と思ったのでした。

 ところで、今年の私は“噛む”力がないため(筋無力症で顔の筋力も低下している)、玄米をモリモリ食べられないのがさみしいです。“噛めない”ということで、栄養が十分にとれないのでは?という不安や焦りもあるし、歯は丈夫なのに使えないでいることで弱ってしまうのでは?とか、筋肉も使えないでいるから、どんどんおちちゃうのでは?とか“二次障害”というものに怯えたりもしています。
 でも、“噛めない”ことを逆手にとって、充分に火を通した食材を、口にたっぷり唾液を含ませながら、感謝して頂こうと思います。無駄な筋力もないのだから、ごはんもゆっくり時間をかけて食べられます。・・・・病気の私も自然の私、どうにかなるさ、こんな私も、きっとオイシイ実になるハズ♪・・・・と思っています。
 逆境の中で育った今年のお米も、きっとオイシイのではないでしょうか・・・。新米が楽しみです。



オススメ 2004/02/25 18:39:55


 手足が細くて長くて美しい二枚目俳優、ダニエル・デイ・ルイスが三枚目役を見事に演じている。
 脳性小児麻痺のクリスティが、世間の偏見や無理解に遭いながらも、やがて左足の指に絵筆を持ち、画家となるまでの半生を追った作品。かなわぬ恋や体が不自由な故に生じるコンプレックス、孤独、そして人間の愛がしっかり描かれていて、ルイスの迫真の演技も素晴らしかったが、子役の俳優がカワイイッ♪ 女優さんの名前も、分からないけれど、クリスティの母親も素敵だった。
 久しぶりに家の中でビデオを借りてきて見た、10年以上前の作品だが、すぐに人に紹介したくなった。
 「人並みに、・・・」という言葉は私はキライだが、私自身、体が不自由になった自分に恋愛や結婚ができるのか、仕事も生活も充分にできず、時に世間から半人前として扱われる現実に、不安や怒り、孤独感を感じ初めていたので、クリスティを自分に重ね合わせて観てしまった。でも、障害者、健常者、いずれの枠に限らず、共感できる作品だと思う。
(2003年9月号)

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fattkr : riimNpoXbjYT   (2009/12/23 13:39:43)


第1回 はじめまして。スガヤンです。 2004/02/24

 
 はじめまして。ワタクシは葱坊主さんの近所(と言っても、となり町)に暮らすもので、スガヤンと申します。ねぎっちには、いつもお世話になっており、なりっぱなしでございます。
 三十路を迎えるまで病気知らず、怪我知らずだったワタクシは、このたび5月に突然発病しまして、“重症筋無力症”という難病になっちまいました。筋肉と神経の結合部分に異常が起こっていることにより、筋肉をうまく動かせない病気です。
 私の場合は上半身・・・・特に両腕と顔が不自由です。時々まぶたが下がる、ろれつがまわらない、飲食がうまくできず、物が噛めない、腕が上がらない、力が入らない、前屈みの姿勢や上を向いている姿勢が保てない・・・など。
 そんなワケで今までモリモリごはんを食べていたのが、食べられなくなってしまい、何でも子供の離乳食のようにして食べています。食べ物を何でもモリモリ、バリバリ食べられないというのは、ホントウに悲しくてツライことです。しかし、ゆっくりゆっくり、ひとつひとつのものを頂く(・・・しかも限られた食材を限られた調理法で・・・)ということによって、命のありがたさ、食べ物のありがたさを、より感じられたりする毎日です。



はじめまして。スガヤンです。 2004/02/24 19:49:54

 そんなワタクシに葱坊主さんが「日々是たんたん」と思っていることを書いていーよということで、コーナーを頂いちゃいました。スガヤンの、かなり好き勝手に書きますよ「日々是トロトロ」ということで、どうぞよろしくお願いいたします。
(2003年8月号)

: 【祝】「スガヤンの日々是トロトロ」のスタート、待ってたんだよー。おめでとおおおっ!    (2004/02/24 20:14:14)
るり : 私もこちらで読めるのを待ってました。おめでとうございます。   (2004/02/24 20:21:35)
マラニック : 私の職場にも同じ病名の人が65歳迄働いていました。スガヤンさんも頑張ってください。   (2004/02/24 20:30:58)
不良宮嶋 : 新企画スタートおめでとうござります。全国で1万人以上も同じ病気の方がおるらしいですのお。ほんとこがばってくださいませ。   (2004/02/24 21:44:51)
TANUKI : わたしの近所に幼なじみがいますが、数年前に突然同じ病になって、今は寝たきりです。どのようにつき合ったらよいか悩んでいます。今まで、スポーツ万能で、何でもやっていた男なので、周りの人も驚き、なんの能力もないわたしがのほほんと生きているのが申し訳なく思ってしまったのです。   (2004/02/24 21:53:06)
DORA : 新企画スタートおめでとうございます。「だから見えるもの」ってたくさんあると思うので、色々教えて下さい。   (2004/02/24 22:43:24)
shiro530 : スガヤン様、よろしくお願いします。   (2004/02/24 22:46:18)
デン : お隣,茨城のデンで〜す。よろしく〜! 今日の水戸市は天気も良く,弘道館の梅園もだいぶ花が咲き始めていました。畑の麦も日に日に青々としてきました。もう春ですねぇ〜      (2004/02/24 23:36:25)
どんきちだ : 新企画スタートおめでとうございます。私のいとこのお嫁さんも似たような境遇です。よろしくどうぞ。   (2004/02/25 00:12:04)
ゆきっ茶 : 最近は腰とか膝が痛いと言ってるけど俺はまだまだ甘いですね。ここを読んで自分に活を入れることにします。   (2004/02/25 08:10:30)
MIEKO : 新企画スタートおめでとうございます。温かなイラストもいいですね。スガヤンさん、どうぞよろしくお願いします。   (2004/02/25 08:28:35)
葱坊主 : みなさま、ありがとうございます。複雑な心境ですが、スガヤンとゆっくりながーく続けていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。   (2004/02/25 12:41:33)
カメ吉 : スガヤンさんはじめまして!これからも楽しみにしています。   (2004/02/25 21:40:54)
メロン : 日々是トロトロ、スタートおめでとうございます。スガヤンさん、どうぞよろしくお願いします。   (2004/02/25 23:26:28)




 
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