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その日は、どんよりと曇っていた。庭に植えてある、様々な毒草や薬草の様子を見ていたバティーラ=ドゥエインは、そんな重たい空を見上げながら「嫌ですねぇ」と小さく呟く。 「雨が降ってくれるのは嬉しいんですけどね。降るのか降らないのかはっきりしない、こんな天気は本当に嫌ですよ。気分が重たくなります。……そう、思いませんか?」 いつもと変わらぬ穏やかな口調。独り言のような台詞から振り向きもせずに振られた人物の方は、「流石だね」と短い感嘆の言葉を漏らす。 「流石も何も。この仕事をしていて、貴方がいるのに気がつかない方がいけませんよ。気配を感じ取れないのはせいぜい、死人ぐらいなものですか」 それに、と彼は普段通り、植物に水をやったりしながら(彼曰く、ガーデニングなんだそうだ)少し呆れたようなニュアンスをこめて言葉を続けた。 「そもそも。貴方は今、忍び寄ってきたわけでも何でも無い。どう頑張ったって、気がつかない方がおかしいでしょう?それともまさか、気がつかないフリをして欲しかったとでも言うのですか?」 しゃがみ込み、葉を擦ったりしている。彼が持っている葉には小さな白い斑点が広がっており、それがあまりよろしくない状態なのだろうという事はバティの行動から容易に想像はついた。 「……ああ。ダメですねぇ。この湿気が良くありません」 まぁ、天気予報ほどアテにならないものはありませんしねぇ、とあっけらかんと言い放ち、手にしていた植物をいじるのを止めた。植物を放り出し、パンパンっとローブについた土をほろう。 「それで?何度来て頂いても、答えは変わりませんよ。私は、貴方達に協力するつもりなど、毛頭無いのですから」 誰に協力するつもりも、無いんですけどね、と付け加え。 「そういうわけですから、お帰り願えますか。こう見えても結構忙しいんですよ」 「僕達が貴方に提供出来る条件としては、『誰もに訪れる安らかな死』。貴方にとって、悪い話では無いと思うんだけどな」 「それは興味深いお話ですが。でも、その用件はすでにフェリルに頼んでありますからね。間に合っていますよ」 何時もと変わらぬ口調で言ったようでいて、その声に微かな動揺が混じっているのを、来訪者は聞き逃さなかった。青い髪の少年は、手応え有りと見たのか口の端をにんまりと吊り上げる。 「はっきり言うよ。 少しだけ、静寂が訪れた。ラグナの言葉を背中で受け止めながら、バティは小さく笑い声を上げる。 「……フェリルを殺す方法?それを貴方達が?はは、何を寝ぼけた事を言っているのです。貴方達はもうすでに私達を殺しているじゃあありませんか。それなのにまた、貴方達に殺されろとでも言いたいのですか。それともまさか、今更になって責任を取りたいとでも言うのではないでしょうね」 そんな台詞を言いながらも、バティの顔には柔らかな笑みが浮かんでいる。笑うしかないから浮かべているような笑みでは決して無い。心の底からの、会心の笑みだ。それを見る事が出来たのが、彼の育てている植物達だけだった、と言うのはラグナにとっては多分幸運な事だったろう。その穏やかな笑みにこそ、バティの心の闇が最も深く映し出されていたから。 「もう、私達の事は放って置いてくれませんか。何を言われても、私は貴方達の技術になど頼るつもりはありません。ましてや、貴方達のお手伝いをするなど」 あまり冗談を仰られると、流石の私でも怒りますよ。 振り向いて、ラグナの視線を真っ向から受け止めたバティの表情はいつも通りのものだ。つまりは、穏やかな笑みを貼り付けたままの、綺麗な顔。 その顔を見て、ラグナは一瞬言葉を失った。自分に、恐怖という感情があった事など忘れ去ってしまうほどは怖いと思った事の無い彼でさえ、恐ろしいと肌で感じてしまう程の美しい笑み。 