――銀の十字結社。
 それは、ここにいる全員が初めて聞く名前だった。
 本拠地は、リファレンスにあった、とべオは淡々と話す。
「……あった?」
 彼の過去形になっている言葉尻を捕まえて、リーフが言う。
「少し前になるかな。リファレンスでは、組織の者達ばかりが暗殺される事件が起きていてね。その際に、リーダー格の男が行方不明になったと聞いているよ。生きているのか死んでいるのかも分からないとね。それ以来、リファレンスにいた組織の者達も引き上げたんだそうだ」
「じゃあ、その組織の人達が今何処にいるかは……」
「分からないな。リファレンスに本拠地があった、という情報ですら、本当かどうかは」
 首を横に振り、そう答えたべオに、それじゃあとリーフは別の質問を開始する。
「その組織、銀の十字結社ですか?……それは一体、どんな事をしている組織なんです?」
 べオは、言葉を選ぶように沈黙した。しかしその沈黙こそが、リーフにとっては良くない答えしか返ってこないのだろうという事を予感させた。
 リーフはべオの答えを待ちながら、彼の顔から目線をずらし、少々俯いて呟く。
「……真っ当な、仕事をしているわけが、無いですよね」
 今のべオの沈黙。先程彼が言った、もう後戻りは出来なくなる、という言葉。そして、本拠地はリファレンスにあった、という情報。
 それらを総合すれば、リーフじゃなくてもその結論には達するだろう。
「私が知っている限りでは、結社では古代魔法の研究をしていると、聞く。本当かどうかは、謎だがな」
「全部、謎なんですね」
 顔を上げ、少しだけ笑みを浮かべて言ったリーフの言葉に、べオも、まぁ、そうだな、と苦笑混じりの表情で返す。
 その時。
「……古代魔法、じゃと?」
 今まで黙ってべオの話を聞いていたフィリエラがそう、声を上げた。つかつかとべオに歩みより、ほとんど背伸びをするようにして彼の顔を見上げる。
「古代魔法の、研究じゃと?それは、信用するに値する情報か?」
「少なくとも、私にとっては信用出来る人物からの情報だが」
「……という事はお主、これからもその人物からその何たら言う組織の情報を得る事が出来る、という事じゃな」
 そう独り言のように呟き(実際に独り言だったのかもしれないが)、フィリエラは辺りをせかせかと歩きまわった。どうにもこの少女が話し出すと周りの人間(種族的は意味での人間はこの場にはいないのだが)は沈黙してしまう傾向にあるようで、全員が全員、彼女の動向を注目してはいるものの、口を開きはしない。フィリエラは、そんな視線に気が付いているのかいないのか、何やらぶつぶつ呟きながら歩き回った後、唐突に足を止め、ポンッと手を叩く。
「それじゃあ、お主達も、これからわらわと一緒に来るが良い。その何たら言う組織、気になるのでな」
 彼女の勝手なその台詞に、もう反対する者はいなかった。何となく、ここにいる全員が、そんな事を言い出すんじゃないかと予感していたのかもしれない。唯一、エルゥだけが「何でそーなるんや?」とその結論に至った理由を聞いてみたりしたのだが「勘じゃよ、勘」と返されてしまって苦笑を浮かべていた。
「わらわの勘じゃ。一緒にいた方が面白い事が起きそうだという、な。わらわの勘は、頼りになるのじゃぞ?」
 そう言って、美少女は綺麗な笑みを浮かべた。


 夜も更けて。
 リーフが明日の準備をしていると、ドアが遠慮がちにノックされた。ドアを静かに開けると、そこには先程知り合ったティルという名のイグナーダが立っていた。彼は、ちょっと話したい事があると、少々遠慮がちに言う。彼のふさふさした茶色い尻尾がぱたんぱたんと揺れていた。
「……どうぞ」
 言って身体を脇によけ、彼を部屋の中に招き入れる。リーフはティルがベッドに腰掛けたのを見てドアを閉め、自分は一つしかない椅子に腰掛ける。
「それで、話って〜?」
「……さっきの、ヴァンパイアの、事なんだけどさ……」
 リーフが小さく息を呑み、身体を強張らせたのが分かった。ティルは一呼吸置き、彼の反応を見ながら続ける。
