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――カラン。 来客を告げる扉のベルの音が、そう広くない店内に響いた。奥のカウンターに座っている、褐色の肌をした女が、入って来た人物に向かって気だるそうに声を掛ける。 「あらぁ? 閉店の札が見えなかったぁ?」 相手はそれが聞こえていたのかいないのか、店内をぐるりと見回してからカウンターの方へとやって来る。 面倒臭そうに顔を上げる女に向かって、短く問うた。 「ケイン=フェスウィンターという人は……」 「あらまぁ。……ケイン! あんたにお客さん!」 驚いた様に片眉を器用に上げ、女はカウンターの奥に向かってそう怒鳴る。そうしておいて、カウンターの上で指を組むとそこに顎を乗せ、目の前に立っている客を少し上目遣いの興味深そうな視線で見上げた。相手は一瞬だけ視線を合わせたが、すぐに逸らしてしまう。 そこそこ整った顔立ちだな、というのが女の最初の感想だった。ぱっと見には男に見えるが、じっくり見ると女のようにも見えなくも無い。身長も、男にしては少し低い方だろうが、女にしては少し高めといったところだ。腰まである長い金髪を無造作に三つ編みにし、背中に垂らしている。着ている、青を基調とした衣服が少しサイズが大きいような感じを受けて、少しだけ気になった。 全体的に、曖昧な印象を受ける人物である。この客を一言で表すなら、中性的、という言葉が正にしっくりくるだろう。とにかくはっきりと言い切れる事は、目の前の相手が自分よりも十歳前後は若いだろうと言う事、それだけだ。 「……あんたが、白の月の?」 その、少し訝しげなニュアンスを含んだ声は、カウンターの奥から出てきた白衣に眼鏡を掛けた男が発したものである。客の観察に精を出していた女は、その男がやって来た事に気が付かなかったのだ。 「貴方が、ケイン=フェスウィンター?」 男の問いに頷きながら、確認の様な問いを返す。その声もまた、男女どちらともとれるような微妙なトーンの声だ。 ケインと呼ばれた男は頷きながら首を捻るという何とも難しい事をやってのけると、相手を一度上から下まで見回した。 「……噂では、白の月の暗殺者ってのは、アルピノだと聞いていたが」 深い緑色のツリ目がちの目が一瞬伏せられ、どの答えが一番相応しいかを考えている。 「俺は代理です。いや、繋ぎと言った方が分かりますか」 「……。その割には、それなりに腕は立つようだが。まぁいい。例えあんたが騙りで依頼に失敗したところで、俺には関係の無い話だ」 それじゃ、依頼の話でもさせてもらうか、とケインは続け、店の奥へその客を案内した。 白の月。 それはつまり、新月の事である。 色の付いていない月の日。それを表し、いつの頃からか新月は『白の月』と呼ばれるようになった。 その、白の月の日に。 大体、半年ぐらい前からだろうか。殺人事件が起こるようになった。被害者は全員貴族であったり、何ら後ろ暗い組織の幹部であったりとそれなりに街で力を持っている人物ばかりである。殺害方法も、全員細いワイヤーのような物で絞められた痕が首に残っており、これはよく暗殺等に使われる絞殺具特有のものであった為、この実行犯はそれ――人を殺す事――を生業としている暗殺者の類であろう事は容易に察しが付いた。誰が依頼しているのかまでは分からないが、少なくとも手際自体はプロの仕業だと言える。 だが、この街、リファレンスでは殺しや盗み等、犯罪そのものが日常茶飯事の事であり、特に珍しいという事も無かった。貴族とその他貧民層との差がありすぎるこの街では、人を殺してでも楽な暮らしをしたい、金を貰いたいと思う人間等、掃いて捨てるほどいるのだ。 しかし。 だからこそ、手を出しても良い相手と決して手を出してはいけない相手の区別ぐらいはつく。幾ら金を詰まれても、どれだけ保障されたとしても、殺せない人間というものがいるのだ。そんな人間に手を出したらどうなるか……考えただけで背筋が寒くなって来る。 