† それぞれのプロローグ・リーフ †

 ボールドウィン家。
 ここ、イスライアでは、1、2を争う名家だった。
 だからある意味この事件は、いつか起こって不思議ではない事件だったのかもしれない。交流が広く、権力も持っているという事は、いつ何処で誰に恨みを買っているかもしれないのだから。それに実際、当時のボールドウィン家の警備は厳重になっており、何者かに狙われていたと考えてもおかしくない節がある。
 今から十二年前。
 まだ、肌寒い季節に、ボールドウィン家の人間が殺されると言う事件が起きた。召使等も含め、当時その家にいた者は皆、一夜で死体と化していた。その鮮やかな手際の良さから、実行犯は殺しに慣れた者、暗殺者の類であろうと推察されている。
 ――だが一人。
 まだ幼かった、ボールドウィン家の一人娘、リオ=ボールドウィン。
 彼女だけが、忽然と屋敷から姿を消していた。生きているのか死んでいるのか、それすら分からないまま。
 それが、ボールドウィン家の事件。
 今でも、屋敷を含めたボールドウィンの財産の権利は彼女にあり、もし生きていたら莫大な遺産を手にする事になる。その遺産にあやかろうとリオの消息を捜す者は未だに後を立たない。だが、あまりにも足取りがつかめない為、しまいには彼女が犯人なんじゃないかと言い出す者までいる始末だ。
 未だに解決の糸口すら見えないボールドウィンの真相は、闇にひた隠しにされたまま、一筋の光も射さずに混沌の奥に飲み込まれている。


「……はぁ〜」
 大きくため息を吐いて、何やら考え事をしていた小柄な少年は椅子に身体を預けるようなだらしない姿勢になった。それに合わせて、鼻の上に乗せている眼鏡がずり落ち、その、エルフの血が混じっている事を示す長い耳も少々元気無く垂れ気味になる。
「やっぱり、分かんないなぁ」
 ぽつり、と独りごちる。男にしては少し高めの、おっとりとした声だ。
 ここは、イスライア・アカデミーの図書館である。彼はアカデミーに所属する学生なのだ。名を、リーファ=M=ルフランという。
「やっぱりこんなの、テーマに選ぶんじゃなかったよねぇ」
 呟いて、目の前の机に所狭しと積み上げてある本を片付けようと立ち上がる。上に羽織っている大き目の白衣の裾がふわりと揺れた。
「……家で書こ」
 家に帰れば、この間纏めた資料があるし。
「あら? まぁたお勉強? 全く、精が出るわねぇ」
「……茶化さないでよ、ステラ」
 どの本を借りようかと内容をぱらぱらと最終吟味している所に上から掛けられた声。その台詞に、彼は少々険のある口調で返す。
「だってさ、卒業に向けて論文書かなきゃいけないのに、まだほとんど出来てないんだよ? いい加減、どうにかしないといけないんだから」
 ため息を吐く。最後の方は、自分に言い聞かせるような口調になっていた。そんなリーフを、ステラと呼ばれた人物は椅子に座り、ツリ目がちの紅い瞳で見上げる。
「あのさ。そーやって机に向かってても何も出来ないなら、何やってても同じだと思うんだけど」
 追い討ちをかけるような事をさらりと言ってくれる。それが、彼女の良いところでもあるのだが、案の定、リーフの小さな背中がもっと小さくなった。ホラホラ座って、とステラに言われるまま、すとんと椅子に腰を下ろす。
「息抜きなんかも必要よ? 今日の夜、一寸した所に行こうかなって思ってるんだけど」
 ステラの瞳がくりっと動いてリーフを下から覗き込む。
「……時間が無いって言ってるじゃない……」
「うーん……そう? 残念ねぇ」
 言って、わざとらしく立ち上がる。
「あたし、ボールドウィンのお屋敷に行こうと思ってるんだけど」
 いたずらっ子のような笑みを浮かべて、彼女はそう言った。