「さっき、あの十字架は組織の証だ、みたいな事を言ってたよね。あの人あんなピアスをしてるとこ、見た事があった?」
「ステラ、ピアスはいつもしてたけど、あんなのは初めて見たよ。小さい時から、一度も見た事無いよ」
「断言、出来るんだね」
 ――それなら、一つ考えた事があるんだよ。
 だけどこれは、俺が勝手に考えてみた事で、本当にそうなのかどうかは分からない。というよりも、これが本当だ、という可能性の方が低いと思う。
 そのつもりで、聞いてね。
 ティルの台詞に、リーフは首を縦に振った。どんなに低い可能性でも、どれほど突拍子の無い考えでも、それが間違いだと断定する要素も無い。
「あの人ね、もしかしたらヴァンパイアにされちゃったんじゃないかな?」
「……ステラも、ヴァンパイアに噛まれたって事?」
 そんな事なら、わざわざ言われなくたって考えた。だが、ティルは首を横に振ってその言葉を否定する。
「いや、そうじゃないよ。もし、もしも、だよ?その組織が古代魔法ってヤツを研究していて、その研究の一部でも完成させていたとしたら?」
「…………」
「単なる憶測でしかないけど、あの人、魔法でヴァンパイアにされちゃった、って事は考えられないかな?」
 ……俺が種族を変えられたみたいに。
 ずっと、引っ掛かっていた。
「……だけど……そんな事、本当に……」
「出来るんだよ」
 短く言い切ったティルの言葉に、リーフは続く台詞を飲み込んだ。単なる憶測ではなく、何か確りとした確信を持って言い切ったように、聞こえたから。
 ティルは、自分の左の二の腕に巻かれた布を器用に解き始めた。布が無くなって露になったそこには、血のような赤い色で円を基本とした不思議な図形が刻み込まれていた。ティルはその図形を指差し、「何だと思う?」と質問を投げかける。
「人間だった時には、無かったんだ」
 そう言って彼は、先程解いた布を少しでも早く元通りにしようとしているかのように急いでまた腕に巻き始める。このハーフエルフの少年が、自分の言った事を理解出来ないだろうという事は初めから察しが付いていた。今までだってそうだったのだから、今更目の前でぽかんとした表情をされて見つめられてもショックでも何とも無かった。
 ただ。
 もしも自分の言った事が本当で、その組織とやらの人間が、人を人に在らざる者に変えてしまう魔法などを扱う事が出来るのだとしたら。
 ティルは元通りに紋章を隠し終えると腰掛けていたベッドから立ち上がった。
「ま、もしかしたらそういう可能性もあるかもしれないなと思って。気にしなくて良いよ」
「……あのさ。それって、逆もありうるかもしれないって事だよね?」
 呆けたような表情で一点を見つめていたリーフがティルを見上げて声を掛ける。
「ヴァンパイアにする事が出来るなら、元に戻す事も、可能かな?」
「……さぁ。壊す事は簡単でも、直す事は難しいから」
 自分の考えを押し隠し、あくまでも淡々と言う。
 ――今、リーフが言った事は、彼も考えていた事だったから。
 フィリエラの言葉を信じるなら、彼女は多分古代魔法……光の魔法……の力を使ってティルの力を封印して姿を人間に変えたはずだ。そして彼女は、自分はその封印を解く事が出来る、とも言った。精霊と結びつきが薄く、精霊魔法の扱いも異種族よりも上手くない、という理由によって人間にされていたはずだし、そもそも、人間の姿にするという行為こそが、彼女の言う『封印』だったはずだ。
 それなら、人の姿の時に封印を解かれれば今の、この姿に戻るという事になっていたのだろう。
 それはすなわち、光の魔法には人の姿を変えてしまうぐらいの力が備わっている、という事にもなる。変化させる事も、元に戻す事も出来るという、事に。
 彼女の言葉を全面的に信用するならば。
 そしてその古代魔法だと言われる光の宝珠が無くなり、光の力を中和する事の出来る闇の魔法の素質を持つ自分の力が何者かの呪いによって封印された。記憶と一緒に。
 ……これは偶然か?
 銀の十字結社が研究しているという古代魔法。それが、光の魔法の事だとしたら?