身体中が、粟立つ感覚を覚える。 その、静かな声は、そんなラグナの後ろから聞こえてきた。 「では、妹さんを救う方法――。それを知っていると言ったらどうします?もちろん、貴方も元の人間に戻る事が出来る。時代こそ違えど、人生をやり直す事が出来る」 ハイトーンの落ち着いた声。その声を聞き、ラグナは肩を竦めると面白く無さそうに呟いた。 「……何だ。君自らが来る程の人間なのかい、バティーラ=ドゥエインって」 「そういう事です。それに、君は戦闘要員です。こういう交渉事は、僕の方が適任でしょう?」 「どなたに来て頂いても同じ事ですよ。私は、貴方達に協力するつもりもなければ貴方達を許すつもりもありません。貴方達さえいなければ、僕が今ここにこうしている事だって無かったんですから」 長かったですよ、二百年は。 「許すだの許さないだの。珍しいですね、貴方がそんな感情的な言葉を言うなんて」 穏やかに返しながら、後から現れた来訪者は先ほどバティが診ていた植物へと手を伸ばした。彼が一度手を触れただけで、その葉を覆っていた白い斑点は綺麗さっぱりと無くなっている。 「……僕が治せるのは。植物だけじゃありませんよ」 イスライアの街は、飛行船盗難のニュースで持ちきりだった。宿の部屋の窓の下、あちらこちらで配られているWANTEDと書かれた紙とそれをもらいにやって来る絶えない人の列を見、ケインは思わず苦笑を浮かべた。 「このコ達って、アンタの知り合いよねェ?」 それに対し、心底楽しそうな笑顔を浮かべてニコニコともらって来たばかりの紙を見比べているのはエリザである。面白そうに何度も紙面を読み返してはうんうんと頷いたりケインに話しかけたりと忙しい。 「アンタがキールのギルドに襲撃をかけるって言った時も無茶な事するわねェって惚れ直したんだけどサ。あはは、このコ達の方が一枚も二枚も上手だったみたいだわネ、ケイン?」 「全くだ」 言って、窓の外に向かって一度、煙を吐いた。そんな彼の顔を見つめ、エリザは熱が冷めたように手に持っていた紙をテーブルの上へと置く。 「何だかねェ……。あんまり驚いていないみたいネ、ケインってばサ」 「驚いてるさ。まさかここまで大胆な事をやらかすとは思わなかったからな」 「……ま。アンタの秘密主義は今に始まった事じゃ無いか。驚いてるって事にしといてあげるワ」 ため息をつき、ケインが指で挟んでいる煙草をいらいらした様子で奪い取ると一度深く煙を吸い込んでから、まだ長いその煙草を灰皿に押し付けた。彼女の珍しいその行動に内心驚きながらも、すぐに新しい煙草を取り出してくわえたところを見ると、ケインのこれはすでにクセか何かなのだろう。 「で?アタシ達はどうするんだイ、これから」 まさか、あのコ達の船に乗せてもらうってワケじゃあ無いだろうねェと言って笑った彼女をちらりと見、また窓の外に視線を戻すと「いや」と白衣の男は言った。 「何もしない。今は、な」 正確には何も出来ない、なんだがな、とぼそりと付け加え。 「だから、ゆっくり休んでおくと良い。どうせ、ついてくるつもりなんだろう?」 「当たり前さネ。これ以上、アンタに無茶な事をやらせたら、アタシがティアラに怒られちまうヨ」 ティアラ。 エリザがその名前を出した時、ケインの表情がぴくりと引きつったのを彼女は見逃さなかった。 全く……。 ふぅ、と小さくため息をつき、フェリルちゃんにため息ばかりついてたら幸せが逃げるわよォって言ったのはいつだったかしらねェ、などと考えてみるエリザだった。 雲の上って、案外つまらないものだよね。 これが、初めて飛行船に乗ったティルの感想だった。どの窓から見ても雲、雲、雲。何処を見ても雲か空しか見えない光景というのは、時に動いているのか止まっているのかさえ分からなくなってくる程、感覚が麻痺してくるもので。 