だが、半年前からその禁忌が破られている。 被害者のうち三人は貴族、他の三人はこの街にあるシーフギルドに所属する人間である。リファレンスのシーフギルドには表と裏の顔がある。殺された三人は全て裏のギルドに関わっている人間であり、貴族たちもまた、裏の仕事に手を染め、資金面で手を貸していた人間達だろうと推察されている。 裏のギルドというのは、ギルドとは名ばかりの、人身売買等も行っている犯罪者の集団だ。表向き、各地のシーフギルドを運営しているように見せかけ、それで得た収入を裏に流して何やら水面下で動いている節がある。 この組織は今、『白の月の暗殺者』と、それに依頼した人物を血眼になって探しているのだった。しかし、如何せん白の月の暗殺者に関する情報は少なく、年齢性別すら分かっていないというのが現状である。かろうじて、アルピノではないか、という話があるぐらいだが、これも「白の月」に掛けた、強引な言葉遊びでは無いかと言われるほど、確信の無い噂である。 そして、何の手掛かりも掴めないまま、街は七度目の白の月を迎える。 ……これは一体、どういう事だ? これが、この街で最後の仕事のはずだった。この街を拠点に蔓延っている組織のボスを消すという仕事。それで、この、今までに無い酔狂な仕事は終わり、ようやっと報酬を手にしてこの街からおさらば出来るという予定だったのだ。 ――それなのに。 何故、全てが終わった後なんだ? これが、白の月の暗殺者と呼ばれる人物が持った最初の感想だった。 ……全く、最後の最後で……! これで、報酬もパーか。 「……ちっ!」 苛立ちを隠しきれず、思わず目の前のベッドを蹴り付ける。 そのベッドの上には、もうすでに呼吸する事を放棄している、暗殺者のターゲットだった男だったもの、がぐたりと横たわっていた。その首には、絞殺具の痕がくっきりと残されている。 ご苦労なこった。 その痕を忌々しげに睨み付け、もうここには用が無いと判断する。ターゲットが死亡しているのに、こんな場所に長居は無用だ。 くるりとベッドに背を向ける。 「……潔いのは良い事だがな。ターゲットをよく確認もせずに失敗を認めるなんざ、思っていたより杜撰な仕事ぶりだな」 冷静な男の言葉が突き刺さる。 背後から聞こえてきたその声に、暗殺者は聞き覚えがあった。 丁度五日前に初めて会った男の声。 ――そう。 つまりは、この一連の酔狂な仕事の依頼人である、ケイン=フェスウィンターの声。 一体、どうやって入った――? 「白い髪に紅い瞳――。ふん、噂を再現しているようだな。代理人だ等と嘘を吐いたのは、やはり偽者だからか?」 「……どういう、事だ?」 ゆっくりと振り向いたその先には、ベッドを挟んで立つケインその人と、その手に握られた小型のボウガンが認められた。ボウガンはぴたりと暗殺者の左胸に向けられている。 「ここで死んでるヤツは、あんたの殺しのターゲットじゃないって事さ。そいつは、ライザの双子の弟だ」 「……双子、だと?」 「ああ、そうだ。ライザは隠していたようだが……そんな手にまんまと引っかかるほど素人だったとはな」 何だか、この前会った時とは確実に印象が違う。同一人物だとは分かるが、何処と無く周りに纏っているオーラというのか、空気が違うのだ。 ……眼鏡を掛けていないからか? 真逆、な。 「……大方、次は自分だと予想が付いていたんだろう。というより、この一連の流れから自分が外れると考える方が馬鹿だな。まぁ、馬鹿は馬鹿なわけだが、スケープゴートを用意するぐらいの知恵はあったってわけだ。身内だろうと何だろうと、結局は自分が一番可愛い。……そんなもんだろう?」 面白くなさそうな口調で解説をし、空いている左手で煙草を取り出すと火を点けずに銜える。素人が見たならそれは、隙だらけの行動に見えただろう。だが、残念な事に暗殺者は素人では無かった。 むしろ、ケインのその行動のお陰で今の自分が勝てる相手では無い事が確信出来てしまった。