 ボールドウィンの屋敷、ねぇ……。
 ステラの事だから、肝試し気分で忍び込むつもりなんだろうけど。
 帰り道。リーフは幼馴染に誘われた今日の夜の事をぶつぶつと考えながら家へ向かっていた。
 ステラは、アカデミーに所属している学生では無い。いつも通り勝手に入り込んで勝手にリーフに会いに来ただけだ。今でこそお花屋さんで手伝いなどしているけれど、彼女は元々スラム街の出身である。そんな彼女が、アカデミーに通える理由等あるわけが無い。
 スラム街。学者の町然とした、イスライアにもある、裏の顔。
 その場所に、リーフは一度しか足を踏み入れた事が無い。貧しさと寂しさで満ち溢れたその場所に、彼は一度、自分自身から逃げ出したくなって足を踏み入れていた。
 だが、数歩歩いたところで、彼は足を止めてしまった。というより、止まってしまった、と言った方が正しい。この場所の暗い空気。寂しく湿った空気が重たすぎて、彼は前に歩けなくなってしまったのだ。
 かと言って、後ろにも、戻れない。戻ればまた、好奇の目にさらされ、研究熱心な学者達の良い研究材料という名のおもちゃにされるだけだ。同世代の子供達は、そんな自分を遠巻きに眺めているだけで、目があっただけでふいっと顔を逸らされてしまう。
 ――どうしてだろう、と思った。
 自分はただ、皆と一緒に遊びたいだけなのに、と。
 ぽたり、と地面に水滴が落ちた。
 それが涙だと気が付いた途端、ぶわっと涙が後から後から溢れて来る。涙はいつまで経っても止まる気配を見せず、喉は何かにとり付かれたかのようにしゃくりあげ、息をする事すらままならない。このまま、溺れて死んでしまうのではないかと思うぐらい、幼かったリーフは泣いた。
 ――と。
 ひょこっ、と自分を下から覗き込んで来るくりっとした瞳を目が合った。びっくりして、涙を飲み込み、激しくむせる。
 げほげほと咳き込むリーフをしゃがみ込んで見つめながら、少女は物珍しそうに声を掛けた。
「あんた、こんなトコロで何してんの?」
 薄紫の、元気良さそうに飛び跳ねた髪の毛が印象的な少女だった。


 ……結局。
 来ちゃったなーと思いつつ、リーフはボールドウィン邸の前でステラを待っていた。
 はっきり言って、薄気味悪い。今日の満月が、夜なのに屋敷をくっきりと浮かび上がらせている辺りも余計に薄気味悪さを醸し出させているのだろう。
 ……それに。
 ホントに出るのかな、幽霊。
 こういった曰くつきの場所にお決まりのありがちな噂という物はやはりここにもある。つまり、夜な夜な、幽霊が徘徊しているというのだ。そんな話があるものだから、昼でも屋敷の前は人通りが少ない。夜になると、全くの無人になってしまう。
 がさり。
 ふいに聞こえたその音に、びくん、ともろに反応して凍り付く。
 ……今の。
 屋敷の、敷地内だったよね?
 自問自答。もちろん、答えなど出ない事は承知の上だ。
 ……やっぱり。
 幽霊って、いるのかな。
 彼自身は、幽霊についているもいないもあまり考えた事が無い。第一、見た事が無いし、体験談などもあやふやでどちらと断定するにも情報が少な過ぎる為だ。
 それでも――否、断定出来ないからこそ、怖い。分からないという事が、怖さを助長する。
 ――がさっ。
 また、同じ音が聞こえ、リーフはおっかなびっくり門の隙間から中を覗き込む。向こうからも覗いてて、うっかり目が合っちゃったりしたら嫌だなぁなどと考えながら。
「……あれ?」
 ステラ……?
 彼の目の端にちらっと映って通り過ぎて行ったのは、薄紫の髪をした女性の姿。
 先に入っちゃったのかな、もしかして。
 ――入って、みよう。
 門から少し離れたリーフの身体が、ふわりと空中に浮かび上がった。


