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ティルは、静かに目を開いた。 額に、イリーズの手の感触が感じられる。彼が目を開いたのを確認し、彼女は静かに手を離した。 「……何か、お力になれましたか?」 その問いに答える気にもなれず、ティルは近くの木に背中を預けた。そのまま、ずり落ちるように座り込んでしまう。 考える事が多すぎて、考えるのが面倒くさくて、認める事が怖くて、彼の脳はその機能を麻痺させたかのように沈黙していた。放心しているような無表情のまま、彼はしばらくの間そうしていた。 やがて、森の奥からケインが戻って来た。ケインはそんなティルとそれを静かに見つめているイリーズ、ついでにシトゥルーを見回して、彼の顔を見てまた騒ぎ出しそうだったシトゥルーをまるで魔法の効果を試すように さっきまで、あれほどこちらへ殺意を向けていた相手が静かになっているのも不思議だったが、それ以上に、ぼんやりと虚空を見つめているティルの方が不思議だった。いつもはうるさいぐらい元気な彼が、木に背中を預けて力無くへたり込んだまま、動かない。ケインが近づいて行っても、焦点の合わない虚ろな瞳でぼんやりとしたままだ。こんなティルは、今まで見た事が無かった。 「……ティル?」 どうするか少し迷い、躊躇いがちに声を掛ける。その声に、姿勢こそ変わらなかったがティルの虚ろな瞳がゆっくりと虚空を彷徨い、ゆるゆると焦点を結んだ。ただし、ケインの顔ではなく、彼のトレードマークになっている、真っ白な、白衣で。 『おっちゃんが、俺を犬にしたの?』 そんな質問が、喉から飛び出しそうになる。だがそれは、ぎりぎりのところで押し込められる。しかし、今の彼にはそれ以外の言葉を口にするという事は考えられなくなっていた。だから、黙っている。そうする事以外、彼には出来なかった。 結局、過去へのダイブは、何故ティルがイグナーダになってしまったのかという事も、イリーズが口にした封印の事も、何も分からなかったと言っても等しい。分かった事と言えば、彼の知り合いにチェックスがいたと言う事、そのチェックスが彼の目の前で殺されたかもしれないという事、そしてその犯人と、ティルをイグナーダにしたのが同じ白衣の男かもしれない、という事だけだ。わざわざあんな洞窟の中にまで、目立つ白衣を着て行くような、変わったポリシーを持っている男だと、言う事。 やはり全ては曖昧だ。今し方、この目で視て来たというのに、何一つとしてはっきりしない。 ただ。 同じポリシーを持つ男を、ティルは一人だけ知っている。 自分が元人間だと言っても、あっさりとその言葉を信じた、白衣の元暗殺者。 これが、自分の早とちりなら良いとティルは思う。しかし、それなら何故自分はあの場面を視たいと望んだのか。ケインが犯人だとするなら、それは全て納得が行くのだ。 自分の白衣を睨み付けながら黙っているティルからはそれ以上の反応を得られないと結論を出したのか、ケインは彼から少し離れた場所で静かに佇んでいるイリーズに視線を移した。が、こちらからも何の反応も返って来ない。どうしたものかと小さくため息を吐き、先程自分が掛けた魔法で幸せそうに爆睡しているシトゥルーを見やる。目が覚めたら、ノースの方と人格交換していて欲しいものだと、どうでもいい事を考えながら。 だが、いつまでもこうしているわけにもいかないだろう。 「……何か、付いてるか?」 いつも通りの口調で、ケインが問う。ティルはそのままのだらんとした姿勢のままで、視線だけをケインの方に向け、ぼそりと質問を返した。 「おっちゃん、今まで何処に行ってたんだよ?」 いつもより、確実に覇気が無い。だがそれでも、視線を合わせて返事を返してくれただけさっきよりは格段にマシだ、とケインは思う。彼は、白衣の内ポケットから煙草を取り出して銜えるとそれに火を点け、一度煙を吐き出してから答えた。 「一寸、探し物を、な。何だか、凄く疲れてるみたいだが」 「……当たり前だ。おっちゃんがいなくなっちゃってから、イリーズだけじゃなくあのバカまで現れちゃって大変だったんだぞ」 「まぁ、それは、分かるが。……本当に、それだけか? 他に、何かあったんじゃないのか?」 「……何で、そう思う?」 