しかし、『アークウィンド』を盗む際、あれだけ派手にやらかしたのだ。地上では大変な騒ぎになっている事だろう。このまま鏡界面まで直行するしか道は無い。 「あ〜……。まだ目的地につかへんのかいな〜……」 ティルの横でへたり込みながらエルゥが文句を言う。自分で飛ぶ事は構わなくても、空を飛ぶ乗り物に乗るのは駄目だったらしい。そんなわけで、飛んでから一時間もしないうちにグロッキー状態になったのだった。 「だらしないのぅ。飛ぶ事には一番慣れておるのだろうに」 「自分で飛ぶんと乗せてもらうんは違うんや。わいが飛ぶ時はもーちょっとでりけぇとに気ぃつけて飛ぶんやで?こんなに揺れたりせぇへんわ……」 フィリエラに盛大にため息をつかれ、力の無い声で抗議する。へたり込みながらも言われっ放しで終わらないところは流石エルゥと言ったところか。 「揺れると言っても、普通の船などよりはずっと気にならない程度ですけどねぇ」 やんわりと、コハクが言う。それを聞いたエルゥ、露骨に嫌そうな顔をしてぶるぶると身体を震わせると「聞いとるだけで我慢出来へん。寝る」と呟いて目を瞑ってしまった。 「それで?鏡界面についたら、どうするの?」 丸くなってしまったエルゥを横目に、ティルが問う。問われたフィリエラは一言「分からん」と言った。 「分からんって……。ファーランドに行きたいって言い出したのはフィリエラでしょ?何か策があって言ったんじゃなかったの?」 「策?あるわけ無いじゃろう、そんなもの。昔、わらわが目覚めた時には、鏡界面などという面倒なもので世界が区切られたりはしておらかったのじゃぞ?見るのすら初めてじゃわい、鏡界面など」 「……ま、そんな事だろうと思ってたけどね……」 フィリエラの自信たっぷりの答えに目を丸くしているリーフをちらりと見、いー加減に彼女の性格が掴めて来たティルは、苦笑混じりに呟いた。 つまり。 いつも通り、行き当たりばったりって事ね。 「どーにかなるでしょ。今までもこんな風だったんだからさ。今更、ねぇ?」 ねぇ?と振られたリリィも、肯定の意味を込めて小さく肩を竦めた。フィリエラを補佐するという立場を重んじている彼女だが、それでもティルの言葉を否定する事は出来なかったらしい。 「しかし……。鏡界面とは、目には見えないものなのでしょう?実際、後どれぐらいで到着するのか、気にはなりますね」 「そうだね。もしまかり間違って風の壁に突っ込んじゃったら洒落にならないし」 「……縁起でもない事を言わないで下さいよ」 真顔で言い、コハクは立ち上がった。エルゥが「うるさいなぁ」と言いたげにじとーっと彼を見上げる。 「到着の目処でもオズさんに聞いてきますよ。彼も、一人で退屈でしょうし」 「ついでに、もうちょいでりけぇとに運転せぇって言うといてや」 「はいはい。分かりました。細心の注意を払って頂く様、お願いしてみましょう」 にっこりと笑ってそう返し。 コハクは一人、談話室を出た。 ……ファーランド、ね。 少し歩き、談話室のドアが小さくなったところでコハクは足を止めた。 こんな事は、姉さんの神託にも出ていなかったな。 呟いて、窓から外を眺める。雲の上に出ているため、何処を見ても抜けるような快晴だった。 「……?」 その青の中に一瞬、別の色が混ざったような気がして、コハクは目を細めた。だが、いくら目を凝らしても自分の名前の由来となっている綺麗な琥珀色の瞳に映る物は、何処までも続く青い空と遥か下に浮かぶ雲の海だけである。 「……見間違い、ですかね……」 首を振り。嫌な予感を払拭するかのように、口に出して呟いてみたものの。何処か、不安が消えない。それは、何処からとも無く忍び寄ってくる深い霧のように、コハクの心に居座った。 「……そうだと、良いのですが」 自分で答えを返したその時。 ガクン、と機体が大きく揺れ。 「うわぁっ!」とオズの叫び声が、コハクの耳に聞こえて来た。 |