 おぼろげだけど、繋がる。
 ――わらわには、知る権利がある――
 あの台詞からして、フィリエラもそんな事を考えたのだろう。
 こりゃ、巻き込まれたのはこっちのはずだったけど。
 もしかしたら、こっちがこの少年を巻き込んでしまったのかもしれないな、とティルは考えて心の底からため息をついた。


 結局、バティのところで一泊し、フェリルはケイン達が取った宿に向かって歩いていた。別に戻りたいわけじゃねぇんだけどな、と一人心の中で愚痴ってみる。
 ケインが何故、足を洗ったか、というところまではバティも知らなかった。その事実に驚きながらも、フェリルは余計に自分の雇い主に興味を覚えたのだった。
 だから、戻るってわけでもねぇんだけどな……。
 もう一度心の中でぼやき、今度は声に出して呟いてみる。
「ただ、アイツのところにもいたくなかったからよ……」
 独り言を言うフェリルを見ている者は誰もいなかった。いつの間にか、本通りからかなり離れた裏通りに入ってきていたからだ。その裏通りのさらに一本奥に向かう路地へと曲がり、フェリルは唐突に足を止める。
「……何か用なら、さっさと出て来いよ」
 普通の言い方だった。別に声を荒げるわけでも、警戒している風でもない。むしろ、フェリルの顔には、面倒だな、と言った類いの表情が浮かんでいるようにも見える。
「まぁ、バティの毒草を避けたのは、誉めてやるけどな」
 あんなとこ、よく細々と避けたよな、と頭を掻きながら言う。
「それは誉めてやるけど、居場所ばれてんのにまだ隠れてるのは誉められた事じゃねぇぜ?」
 言いながら、後ろを向いた。それと同時に、路地に入って来る人影がある。
「そうそう。かくれんぼは見つかったら終わりだろ?」
 現れた人影に向かってゆっくりと近付いていく。一見普通の旅人風に見えるその若い男の気配は、昨日バティの家で感じたものと同一だった。
 男との間隔がちょうど三メートルぐらいに狭まったところで足を止める。
「……で?何で俺の後をつけてた?」
 あっさりと問われて男は一瞬言葉を探すように宙に視線を漂わせたが、
「フェリル=ドゥエインだな?」
 質問には答えず、逆に質問で返す事にしたらしい。そんな男の台詞を聞いて、フェリルは今度こそ面倒くさそうに大きなため息をついた。それを聞いて、男は半歩足を前に出す。
 ……いちいち頭に来る事をするガキだ。
「まぁ、確かにそうだけどさ。アンタ多分、勘違いしてるぜ」
 そう言って苦笑を浮かべたフェリルの姿はあまりにも無防備だった。もう一度、後ろ頭を掻きながら、フェリルは男に背を向けて歩き始める。
「バティを仲間に引き入れるために俺を使ったって無駄だよ。アイツがどうしてあの場を離れないか……アンタ達の話に乗らないか、知ってるか?」
 別にアンタ達に協力する事を嫌がっているんじゃない。
 そこでフェリルは僅かに声のトーンを上げ、その場に立ち止まる。くるりと向き直って男とまた向かい合うと、両手を広げて小首を傾げて見せた。その整った顔には、笑みが浮かんでさえ、いる。尤も、他にどういう表情をしたら分からないからとりあえず笑っているような、冷めた笑みだったが。
「フェリルを守るために、アイツはあの場所を離れないのさ」
「……ふざけた事を」
「ふざけてなんていねぇぜ。それが真実だからな。……ま、説明しても、分かんねぇよな」
「フェリル=ドゥエインは、お前だろう」
「ああ、そうだ。そうだけど、違う」
「もういい。生きてさえいれば良いと言われているんだ!」
 その、説明にならない意味不明の台詞の連発に、男は先程から抑えていた感情を爆発させた。殺気が辺りに広がるのがはっきりと感じられる。
「そうそう。人間、感情を隠してるってのは、精神衛生上良くないぜ?」
 やっぱ自分に素直に生きないとな、と言って苦笑いを浮かべているフェリルに向かって一気に間合いを詰め、腰に下げているナイフを抜き放った勢いそのままに斬り付ける。それはこれまで戦ってきた中で、最高のタイミングだと瞬間彼は思った。ただ、男にとって運が悪かったのは、彼がフェリルの能力を知らなかった、という事だろう。
 ナイフの刃がフェリルにヒットする直前。ふっとフェリルの姿がかき消えた。食い込む目標を失った刃は、虚しく宙を泳ぎ男の表情に信じられない、と言ったような感情を表わす表情が浮かんだ瞬間。
 どすっという低い音が聞こえ、続いて下腹に重たい痛みがやって来る。一瞬暗くなりかけた視界の隅に捕らえたのは、今までこの場には無かった黄色い物体だった。が、それが何だか確認する暇も無く、今度は側頭部に重たい衝撃を受けて吹っ飛ばされてしまう。細い路地の壁に背中から叩きつけられて、瞬間息が詰まった。
「だからな、俺も感情は隠さないようにしてるんだ」