真顔で問い掛けるティルを見て、これは矢張り何かあったのだとケインは確信した。大体、さっきから問いに問いで返す等、まずいつもの彼らしくない。 「何だか、俺のいない間にあの姉ちゃんとも仲良くなったみたいだしな。何かあったと考えるのが妥当だろう?」 「あぁ。イリーズの事か」 「……ほぅ。イリーズ、って言うのか」 「……? 何か知ってるの、おっちゃん」 「いや、別に。それで?」 ケインに先を促されて、ティルは何となくイリーズの方を見た。彼女の事を話して良いものか、迷ったのだ。 だがイリーズは、そんな彼の気持ちを分かっているのかいないのか、表情すら変えずに彼の視線を受け止めただけだった。出会った時から変わらない、凍ったような無表情。 そんな彼女を少し見つめて、ティルは小さくため息を吐いた。何だか、時間の無駄のような気がしたのだ。だから、自分の判断で、彼はぽつりぽつりと語り出す。 「イリーズが言うには、この森にはやっぱり古代魔法の宝珠があって、彼女はその宝珠の守護者なんだって。だから、その宝珠に近づいた俺達を排除しようとしたんだって」 その言葉に、ケインはふむ、と頷いた。 「やはり、そうか。以前に聞いた事がある。古代魔法の宝珠……真逆シトゥルーが言っていた事が本当だったとは驚きだが、古代魔法、すなわち闇と光の宝珠にはそれぞれ守護者と呼ばれる存在がついており、代々継承者が現れるまで守っているのだ、と。彼らは人に近い姿を取る事が出来るが、所詮、人ではない。別世界の住人か、はたまた人形と言ったところか……」 「……人形」 確かに、イリーズのちっとも変わらない表情は、人形のそれに近いような気がする。 「俺の魔法が効かなかった時。ふと、それを思い出してな。一か八かシトゥルーの言葉に賭けてみる事にしたんだよ。……そうしたら、案の定、だ」 そう言って、右手を白衣のポケットに突っ込み、何かを取り出して掌に乗せた。 それは、黒光りする、小さな宝珠。 「この先に、小さな祠が隠してあった。そこに、な」 全く、あのシトゥルーの仕入れて来た情報が本物だなんてな、と至極無責任な事を言い。 「で? そこまでは分かったが、どうしてその守護者さんと仲良くなってるんだ? そこんとこはさっぱり分からん」 宝珠をポケットに仕舞い、肩を竦めてみせるとケインは煙草を銜えた。今度は火を点ける様子は無い。 「……え? あ、いや、それは」 「彼が、宝珠の継承者だからです」 「……言っちゃったよ……」 しかも、どキッパリと言い切っちゃったよ、この姉ちゃん。 言われちゃったモンはしょうがないので、「どーやらそーらしーよー」と棒読みで言ってみたりしつつ、ケインを見やる。流石のケインも開いた口が塞がらなかった様で、先程銜えた煙草が足元にぽとりと落ちていた。つくづく、火が点いていなくて良かったとどうでも良い事を考えたのは、逃避というヤツだろうか。 「……あー、待て。一寸、待て。何だって、そんな話が出て来るんだ?」 「いやー……。何ツーかほら、これが、ね」 言いながら、自分の二の腕にある紋章を指差す。 「この紋章が、その証拠なんだってさー。あはは、どーしよー」 ティルとしても、正直笑うしかない心境だった。そんな心境を表しているのか、犬耳も尻尾も元気無く垂れ下がっている。 だが、ケインは。 その紋章をじっと見つめた後に徐に宝珠を取り出すと、ティルの手に握らせてこう言っただけだった。 「……そうか。だったら、お前さんが持っていると良い。……良いんだろう?」 最後の台詞は、イリーズに対する問い掛けだ。その問いに、ティルも彼女を見る。そういえば、いつの間にか自分の放った矢が無くなっている事に、今更ながらに気が付いた。それに気付けるほどには、ショック状態から脱した、という事であろう。 二人の視線を受け止め、イリーズは静かに頷く。 「はい。私も元々、そうするつもりでしたから」 「……いやっ、でも……」 貰ったって、使い方なんて分からないし、と言おうとした。大体、使い道の分からない宝珠等、単なる宝の持ち腐れでしか、無い。 「……あ、れ?」 自分の手の中の宝珠の発する力が感じられる。今までに感じた事の無い、力。地水火風のどれにも属さない、大きな力。だけど、何故だか懐かしい、力。 ――そう。 