 すとん、と門の中に着地して、リーフは庭を見回した。辺りは雑草が伸び放題で、もう大分手入れをしていないだろう事が分かる。
「やっぱり……見間違いかな」
 ぼそっと口に出す。途端、居心地が悪くなった。ぶるりと武者震いをする。
 いや、でも、さ。
「……折角、中に入ったんだし」
 駄目元だ。
「多少覗いて行っても、バチは当たらない、よね」
 呟いて、歩き出す。いちいち口に出すのはやはり怖いからだろう。でも、中に入っちゃったんだし、こうなったらとことん内部見学して帰ってやろうと心に決めた。現場百辺って言うし、案外何か分かるかもしれないと、淡い期待を持ってみたりしながら。
 雑草を踏み分けて辿り着いた正面玄関に、一応手を掛けてみる。押しても引いてももちろんびくともしない。当たり前だが十分予想していた事だったのですぐに諦め、隣の窓に歩み寄る。当然そこも鍵が掛かっていたが、そんな事は彼には関係が無かった。ようは、中さえ見えれば良いのである。
 次の瞬間、リーフは窓の内側に居た。ほんの一瞬――刹那の時間で、彼は移動したのである。
 先程の浮遊の時もであるが、彼が何か呪文を唱えたり動作をするような事は無かった。ただ浮かび、ただ移動しただけ。熟練の魔法の使い手でも魔法の発動には簡単な呪文ぐらいは必要とする。少なくとも、そう言われている。
 これが、彼が研究者達からおもちゃにされ、同年代の子供達から避けられてきた原因なのだった。超能力と呼ばれるその力は、人間とエルフのハーフ、つまり、リーフのようなハーフエルフにのみ時たま現れると言われる能力で、未だ分からない事だらけの能力なのだ。魔法とは根本的に違い、まず、宝珠を使用しない。呪文や動作無しでも発動が出来る。ただし、その場に無い物を作り出す力は無い、とされている。例えば、火種の無い所に火を出現させる事は不可能、というわけだ。ただ、使役する本人の精神に付加が掛かるのは魔法と同じだとされている。
 彼が入った部屋は、おそらく大広間か何かだったようだ。壁に掛けられた豪華な絵や、綺麗に陳列された装飾品の数々が埃を被ったまま、月明かりに照らされてひっそりと眠っている。
 部屋を見回し、ため息を吐く。
 ……この絵一枚で、一体幾らになるんだろう?
「確実に、父さんの年給より高いよな〜」
 言ってから、自分でも対象相手が陳腐だった事に気付き、苦笑する。彼の場合、その性別不明気味な顔の所為で、苦笑してるのか微笑してるのか分からなくなるのだが。
 廊下に続くドアに手を掛けるとゆっくりと開け、慎重に覗き込む。しかし、ほとんど何も見えなかった。丁度、この時間は月明かりが入らないような位置に窓があるのだろう。
 それを確認し、リーフは指をぱちん、と鳴らす。
 すると、空中に光球が現れ、リーフの周りをふわりと漂った。触ろうと思えば触る事も出来る、ただの純粋な光の球である。
 その明かりを頼りに廊下をてくてくと進み、とりあえず見つけたドアを覗き込んで行く。が、特に面白そうなものは発見出来ない。高価そうな調度品が目に付くぐらいだ。
 まぁ、そうそう何か見つかるわけもないよな〜と気楽に思いながら、リーフは歩いていた。
 先程の人影の事などすっかり忘れているし、いい加減この雰囲気にも慣れて来た。はたから見たなら、暗闇の中でふわりと浮遊する光の球を漂わせながら場違いな白衣で歩いている彼の方が充分幽霊に見えるだろう事にも、彼は気が付いていなかった。
 ――これが、最後のドアだ。
「……いを……い……」
 突き当たりのドアに手を掛け、開けようとした時だった。か細い声が聞こえたような気がして、思わず手を離し、ぐるりを見回す。
「……気、気の所為、だよね……」
 確認するように、声に出す。もう一度辺りを見回してもやはり誰も居ない。もう一度ドアに手を掛けると、ゆっくりと押してみる。
「……あれ」
 だが。
 そのドアは、びくとも動かなかった。一応引っ張ってもみたが、やはり動かない。どう見ても、今までと同じ普通の部屋のドアなのだけれど。
 ――気になる。
 考えてみると、今までのドアには鍵など掛かっていなかったのである。それなのに、何故ここだけ鍵がついているのだろう。
 ――ざわり。
 すぅっと、背筋に悪寒が走った。全身に鳥肌が立ったような嫌な感触がして、リーフは思わず自分で自分を抱きしめる。
 何、だ?
「……あの、子を……」
 背後から聞こえてきた声は、紛れも無く先程聞こえてきた声だった。か細い、今にも消え入りそうな女の声。
 ――振り向けない。
「……たす……け」
 やはり。
 ここには。
 女の声が、直接頭の中に響いてくる。ざわざわと、リーフの心の中に侵入して来る。
 それは、声と言うより。
 行き場の無い、思い。
 どうしようもない、悲しみ。
 ――そして、深い、後悔。
「……呪いを……解い……て」
「……呪い?」
 知らず知らずのうちに、言葉が零れていた。
 女は、答えない。ただ、自分の言葉を途切れ途切れに紡ぐだけ。
「……伝えて……あの、子に……」
 ……御免なさい、って。
「え? 待って――」
 その言葉を最後に、女の言葉は途絶えた。同時にその場を支配していた奇妙な気配が掻き消えるのを感じ、リーフは思わず言葉を掛ける。
 後に残されたのは、普段と何ら変わりの無い、ただの静寂。
 リーフは大きく肩で息をすると、一度深呼吸した。新しい空気で肺が満たされ、やっと呼吸するという事を思い出したような気がする。ぼぅっと痺れていた様な頭の感覚もクリアになった。
 一体、今のは何だったのだろう。
「……あの子を助けて。呪いを解いて?」
 かろうじて聞き取れた女の言葉を復唱し、振り返る。
 ――そこには。
 鈍い銀色に光る、ロケットペンダントが落ちていた。
 慎重に拾い上げ、ロケットを開ける。中には、金髪の少女の写真が入っていた。
 何処と無く冷めた笑みを浮かべた、綺麗な少女。
 これが――リオ、か。
 だけど。
 今の女の言葉は、何を意味するのだろうか。
 ……伝えて、あの子に。
 ……御免なさいって。
 ……御免なさい――か。
 リーフは、ぽつりと呟いた。
 ロケットの少女は、やはり冷めた深緑の瞳でこちらを見つめている。