 先程と変わらない調子のフェリルの声。叩きつけられた壁に寄りかかるような姿勢で半ば朦朧とした意識の中で彼はその声を聞いた。朦朧とした意識をはっきりさせようとして頭を左右に振り、何とか顔を上げる。
「……なっ――」
 そこに立って彼を見下ろしていたのは、確かにフェリルだった。ただ、先程までは無かった黄色い虎の尻尾と耳が生えている、という変化はあったが。
「――ライカン、スロープ……」
 掠れた搾り出すような声で、男が言った。それなら……
 あのタイミングで攻撃を避けた上、反撃にまで出れた事の説明がつく。
 人には無理な芸当でも、獣の瞬発力を持ってしたら、出来ない事では無いのだろう。
 見たところ、噂に聞いた事のあるライカンスロープよりは人間形体に近いが、それでも人より能力は高いに違いない。
「初めて見るか?」
 どうでもよさそうな口調だった。
「さて……。今度こそ、こっちの質問に答えてもらうぜ」
 力が、違いすぎる。
 今更ながらに男はそう痛感し、また、この仕事を受けてしまった事を後悔し始めていた。
「お前、何のために俺を尾けていた?」
「……話すと、思うか?」
「いいや。普通は喋らないさ」
 だから、本当はこんな面倒起こしたく無かったんだけどよ。
 そう、口の中で呟き、
「だけど、喋ってもらわないと、困るんだよ。折角尻尾を捕まえたんだからな」
 まぁ、尻尾過ぎるような気もしないでも無いんだけどな、とため息をつきつつぼやいた。その様子がまた男の頭にかちんときたらしい。本当にいちいち頭に来る事をするガキだ、と彼は心の中で呟いた。
「ま、俺を尾けて来たわけは、分かってるんだけどさ。正確に言う。手段を選ばないような真似をしてまで、何のためにバティを勧誘してるのか、知ってるか?」
 男は「知らねぇよ」と一言で吐き捨てた。フェリルはじっと男の目を見つめていたが、
「……雇われただけ、か?だけど、これは答えられるだろう?一体どんな人物が、どんな名目で、お前を雇った?」
「…………」
「……まぁ、話したくないならそれでもいい。そっちが俺の名前を知ってるって事は、放っといてもアンタみたいな連中がまた来るかもしれないって事だからな」
 ……要するに。
「代わりはいくらでもいるって事さ」
 男を見下ろして、そう言い切ったのと同じ時。
「アラァ。ちょっと待ちなさいナ」
 フェリルの耳に聞き覚えのある声が届く。
「折角だものォ。知ってる事、お話してもらいましょうよォ」
「……してもらっても、無駄だと思うぜ」
 そう言ったフェリルの声からは微妙に力が抜けていた。だが、それと同時に姿も元の人間の姿に戻る。言葉ではそう言いつつ、今現れた人物に任せようという気になったのだろうか。
 エリザはにっこりと笑うと、両手一杯に抱えていた紙袋の山をフェリルに押し付け、そのままフェリルの耳に口を寄せて呟いた。
「フェリルちゃんが人を殺せるのは、白の月の日だけ。そうでしょう?」
「――っ!」
 フェリルに口を挟む隙を与えず、エリザは次の言葉を口にした。
「それにしても、ライカンスロープだったなんてネェ。本物に会えるなんて、あたしは感激だわよゥ」
 おねーサン、嬉しすぎて泣いちゃうワ、とか言いながら紙袋を抱えたままのフェリルに抱きついている。くっつくな、離れろと喚いているフェリルを見て、男は何か騙されたような気分になっていた。
 ……何だったんだろう、さっきの……。
「んもぅ、恥ずかしがり屋サンなんだからァ、フェリルちゃんってば♪」
「――だっ、誰が恥ずかしがり屋さんだっ!!」
「ホラ、やっぱり。照れなくったって、良いのよォ?」
「て、照れてねぇ!!んな事より、早く吐かせちまったらどうだ!!」
 ……え、俺?
 すでに高みの見物気分になって二人の遣り取りを見つめていた男は(どーやらフェリルが後から現れた女に形無しなところが面白かったらしい。ざまーみろだ)フェリルの言葉に思わず自分を指差して呟いてしまった。その呟きを耳聡く聞きつけて、フェリルが怒鳴る。
「お前以外に誰がいるんだよ!!ったく、全部お前の所為だからなっ!!」
 完全に当り散らしているだけだった。他に誰もいないから当たられているだけ。それが分かり、男はまた何でこの仕事受けちゃったんだろうと一人後悔する。尤も、フェリルの方も同じような事を考えていたりするのだったが。
「分かってるわよォ。人形遣いドールマスターのあたしの力、ちゃんと見せてあげるワ」
 この場で一人ご機嫌なエリザが妙に明るい声で言う。それを聞きながら、それぞれ別の意味ではあるけれど、任せて大丈夫なんだろうかと心配になる二人だった。

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