きっと自分は、ずっと昔にこれと似たような力を扱った事がある。自信は無いけど確信出来る。 ……だって、俺は――。 「……ティル?」 訝しげなケインの声で、ティルははっと我に返った。どうやら自分は今、何かを思い出しかけていたような気がする。何だろう……でも、何かを掴み掛けた、そんな感じがするのだ。 どくんどくんと、動機が激しい。まるで、耳の中で心臓が動いているかのようだ。ティルはそんな心臓を必死に宥めながら、自分の手の中の宝珠を見つめる。 ――何かが。 ゆらり、と宝珠から黒い光が立ち上る。 ――何かが、思い出せそうで。 その光は、次第に十字に形を形成して行き――。 ――黒い、ロザリオ。 そうだ、この宝珠から感じられる力は、自分が昔持っていた、あのロザリオの力の波動と酷似しているのだ。 あのロザリオは、何処へやったっけ……? 「ティル! 魔法に集中しろ! 暴走するぞ!」 「……へっ?」 魔法……? 俺、そんな事……っ! 「……うわっ、何だよこれっ! ねっねっ、どーしよー、どーしたらいいのさ!」 「知るか! とにかく魔法に意識を集中させろ! 制御を失敗したらどうなるか……」 「そこで言葉を切るな! 余計に怖いから!」 「……言わせたいのか? ほう、言わせたいのか。それなら」 「何でそんなに怖い言い方なのさ!」 「無意識のうちにそんなモンを発動させるお前さんの方がよっぽど怖いと思うがね」 「そんな事を言っている場合では無いと思うのですが」 冷静なイリーズの言葉に、二人ははっと空中の十字架を見上げた。十字架は更にその光を強め、辺りに闇を撒き散らしている。 「ここまで発動すると、もうどうしようもありません」 「……えーと。あー、つまり?」 「暴発、です」 「……やっぱりー!」 「煩いぞお前等! 俺様の平和な睡眠を邪魔しやがって!」 何でこんなグッドタイミングで起きるかな、こいつは、とか思いながら、更に十字架に光が収束していったのを最後に、ティルの視界はホワイト・アウトした。 「……何つーかさー。ここ、一回り大きくなっちゃったよね……」 「充分、自然破壊だな」 「これだから魔法ってヤツは……。認めなねぇ! 俺は絶対に認めねぇ!」 いや、別にお前に認めてもらわなくても良いんだけど、とティルはぼそぼそ呟いて、まだ何やら喚いているシトゥルーを尻目にイリーズの方へと歩いて行った。今の暴発から自分達を守ってくれたのは、多分彼女だろうと思ったのだ。それ以外に、そんな事が出来そうな輩はいないのだし。 「……大丈夫?」 「私は大丈夫ですが」 相変わらず、事務的に話す。きっと、こういう風にぷろぐらむだか何だかされちゃってるんだろうけど、もう一寸感情を表したって良いのになぁ、と思ってしまうティルだった。 「何か?」 「あ、いや、その……。俺のミスでこんなんなっちゃって……。助けてくれたの、イリーズだよね?」 「いいえ。私ではありません」 返って来たのは、意外な答え。 「え? じゃあ、誰が」 真逆、自分がまた無意識のうちに力を制御していた、何て都合の良い事は考えにくい。情けない事ではあるけれど。 「はっきりとした事は分かりませんが、私には、力を打ち消したのはあの方だと思えます」 そう言って彼女が指差したのは、ケインだった。イリーズに指を指されて彼も何事かと思ったのか、こちらにやって来る。どうやら、二人の会話は聞こえていなかったようだ。ケインにくっついて、シトゥルーまでしっかりとこちらへやって来た。 「……おっちゃんが?」 あり得ない、とは言えない。特に、ケインが夢の中の白衣の男だとするなら尚更だ。 人の種族を変えてしまう程の魔法の使い手だとするなら、あんな、制御に失敗しただけの魔法を回避する方法等、幾らでも知っているだろう。 それに、仮にケインがその男とは無関係だったとしても、彼の過去には謎が多い。彼に何が出来て、何を知っていたとしても別に不思議は無いのである。 「何か、呼んだか?」 「ううん、別にこっちの話」 「……? そう言われると、余計に気になるだろうが」 苦笑を浮かべたケインの顔を見上げながら。 ――結局、聞くに聞けない。 何もかも。 「しかし、な。ティル、お前さん、あの宝珠を制御出来ないんなら、使わない方が良いな。普通の宝珠なら、制御出来るようになるまで訓練すれば良いだけの話だが、暴発でこの威力だ。