あまり嬉しくない確信ではるが。 「ま、逃げちまったもんはしょうがない。それで、あんたは? 本物、なのかい?」 あまりにも、ストレートな問いだった。 「……どう、答えたら良い?」 冷や汗が、頬を伝って落ちて行く。 「さぁ? それはあんたが答える事であって、俺は質問される側じゃない」 「だが、判断するのはあんただ。俺がどう答えようと、それを証明するもんなんて何処にも無いんだからな。だから、俺が本物なのか偽者なのか……。答えるのは、あんただ」 「――詭弁、だな」 少しの沈黙の後、苦笑を浮かべながらケインが言う。それと同時に、構えていたボウガンを下ろすと銜えていた煙草に火を点ける。一度煙を吐き出すと、今までとは打って変わった緊張感の無い声で続けた。 「正直言って、あんたが本物だろうと偽者だろうと、俺はどっちだって良いんだよ。ただ、あんたがそれなりに能力を持ってさえいれば、な」 「……ふん。嬉しいね。あんたのお眼鏡に適ったようで」 「なぁに。一寸気になったからな。あんたが何故、力の低下している時に限ってこんな事をしているのかがね」 ぴくり、と暗殺者の眉が跳ね上がる。 「低下、だって?」 「その見た目は、真逆変装、じゃあないだろう? 見たところ、それに伴って能力自体低下しているだろう。この間の方が、余裕があったよ」 「……あんたにゃ関係の無い事だろ。それならこっちだって聞きたい事がある。俺を雇ったのは一体、何故だ?」 この男なら、わざわざ人を雇わなくたって充分一人で出来るはずだ。むしろその方が効率も金銭的な面でも良いだろう。 ……全く以って、悔しい事に。 ケインは、ああ、そんな事か、と呟くとぼそりと一言。 「俺はね。人を殺せないんだよ。残念ながら」 「……あん?」 嘘を吐くな、嘘を! と喉まで出掛かったが、それは何とか飲み込む事に成功した。それでも一瞬表情には表れたのか、ケインはふっと口元を緩ませると言葉を続ける。 「だから、さっきだってどんな答えが返ってこようと、あんたを殺す事は出来なかったのさ。……そんなに、演技が上手い自信は無かったんだがな」 「……なっ!」 いい加減に、飲み込んだ言葉が飛び出しそうになる。 「――さて。仕事の話でもしようか?」 抜群のタイミングで話を逸らされ、飛び出しそうになった言葉をまた飲み込むしか無く。 「仕事、だって?」 ああ、そうだ、とケインは頷き。 「ターゲットはまだ生きている。という事は、この仕事は失敗か? それとも未達成か?」 「また質問か。回りくどいよ、おっさん」 その言葉に、ケインは少しだけショックを受けた様だった。おっさんって……と口の中で呟いたのが見て取れる。 「……まぁいい、先を続けよう。俺はこれからターゲットを追いかけようと思っている。もしあんたがついて来てくれるのなら、報酬は倍額支払おう」 その最後の言葉は確かに美味しいが、何だか嫌な予感がする。というか、絶対に何かある。 「……もし。もし、ついて行かなかったら?」 「依頼放棄とみなして、今までの分も無しだろう? 達成出来なかったんだから、当然だな」 しれっと言った白衣の男に殺意すら覚えながら、暗殺者は両の拳を握り締めた。 「さて、どうする?」 ふざけるな、このくそ親父……ッ。 「……ついて行きゃあ良いんだろうが」 「ほう。契約成立、だな」 にやりと笑ったケインの顔を見ながら、報酬を貰ったらマジでこいつ一遍殺す、とか誓ってみたり。そうでもしなければ、到底心が落ち着かない。本当は、今この場で一発ぐらいぶん殴ってやりたいところだったりするのだけれど。 「それでは、契約が成立したところで、もう一つ重要な質問があるんだが」 「あ? 今度は何だよ」 投げ遣りな口調である。というか実際そんな気分だった。もうどうにでもなりやがれっつーの。 「あんたの、名前は?」 あまりにも当然と言えば当然の事を問われ、一瞬言葉に詰まる。 全く以って、間を外す事が上手いよ、この親父。 「……フェリル。フェリル=ドゥエイン」 |