「あ、リーフぅ。一体何処行ってたのよー」
「それは、こっちの台詞だよ」
 門の外に見慣れたステラの姿を認めて、思わずぼやく。
「いや、さー。一寸寝過ごしちゃって」
 今日は徹夜になるかなーなんて思ったから先に仮眠とっておこうかなと思ったら一寸ね、ホントに一寸ね、寝過ごしちゃってさー、とマシンガントークで言い訳を始めたステラをおいて、リーフはさっさと歩き出した。今のうちに原稿纏めておこう、などと考えながら。当然の如く、幼馴染の言い訳など右から左である。
「あ、一寸、待ってってば!」
 怒った? もしかして怒っちゃった? と言いながら慌てて追いかけて来た幼馴染は、隣に並ぶと早速聞いて来る。
「で? 何か、収穫はあった?」
「お化けに、会った」
「え〜! ホントに居たの出ちゃったの!?」
 どんなだった、怖かった? と興味津々で問い掛ける彼女を見て。
 ああ。
 夜の新鮮な空気を、一杯に吸い込む。
 ま。
 ステラが、誘ってくれたんだからな、一応。
「……実はさ……」
 白衣のポケットからロケットを取り出すと、リーフは中で起こった事を話し始めた。


 あんな微かな残留思念と交信出来るとは。
 ――テレパシーか。
 語り合う二人を、影から見つめている者が居る。
 珍しいほど、強力な能力者だ。
 いや、超能力者自体が珍しい、のか。
 ……ふぅん。
 にやりと口の端を吊り上げ、その人物は笑みの形を貼り付ける。
 ……これは、面白そうだね。


「あ〜ッ!!」
 家に帰ったリーフの絶叫が響き渡った。まだ夜中だと言うのに、そんな事にも気が回らなくなっているらしい。
「無いッ。無いッ! 無いぃーッ!!」
 正に家中を引っくり返しこねくり回して彼が探している物は、今まで彼が纏めた論文のメモだった。最後に彼がそれを置いた場所にはそのメモではなく、彼の父が纏めた父の研究テーマである未開の地、ファーランドについて記した資料が置いてあっただけである。
 彼の父は、イスライア・アカデミーで教鞭を取る講師であり、研究者なのだ。その父は今、母と共にファーランドへの渡り方が見つかったとか言って嬉々として旅立って行った。
 それが、三日程前の事。
 ……真逆。
 嫌な考えが脳裏に浮かぶ。
 もしかして。
 もしかして、間違えて、持ってっちゃった、とか――。
 あり得る。
 あの両親なら。
「あり得る」
 硬い声で、呟く。そんな事は出来るなら考えたくもないしましてや認めたくなんて無い。もしそうなら、自分の論文は最初からやり直しだわ、この資料を届けなきゃならないわで、物凄く面倒な事になるからだ。だが、この資料を持たずにファーランドへ渡ろうとしたなら、それこそ彼の両親が心配である。一応、この目の前でどすんとその存在を主張している紙束の中に、父の調べた事柄が事細かに記してあるのだから。
 ――一体。
 一体、どうしろってさ〜。
 今にも泣き出しそうな顔で、リーフはその場にへたり込んだのだった。


 次の日の朝早く。
 イスライア・アカデミーに、リーファ=M=ルフランから長期の休校届けが提出された。


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