練習している間に身が持たなくなっちまう」 「……俺も、そう思う」 結局は、宝の持ち腐れだ。だが、死ぬよりはずっとマシだ。 「だからそれを俺に寄越せって。綺麗さっぱりシトゥルー様が破壊してやるからよ」 「そんな事をしたら、一体どうなるか分からんぞ。お前さんだって見ただろう? だっきの暴発の威力を」 「大体、壊すったってどうやって壊すのさ」 「……うっ……。こ、これだから魔法ってヤツは……ッ!」 そんな遣り取りを尻目に、イリーズが静かに口を開く。 「それでは、私はそろそろ休みます。今は、私は必要ありませんから」 言われて、ティルは彼女に視線を合わせた。 「また、会える?」 何故だか、自然にそんな言葉が出た。イリーズはそれを聞いて初めて表情を変える。つまりは、驚きの表情に。 「……そんな事を言われたのは、生まれて初めてです」 一瞬の空白は、彼女の思考プログラムが新しい質問に対して最良の答えを計算し、弾き出すまでの時間だろうか。 「貴方が――私の力を必要だと思うなら、いつでも」 宝珠が貴方の手に渡った今、私は貴方の守護者でもあるのですから。 ――ティル=マクガール様。 宝珠の守護者は、そう言ってすぅっとその場から消えた。それはまるで、今までここにいて話をしていたのが夢であるかと錯覚さえる程、現実味が無い出会いであり、別れだった。 ――だが。 「……え?」 「どうした? ティル」 「あ、いや……」 見間違いだろうか、とティルは目をこする。 消える間際、彼にはイリーズが柔らかな笑みを浮かべていたように見えたのだ。 そう。 奇妙に透明な、でもほんの少しの恐れが混じっているような。 多分あれは、彼女が生まれて初めて浮かべた笑みだったのだろう。 「……うん。そうだね――分かった」 ぐっと宝珠を握り締め、一人呟く。 そうだ。 別に焦って過去を探す必要も無い。もっとちゃんと情報を集めてからケインを疑ったって良いじゃないか。それに、もしケインが犯人だったとしたのなら、自分を側に置いた事に理由があるのだろうし、元に戻す方法だって知っている可能性がある。 とりあえず。 そう、前向きに解釈するようにしよう。 宝珠だって、頑張れば使えるようになるかもしれないし。 少しずつでも使えるようになりたいと、ティルは思った。そうしなければ、イリーズの存在意義が無くなってしまうような気がして。 ――そして。 彼女が消え際に言った名前。 ティル=マクガール、とは自分の本名なのだろうか。 そこまで考え、彼は考えるのを止めた。分からない事を考えたって結局答えは出ないのだ。答えは、時間と共に見つけ出せるだろう、と楽観的に考える事にしよう。 その方が、自分らしい。 にっと笑って、今までぐるぐる渦巻いていた疑問をぱっと空に放り去る。 嗚呼。 抜けるような、青い空。 「……じゃおっちゃん、そろそろ行こうか?」 「何処に」 「マジックアイテム、仕入れに行くんでしょ?」 「いや、それはまた今度出直すよ。妙な所で道草食っちまったしな」 「あ、そう」 軽く頷いて歩き出したティルの背中を、呆気に取られてぼぉっと一瞬見つめてしまったが、ケインもすぐにその後を追う。 「真逆また、適当に歩いてるわけじゃないだろうな」 「うーん。適当っちゃあ適当だけど。まぁ、何とかなるんじゃない? 何となく、イリーズがこっちだって言ってるような気がするんだ」 「……なるほど」 苦笑混じりに返事を返す。 「一寸待てー! 俺様を置いて行く気かッ!」 開けた森の真ん中で、ぽつんと一人。 残されたシトゥルーの悲痛な叫びが森の中にこだましたのだった。 その後。 ケインは買い損ねたマジックアイテムを買いに行くと店を出て。 そのまま、ティルの前から姿を消した。 ――結局。 何一つ、聞く事が出来ないまま。 白衣の男は、静かに舞台から退場した。 この出会いが、物語の発端となった。 出会いは出会いを呼び、人と人とを結びつける。 全てが最初から仕組まれていたかのように、彼らは出会う。 彼らを結びつけるのは、二つの宝珠と一つの事件。 昔から、仕組まれていたシナリオ。 この出会いから三年後に始まる物語は、良く出来た御伽噺。 色んな事があるけれど、きっと、ハッピーエンドを約束された―― ――そんな、御伽噺。 |